第七話、暗転と亀裂




 目を覚ました朝陽は見知らぬ場所にいた。

 薄暗くて周りはよく見えない。

 目が慣れるのに少し時間を要した。

「お兄さん目ぇ覚めたの?」

 上半身を捩って声のする方を向くと、アパートの近くで見かけた少年がいた。

 乱雑に置かれている木箱に腰掛けて朝陽を見つめている。

 ——やっぱりコイツだったのか。

 階段を落ちる前に聞いた声には聞き覚えがあった。

 アパートの近くで『またね、お兄さん』と言った少年の声だ。

 ——何処だ、ここ。

 周りを見渡す。

 形状や乱雑に……又は整頓されて荷物が置かれている〝ソコ〟は何処かの蔵の中を連想させる。

 そこで気が付いた。

 階段から落ちたというのに、どこも怪我をしていなければ痛くもない。

 アレは夢だったのかと思いはしたものの頭を振った。

 現実に起こった事だ。

 では何故怪我をしていない?

 朝陽は己の手を見つめ、グーパーと握ったり開いたりを繰り返した。

 どこか感覚がおかしい。

 そこでここに居る自分は幽体なのではないかという考えに行き着いた。

 地に下半身をつけている状態なので、立ちあがろうとすると酷い眩暈でよろけてしまいまた地に臥した。

「お兄さんの魂、消耗し過ぎているから無理は禁物だよ。体は元気になっても内部はそうじゃない。なんでここまで消耗しているのかは自分が一番良く分かっているでしょ?」

 訝しげに眉根を寄せる。

 少年の表情からは感情が読みとれない。

 足をたえず動かしながら笑っている様子だけを見れば、些か幼くも見える。

 だが、どこか得体の知れないところがあって近寄り難い。

「凄いねお兄さん。神を造る人間なんて僕初めて会っちゃった。一週間で五体ってビックリだよ。双子を一人一体て数えれば六体か」

 ケラケラ笑い出した少年が不愉快だった。

「お前誰だ? 何故そんな事を知っている?」

 家の中で起きた事など他者が知る由もないのにまるでその場で見ていたかのような口ぶりだ。

 筒抜けになっているのが気持ち悪い。

「お兄さんが引っ越したい時に運良く引っ越し出来たのは何でかなー? 誰かが手引きしていたのかな。とか考えなかった?」

 ——まさか家の至る所にカメラや盗聴器具が設置されているのか? 

 入居する前に手を回せば不可能ではない。

 そう考えれば引っ越しの事も神を産み落とした事も全ての説明がつく。

 ——まさか赤嶺も関与しているのか?

 話をした時の事を思い出し逡巡する。

 記憶の限りでは赤嶺にはそんな素振りはなかった。

 寧ろやめておけと散々止められ、入居した後でも心配された。

 となれば手回しをしたのは家を貸し出したという親戚の方か?

 それとも清掃業者?

 朝陽が勘案していると新手の男たちが姿を見せた。

「お前ら……」

 その男たちはオロを捕まえようとして朝陽が返り討ちにした男たちだった。

 かなり雲行きが怪しくなっている。

 こっちも繋がっていたのかと思うと頭が痛くなった。

「そう。八岐大蛇を捕まえ損ねた奴らだよ。あんな小さい子一匹捕まえられないなんてどうかしてるよね?」

 少年が手を翳して何かを握り込む仕草をしてみせる。

「がっ⁉︎」

 苦痛に呻く声がしたかと思えばその内の一人が喉を押さえてのたうち回っていた。

「おい、お前何する気だ。やめろ!」

「はい、グシャっと」

 少年の声と共に、少年が握りつぶす動作をする。

 バキバキッと見えない何かに圧迫された様な嫌な音が響き渡り、男が地に横たわって黒い灰となり消えた。

「何してんだよ、てめえは!」

 食ってかかった朝陽に向かって、少年は無邪気に笑んで見せた。

「あんな簡単な任務さえ熟せない奴、要らないでしょ」

「だからって殺す事ないだろが!」

「あれえ、おっかしいな〜。八岐大蛇を助けた時に似た様な事をしてたのお兄さんだよね?」

「あれは……っ!」

「あれは違うの? 途中経過がどうあれ、その結果相手が消滅したんだから僕のしてる事と同じじゃないかな。それとも正義を振り翳せば何しても許されるとでも思ってる? イジメも戦争も結局はこれと同じ事だよね。誰かにとっての善は、誰かにとっての悪なんだよ。僕からすれば貴方は計画の邪魔ばかりする悪だ」

 何も言い返せなかった。

 少年の言う事に、心が揺れてしまったからだ。

 オロを助ける為、咄嗟に霊力の塊を相手にぶつけて消滅させた。

 それは紛れもない事実であるし、朝陽は良い事をしたとさえ思っていた。

 動揺してみせる朝陽を視界に入れ、少年は口角を上げて笑んだ。

 朝陽の心を少しずつ砕いていくつもりなのだ。

 疑心暗鬼に仕向けるように、少しずつ少しずつ……だけど確実に。

「僕ね、お兄さんに甦らせて欲しい人がいるんだよ」

「は?」

 少年の存在に心底反吐が出そうだった。

 歪な程に口元を歪ませる少年が不快で堪らない。

「何を勘違いしてそう思ったのか知らないが、俺に人を甦らせる大層な力なんてねえよ」

「そうかな〜? じゃあどうしてお兄さんの体の中に死返玉があるの? それだけじゃない十種神宝の内、九つが揃ってる。もう一つはどこに行ったの?」

「何言って……?」

 話をするだけでこんなに苛ついたのは初めてだった。

 何が言いたいのか要領を得ない話し方も一々癇に障る。

 それに十種神宝を持っているのは、ニギハヤヒだ。

 己ではない。

 その内の一つは確かニギハヤヒが博嗣に渡していた。

 迂闊に言葉にして、博嗣にまで害が及んでしまうのは困る。

 朝陽は何も言わずに口を閉ざした。

「僕ね、八岐大蛇がお兄さんのアパートに行った時からずっと見てたよ。そしたら平ノ将門や九尾までいるし。安倍晴明まで加わってさ、僕が欲しいのばかりいるな〜て思ってたら、今度はニギハヤヒも連れてくるんだもん。でも疑問も生じたんだよね。出かけて行った時には無かったのに、戻ってきたお兄さんのお腹の中には光る玉が沢山あった。てっきりニギハヤヒと契約した時に取り引きでもしてたんだと思ってたよ。お兄さんの頸にある紋様も変化したんじゃない? お兄さんの力の質も変わってしまっているしね。それね、知ってた? 体の中に十種神宝があるからだよ。なのに知らないと言う事はお兄さんの意思を無視して、勝手に十種神宝を埋め込まれたって事になるよね?」

 少年の目がうっそりと目を細められる。

 言わんとする事が分からず、朝陽は一時も視線を逸らさずに見つめ返す。

「さっきから一体何を言っている?」

 早鐘を打つ心臓の音がやけに煩く聞こえた。

 聞いたら彼らとはもう今のままの関係では居られない。

 そう直感が告げているのに少年の言葉に耳を傾けてしまう。

「もしかして本当に気がついてなかったの? うわー、ニギハヤヒって酷い事するんだねぇ。人の体の中に無断で十種神宝を埋め込むなんてさ。それに、九尾も安倍晴明も気がついていて知らないフリをしてる。この様子じゃ、他の番達も知ってたりして? お兄さんさ、手っ取り早く神を生ませる為にみんなに利用されているだけなんじゃない? そんな嘘だらけの関係、本当に番って言えるの?」

 朝陽は弾かれたように目を瞠り少年を見つめていた。

 少年の言った言葉全てを鵜呑みにした訳ではないが、実際、朝陽の霊力は質が変わっている。

 頸にある紋様も変わってしまった。

 疑いもしていなかった彼らとの関係に小さな綻びが出来て、そこからひび割れ始めていく。

 ——だからと言って、コイツは信用出来ない!

