2

 ガタガタガタ、田舎道を馬車が進む。

 舗装された道は疾うに過ぎ、今や辺りは一面の畑と牧草地が広がっている。道はうねり、石や土塊が至る所に露出しているので、馬車の中は大層揺れるだろう。

 お貴族様が用意したにしては随分と質素な、しかし材質は良いのか作りだけはしっかりしている箱馬車に、馬に騎乗したカインは併走していた。

 王都を出て三日。アベイル・エルニの配属されるカムセト領までの行程は、順調に行けば残す所半分といったところか。

 今の所、特に問題はなく旅程は進んでいる。想定していた通り、カインとエルニ公爵令息の初対面は最悪のものだった。出立の直前、公爵家で行われた顔合わせで、彼の吐いた言葉が許せずカインの態度は相当に無礼なものだったろう。印象は端から悪く、これ以上に良くなることはない。

 旅程の間も、カインは最低限必要な事柄以外は口を利かないようにしていた。少しでも喋る機会を減らしたいし、かの悪役令息が困ったところでカインはちっとも胸を痛めない。


「あの花は見たことがないな、何という名前なのだろうか」

「もう少ししたら休憩にしたいね。馬たちも休憩が必要だろうし、僕も正直腰が痛い」

「今日の肉は塩気があって悪くないね」


 誰にともなく、穏やかな口調で話しかける、アベイル・エルニの様は酷く滑稽であった。

 貴族令息であるにも関わらず、彼の馬車には彼自身しか乗っていない。本来ならばいる筈の側仕えの者もおらず、本当に身一つで、彼は南方の地へと追いやられるのだ。

 御者は雇われの無口な男で、カインですら碌すっぽ会話が成り立たない。当然アベイルの話し相手はカインしかおらず、しかしカインが全く応じないものだから、かの公爵令息は箱馬車の窓から虚空に向けて独り言を呟いている、という訳だ。

 大層滑稽である。しかしアベイルは誰からも返事が貰えないのも構わず、淡々と、その時々に思ったことを喋るのを止めなかった。


「そろそろ、休憩にします」

 道の脇、小さな池の畔に程良い木陰を見かけたので、カインは誰にともなく声をかける。雇われ御者と貴族のお坊ちゃま、この三人の中で一番旅慣れているのはカインである。必然的に先導はカインに任され、無口な御者と窓から顔を覗かせたアベイルは、それぞれ小さく頷いた。

 池の畔に馬車を止め、引いていた馬とカインの乗っていた馬、それぞれに水をたっぷりとやる。カインの愛馬はもう一年来の付き合いで、栗毛の美しく賢い牝馬だ。オリガと名付けられた魔獣討伐の報償で頂いた良馬は、厳しい旅程にもへばる様子を露とも見せず、カインに付き従ってくれている。

 馬車を引く方の馬はオリガとは品種が違い、その体躯はカインが見上げる程大きく、首と胴は恐ろしく太い。足が短いのは頑丈さの証拠で、馬車を引くだけでなく農耕などに主に使用される品種だそうだ。黒毛で穏やかな目をしたその牡馬もまたバテた様子はなく、一番疲労しているのは人間側であることは明白だった。


「ふう……流石に、堪えるな」

 独り言を吐きながら、大きく伸びをしたアベイルが箱馬車から降りてきた。

 実際の所、貴族令息にしてはアベイル・エルニは随分と辛抱強かった。カムセト領までは馬で一週間少しかかると言われている。それを、馬の丈夫さを良いことに極力休憩を減らし、進めているのはカイン自身だ。

 カインだけなら騎士団にいた頃、無理な行程での討伐任務などは茶飯事で、ある程度の強行軍にも耐え得る。しかし若くはない御者とお貴族様にはしんどいらしく、直接的な不満は告げられないものの、休憩の際に立ち上がるまでの時間は日に日に伸びていた。

 うん、と腰を叩きながら伸びをする、アベイルの銀糸が日に透ける。首の後ろまで伸びた毛は細く煌めき、畔に立つ様は余りにも絵になり過ぎる。

 眉目秀麗にして才色兼備のアベイル・エルニ。その麗しい見目からは、とてもではないが彼が凶行に及んだとは思い難い。それだけに彼が嫉妬に身を焦がし破滅へと向かったのが、カインには信じ難い。信じ難く、許し難い。


