5. 元婚約者ゾフィー
その夜、ニコライ様は
何度となく婚約解消を願っても、ニコライ様は承知してくれなかった。それどころか、まるで私が子を孕むのを望むように、毎晩でも飽きることなく私を抱いた。
婚約者の私が身籠れば、ニコライ様は『真実の愛』を諦めるつもりだったのかもしれない。彼女の幸せのために。自分の思いを断ち切るために、彼には子という足枷が必要だったのだろう。
その願いはむなしく、いつまでたっても私は妊娠しなかった。あれほどの快楽を与えられ、何度も何度も体内に情熱を放たれても。
溺れていく体とは反対に、冷めていく私の心が彼を拒否していたのかもしれない。私たちはきっと、元々が縁の薄い関係だったのだろう。
婚約破棄後、ニコライ様はさらに勢力的に政治活動に没頭した。その甲斐あって皇帝即位が正式に決まり、有力な家の娘を皇后とする必要がでてきた。
結局、私に子が授からなかったのは幸いとなった。庶子を産んでいたら、きっと彼の縁談に差し障っていたはずだった。
十年ぶりの情熱的な逢瀬なのに、私はちっとも伽に身が入らなかった。そんな私の様子に、ニコライ様は私が彼の病のことを聞いたと悟ったようだった。
「君には迷惑をかける。すまないが、私を助けてくれないだろうか」
「もちろんですわ。私を陛下の愛妾に加えてください」
「私に愛妾はいない。それになぜそこで皇后じゃないんだ? どうせ私に抱かれるなら、同じことだろう」
同じなわけがない。愛人と正妻の役目は全く違う。すでに老嬢と呼ばれる年齢になり、領地も遠戚に渡って持参金もない。何の取り柄もなく役にも立たない。しかも、子も産めない私が、大帝国の皇后になれるわけがない。
「嫁き遅れた没落貴族の娘など。陛下批判の格好の口実になります。皇后には力のある家から然るべき姫を」
「君が嫁がなかったのは、私のせいだろう」
ニコライ様が私の内腿に舌を這わせると、体がその先を期待してビクビクと震えた。彼はいつもそうやって私を焦らす。その癖は今も変わっていなかった。
私の反応を目と指で確かめて、ニコライ様は嬉しそうな笑顔を見せた。
「今も昔も、君の体は私が教えた通りの反応しかしない。君は婚約破棄後も私に操を立てた。違う?」
確かに、私はニコライ様しか男を知らない。この身を許したのは、ニコライ様だけだった。他の誰にも触れさせたことがないし、口づけすら交わしたこともない。
「いいご縁がなかったんです。それだけですわ」
「それは、君が私に純潔を捧げたから? 貴族の初婚相手には、まだ乙女が求められる」
「今どき、そんな古い考えは流行りません。気にしすぎです」
そのことについては、ニコライ様はそれ以上は触れなかった。処女でないことは、たしかに貴族の結婚では不利かもしれない。でも、それが私が結婚できなかった理由じゃない。そんなことは関係なかった。
皇帝のお手付き令嬢。そんな私には、むしろ皇帝との縁にあやかりたい貴族たちが、こぞって結婚を申し込んできた。ただ、私が彼らを愛さなかっただけ。正確に言えば、愛することができなかっただけ。
「陛下こそ、皇后には乙女をお望みでしょう? お世継ぎを産む方に、他の男性の経験があったら、色々と具合が悪いですから」
「それこそナンセンスだよ。むしろ、生殖能力が証明された経産婦でもいいくらいだ。だが、私は子供を持つつもりはないんだ。皇位はアレクセイに継がせる。正当な皇室の継承者だ」
血筋のことを気にしているんだろうか。ニコライ様が血がつながらない遠縁から、皇室と血縁関係にある公爵家に養子に入ったことは、今では公然の秘密となっていた。皇室は帝国の象徴。その血の正統性よりも、その存在にこそ意義がある。
「そうですか。でも、そうだとしたら、なおさら皇后が必要ですわ。アレクセイ様の強い後ろ盾になるような立派な家柄の令嬢がよろしいかと」
「お飾りの皇后などいらないよ。愛人との間に子などもうけられたら、帝位を奪われてしまうかもしれない」
その父親が誰であっても、帝国では皇后所生の男子が帝位を継ぐ。後継者確保という大義名分。そういうニコライ様自身も、皇室を存続させるためだけに皇帝に担ぎ上げられただけだった。
「お立場が難しいこと、お察しします。でも、陛下には幸せな結婚をして、よい伴侶を得ていただきたいと願っていました」
「そう思うなら、君が立后してくれればいいだろう。私との結婚は、本当に考えられない?」
「申し訳ありません」
「ゾフィーは、言い出したら聞かないからな」
ニコライ様は諦めたように優しく小さく笑ってから、大きくため息をついた。
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