 ニギハヤヒが本当に十種神宝を己の体に移動させているのなら、その理由も分からない。

 何の得があると言うのだろうか。

 十種神宝を手放すという事は自分自身の霊力を削るのと同意義だ。

 己の霊力を落としてまで得たい物が思い浮かばない。

 味方でさえ笑いながら消すような奴の言葉なんて信じられなかったが、気持ちを揺さぶられている。

 己の持ち得ている物が、こんなにも脆いものだったという事実が不安を煽って仕方ない。

 嘘だらけの関係という言葉が、朝陽の心に重くのし掛かっている。

 皆んなに会いたかった。

 何だそれは、と言って笑って欲しかった。

 利用する為だけに番ったんじゃないと、そう言って欲しかった。

 直接三人に確認してそれから決めたい。

 でも全て肯定されてしまったら、どうしたら良いのだろう。

 己はまた一人になってしまう。

 朝陽はそれがとても怖かった。

「僕の名前は、物部もののべ。物部アマヤ。今日は帰してあげる。それにそろそろ体に帰らないと本当に死んじゃうよ。人間て脆弱だよね」

 真正面に居た筈の少年の姿が視界から消える。

 かと思った直後、背を押されて朝陽はまた落下する様な浮遊感にみまわれた。





 朝陽が次に目を開けた所は、病室のベッドの上だった。

 同時に頭部を始めとした全身の痛みに襲われる。

 耐える様に眉間に皺に寄せて頭を両側から押さえた。

「朝陽っ、良かった!」

「お、ろ……?」

 ベッドの上に寝たままの状態でオロに泣きつかれ正面から抱き寄せる。

「おい、トカゲ。朝陽の傷に響く。お前は大人しくしてろ」

 将門に鷲掴みにされたオロが床に捨てられる。

 朝陽は痛む頭を押さえながら上半身を起こした。

 落下時に打ちつけたのか、体の色んな箇所が痛んだ。

 見える所だけでも大きさの異なるアザがたくさんある。

 不愉快な程の痛みが心臓の鼓動と共に頭に響いた。

「良かった、朝陽」

 伸ばされたキュウの手を思わず弾いてしまい気まずくて視線を逸らす。

「朝陽?」

「キュウ……、お前と晴明とニギハヤヒは、俺の体の中に十種神宝があるって知ってたのか?」

 静かな口調で聞いた朝陽に、三人は目を瞠った。

 その反応だけで充分だった。

 心に影が落ちた気がして、朝陽はソッと視線を伏せる。

「十種神宝? え、何で朝陽の体にあるの?」

 オロが将門に投げつけられた際に打ちつけた額を摩りながら、皆の顔を見比べている。

「誰に聞いた?」

 ニギハヤヒが端的に聞いた。

「俺を階段から突き落とした張本人だ。物部アマヤって名乗ってた。霊体のまま連れ去られて、ついさっきまでどっかの蔵の中に閉じ込められてた。そこにはオロを捕まえようとしていた男たちもいた。将門も知ってたのか?」

「お前の霊力の質が変わった時に、匂いが変わったんだ。その時に可能性の内の一つとしては考えていた。だが、確証はなかった」

「そうか」

 何かが崩れていく音がしていた。

 耳鳴りも酷くて思考が纏まらない。

「俺の霊力の質が変わったのも神造人になったのも、十種神宝が原因だと言われた。それは本当の事か?」

「八割以上を占める割合で、大元の原因は儂と交わった事だ。十種神宝のせいではない。お前は元々神造人として生まれていてもおかしくない程の霊力を宿していた。儂と契り、触発された事で根底にあったものが目覚めただけだ。霊力の質が変わり、お前が神を産み落としたのは偶然の産物だった」

 欲しかった答えの筈なのに、ニギハヤヒの言葉は朝陽の耳を素通りしていった。

 吸収力の良い紙に何滴もインクを垂らしたように、朝陽の心の中から溢れ出た黒い気持ちを吸収していく。

 確実に汚染していくそれは朝陽の心から消えはしなかった。

「俺に十種神宝を埋め込んだのは、どうしてだ?」

「それは……」

 バツが悪そうに言葉を濁し理由を言わないニギハヤヒを見て、己にだけ話せないのだという確信と絶望に変わっていく。

「俺には、言えない……か」

 ボソリ、と呟く。

『朝陽には教えるな』

 子どもじみた虐めの一環の内の一つには朝陽にだけ知らされない事項がたくさんあった。

 正直子どもの頃はさして気にもしていなくて、何もかも無かったように過ごせていた。

 今だってあの頃と何も変わらない……変わらない筈だった。

 これまでの生活を送りたい気持ちが強いのも本当の気持ちだったけれど、無理だった。

 彼らには心を側に置き過ぎた。

 近づきすぎた。

 ——頭と胸が痛い。

 心が、体が、全てを拒絶している。

 自分でも止めようがなかった。

「何がしたかったのか知らないけど……もうお前らと一緒に居たくない。これから先、俺にはこれ以上関わらないでくれ」

「ちょっと待て朝陽、お前何か勘違いしているぞ」

「してねえよ! 何も違わない! 俺にだけ言えないって事はそういう事だろ! 俺を信用してもいない奴らの事なんて信用したくない!」

 一気にそこまで言い切ってから、朝陽はまた口を開いた。

「それに……神造人としての役目はもう果たしているから俺に用はないだろ。分身体がいる今となってはお前らはもう自由だ。何処にでも行ける。俺との番契約は解消してくれていいし、好きにすればいい」

 激昂したような物言いの後、朝陽の口調が淡々としたものに変わった。

 言葉を紡いだ表情は凪いでいて、そこからは感情も何も窺えない。

「朝陽……?」

 困惑しだしたオロがニギハヤヒと朝陽の間を行ったり来たりする。

「え? 朝陽……ニギハヤヒ。え、何で? 何で一緒に居られないの?」

 オロの大きな目からぼたぼたと涙がこぼれ落ちていった。

「ねえ、朝陽、ニギハヤヒ。ボク嫌だよ、朝陽とお別れするの嫌だ! 皆んなと居られなくなるの嫌だ!」

「悪い、オロ。もうお前とも会わない。約束……守れなくてごめん。十種神宝は取り出し方法が分かり次第、じいさんに聞いてニギハヤヒの神社に持っていく。俺には必要のない宝だ。それでもう終わりだ」

「朝陽、ダメだ。神宝は体内から抜くな!」

「どうしてだ?」

 正面から真っ直ぐにニギハヤヒを見据える。

 それは朝陽からの最後の質問だった。

「……ッ!」

 またダンマリを貫き通すニギハヤヒを見て、フッと表情を崩す。

「今まで楽しかった。けれど、ごめん。もうサヨナラだ」

「朝陽!」

 朝陽の体から白い光が生まれ始め全体を覆っていく。

 目が慣れてきた頃に五人が目を開くと病院からだいぶ離れた場所まで飛ばされていた。

 それだけ朝陽からの拒絶反応が大きかったんだと知り、番たちは誰も口を開けなかった。

 朝陽の病室に入れ違いで入ってきたのは博嗣だった。

「やれやれ、お前が階段から落ちて大怪我をしたと聞いたから急いで駆けつけたというに、まさか孫の痴話喧嘩を見せられるとはのう」

 聞こえてきた声に傾けていた視線を首ごと上げる。

 朝陽を見て博嗣は呆れたようにため息をついた。

「馬鹿者。そんな顔をして泣くくらいなら初めっから許してやれば良かっただろう?」

 引き寄せられて頭を抱え込まれ、その後で髪をすかれる。

 体を離した博嗣に向けて朝陽は口を開いた。

「誰も許せる気が……しねーんだわ。なんで俺って……こうなんだろう……な」

 普段とは違う気弱な声が本音を紡ぐ。

 過去の記憶が朝陽を臆病にさせていた。

「アヤツらが許せんのなら、代わりに他人を許してやれん自分を許してやれ。朝陽お前には必要な事じゃ。自分に厳しすぎる。傷付くだけならまだしも、何でお前が悪い事をしたような顔をしておる? まあ、押し入れの中でコッソリ泣いとった頃より、人前で堂々と泣けるようになった今の方が随分とマシだがな」

「知ってたの、かよ」

 筒抜けだったのは恥ずかしいが、言わずにいてくれた優しさは嬉しかった。

 当時に言われていたら、逃げ場が無くてきっと途方に暮れていた。

「じじいを侮るでないぞ」

 フッと表情を崩して笑った博嗣の言葉に、朝陽もはにかんで見せる。

「さて、お前はそろそろ寝ろ。二日間は検査入院だそうじゃ。諸々の手続きもワシがしておく」

「ありがとう……。そうだ、じいさん。俺最近一軒家に引越したんだよ」

 住所を紙に書いて、通勤バッグの中を漁って鍵と一緒にクレジットカードも手渡す。

「会計は全てカードでしていいから。後、和室が一階にあるからそこを使ってくれ。押し入れの中にじいさん用に買った布団も入れてる」

「ワシ用って……朝陽お前はまだ友達も作らんようにしとるのか?」

「俺にはじいさんが居る。それだけでいい」

「ワシが居なくなったらどうする気じゃ。お前ワシを成仏させん気か。本当に頑固な孫じゃ。一体誰に似たんだろか」

「じいさんに決まってるだろ。それに、じいさんが化けて出てきたら俺が祓ってやるから安心していいぞ」

「何と罰当たりな孫じゃ」

 ブツブツ文句を言いながら博嗣は病室を出て行く。自分の周りに小規模な結界を張るなり朝陽は目を閉じた。




 ◇◇◇

  



 博嗣が朝陽の新居についたのは、もう日付けが変わろうとしている時間帯だった。

 リビングに入って電気をつけた瞬間、博嗣はビクリと身を竦ませる。

 屍と化した朝陽の番たちが、ダイ二ングからリビングにかけて、そこかしこに倒れていたからだ。

「朝陽ぃ〜」

「喋るなトカゲ」

 将門のツッコミを入れる声にさえ覇気がない。

「何をしとるんじゃ、お主ら」

「朝陽に嫌われちゃった……」

 呆れたような博嗣の問いに、キュウが口を開く。

 床には『朝陽』とダイイングメッセージのような文字が霊糸で書かれていた。

「初めっから秘密にせずに答えておれば良かっただろう。何をそこまで頑なに隠しておるのじゃ? お主らが居なくなってアレは泣いておったぞ」

 その言葉に全員の体が大きく震える。

「朝陽、泣いてた……っ、やだ、ボクも泣く。うわーん」

 またボタボタと涙を溢し始めたオロを足蹴にしながら将門が言った。

「だから、うるっせえよ、トカゲ! 朝陽が泣く必要が何処にある?」

 拒絶されたのは、ここにいる五人だ。

 五人が泣く事はあっても、朝陽には泣く理由がない。

「ワシが聞きたいくらいじゃ。それにアイツは自分の事にはかなり不器用でな。そんな自分を隠す事ばかり上手くなりおって、本音は滅多に吐かんとくる。今回の事に関しては、これまでみたく流せんらしいわ。アレが人前であんな風に泣くのは初めてなんじゃないかの……いや、二回目か」