 座りっぱなしで痛むらしい体を、アベイルは慎重に伸ばしていく。肩から腰、臀部。凝り固まった部分を伸ばしたのを見計らって、カインは水を汲んだ皮袋と、干し肉を渡してやった。一週間程の旅程である。道中の食事は、畢竟日持ちのするものに限られる。

 街道沿いの町に立ち寄るのは団長から止められていた。公爵令息を狙う者が待ち伏せをしているとも限らない、と。それで貴族を伴っての旅程としては厳しい、野営を続けている。

 大して美味くもない保存食であるが、アベイルは硬い干し肉を文句も言わずきちんと食べた。尻が痛いだろうに、馬車に乗りっぱなしでも不平一つ言わない。極悪非道のアベイル・エルニ、我が儘放題の公爵令息。そうした噂しか聞いていないカインには、余りにも意外に思えてならない。

「うん、今日も……塩気が利いているね」

「それはそうでしょうよ」

 硬い肉を噛みながらアベイルは当たり前の感想を漏らす。それがどうにも面白く、思わずカインは苦笑しながら応答していた。

 返事があるとは思っていなかったのか、アベイルは目を見開いた。そしてゆるりと、破顔する。心底嬉しそうなその表情に、カインは舌打ちをしたくなった。

 嫌悪感が募る。決して心を許すつもりなど、ないというのに。

 嬉しそうに干し肉を齧る悪役令息から目を反らすように、カインは背を向けた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 最初に異変に気が付いたのは馬だった。

 高く嘶いたオリガが、しきりに足踏みをする。馬車を引く方の馬も落ち着かなそうに鼻を鳴らしながら、首を振っていた。

「一体、どうし……」

「カイン、御者が」

 何処か冷静なアベイルに名を呼ばれ、反発する間もなく辺りを見回す。然程広くもない池である。顔を洗って少し離れた所で身を休めていた筈の御者の姿が、見当たらない。

「……っ伏せろ!!」

 嫌な予感に突き動かされるように、傍らのアベイルの肩を掴む。そのまま押し倒すように地面に倒れ込んだその背後で、ひゅうと風を切る音がした。

 とすり、先程まで二人の立っていた地面に、二本の矢が突き刺さる。横目でそれを見るよりも早く、カインはアベイルを引きずり箱馬車の後ろに隠れた。嘶いた馬たちは木陰へと走り去る。訓練されたオリガは兎も角、馬車馬の方は戻る保証はなさそうだ。

「……っ襲撃か」

 矢の飛んできた方から隠れるように、馬車の陰に潜む。気配と矢の数からして敵は二人、出し惜しみする理由もないから恐らくそれ以上はいないだろう。

 腰の剣に手をやり、カインは舌打ちをする。相手の方が人数が多く、遠距離武器を持っている。こちらの位置は把握され、対してこちらは相手の居場所も人数も分かってはいない。そして何より、カインはアベイルを護らねばならない。

 圧倒的不利だ。剣を鞘から引き抜きながら、カインは馬車の陰から半身を覗かせ前方を伺う。ひゅう、と牽制代わりか矢が寄越され、状況を把握するのも難しい。

「僕が囮になろう」

 場違いに涼やかな声は横手からかけられた。ぎょっとして見やる先、アベイル・エルニが仄かに笑っている。この状況下にそぐわない余りにも楽しげな笑みに、カインの背筋が凍った。

「いえ、そんな訳には……」

「僕が囮になっている間に、カインが後ろに回り込む。簡単だろう?」

「……っ何処に護衛対象を囮にする騎士がいるんですか! 死にますよ?!」

「そうだね、君に僕を助ける気がなければ、死ぬだろうね」

 あっさりと。口元だけ笑みを浮かべながら。虚無を湛えた菫色の瞳がカインを試すように見据える。

 思わず息を飲むカインの前で、白いローブが翻る。金糸の刺繍のされた、ゆったりとしたローブを纏ったアベイルは、一切躊躇することなく馬車の陰から飛び出した。


「僕だ! 僕がアベイル・エルニだ! 頼むから殺さないでくれ!!」

 言葉だけなら余りにも情けなく、しかし何処か冷静に、アベイルは叫びながら木陰を縫って走る。その後ろにひゅんひゅんと、幾度か矢が射かけられる。危なっかしいことこの上ないが、倒けつ転びつ、アベイルは上手いこと逃げ回っていた。

