第4話 ぼちぼちぼち

 色々話したあの日からさらに何週間も経ち、テスト期間を経て六月になった。周囲を取り巻く環境はほんの少し変わったけど、僕のテリトリーはあまり変わらない。大間さんとは、これまでは授業中やその後に寝ているところを起こすだけの関係性だったけど、あれからはそれに加えて、たまにくろころの所に行く関係性になった。席替えをしても二人の位置が変わっただけだった。少し冷やかされたけど、結局通り雨のようなものだった。


「大間さん、ちょっと」


「ん…………」


 結局大間さんは、相変わらず机に突っ伏していた。

 大間さんはなんというか、波が激しい人だと思う。話すときはとても話すし、話さないときは夢の中にいる。いや、夢を見ているかはわからないけど、少なくとも見ているなら、安らかな夢を見ていてほしいと思う。要は燃費が悪いのだ。

 

「もう昼休憩半分終わったよ」


「ん……」


「……」


「……すぅ」


 ん、の後の言葉を待ったが、聞こえてきたのは寝息だった。机の横にひっかけられた弁当袋が開かれるのはいつになるのやら……。

 あんな約束をした手前、話す回数は増えたものの、内容はほとんど変わっていないは変わらないままだった。くろころの所に行った時ですら、話すことが思いつかないために、結局猫の話を聞くだけになってしまう。でも、それだったら僕じゃなくてもいいのでは、と思うこともある。でも、どうやらくろころのことは女友達を含めて僕にしか共有していないらしく、ある種の独占欲のようなものが働いて、今の現状を守りたいと思う自分が体の大半を占めている。


「島野くーん、ちょっといいかなー」


「え、は、はーい」


 ちょうど弁当を食べ終わり、弁当を直そうとしていたところで、廊下から担任の先生に声をかけられた。数人がこちらを見ており、中には少し笑っている人もいたが、あまり気にしないようにして廊下に出た。


(昼休みも後半に差し掛かったところで先生が来ることなんて滅多にないし、もしかしたら何かやらかしたのか、僕。進路のことで何か言われるのだろうか。それとも無意識に何か苦情を言われるようなことを……?)


「ごめんね、こんなタイミングで呼んじゃって」


 若い女性の担任の先生が謝る姿は、その目元のくまと相まってこちらが申し訳なくなる。


「いえいえそんな、大丈夫です」


「率直に言うね」


「はい」


(何したっけ。まさか買い食いがバレた?)


「大間さんのことなんだけど」


「……はい?」


(あれ、僕のことじゃない……?)


「大間さん、この前進路を出してくれたんだけど、その時に島野くんが色々教えてくれたって聞いて」


「あー、何か色々勘違いしてたみたいだったので。『出した』って本人も言っていたので、よかったです」


「それで、そんな島野くんに頼みたいことがあるんだけど、大間さんに授業を受けるように言って欲しいの」


「授業って、大間さん教室にいますよね」


「そういうことじゃなくて、授業中起きるよう言って欲しいの」


「あー……」


 いつも隣にある光景がダブる。


「わかるでしょ? 私の授業はまだ起きてる方らしいけど、特に社会の授業はめったに起きてないって、担当の先生からどうにかするよう言われちゃって」


(あのおじいさんか。色々ぐちぐち言われたんだろうなぁ)


 担任の目の下のくまがより一層濃く見えた。


(にしても、これだけ言ってもらえたら僕でもわかるけど、逆に生徒にそこまで言っていいものなのだろうか……)


「私も色々やってるんだけど、島野くんにもお願いしたくて」


「わ、わかりました。でも結果は期待しないでください」


「ごめんね。私もこういうことを頼むのは良くないってわかってるんだけど、今の大間さんには島野くんしかいないような気がして」


「そんなことはないと思いますけど」


「とりあえずありがとう。よろしくね」


 職員室に戻る担任の先生の足取りは見るからに重そうだった。



*****



「はぁ……」


「こーた」


 教室に戻ろうとしたところを、ちょうどトイレから出てきた友人―――手塚泰河たいがに声をかけられる。


「ん、どした? 泰河」


「いやいやこっちのセリフ。なんかやらかしたのか?」


「冷や冷やしたけど、そうじゃなかったみたい」


「……大間さんか」


「よ、よくわかるな」


 なるべく動揺が伝わらないように答える。


「いや、バレバレだって。どーせ最近ゲームしてる時に何か考えてる風なのもそのせいだろ?」


「別に隠してたつもりはないけど……というか、ゲーム中はそんなことないから」


「まあまあ、大間さんを起こしてくれって言われたんだろ」


「よくわかるな」


「いや、そこで聞いてたから」


 泰河はトイレの入り口を指す。


「じゃあなんで聞いたんだよ」


「それは、そう……コミュニケーション?」


 手を広げ、首をひねる泰河は言葉以外もうるさい。


「全く……」


「まあ、クラスの眠り姫と言えば大間さんだったからな。俺も去年は全く話さなかったし、クラスが別になった今年は、もう縁はないな」


 泰河は小学校の頃からの数少ない親友で、小学校では五年から同じクラスだったものの中学校では二年とも別々だ。短い髪をポリポリと掻くのは昔から変わらない癖だけど、その意図は常に読めない。ただ、気兼ねなく話すことができるし、向こうも僕のことを大切に思ってくれているから、親友と呼ぶにふさわしい存在だ。