 ハァッ、と博嗣がため息を溢す。

「朝陽は昔っから霊と接するのが当たり前の日常じゃった。だが、周りの連中らは視えん。いつも周りからは嘘つき呼ばわりされていてな。人間には爪弾き者にされておった。それでも友達が出来たと嬉しそうにしていた時が二度あるんじゃ。小学校に入る前後くらいが一番楽しそうだったな」

「それって……」

 キュウが顔を上げて博嗣を見た。

「その友人の名前は聞いた事がなかった。今思えばそれは九尾の狐、お前の事だったのだろうな。村の子どもたちにそんな奴はいない嘘をつくなと言われて、初めて朝陽が泣きながら食って掛かって大喧嘩になってのう。あいつは帰ってからも押し入れの中に入ってずっと泣いておったわ。二度目は高校生の頃だが、三日も持たずに暗い顔をするようになったから、きっとまた爪弾きにされたんじゃろう」

「とりあえずそいつらを全員殺してきたらいいのか?」

 将門が真剣な表情で問いかける。

「違います。お願いします。それだけはご勘弁を」

 見惚れるくらいの土下座だった。

「アイツはずっと嘘つきと言われ続けて爪弾きにされておったから、嘘をつく事やつかれる事、爪弾きにされる事に人一番敏感なんじゃよ。だから、今回の件も嘘をつかれて自分だけ爪弾きにされたと思っておるのかもしれん。幼稚な事だと自分でも分かっておるのだろう。分かっておっても中々自分を曲げられずに葛藤しておる。変なとこで頑固でな。お主らには些細な事でも朝陽にとってはそうじゃないんじゃ。朝陽がした事、どうか許してやって欲しい」

「許すも何も、朝陽は悪くない。頑なに己の意思を尊重してしまったこっちに非がある」

 ニギハヤヒが静かに口を開いた。

「それで何があったんじゃ?」

「そうだな。隠す事で裏目に出てしまったから、もう隠すのはやめよう。じいさん、あんたにも関係のある話だからな」

 ニギハヤヒはそう言って、一度言葉を切ってから続きを話した。

「朝陽は後二週間もせんうちに死ぬ。朝陽と番契約を結んだ時にそれが分かって、儂は朝陽を失うのが嫌で、朝陽の中に十種神宝を移した。死返玉があれば朝陽は甦れる。あれは死を司る玉だ。死返玉を安定させる為に他の神宝も同時に移した。儂は故意的に朝陽にもコイツらにもそれを説明しなかった。死期など知らぬ方が良いものとばかり思っておったんだ。だが、かえって朝陽を傷つける事になってしまった」

「なんと……っ。それは決定しておる未来なのか?」

 博嗣の言葉にニギハヤヒが頷く。

「今回、朝陽を階段から突き落としたのは物部氏……苗字からして儂の子孫だ。朝陽から証言も取れている。今日の事は九尾の狐も白昼夢で視ていた。恐らくこの後に待ち受けている朝陽の死に関わってくるのも儂の子孫だろう。だが、奴らの目的は朝陽本人ではない。儂を祟り神として復活させる事だろうと睨んでいる。今の儂は表面部分に過ぎん。朝陽の胎内にある十種神宝を用いて祟り神と言われていた裏面のアヤツを復活させる気だろうな。後、朝陽を殺す事でここにいるメンバー全員を祟り神として堕とす事が出来れば万々歳て所か。ここ最近頻繁に神社や結界が壊されているのも関係しているのだろう。護る力が低下し朝陽もおらん状態で儂を含めた此処におる連中が暴れれば間違いなくこの国は海に沈む。だからこそ朝陽は儂らを堕とす起爆剤いけにえにされる」

 博嗣は絶句していた。




 ◇◇◇




 退院してから十日が経過しようとしていた。

 朝陽はノートパソコンを実家に持ち込み、在宅ワークに切り替えていた。

 頭部にまだ疼くような痛みはあるものの、体の痛みはもう随分マシになっている。

 階段から突き落とされた事は事件にさえなっていない。

 物部の姿が誰にも見えて居ないのならば仕方のない事だった。そして番たちとの関係性が切れた日でもある。

 あの日を境に朝陽は自分で華守人や神造人、後は十種神宝を取り出す方法についても調べていた。

 実家にいるついでに文献も漁ってみたものの、有力な手がかりは何も見つかっていない。

 神造人どころか華守人の情報さえないのだ。

 博嗣も実際に会った実例は朝陽のみ。だが朝陽は通常の華守人からかけ離れた存在だ。

 口伝でしか聞かされていないのも有り、情報からは真実に辿り着けない。

 特に神造人に関しては、ニギハヤヒも初めて会ったと言っていたくらいだ。早々に難航し行き詰まっている。お手上げ状態だった。

「これを持っていけ。もしかしたら必要になるかもしれん」

 朝陽が帰る時だった。

 博嗣はニギハヤヒに渡された生玉を朝陽に持たせた。

 共鳴するかのように鈴の音が辺りに響き渡る。

 生玉は意思を持っているように浮き上がると、朝陽の体内に吸い込まれていった。

「消えた?」

「きっと神宝同士が呼び合っているんじゃろう」

「でもこれ俺が持って行って良かったのか? てか、もう体の中に溶けちまって取り出し方法も分からないけど」

「お前が産んだニギハヤヒノミコト様の分身体が神社を守っておるから心配せんでも大丈夫じゃ。神社は壊れる前よりも神聖な場所になっておる」

 成る程、と納得する。

 生まれた時しかその姿を目にしていない我が子たち。ニギハヤヒとの間に生まれた子は、ニギハヤヒに似て体が大きく独特な雰囲気のある子だったのを思い出す。

「朝陽……」

 博嗣がどこか浮かない顔をしているのが、妙に引っかかった。

「言うか言わずに居るべきか迷っていたのだが……」

 博嗣は一度視線を下に落とす。

 しかし言うべきだと判断したのか直ぐに朝陽に視線を合わせた。

「実は、華守人はΩの方から番を解消する事ができるんじゃ。だがこの方法で番を解消すると、二度と同じ者と番う事は出来ん。解消する時はよく考えてから実行するがいい。番の解消方法は…………」







 朝陽は帰路を辿っていた。

 欲しい情報を持っているのは、恐らくは物部アマヤとニギハヤヒだけだった。

 しかし、ニギハヤヒとはもう会っていない。

 物部は得体が知れなくて嫌悪感しか湧かない為、論外だ。

 自分からは関わりたくもない。

 道中ずっと考え事をしていたからか、駅に着くまで随分と早く感じられた。鍵を開けて扉を開ける。

 灯りのない冷えた室内は何の気配もない。

 痛いほどの静寂が凶器となって身に突き刺さる。

 脳裏を過ぎるのは、ここで共に暮らしていた己の番たちの顔で、朝陽は眉根を寄せて俯いた。

 ——皆んな、何しているんだろう。

 自分から関係を切ったというのに会いたくて堪らない。

 寂しさが胸中を占めている。

 これまでずっと一緒にいて、六人から急に一人になってしまってから、妙に家が広くて心細さを誘う。

 とても居心地が悪かった。

 中に入ったのはいいが玄関先で立ち尽くす。

 こうなるのなら引っ越さなければ良かったと頭のどこかで思う一方、出会った事や今まで共に過ごした時間を後悔していないのが不思議だった。

 クセの強い同居人たちが居るのは何だかんだと賑やかで朝陽は楽しかった。

 他人の前で初めて普段の自分を曝け出せた。

 だからこそ裏切られた気持ちでいっぱいでこんなにも胸が苦しいのかもしれない。

 寂しいという感情が人よりも乏しく、恋愛経験さえ無い朝陽には今の感情は手に余った。

 胸を締め付ける感情の名を朝陽は知らない。余計な事を考え始めている思考回路を断つようにため息をついた。

 チクリと下っ腹に痛みが走り手を当てる。

 最近妙な痛み方をするようになっていて体も怠い。

 考えてみればこの数日間まともな食事をしていなかった。

 そのせいで体調を崩しかけているのかも知れないと考え、コンビニに行こうとまた家を出た。

「朝陽……っ」

 声のする方へ視線を向けると、そこにはオロと将門がいた。

「あの、ボク……」

 無言で二人の前を通り過ぎて、コンビニへと向かう。

 ——もう居なくなったかな?