 当然カインもそれをぼうっと眺めていた訳ではない。アベイルが走り出た瞬間にはもう、舌打ちをしながら彼と反対方向の木陰を縫い、襲撃者の裏手に回ろうと必死で走っていた。

 遅れれば遅れる程、アベイルの生存率は落ちる。護衛対象がどういった人物であれ、それが損なわれるなど、騎士の名折れであった。

「こっちだ! 僕はここにいるぞ!」

 あからさまな陽動であるが、向こうとてアベイルを殺さなければ任務は達成出来ないだろう。

 焦れたのか襲撃者の一人が、草藪から躍り出た。如何にも山賊といった風体の男である。手には短剣を携えている。アベイルの元へ詰め寄ろうとするその男を、しかしカインは見逃した。

 山賊崩れの男が飛び出た草藪に回り込む。陰から援護射撃をしようと弓を引いていたもう一人の男の矢先がこちらを向くより先に、カインの刃が男の喉を掻く方が早かった。

「――っし、」

 喉元を押さえ、たたらを踏む男の指先を返す刃先で落とす。留めを刺すことはしない。弓さえ引けなければそれで良い。人を殺しきるのは、思う以上に時間がかかる。そこに割くべき時間は、今はなかった。

 切っ先を振り血を払いながら、カインは全力でアベイルの元へと取って返した。


 足を踏み出す毎に、胆の辺りが燃えるように熱くなる。一歩、また一歩、意識してやれば腹から湧き出た熱量は全身へと回る。進む足取りは次第に軽く、剣を握る手には力が増す。

 身体強化の能力。これこそがカインの“ギフト”だった。

 “ギフト”――神より賜りし奇跡の技能。生まれた時から持ち合わせているというそれは、数百人に一人とも、数千人に一人とも言われている、稀少なものである。

 その内容も千差万別、それこそ手から炎や水を出したりという神の御業から、カインのような身を強化するものまで。一つとして同じものはないと言うが、確かめる術はない。

 “ギフト”を得た者は神殿に報告するように義務付けられている。しかし報告をしなかったからと言って罰則はない。国が有能な人物を逃したくないという側面もあり、面倒臭がる庶民には報告をしない者もいると聞く。反対に貴族にとってみれば“ギフト”持ちであるということは、その血統において大いに歓迎されることでもあった。

 カインが第三騎士団に取り立てられたのも“ギフト”持ちであるという事実も大きく関与している。それはそれで複雑であるが、彼の“ギフト”自体が自身の騎士としての腕に直結するものである為、折り合いはついている。

 全身が燃えるように熱い。カインの“ギフト”は最早自然のものとして彼の中にある。本の少し、力を込める要領で、本の少し、常人よりも力を出せる。それだけで充分だ。

 だん、足跡が付かんばかりの脚力で、カインは強く強く地面を踏み抜いた。


 走り方一つを見ても、アベイルは運動が得手でないことは明らかだ。追っ手には直ぐ追いつかれる。

 木々の合間を縫い、根っこに躓きかけたアベイルの肩を、短剣の切っ先が掠めた。寧ろ転んでいなければ背中から切りつけられていただろう。だが、体勢を崩したアベイルに次の手を躱す手段はない。

