14話 悩まずにはいられないのだ
翌日、僕は工房長に呼び出された。
居住棟にある応接室の扉を開くと、落ち着いた調度品の中、奥の席に座る工房長の姿が目に入った。
僕がメルイーシャ工房に入った三年前から工房長は変わっていない。
カザン・ウィルト・サンディ。
クウェン十四領の領主家の出身ではないけれど、堅実な実績を積んで工房長にまで成り上がった人だ。僕にとっては工房に入った時に少し話をしたくらいで、後はあまり印象がない。
「君の創った
工房長は黒いひげに手を触れながら口を開いた。
髪の色も同じ黒で、そちらにはちらほらと白髪が混じっている。濃い茶色の瞳は静かな眼差しで僕を見ていた。
「細部まで気が配られ、本当に良くできていた。銀の花を咲かせて一年にも満たない工房生の作品とはとても思えなかったよ」
「ありがとうございます」
一礼した僕に、工房長は部屋の手前に備えられたソファに座るように勧めた。
席を立って僕の向かいのソファに座った工房長は低くゆっくりとした声で言った。
「ロアンから頼まれた時はまた厄介事をと思ったが。たしかに君には目を見張るほどの才能があった」
そう、この人は義父上に言われて知っている。
彼はハルビオの他に、この工房で僕の秘密を知っている唯一の人だった。
「努力を惜しまず、熱意や矜持も並みの工房生以上。その若さで本当に感心する」
「もったいないお言葉です、工房長さま」
少しだけ肩を上げて僕は答える。
彼は頷いて続けた。
「実は、去年の末にクウェンティスから各工房に向けて通達があった」
「通達、ですか?」
「優秀な人材には早急に
僕は弾かれたように工房長を見た。
「それは、招来獣を戦場で使うということですか?」
争いの道具にするなんて発想はなかった。
「今後はメルイーシャ工房でも、戦闘に特化した招来獣の創作に力を入れてゆくことになる。術師の背負う責任もまた、重いものになるだろう」
彼の言葉にぽかんとした僕は、この時まだ知らなかった。
クウェンで発明された招来術という技術が、運用の情報が、北の大国カルア・マグダに流れてしまったことを。
一人の招来術師が起こした裏切りが、二国間の力関係の均衡を大きく揺るがせる。僕が立っていたのは、そんな危うい歴史の過渡期だった。
「そう遠くないうちに、君は招来術師を名乗るに足る実力を得るだろう。君の才能はクウェンの大事な戦力になる。それを肝に銘じて精進を重ねてほしい」
口を閉ざした彼に視線を向けられて、僕はやや戸惑いながらも頷いた。
「は、はい。精いっぱい頑張ります」
会話を済ませてソファを立つ。
応接室を出ようとする背中越しに、工房長の深いため息が届いた。
「……シウル・フィーリス・イル・メルイーシャ」
「はい、工房長さま?」
「ここから先はメルイーシャ工房長としてではなく、私個人の意見なのだが」
振り返った僕に、工房長は言いづらそうな声で言った。
「私は、君のことを口外するつもりはない。全ては私の胸に納め、この秘密は墓の中にまで持ってゆくつもりだ」
しかし、と苦く呟いた工房長は眉間に深いしわを刻んでいた。
「しかし正直なところ。君に金の花を授けることを、……私は深く迷っている」
その言葉は、この工房で誰に言われた言葉よりも僕の心をえぐった。
「工房長、さま」
「君の才能は疑うべくもない。私とてこの地位に上がるまでに苦労があった。才気ある若者は、出自に関わらず引き上げられるべきだと思う」
「で、では……」
言葉を重ねようとした僕に、工房長は目を逸らして再び息を吐いた。
「それでも、君については、……あえてこの道に進ませる必要が本当にあるのかと。悩まずにはいられないのだ」
小さな声が、しんと静まり返った部屋に響く。
それが自分の漏らしたうめき声だと気づくのにしばらくかかった。僕の右手はいつの間にか制服の胸元を強く握りしめていた。
工房長が認めなければ金の花は得られない。
彼が迷いためらう限り、僕は正式な招来術師になることはできないのだ。
顔を伏せた工房長の姿には、何故だかあの人の姿が重なって見えた。
僕の描いた回路図を眺めて惜しいなと呟いたあの人の姿。何だか今夜は、嫌な夢を見そうな気がした。
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