 コンビニで結構長い時間を潰してから帰って来たのだが二人はまだ居た。

「何してんだよお前ら。さっさと持ち場に帰れ」

「俺の帰る場所はお前の所だけだと言った筈だ」

「ボクはっ、ボクは……また皆んなと一緒にここに住みたい」

 長い沈黙が三人の間に落ちた。

 どうすべきか逡巡していたが答えは出そうになかった。

 朝陽は大きなため息をついて結界の強度を緩める。

「……入ってもいいぞ」

「朝陽ぃ〜っ」

 オロが泣きながら朝陽に抱きついた。

 この二人は始めっから今回の件にほぼ関わっていない。

 それが朝陽の心を緩ませた。

 ダイニングテーブルに腰掛けて食につく。

 朝陽が食事を終えると将門が口を開いた。

「本当はお前が病院に居た時に話そうと思っていたが、それどころではなくなったから今の今まで話しそびれている事がある」

「何の話だ?」

「この家には一階にも二階にも目的の意図が分からないカメラが十数台仕掛けられていた。初めはあの赤嶺という男かと思い見張っていたが、あの男を見張っていた限りでは怪しい動きはなかった。操られているような妙な気配もない。可能性は薄いと見切りをつけて貸し出した人物を探っていた。そいつの家には霊体用の結界が幾つも張られていて、俺でも近付けない。十中八九、仕掛けたのはそいつで間違いないだろう」

 霊体を拉致された時の物部とのやり取りを思い出す。

「そうか……。俺を攫った奴らと関わりがあると見ていいかもな。こっち側の情報は全て筒抜けだった。俺の中に十種神宝があるのも、俺が神を産んだ事も、お前らの事も全て知られている」

 将門が赤嶺の事をやたら気にしていた理由が分かった。

「なあ。十種神宝の事で何か分かる事はないか?」

「残念ながら俺はニギハヤヒ程古い存在じゃない。もう既に文献でしか触れられない代物だった。現物も見た事がない。お前が持つ情報と大差ないだろな」

「時代的にはボクの方が神宝より古い存在だと思う。でもその神宝はアマテラスから貰ってニギハヤヒが持ってるって事しか知らない」

 十種神宝の事はネットや書籍などを調べて分かった。

 物部が言ったように死者を甦らせる力もあるみたいだが、朝陽も実際現物を見た事もなければ聞いた事もない。

 使用方法も知らない物など持っていても意味を成さない。

 宝の持ち腐れも良いとこだ。

 それに言い伝えだけでは信憑性に欠ける。

 そこまで考えた時に、新たな気配が入って来たのを感じて朝陽の肩がピクリと震えた。

「物部アマヤは名前からして儂の直系の子孫だろう。あいつには関わらん方がいい」

 背後からニギハヤヒの声が上がる。

「お前らは招いてない」

 振り返りながら棘のある声音で言うなり睨みつけると、ニギハヤヒと視線が絡んだ。

「十種神宝を勝手に移した事を黙っていて悪かった。理由を話せなかったのも、お前に知らせずにこっちで対処出来ればいいと勝手に儂が思っていただけだ。お前を傷付けるつもりはなかった。その理由を話しにきた。——朝陽、お前はあと二日以内に死ぬ」

「何だよ……それ」

 突拍子もなく告げられ、朝陽は眉間に皺を寄せた。

「儂はお前が死ぬのが分かっていた。だが失うのが嫌で十種神宝をお前の体内に移した。儂はそれをお前どころか此処に居る全員に隠していた。九尾と晴明にはその事を見破られただけだ。許してやってくれ。その神宝があればお前を甦らせる事が出来るからだ。華守人に会うのも稀なのに神造人に会えるなど思ってもみなかった。それ以上に……「聞きたくない‼︎」」

 朝陽はニギハヤヒの言葉を遮って叫んだ。

 絶望しかなかった。

 これ以上何かを聞いてしまうと耐えられそうになかった。

「お前らは……俺が華守人で神造人だから一緒に居たんだな」

「違う! 朝陽、話は最後までちゃんと聞け!」

 其々が口にするが、全て朝陽の耳を滑り落ちて行った。

「別に聞く必要ねぇだろ。それとも聞いた後でもっと絶望しろって? 冗談じゃない。もう二度と……顔も見たくない」

 キッチンまで行き、果物ナイフを取り出して掌をきる。

「朝陽……、何をしている?」

 将門の声が強張った。

「番契約を解消する」

「朝陽!」

 将門が伸ばした手は朝陽が身の回りに張っていた結界に阻まれて弾かれた。

 結界越しに視線が絡む。

 普段の温和な表情や雰囲気は今の朝陽にはどこにもない。

 虚無感しか伝わって来ない瞳が将門を捉えていた。

「ちっ! おい、朝陽……っ」

 将門に構わずに、朝陽は己の血液に霊力を混ぜ合わせて言霊を乗せる。

 契約の証を中和しそのまま解除する為に、血で濡れた手を己の頸に伸ばした時だった。

「やめろ!」

 全員に腕や肩を掴まれて阻まれる。

 張った結界がバチバチと嫌な音を立てて全員の腕を焼いた。

「何、して……っ? お前ら早く手を離せ! 腕が焼けて無くなっちまうぞ!」

「はっ、なら根比べだな」

 将門の言葉に朝陽は息を呑んだ。

 結界に阻まれている所の番達の皮膚が変色し始め、やがて崩れ始める。

 輪郭さえボヤけて無くなって行くのが分かって、朝陽は耐えきれずに結界を解いた。

「何で……何で、こんな事するんだよ!」

 朽ちて行こうとする番達の腕に守りの結界を張る。

「分からないか?」

「分かるわけないだろう! 大切な事は何も言ってくれないのに、分かるはずがない‼︎」

「なら、お前はあるのか? これまで生きてきて、ちゃんと己の口で自分の本当の気持ちを伝えた事はあるのか?」

「……っ!」

 ぐうの音も出ない。何もなかった。

 本音なんて自分から言葉にして伝えた事などない。

 人にばかり求めて、自ら行動した試しも一度だってない。

 悲観に暮れ、いつも全てを諦めてきた。

 どうせ理解して貰えないとそう思っているからだ。

「俺、は……」

 そこで異変に気がつく。

 守りの結界を入れた筈の皆の腕が元に戻る事どころか、別の箇所もどんどん変色していくのだ。

 重ねて守りの結界で皆を包むがそれでも駄目だった。

 微妙に朽ちる速度を落とすだけで、治りはしない。

「止まらない。何で……」

 更に強度を上げるが、どんどん朽ちていく。

「何で……っ、こんなつもりじゃなかったのに。何でそこまでして俺に構う⁉︎ 俺なんてもう放っておけばいいだろうっ! 次の華守人を探せば済む話だ!」

 腕から始まり全身が朽ちるまで時間の問題だった。

 焦燥感に囚われ、朝陽は固く目を瞑る。

 こんな事をするつもりではなかった。

 それは本心だった。

 また、ここまでして止められると思ってもみなかった。

「朝陽と番でいられるなら私は消えてもいいよ。それより……次って何? 朝陽じゃないのに番う意味あるの?」

 初めてキュウに睨まれた。

 煩いくらいに心音が鼓動を刻み、痛いくらいだった。

「華守人じゃない。お前自身を愛している。例え、己の力が弱まろうとお前を失いたくなかった。悪かった、朝陽」

 真摯な眼差しで語りかけるニギハヤヒの言葉からは偽りは見えずに困惑した。

「な……、に」

「確かに始めは物珍しさの方が上回っていた。だが今は、桜木朝陽という人間に惹かれている。伝わらんか?」

「何で、今頃……」

 動揺を隠せずに朝陽の瞳が揺れる。

「朝陽は今まで私達の言葉の一体何を聞いていたの? 朝陽だから一緒にいるんだよ! あんなに側に居たのに伝わってもいなかったの? 他と番えなんて二度と口にしないで!」

「オレは君がまた生まれてくるのを待っていた。もう離れたくない。このまま繋がりを持ち続けていられるなら、この身が朽ちても構わない」

「ボクも朝陽の隣がいい。ずっと一緒に居たい」

「俺は出会った時からお前しか見ていない。始めっからそう言っているだろう! いい加減腹括って正面から向き合えっ‼︎」

 将門にまで怒鳴られて、朝陽の顔がクシャリと泣きそうに歪められる。

「くっそ、バカ……っか」

 何故信じてやれなかったのだろう。

 今まで一体何をしていた。彼らの何を見ていた?