「っやめろ、やめてくれ! 僕は公爵令息だぞ! こんなことをして、父が黙っていない!!」

 地べたを後ろ手に這いずり、無様にアベイルは命乞いをする。意味はないだろうに両手を前に翳し、声を張り上げる。その惨めさに、山賊崩れの男は下卑た笑いを零した。

「っへ、バカが、誰の命令かも知らないで。恨むんならその父親を恨むんだな……」

「――っおぉぉぉおおおお」

 大きな声を張り上げてくれたお陰で、カインはアベイルの居所が分かった。無様に命乞いをしたお陰で、相手に僅かな隙が出来た。

 判断は一瞬だった。振り上げた剣を、槍の如く投げつける。走って到達するには遠いその距離は、生じた隙が埋めてくれた。

 男が振り向いた時には、カインの放った剣はその頭骨を貫いていた。


「っはは、凄いな。流石、腕が立つ」

 頭を貫かれた男が傾ぐ。どう、と倒れる身体から飛んだ返り血に頬を濡らされながら、アベイルは感心したように笑いながらカインを見上げていた。

「それが君の“ギフト”の力か。優秀な騎士に優秀な“ギフト”……得難いことだね」

「……っ何で、貴方は……」

 はあはあと息を切らし、駆け寄った男の後頭部から剣を引き抜きながら、カインはまるで化け物を見るような目で地面に尻餅を突くアベイルを見た。

 先刻まで命のやり取りをしていたと思えない程に、アベイルの様子は平坦だ。無様な命乞いは演技であったと、カインには分かる。この青年が、自身の命を全く省みるつもりがないのだろう、ということも。

「……自暴自棄になって貰っては、困ります。貴方を護衛するのが、自分の任務ですので」

「自棄など起こしていないさ。現に、君は間に合っただろう?」

 茶目っ気たっぷりにアベイルは片目を瞑ってみせる。だが、恐らくカインが間に合わなかったとしても、彼は一向に構わなかったに違いない。笑いながらも仄昏く光る瞳が、そう思わせた。

「頼りにしているよ、護衛騎士さん」

 そう嘯くアベイルに、カインは戸惑いを隠し切れなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 結局襲撃者は二人だけのようだった。弓を射ていた男は、既に事切れていた。二人の男を草陰に並べ、胸の前で腕を組ませる。薄汚れた服を身に纏い、物取りを装っていたが、現れたタイミングや狙いを考えるとそれが強盗を装った襲撃であることは明白であった。

 簡単な弔いを済ませ、カインは辺りを見回す。御者の姿はない。恐らくこちらの内情を売ったのは奴だろう。

 苦々しく思いながら、カインは片手を唇に当て、強く吹く。

――ヒュウイッ

 二度目の指笛を吹くまでもなく、ぱからぱからと駆け寄ってくる足音がする。賢い愛馬はきちんとカインに呼ばれるのを近場で待っていてくれていたようだ。

「よしよし、いい子だ」

 鼻を鳴らし擦り寄るオリガの栗毛の首筋を撫でながら、カインは木々の合間に目を走らせる。残念ながら、馬車を引いていた方の馬は戻って来る気配はなさそうだ。

 オリガでは馬車は引けない。どうするか。

「荷を捨てればいい」

 あっさりと、公爵令息は言ってのけた。

 カインの荷は皮の袋に入れて馬に積んでいる。必然的に馬車に積んでいたのはアベイルの荷ということになる。貴族の令息が旅をするには余りに質素な、トランク二つばかりの荷物を、しかしアベイルは捨てると言う。それこそ彼にしてみれば、全財産とも言えるだろうに。

 まるっきりの身一つになることを、アベイルは一切厭うていなかった。トランクの一つを開けると、中から大事そうに書類の束を出す。紐で括りゆったりとしたローブの懐にしまい込むと、もうそれだけで良い、と彼は言った。

「本当に、よろしいのですか?」

「うん、大事な書類は持った。僕がカムセト領主に任されるという就任状、流石にこれがないと話もこじれそうだからね」

 他の衣服や宝飾品が入っているだろう荷を、アベイルは一顧だにすることはなかった。最低限の旅費は、カインが所持している。それこそ最低ランクの宿ならば何とか残りの日程も賄える程度の。尤も、これまでは野宿で済ませて来た為、それらの金銭は手付かずだ。

 せめて多少なりとも金銭になりそうなものを身に着けさせるべきか。逡巡するカインに構わず、アベイルは栗毛の馬の傍らに寄った。 

「この馬は、二人で乗れるのかい?」

「……近場までなら。最寄りの街で一頭調達しましょう」

「分かった。よろしく頼むよ、ええと……」

「オリガ、です」

「オリガ。いい名だね。よろしく、オリガ」

 白く細い指先に首筋を撫でられ、若い牝馬はくすぐったそうに、ふるりと身を震わせた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 田舎道を、馬は揺れ歩く。乗せる人数が増えた分、その歩みはこれまでに比べると少し遅い。