「そっちは誰か知り合い増えた?」


「まあ、ぼちぼち。そっちは?」


「まあ、ぼちぼちぼちぐらい」


「なんだ、マウントか?」


「そんなことない。そもそも泰河は増える余地ないだろ。始まって一週間で全員と話すなんて。っていうか、が増えるとマウントになるのか?」


「でもそう言うってことはそうなんじゃないのか?」


「まあそれなりに話す人はいるけど……いや、実は最近ちょっとややこしくて」


「……あ、そういうことね。お察しします」


 泰河は目を伏せて颯爽と自分のクラスに帰っていった。何も考えずに接することのできる親友だが、とりわけ騒がしいのが玉に傷だ。今回だって、一体何を察したのやら……。

 今度こそ席に戻ろうと教室に入ると、机に伏した大間さんと、それを囲む二人の女子が目に入った。


(またあの二人か……)


 僕はなるべく何気ない様子を取り繕い、大間さんの席の手前の、自分の席に座ろうとした。


(よし、バレなか)


「おい」


 肩をガッと掴まれ、後ろに倒れそうになる。ちょっと椅子の座面が膝カックンの様に当たる。


「ちょっ、痛い」


「男なんだから我慢しろ」


「そういう話題最近グレーなんですけど」


 僕は肩を掴む主に振り返る。日に焼けた肌とポニーテールといった出で立ちの、僕より背の高い女子が、こちらを睨んでいる。


「だったら何」


 相も変わらず、もはや疑問を投げかけているとは思えないような圧が肩を掴む力以上に感じられる。


(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い)


「何でも、ないです……」


僕はそのポニーテール―――藍野光里みつりさんに怯えて、下を向いた。


「で、島野くん」


 目線を左に移すと、もう一人のショートボブの女子がしゃがんでこちらを見上げて優しい笑みを向けている。


「は、はい」


「今日もまこちゃんこんな感じー?」


 まこちゃん、というのは大間さんのことだ。大間真心まここというのが大間さんのフルネームなのだけれど、最近になってようやくその名前がしっくりくるようになった。


「うん、二時間目の体育以外はずっと」


「すっ…………はあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


「長っ! 死なない? 大丈夫?」


 ショートボブ―――吉村まどかさんは少し息を吸ってからため息を大きく、そしてびっくりするほど長い溜息に耐えきれず、藍野さんがツッコむ。


「いつもありがとう。まこちゃん、大変でしょー?」


「いやいや、大間さんらしいというか、別に迷惑になんて思ってないよ」


「やっぱり変わってるよな、島野って」


 藍野さんはようやく僕を解放し、語気を緩める。


「そんなに変わってるかなぁ。少なくとも私はそう思わないけど」


 吉村さんは立ち上がり、僕の肩についたしわを撫でて伸ばす。初め程は驚かなくなったものの、頻繁に繰り返されるボディータッチには心拍が上がってしまう。


「いや、真心にこんな接し方する奴いないだろ」


「それはまあ、そうだけど。まず同小おなしょうの人は話しかけようともしないと思うし」


「それに、真心も結構変人寄りではあるから、合うんじゃない?」


「まあ、それもそうかもね。まこちゃん、珍獣みたいだし」


「……お前、やっぱり結構辛辣だよな」


「そうかな?」


(……知ってる。こういうの、天然っていうんだ)


 二人は大間さんを気にかけているのか、たまに休み時間に隣のクラスから訪ねてきては、眠る大間さんを挟んで話をしている。これまで二人が教室に来た時はなるべくかかわらないようにしていたけど、ちょうど大間さんと商店街に行った日の翌日の昼休みに起こそうとしていたところを見られたことをきっかけに話すようになった。


「あ、そうだ。島野、今週の土曜空いてるか?」


 唐突に藍野さんが僕に予定を尋ねてきた。


「あ、空いてるけど」


(一応ゲームの予定があるけど、夜だから大丈夫だろう)


「じゃあ、遊びに行くから、空けといて」


「私も行くよー」


 吉村さんも手を挙げてアピールする。


「……え?」


(今、遊びに誘われたの? 知り合ってからは何週間も経つけど全然話してないし、急すぎない?)


 内容を理解するのに時間がかかり、すっかり冷静さを取り戻してしまった。


「遊び。そんなにお金はいらない。予算二千円で考えといて」


「え、多くない?」


「えーばっかうるさい。多分カラオケ行くし、昼代も含めたらそれぐらいはいくでしょ」


「そうなんだ」


(暇だし、とりあえず肯定しておいた方がいいのかな。いや、冗談半分で誘っているだけかもしれないし……。こういう時、断ったらあまり誘われなくなるんだったっけ……)


「ベ、別にいいけど」


 なぜ僕を誘うのかわからなかったが、逆に断る理由もなかった。

 すると、吉村さんはこちらに近づいてきて、僕の顔の横に顔を寄せてきた。


「ちなみに、まこちゃんも来るよ」


 思わず顔が熱くなり、目を見開いた。

 そう優しくつぶやいた当の本人はいつの間にかさっきの位置に戻ってただこちらを見て微笑んでいた。

 隣の藍野さんは、まるで化け物を見るような顔でこちらを見ていた。


「じゃあ覚えててね。ばいばい」


 嵐のように二人は自分のクラスに戻っていった。


「……ん、おはよう」


 ようやく椅子に座ったタイミングで、隣で起き上がる気配を感じた。


「あ、おはよう。もうそろそろ昼休み終わるよ」


「……わかった」


「あと……え」


 大間さんは珍しく寝起きがいいのか、伸びをしててきぱきと授業の準備を始めた。


(こんなに機敏に動いているところ、初めて見た)


 困惑が勝って、結局伝言を伝えそびれたまま授業が始まってしまった。


(まあ、今日くろころの所に行く予定だし、その道すがら伝えればいいか)


 そして放課後に至るまで、伝えるタイミングを逸したまま、僕は校門を出た。

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