 華守人と番という関係で無理やり割り切ろうと線を引いていたのは自分自身だった。

『嫌いにならないで。側に居て欲しい』

 昔からそればかりを思っていた。

 失うのが怖かった。側に居た者が突然豹変して去っていくのが怖かった。本音を告げて拒否されるのが怖かった。

 今まで口にできなかった言葉を噛み締める。

 本音を殺す事ばかりを覚えた頃には、朝陽はどんどん本音が吐けなくなっていった。

「俺、は……」

 何かが流れた感触が頬にあり、手を伸ばすと涙が伝っていた。

 いつまで何もせずに、また伝えもせずに諦めるつもりなのだろう。

 朝陽は胸の内の葛藤を戒めて言った。

「ごめん。悪かった……。俺も、お前らの事……好きだっ。必要なんだ。側にいたい。離れたく……ない。消え、ないで。一人は……嫌だ。消えない、で」

 最後ら辺の言葉は嗚咽で音にならなかった。

「泣くな」

 将門に引き寄せられて、ペロリと涙を舐め取られる。

 目を閉じると眦に溜まった涙が零れ落ちた。

 朝陽の掌が発光し、幾つかの玉が生まれおちる。

 切った筈の掌の傷が癒えているのを見て、朝陽は直感の赴くままに生まれ落ちた玉を目の前にいた将門の腕に埋め込んだ。

 玉が溶け込むように吸い込まれていったかと思えば、腕の変色さえも止まってやがて治っていく。

「腕を見せてくれ!」

 手早く次々と埋め込んだ。全員の腕がきちんと完治したのを見て、朝陽は安堵の息をついた。

「治った……。良かった。本当に良かった」

 自分で自分の居場所を無くすところだった。

 殻にばかり閉じこもって何もせずに、今までの事を何もなかったままにしたくない。

 それでも言葉にするには、朝陽にとってはさっきと同じように、とてつもなく勇気が必要だった。

 何度も口を開いて、閉じてと繰り返す。きちんと言葉にする為に。

「お願……い、俺の、側にいて欲しい。どこにも、行かない……っで、くれ」

 か細く声が震える。

 それでも全員にしっかりと届いていた。

 初めて吐露した朝陽の本音に応えるように、五人の手が朝陽の肩や頭に乗せられた。

「安心して」

「当然だね」

「むしろ離れられると思うな」

「朝陽が嫌がってもボクは朝陽の周り彷徨くよ?」

「当たり前だ。離れる気なんてない」

 キュウの言葉を皮切りに、晴明、将門、オロ、ニギハヤヒと続く。

 本格的に泣けてきて朝陽はその場に蹲ったまま泣いた。





「あれ? 朝陽寝ちゃった?」

 ベッドの上で将門の腕枕をしたまま動かなくなっている朝陽を見て、キュウが口を開いた。

「クマが出来てる。ずっと寝れてなかったのかな」

 ベッドの端に腰掛け、キュウが朝陽の頭を撫でる。

「最近やたら下っ腹が痛くて眠くなるって言ってたぞ。普段より体温も高い」

 将門の言葉にキュウが目を開いたまま固まった。

「何か思い当たる事でもあるのか?」

「うん。ちょっとニギハヤヒ呼んでくる」

「は? おい……」

 将門の飛び止める声も聞かずにキュウが部屋を通り抜けて行く。

 すぐにニギハヤヒと一緒に戻ってきて、観察するようにジッと朝陽を見つめた。

「ああ。九尾の睨んでいる通りだな。朝陽は子を身籠っている。それよりもあの怪我でよく流れなかったものだ」

「やっぱり。私たち全員の子かな?」

 キュウが嬉しそうに声を弾ませると朝陽が呻いた。将門が結構な破壊力を持ったデコピンをキュウにおみまいする。

「朝陽が起きるだろが、バカ狐。静かにしろ」

「はーい……」

「いや、身籠っているのは単体だ」

「えー、そうなの? それは残念。誰の子かな」

「その前に忘れるな。この腹の子を守る為にも朝陽は死なせんようにせねばならんぞ」

 分かってるよ、とキュウが声を上げた時だった。

「朝陽のお腹にいるのはオレの子だよ」

 さも当たり前のように晴明が言った。

「は? 何で⁉︎」

 黒々としたオーラを纏い、瞬きもせずに三人が晴明を見つめている。ついでに目もかっぴらき瞳孔も開いていた。

「晴明ズルくない? どうやって朝陽孕ませたの?」

 オロが正体となって現れ、同じく目がかっぴらくのと同時に瞳孔も開いた。

「番契約した時に口約で懐妊するように仕向けたからね」

 晴明は、ふふ、と柔らかい笑いを溢しながらも、してやったりとした表情を浮かべていた。

「あの時の約束って、それだったのか……」

 薄っすらと目を開けた朝陽が言った。

「そう。華守人はΩの方が孕むのを求めなければ孕まないって知ってたんだよ。オレの子を孕みたいって言ってくれただろ?」

 ニンマリと不敵な笑みを刻んだまま晴明が続けた。

「約束通り初めに身籠ってくれてありがとう。契約を結んだ時にお腹の中の子が簡単に死なないようにオレが結界を張ってたんだ。帰り際に食べさせた玉が結界だよ。こんな事になるなら朝陽自身にも張っておけば良かった。痛い思いをさせてごめんね朝陽」

 近寄ってきた晴明に唇を重ねられた。何度も何度も啄まれる。

「いいよ俺は」

「良くないよ。朝陽だから大切にしたい。オレの番。愛してるよ朝陽。次期に子も生まれるしね」

「う、晴明〜……ストップ。恥ずかしいからもう勘弁してくれ。死にそうだ俺。ギブ」

 真っ赤な顔を両手で覆う。墓場に潜りたかった。

 二人の世界を作り出し始めた晴明と朝陽を離すように、将門が横槍を入れた。

「朝陽もう起きて平気なのか?」

「ああ。平気だ。少し寝たら回復した」

 将門の言葉に頷く。

 それにこんな騒がしい中で寝れる程、朝陽の神経は図太くない。

 本当はキュウとニギハヤヒが来たあたりから眠りは浅くなってきていたのだが、妊娠していた事に驚き過ぎていて声をかけるタイミングを逃していた。

 ——この話聞いたらじいさん倒れないかな……。

「それがあるな!」

 ずっと黙り込んでいたニギハヤヒが急に思いついたと言わんばかりに声を上げて顎に手をやった。

 



 ◇◇◇




「っ!」

 朝陽がきちんと入眠し始めて数時間後、明け方に近い時間帯だった。

 突然家の中で異界への扉が開く気配がして、晴明は急に腰を上げた。

「どうした?」

「今、この家の中で異界へ繋がる扉が開いて閉じた」

 将門からの問いかけに答えながら、晴明が朝陽の眠る部屋へと急ぐ。

「朝陽!」

 ベッドの上で寝ていた筈の朝陽がいない。

 シーツの上に手をやると、そこはたった今まで誰かが寝ていたように温もりがある。

「今までのは単なる目眩しか」

 そろそろ仕掛けて来るとは踏んでいたが、まさか自分の他に異界への扉を開ける者がいるとは晴明は想像だにしていなかった。それに朝陽から聞いていた話でも毎回物理的な手段を用いていた為に今回もそうだろうと考えていたのだ。

「晴明、どうした?」

 続々と顔を見せ始め、全員部屋に集まった。

「朝陽が異界に連れ去られた」

 後を追うように、晴明もすぐに異界への入り口を開いた。



 

 ◇◇◇




「う……?」

 スマホのアラームよりも早く目が覚めたと思ったが、寝室ではなく別の場所にいるのが分かって朝陽は飛び起きた。

 ——どこだ、ここ?