 再び襲撃があるかも知れないことを考えると、早く目的地に着きたいものだが。しかしここで愛馬を潰す訳にもいかないので、まるで散策のような足取りで、二人を乗せた馬はゆったり進む。

「確かこの先に小さな宿場があった筈です。そこで出来れば、丈夫な牝馬が見つかると良いのですが」

「牝馬? 牝じゃなきゃいけないのかい?」

「ええ、オリガも年頃ですので。牡馬だと、いいところを見せようと、意識してしまう」

「そうなんだ、色女だね」

 ふふ、と笑いながらアベイルは後ろからオリガの首を軽く叩く。分かっているのかいないのか、栗毛の牝馬はぶるると鼻を鳴らす。


 街道沿いにある宿場に着いたのは、夕刻を少し回った頃である。

 暗くなる前に馬を扱っている店を探した。こうした街道沿いの街には得てしてあるものである。果たして、小さな街の外れにある厩舎で、カインは少し年がいっているものの丈夫そうな灰斑の牝馬に出会うことが出来た。

 店の主人との交渉は、アベイルのお陰で円滑だった。相場以上の値をふっかけようとする主人に対し、アベイルはフードの中から出した宝飾品を、惜しげもなく差し出したのだ。彼の瞳と同じ、紫の宝石のついたペンダント。明らかに馬の値段の倍以上はしそうなそれを、にこやかに主人の手に握らせながら、アベイルは馬ばかりではなく、宿と食料までもを手に入れる算段をつけた。手慣れた手腕に、カインは舌を巻いた。とてもではないが、旅慣れぬ貴族のものと思えない、強かな交渉術だった。


「……よろしかったのですか、大事なものだったのでは」

 アベイルのお陰で泊まれることになった馬宿は、高くはないが安くもない、少なくとも預けた馬を盗られる心配も部屋の荷を漁られることもなさそうな、治安の良い宿だった。

 案内された一室でブーツを脱ぎ、足の筋肉を解しながらカインはアベイルに問いかける。貴金属の類は見当たらないと思ったが、服の内側に隠していたのか。そう邪推したものの、部屋に入り白いローブを脱ぎ去り、簡素なシャツの姿になったアベイルが他に身に着けている装飾品はなかった。

「ああ、別に構わない。成人した折に父に贈られたものだけど、もう不要だから」

 さらりと告げられる言葉にカインはぎょっとする。昼間の襲撃者の言葉は、確かにカインの耳にも届いていた。

――恨むんならその父親を恨むんだな

 襲撃者の言葉が真実だとすれば、アベイルの命を狙ったのは、実の父の手によるものである。それはこの貴族令息にとって、酷なことであるかに、カインには思えた。

 部屋に一つしかない寝台に腰掛け、アベイルは苦笑しながら押し黙るカインの方を見る。

「君も聞いていたか。今日の襲撃は、恐らく公爵家の手に寄るものだろうね。これまでにも、僕の命が狙われたことがあるのは、騎士団長の方から聞いているかな?」

「……ええ、そのようなことがあった、とだけ」

「そうか。あれも恐らく、身内の者の手によるものだよ。一度目は、毒を盛られてね。確かに毒味を通してある筈なのに、それも絶対に身内にしか通らないルートで出されたものなのに」

 可笑しなこともあるものだ、とアベイルはからから笑う。

 何一つ笑えないのだが。俯き床の敷き布を整える振りをしながら、カインは緩く頭を振る。寝台は一つ、必然的に床で寝ることになるカインは、寝床を整える振りをしながら考える。

 悪逆非道の悪役令息、嫌われ者のアベイル・エルニ。

 だが、この数日過ごした中で、カインはどうにも彼がそうした人物には思えないのだ。

「……どうして、」

 中途半端な問いは言葉にならず、只の疑問符だけを投げかける。曖昧なカインの問いに、アベイルは美しい貌で緩く笑う。

「まあ、そういうものだ。僕は軽蔑されるのには慣れている。……君にそう、思われているようにね」

 皮肉でもなく淡々と、アベイルは言う。

「さて、明日も早いだろう。もう寝よう」

 そう布団に潜り向けられた背に、それ以上問うことは出来なかった。


 ランプを落とし自分も床に転がりながら、カインは考える。アベイル・エルニとは一体何なのか。

 疑問を抱え込むように硬い床に丸まり、眠りについた。

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