「おはよう、お兄さん。よく眠れた?」

 声をかけてきたのは物部アマヤだった。

「どういう事だ?」

 寝入った時はきちんと寝室のベッドの上で寝ていた。

 それは間違いない。

 家には常時結界が張られている上に己の番達も全員揃っていた。

 彼らにバレずに朝陽だけを連れ出すなど不可能に等しい。

「以前お兄さんの霊体を拉致った時にここの空間と繋がるように時限式の扉を作っていたんだよね。驚いた?」

 ケラケラと笑いながら軽く言われる。

 此処は晴明が開く空間とよく似ていた。同じ異界なのではないかと推測出来る。

「俺はお前に用なんてない」

 朝陽の言い分を無視して物部が続ける。

「僕はあるよ。ちゃんと貴方にも伝えたでしょ?」

 確かに言われた。だが、了承した覚えはない。

「いつ俺が了承したよ」

 鼻で笑って朝陽が視線を逸らすと、物部は気にもせずに続けて口を開いた。

「物部アマタケとニギハヤヒは元々同一人物だった。祟り神と言われていた面がアマタケだよ。今のニギハヤヒは表の面。それを本来の姿に戻すのさ」

 朝陽は微かに反応してみせる。

「本当は八岐大蛇も欲しかったんだけど、かつての霊力の十分の一にも満たない八岐大蛇だとお話にならないんだよね」

「そんな事して一体何になる。お前……一体何がしたいんだ?」

「全てを海に帰すのさ。小さな物差しでしか他人を判断しない、こんなつまらない世界なんていらなくない? 貴方なら分かってくれると思ったんだけど勘違いだったのかな」

「で、自分は何もせずに高みの見物かよ?」

「高みの見物なんてする訳ないじゃない。側で見ていてこそ楽しいからね。お兄さんの番たちが堕ちるとこ、見てみたいでしょ?」

 それこそ正気の沙汰とは思えない。巻き込まれて死ぬのがオチだと言うに、何が楽しいのかさっぱりわからない。否、理解が出来ない。

「見たいわけないだろ。それにアイツらはそんな事にならない」

「お兄さんがいる限りはね。でも貴方が居なくなった世界じゃどうかな?」

 ニギハヤヒが言っていた、己の死とはこの事なのかも知れない。

 己を生贄とする事で皆んなの暴走を狙っている。

 それなら尚更無事で帰らなくてはならない。

 物部は異質な程に破壊への執念が凄まじい。

 ここまで滅びに執着するのであれば自身が祟り神になれるのではないか。

 何がこの男をそうさせているのかも理解不能だった。

「物部アマタケを生き返らせろ」

「嫌だ」

「そう言うと思っていたよ」

「やるんならてめえ一人でやれよ。用足しも一人で出来ねえガキは家帰って寝てろ」

 鳩尾に衝撃が走り、ゲホゲホと咳き込む。朝陽の視界が歪んだ。

「連れてって」

 答えは分かっていたような顔で物部が背後にいた男たちに声をかける。

 しかもタイミングが最悪な事に、朝陽は今霊力を練れなくなっていた。

 昨夜五人分の治癒玉を生み出した副作用なのだが、いつ復活するのか朝陽には見当もつかない。

「もっと抵抗してくるかと思ったんだけど拍子抜けだね。まぁいいか」

 その内の一人に担がれて朝陽は場所を移動させられる。

 黒いシーツを被せた祭壇の上にうつ伏せで転がされ、両手を後ろ手に縄で拘束された。

 男たちは直ぐにどこかへ去っていく。その間に何とか霊力を捻り出そうとするものの、やはり上手く行かない。朝陽の掌に集まりかけた霊力は霧散した。

「そういう事か。お兄さん今、ろくに霊力使えないんだ?」

 誰もいなかった空間から突如声が上がり朝陽の体が大きく戦慄く。

 無理やり体を起こそうとした瞬間、後ろから思いっきり床に叩きつけられた。

「何の、話だ」

 薄っすら笑みを浮かべて言ってやれば物部が笑い出す。

「そのまま普通に殺しちゃえって思ったけど、やーめた。先にお兄さんの精神から殺そうか」

「あ?」

「ここに居る奴らに輪姦されちゃおうよ。その方がアイツらに効率的なダメージを与えられそうだしね」

「ふざけんなっ離せ!」

「たくさん抵抗していいよ? その方が燃えるから」

 物部が喉を鳴らして笑った。

 嗜虐心しか宿っていない声音の後で、薬品の匂いがする布で顔を抑えられる。

 朝陽の意識はまた遠のいていった。






 再度目を覚ますと朝陽はまだ祭壇の上にいた。

 先程とは違って仰向けにされていて拘束も解かれている。

 しかし、自分の体の上に男たちが数名群がっているのに気がつき、即座に霊力をぶつけて蹴散らした。が、上手くいかない。やはり霊力は集束しないままだった。

 ——集束しない……?

 ふと思いついた事があり、朝陽は両手を祭壇に押し当てた。

 纏まらない物を無理やり纏めようとするからいけないのではないかと考えたからだ。纏めようとはせずに、そこから一気に最大出力で霊力を流す。

 稲光のような音が鳴り響き、目の前にいた男たちが全員感電したかのように動きを止める。

 四方八方から短い呻き声や悲鳴が聞こえ、男たちはやがて消滅した。

 直後、何故か視界がブレたような気がして朝陽は眉間に皺を寄せて目を窄める。

 ——何だ? 気分が悪い……。

 起きたばかりだからか息が上がっていて、頭もふわふわしていた。

「そのまともに霊力が使えない体でよくやるよね」

「うるっせえよ! 誰がアイツら以外に股開くか。てめえがヤラれてろ!」

 さっきと同じ要領で、重なって押し潰そうとしてくる男らの体を、吹き飛ばしながら朝陽がそう言うと物部が嘲笑した。

「僕には殺すなとか言ってた癖に自分は迷いもしないんだね。あ〜あ、やっぱり口先だけか〜」

「もうその手に乗るかよ。お前の陰湿な手口はウンザリだ。俺は自分の守りたいと思った物を守る。それでいい。別に誰にでも認められる良い子ちゃんを目指してるわけじゃねえんだよ。俺は俺だ。それで悪と言われるのなら悪でいい」

「そう。前はあんなに動揺してたのにね」

 目を細めて見せた物部を鼻で笑い返す。

 両手を肘より上に掲げ戯けて見せた物部を視界に映した。

 ——あ、れ?

 物部の姿が二重にブレて見え、朝陽は目を擦った。

 気分の悪さといいやはり体が変だ。

「やっと効いてきた?」

 突然大きく心臓が脈打ったのが分かり、朝陽は心臓に手を当てる。

「ほら、そんなに動くから薬の回りも早まっちゃったじゃん」

「お前……ッ、俺に何をした?」

 発熱したかのように全身が熱くなってきて息苦しかった。

 朝陽は荒い息を肩で押し殺し、祭壇を降りると目の前にいる物部を睨みつける。

「ヒートにする薬と、激物を体内に注入しただけだよ。お兄さんのその体は〝容れ物〟だからね。それプラス……」

 気が付けば、物部が目の前にいて目を瞠った。手を伸ばされ、頸に触れられる。

「何して……る……っ」

「ねえ、お兄さん。やっぱり気が付いてなかったんだね? 僕も貴方の番候補者なんだよ」

 首筋を撫で上げられてゾワリと全身総毛立った。

 心臓が破裂しそう程に脈打っている。

「触るな!」

 その言葉が冗談じゃないのは、肌を指すプレッシャーが物語っている。

 ——何でだよ⁉︎ もう番契約は全員分埋まっている筈だろ。

「もし貴方が華守人のままだったら番は五人のままで済んでたのにね。神造人の番は無制限。貴方が望むまま番える。ニギハヤヒはそんな大切な事も教えてくれなかったの?」

「は……っ? 無制限⁉︎」

 信じたくない気持ちが大きくて物部から距離を取る。

 これ以上背後に回られないように、途切れがちになっている意識の中で懸命に足を動かすが、力が入らなくなって、ついに朝陽の足が止まった。

 祭壇から数歩行った所で崩れ落ちる。膝が笑っていて上手く立てない。

「やめろ。いや、だ……っ、俺に近づくな!」

 寄ってきた物部に腕を引かれて、立ち上がらされる。

 よろけた朝陽の腰を支えて、物部はまた朝陽を祭壇の上に寝かせた。

「さっきまでの威勢はどうしたの? ねえ〝朝陽〟僕に抱かれる準備を始めなよ?」

 薬に輪をかけて更に強制発情させられる。体の感覚をおかしくさせる薬を打たれているせいで、言葉だけでヒートにさせられた朝陽の体は大きく震えた。

「ぅ、ああ゛あ゛あ゛あ゛‼︎」

 その瞬間、体がバラバラになりそうな程の痛みが全身に走り朝陽が叫ぶ。どれだけ呼吸しても酸素が足りなく感じて、短い呼吸が過呼吸へと変わっていく。下肢を大きく割られ、その間に身を割入れられた。

「やめ、ぁ、ああ、あ゛あ゛あ゛あ゛! いや、だ!」

 呼吸が上手く出来ずに喉に手を当てる。

 苦しさで生理的に溢れ出た涙で視界が歪んだ。

 しかし、朝陽の体に触れようとした物部の手が弾かれる。

「こざかしい真似してくれるじゃん」

 朝陽の体を五重になった結界が包み込む。

 朝陽の感情に比例して発動する仕組みになっている結界は、朝陽が拒絶している全ての事象から護る為に展開されていた。

 朝陽が寝ている間に、番の五人が其々張った五種類の加護の結界である。

「ねえ、朝陽。これじゃ貴方の事を抱いてあげられないけどいいの? 番である僕を拒む気?」

 害意のない甘い声で囁きかけ、物部が朝陽の顔を覗き込む。ヒートを強制的にかけられ薬と激物で混乱している朝陽にまた囁きかける。

「朝陽、番の僕を拒むの?」

「い……らない。お前……、なんか……、いらな……ッ」

「嘘だね。僕に抱かれたくて堪らないって顔してるのに、本当にいいの?」

 節々が痛みを発している一方で、体は疼いて疼いて堪らなかった。

 Ωの性質がこんなに忌まわしいと思った事はない。

 己の意思に反して体は戦慄き、空気の揺れにすら反応する。

「朝陽」

 声だけで下っ腹が疼いた。

「ホントΩって浅ましいよね。素直に僕を求めて後ろを向きな。挿れてあげるからさ」

 頷きそうになる頭に力を入れて、左右に首を振った。

「僕の名前を呼びなよ?」

「誰が、呼ぶかよ……ゲス野郎」

 微弱な物にしかならないのを分かりながら、朝陽は力を込めて物部の体を押し返した。

 自らも壁を作り出し、少しでも己の体との間に距離を取らせようと厚さを増していく。

 また祭壇の下に降りて地面に膝と手をついた。

「ま……、さかど、キュウ、オ……ロ、せい……め……、ニ……ギハヤ、ヒ」

 飛びそうになっている意識の中で、朝陽は番達の名を呼んだ。

「まさか、ど、キュ……ウ、オロ、せいめ……い、ニギ……ハヤヒ」

 ここに居ない番の名を何度も何度も繰り返し呼ぶ事で己を鼓舞する。

 そうしていないと、正気さえ保てそうになかった。

「黙れ!」

 朝陽に触れようと伸ばした物部の手は五重の結界に阻まれる。

「なんでっ!」

 極限の状態になっても受け入れようとしない朝陽に苛立ちが募って、物部はとうとう叫んだ。

「朝陽!」

「は……っ、随分必死に……ッ呼んでくれんじゃねえか……どうしたよ?」

 朝陽はもう限界に達しようとしていた。

 込み上げてきた吐き気に耐えきれずに、口元を抑える。

 咳き込みながら出てきたのは吐瀉物ではなく赤い液体だった。

「本当に頭おかしくなって死ぬよ⁉︎」

「お前を受け入れるくらいなら、狂って死んじまった……方が、マシだ。アイツらも……それならきっと、分かってくれる」

 顔面蒼白になりながらも薄く笑んだ朝陽を見て、物部が忌々しそうに舌打ちする。

「僕だって番だろ!」

「何を……そんなに、ムキに……っなってんだよ」

 ——疲れた……。

 喋るだけで体力は削られていく。

 全身焼けつきそうなほど熱くて、節々が痛い。

 ブレる視界で物を見続けるのも、思っていた以上にしんどい。

 もう目を開けているのも辛くて朝陽は目を細めた。

「何でそこまで僕を否定するっ⁉︎」

「お前……こそ、何をそんなに怖がっている?」

「っ‼︎」

 ——ああ、そうか。怖がってるんだ。拒否されるのが怖いのか?

 己で思いながら腑に落ちた。

 物部のそこが一番不可解な点だった。自ら近付いて朝陽に構い、傷を残す癖に、拒絶されると癇癪を起こす。それはまるで小さな子供が親に構って貰いたくて態と悪い事をしでかすようで……。

 物部からは繋ぎ止めようとする焦燥感しか伝わって来なかった。フッ、と表情を崩して朝陽は笑みをこぼす。

「何、笑ってんのさ」

「そんなんじゃ、誰も……繋ぎ止められねーよ」

「うるさい!」

 激昂した物部にまた鳩尾を蹴られた。

 咳と一緒に赤が散る。

 本格的に目を開けていられなくなり、朝陽はとうとう目を閉じた。

「泣きたい時は、泣けば……いい、だろ。ガキは……そういうもん、だ」

 物部が幼き頃からの自分とダブって見える。

 ——あ、これマジでヤバいな。

 朝陽がどこか他人事のように考えていると、呼吸がなだらかに、遅くなっていった。

「どうでもいいよ! さっさと死返玉を使え!」

 答える気力も無くて、朝陽はそのまま床に倒れ込んだ。

「聞いてんのかよ⁉︎」

 静かだった。

 空気が揺れない。

 死返玉を使わせるどころか、その機会さえ失った事に気がつきもせずに、物部はまた朝陽を呼んだ。

「おい、お前……」

 呼びかけにすら反応もしなくなった朝陽に近づいて、朝陽がもう息もしていない事に物部は初めて気がついた。

 結局は、朝陽の粘り勝ちだった。

 しかし……。

「朝陽‼︎」

 空間に切れ目が入り、そこから五人が飛び出してきた。

 祭壇の下で横向きに体を投げ出して、目を閉じている朝陽を目にして全員目を見開く。

「ねえ、朝陽? どうして寝てるの?」

 音もなくキュウが距離を詰め、朝陽の頬を撫でる。

 まだ温もりのある体はただ寝ているだけのようにも見えた。

 それでももう目を開ける事がないのは、全員が肌で感じとっていた。

「来るのが遅かったね。朝陽はもう居ないよ」

 喉を鳴らしながら笑った物部がニギハヤヒを見つめる。

「さっさとアマタケ生き返らせて昔の姿にでも戻ったら?」

「興味がない。断る。それに、アマタケとは隠し名、本当の呼び名ではない。あれは真名まな で呼びかけなければならん。よって、どっちみちお前のやりたい事は失敗する」

「は⁉︎ そんなわけない!」

「ならやってみればいい。儂は止めん。好きにしろ」

 ニギハヤヒは物部を一瞥しただけで、ずっと朝陽を見続けていた。

 その他の四人も一緒で朝陽だけを見ている。

 不愉快そうに物部が舌打ちした。

「朝陽……」

 オロもキュウの隣に立つ。

 徐に朝陽を抱き上げて祭壇の上に横たわらせる。

 寝ているだけのようなのに、番だからこそ分かる不協和音が、全員の頭の中で鳴り響いている。

 それは物部とて同じだった。

 片割れが居なくなった事を告げる痛みが全身を駆け巡り、内側から骨と肉を刺す。

「ちっ、死んでまでうるさいよ……このくそビッチがっ」

 物部が忌々しそうにしながら自らの髪の毛を掻き回す。それを見て、ニギハヤヒは分かってしまった。

 この男もまた番候補なのだと。そして頭の中で止む事なく鳴り響く不協和音に心を乱されている。

 朝陽の頬や手にまだ乾き切らない血液がついているのを見て、オロが顔を顰める。

「キュウ……、これって……」

「死返玉」

 ニギハヤヒが呼びかけると、朝陽の中から一つの玉が浮かび上がってきた。

「ニギハヤヒ、ダメだ! 朝陽は多分毒に等しい何かを摂取させられている! 今のまま生き返らせても朝陽はまた死ぬ事になる!」

「っ⁉︎」

 朝陽の着流しをはだけさせたオロが、自らの掌を爪で切り、朝陽の心臓の上に切った掌を押し当てる。

「ボクが持ってる毒で毒を中和する!」

 オロの流す血液が直接朝陽の中に流れ出す。

「それなら私にも出来る!」

 キュウも己の掌を噛み切り、オロと同じように朝陽の体の中に直接血液を送り込む。

 二人の血液が送り込まれた事により、摂取させられていた液体が朝陽の口内から少しずつ流れ出てきた。

「う……ダメ。今のボクじゃ力が足りない」

「私がやる」

 キュウの頭に耳が生え、フサリと尻尾も現れた。

 全神経を掌に集中させて、朝陽の中の異物を中和させていく。

「生玉、二人を手伝って朝陽を生かせ。後、蛇比礼オロチのひれ出て来い」

 声かけに反応してニ種の玉が光る。

 残りの一つがニギハヤヒの掌の上にのり、そのままオロに投げ渡した。

「オロ。お前の霊力の源だ。それがあれば完全に力が戻る筈だ!」

「え、ボクの……?」

 オロの体に吸い込まれた瞬間、オロの体に巡る霊力が格段に増していく。その変化にはその場に居た全員が驚きを隠せなかった。

「昔お前から取り出した剣と比礼はスサノオがアマテラスに献上していた。それらの形を変えて神宝にしている。お前が儂に感じていた懐かしさは、きっと比礼があった名残りからだ」

 納得したのと同時に、オロがまたさっきの作業の続きを始める。

 先程よりも格段に効率よく行えるようになっていた

 その途中だった。

 朝陽の体が勢いよく跳ね上がり、黒い液体を口から吐き出す。

「出た!」

「お、ろ?」

「朝陽、気が付いたの?」

「キュ……、ウ」

 体が温かい。

 あんなに苛まれていた全身の熱さや痛みが無くなっていた。

「な、んで、俺……生きてる?」

 正確には朝陽は仮死状態だった。それがオロとキュウのお陰で持ち直した。

「死返玉」

 ニギハヤヒが玉を手に乗せる。

ひとふたいつむゆなな九、十ここのたり……布留部由良由良ふるべゆらゆら布留部ふるべ

「死返玉! アマタケをっ、物部アマタケを甦らせろ!」

 物部がタイミングを合わせて叫んだ。だが、シンとした空気が流れ、何も起こりはしなかった。

 その一方で朝陽の体が元の状態に癒えていく。

「言った筈だ。不可能だと。アレの真名は儂しか知らん」

 物部の顔が忌々しそうに歪んだ。

「おい、ごたくはいいんだよ。異界ならもう好きに暴れてもいいよなあ? そろそろ我慢も限界だ」

「好きにして良い。儂も好きにする。久しぶりに腸が煮えくり返っておるからな」

「おい、てめえ。人の嫁に好き勝手しておいて無事で済むとは思ってねぇだろうな? あ゛あ゛?」

「ふふ。将門、テレビとやらで見たチンピラみたいになってるよ。でも、まあ同感だね」

 晴明の目がスッと細められる。

 今まで溜まった鬱憤を晴らさんばかりに憤る三人を見て、もう動けるようになってきた朝陽が言った。

「なあ、何でアイツらキレてんだ?」

「え……?」

 オロとキュウの間に暫しの沈黙が流れる。

「朝陽って本当にこういうのに鈍いよね」

 キュウの言葉にオロが頷く。

「ホントそれ」

 将門が少し前にブツブツと文句を言っていたのを思い出して、そういう点ではこれから気苦労が絶えないのかもしれないと二人は思った。

 離れた場所では、凄まじいまでの激戦が繰り広げられている。大気が震え重力さえ支配していた。霊力が衝突しあい異界でさえも耐えきれずに歪みが生じている。所々の空間が裂け自己修復さえも間に合っていない。

 そんな中で、のほほんとした空気が流れているのは此処だけである。

「何だよそれ。てかアイツら手加減知らねえんかよ。異界の空間ヒビ入ってっけど大丈夫なのか?」

「あー。マズイね。その前に朝陽……どさくさに紛れてどうして私の耳と尻尾モフってるの? ねえ知ってた? 一応尻尾も耳も性感帯だからね」

「え?」

「後で覚悟してなよ。朝陽の胎ん中、私の精子で埋まるほど犯してあげるから。気絶しても離してあげない」

 ニッコリと笑ったキュウが朝陽に死刑宣告を通達した。

「え?」

「あ、ね。晴〜明〜!」

 キュウの呼びかけに晴明が視線だけを投げる。

「異界壊れてきてるから撤退しない? このままじゃ異界ごと本当に海に沈んじゃう。その子無理やり引きずってきちゃいなよー。もう勝負見えてんでしょ」

 頷いた晴明が将門とニギハヤヒを止めに入った。





 空間に切れ目が入り、朝陽達は新居に戻って来ていた。

 物部はニギハヤヒがしっかりと掴んでいる。

「くそ、いい加減離してくれない⁉︎ そんな老体に鞭打って大丈夫なの? 足腰ヤバいんじゃない? そんなんじゃ朝陽も満足に……っ、「……」……痛い痛い痛い‼︎」

 よっぽど頭にきたらしい。

 ニギハヤヒが無言で物部の関節を締め上げていた。

 ——やめてやれよ。

 見た目はマフィアに捕まったヤンチャな男子校生である。

 どっちが悪役なのか分かったものじゃない。

 心の中で朝陽は思ったが、口にはしなかった。

「朝陽、コイツの周りに結界を張れ」

「分かった」

 将門に言われた通りに朝陽が結界を張ると、ニギハヤヒが物部を取り押さえていた腕を離した。だが、意に反して物部は結界を簡単にすり抜けてみせる。それを見ていた全員が目を瞠った。

「僕は死人じゃないからね。そんな結界なんて効かないよ」

「お前……、まさかっ」

「僕は現役の男子校生だ。あんなバカ学校になんて行ってないけどね。それに今は生身だし」

 ——コイツが普通の人間⁉︎

 頭が混乱していた。

 物部と会う時はいつも霊体だった。体を自由に出入りしていただけだったというのは想定外だ。華守人は死者としか番えないのもあり、死霊だと錯覚させられていた。

 今は神造人だから、その法則すら変わっているのか? どういう事なのか目まぐるしく逡巡する。

 しかも生身でこれだけの霊力を誇るとなれば、朝陽と同等……いやそれ以上のチート加減である。

 驚き過ぎて朝陽は言葉も出てこなかった。

「華守人なら死者だけだろうね。でも朝陽……貴方は今、神造人でしょ? 生者とも番えるよ。その証に僕は候補者だ」

 全員がニギハヤヒを見る。

「あー……そうだったか……?」

「おい。長生きしすぎて耄碌もうろくしてんじゃねえのか⁉︎」

 将門が食ってかかったが、ニギハヤヒは元々の性格がやる気ゼロで適当な神様だったのを思い出し、全員半目になった。

 少し前は感情を乱され、感傷的になっていたから気にかけていなかったが、今となっては十種神宝の事もただ単に言い忘れていただけなのでは? とも思えてくる。

「αとはいえ現代に金も稼げない人外ばかり居てもしょうがないでしょ。コイツら全員祓って僕と番いなよ。養ってあげるから。個人的に増やした資産は腐るほどあるよ僕」

 ——いや、その前に俺はお前に階段から突き落とされたり、言葉で散々疑心暗鬼にさせられたり、他人けしかけられて輪姦されそうになったり、腹蹴られたり、薬物打たれたりして殺されかけてるんだけど……?

 変わり身の早すぎる物部に何も答えずに、朝陽は遠い目をした。宇宙ネコを通り越して虚無の精神に陥る。

「ダメに決まってん(でしょ!)(だろ!)」

 突然、優良過ぎるとも言える災害級の事故物件が現れて四人が再度戦闘体勢に入った。

 そんな中で晴明だけが静かに立ち上がり、無言で異界を開くと物部に向けてニッコリと笑んだ。

「ちょ、何すんの、アンタ……っ」

 晴明は無造作に物部を掴むと、粗大ゴミでも不法投棄するかの如く異界の中に放り投げた。

 そして何も無かったかのように入口を閉じてみせる。

 皆唖然としたまま見つめていた。

「晴明て……」

「ん? どうしたの朝陽。何かあったかい?」

 輝かしい程の笑顔で晴明が振り返る。

「ううん……ナンデモナイ」

 この中で怒らせて一番怖いのはきっと晴明だと悟った一同は、何も言わずに異界へとポイ捨てされた物部アマヤに心の中で手を合わせる。

 ——成仏しろよっ!

 全員の心が統一された瞬間だった。





 朝陽が風呂から上がり、リビングへと向かうと各々寛いでいる所だった。

 久しぶりに見た光景に何だか笑えてきて、朝陽が笑みをこぼす。

「そういえばニギハヤヒ。そろそろ俺の中にある十種神宝を取り出してくれよ。もういいだろ?」

「それもそうだな」

 ニギハヤヒが朝陽の下っ腹に手を当てる。すると、そこから九つの玉が浮き出してきた。

「あ?」

「どうした?」

 ニギハヤヒが不可解な声を上げたのが気になり、朝陽が聞き返す。

 唐突にスウェットのズボンを下着ごと勢いよく下ろされた。

「ちょっ、何してんだよ、ニギハヤヒ!」

「朝陽!」

 ニギハヤヒが瞳を輝かせて朝陽の下っ腹を見ていた。

「何だよ⁉︎ いいから手を離せ!」

 ズボンをあげようとしたが、ニヤニヤと笑みを浮かべた番達にズボンを押さえられていた。

「いや、ちょっと待てお前ら……」

「え、何が?」

 シレッと言って退けたキュウに続き、将門が「これは無くてもいいだろう」と続けた。

「いや、いるし。裸族じゃねえんだよ俺は!」

「上も要らないよ朝陽。脱ごうか」

 ——何を言っているんだ、晴明?

「ボクが抱えててあげるから寒くないよ」

 ——オロ……。それなら普通に服を着させてくれよ。

「今まで神宝があって分かりにくかったが、朝陽お前これ五つ子だな」

「はあっ⁉︎」

「大きい子袋の後ろに小さめの袋が四つあるぞ」

「え、嘘。私たちの子?」

「いつ……つご」

 朝陽は立ったまま失神した。

 気が付いたらベッドの上で好き勝手にされていたので、即座に結界を強化して家からしめ出す。

「妊夫にナニしてんだよってめぇら!」

 朝陽の怒号が飛んだ。





 朝陽の懐妊の件もあり、次の休みを利用して朝陽たち一行は博嗣の元へ赴いていた。

 この面子はまだ緊張するのか、お茶を持つ博嗣の手がカタカタと震え中身が飛び散っている。

 博嗣の態度はもはや名物に等しい。

 そんな中、将門がアッサリと言った。

「朝陽に、やや子ができた。五つ子だ」

 単刀直入の言葉を聞いて博嗣が盛大にお茶を吹く。

 ゴッホゴホと咽せている博嗣の背を朝陽がさすっていると、とうとう博嗣が幽体離脱した。

 飛んで行こうとしている博嗣の幽体を慌てて掴み、朝陽は無理やり体に押し込んで上から結界で覆った。

 ハッと我に返ったように体を揺らした博嗣が朝陽を見る。

「朝陽っお前、病院は? 病院へは行ったんか?」

「行ってない。普通の病院て行っても大丈夫なのか?」

 当たり前だ、と頭を叩かれた。

「人外の子だから視えないかも知れないと思ったんだよ。これで視えなかったら、俺ただの危なくて痛い人だろうが!」

「とりあえずちゃんと診察を受けに行くぞ」

 博嗣は昔からの馴染みである産婦人科へと電話をかける。

 朝陽の後ろに勢ぞろいしている朝陽の番たちを見て、産婆も幽体離脱しかけたので、朝陽は慌てて守りの結界を張った。

 視える側の人間だったらしい。

「ここここちらへどうぞお上がり下さいませ」

 ——いや、そんなに緊張しなくても……。

 家の裏手にある診療所に通される。

 代替わりして今は孫に任せているみたいだ。

 孫は朝陽たちを一瞥した後、特に取り乱すわけでもなく、診察台に朝陽を案内した。

 孫はエコーで映し出された画像を見て「本当に五人いますね。おめでとうございます」と淡々と告げた。

 おめでたいのかおめでたく無いのかよく分からなくなってくる。

 産婆は画像を見て拝んでいた。

 知っている側からすればその相手の子どもは神に等しいのだろうと朝陽が思いながら視線を移すと、博嗣も同じように拝んでいた。

 残すは、会社への報告なのだが、これが一番の悩み所だった。

「会社……どうしよう。クビにならないかな」

 朝陽が働かない事には生活費が無くなる。

 今から胃が痛かった。

 とりあえず、報告と産む場所は決まったので帰宅する事にした。




「なんか無駄に疲れた気がする」

「朝陽お疲れ様」

 ダイニングテーブルに項垂れていると晴明に頭を撫でられた。

 不意に椅子ごと後ろに引かれて、朝陽が顔を向ける。

「お前の座る場所は俺の前だろう?」

 当たり前のようにひょいっと横抱きにされて、テレビの前に陣取った将門は胡座をかいた足の上に朝陽を乗せた。

「はあ……どうしよ仕事」

 ボヤくとキュウが朝陽の顔を覗き込む。

「私働くから大丈夫だよ。安心してよ朝陽」

「へ?」

 働くも何もキュウは人外で普通の人間には見えない筈だ。

 するとキュウが、さも当たり前のように告げた。

「私人間に擬態出来るよ」

「ボクも出来るよ」

「オレも」

「儂も出来るぞ?」

「やろうと思えば出来るぞ」

 初めて知った事実だった。

 こんなに胃を痛めてまで悩んだのは何だったのだろうか。

 朝陽は段々と己の心が荒んでくるのが分かった。

「おい……」

 皆が「何だ?」と言わんばかりの視線を朝陽に向ける。

「なら、初めっから働けや! 何ヒモしてんだっこの甲斐性無し共! 祓うぞクソが‼︎」

 物部に拉致された時に覚えた朝陽の新技、放電攻撃が炸裂し、全員床に伏す。効果は絶大だった。



→最終話に続く

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