悪役令息の護衛役

赤坂 明

1

 透けるような銀髪、濡れた菫色の瞳、何かを憂うが如く伏せられた相貌はどこまでも美麗で端正だ。

 誰もが見惚れるような美青年、それがアベイル・エルニ、その人である。

 しかしその姿は、カインの目には酷く忌々しいものに見えてならなかった。黒髪鳶色の瞳、南方育ち特有の浅黒い肌をしたカインであるが、貴族然とした彼のその容姿は全く羨ましくなどならない。

 眉目秀麗にして容姿端麗、第一王女の婚約者という立場でありながら、しかしその悪行故に婚約破棄された公爵令息。それがカインの前に佇んでいる、アベイル・エルニという青年だった。

 今や国民の敵とも言える存在となったアベイル・エルニは、カインの前で困ったように面を伏せていた。長い睫毛で瞳が翳っている。それもこれも、頑ななカインの態度の所為ではあるのだが、反省する気など毛頭なかった。

――君が僕の護衛騎士を任される、カインだね。よろしくお願いするよ。

 挨拶を無視することなど、本来平民上がりの騎士であるカインに許されてはいない。ましてや相手は国の宰相を勤める公爵家の次男である。不敬であるのは承知、それでもよろしくなどしてやるものかという意地が、カインの口を閉ざさせた。

 戸惑う青年は困ったように次の言葉を紡ぎ出せず、そしてカインから話しかけることもない。初対面の二人の間に漂うのは、酷く重苦しい空気だった。

「……もしも、」

 沈黙に耐え切れなくなったのか、アベイル・エルニは口を開いた。かつては凛とした声音であっただろうそれは、今や弱々しく掠れている。

「もし、僕が、王女を裏切ってなどいないと言ったら……君は、信じてくれるだろうか」

 長い銀の前髪の間から紫の瞳が覗いた。奥底に深く、昏い光が宿っている。絶望の色に射竦められ、カインは息を飲んだ。

 しかし驚きは直ぐに怒りへと取って代わられる。一体どの面を下げて弁明など出来るのだ。

 婚約破棄を言い渡した際の王女の悲哀が目に浮かぶようだ。騎士団所属とはいえ平民出身のカインが、当然その場に居合わせられた筈もない。しかし可憐な王女が取り乱し、泣き叫び、衆目の中で婚約者の悪行を訴えたその顛末は、騎士団内でも語り草となっている。

 ぎゅうと右手で左の手首を押さえる。そうでもしなければ、その憎らしい程に流麗な横顔を張り倒してしまいそうだった。武装していない人間に手を上げるなど、騎士の名折れである。それでも暴力的な衝動に駆られそうになる程に、アベイル・エルニはカインから――シルヴァリル王国の国民から、忌み嫌われる存在だった。

「……自分は、」

 ぎりと奥歯を噛み締めながら答える。

「自分は……貴方を、軽蔑します」

 とても護衛対象に告げる言葉ではない。だが、はっきりと己の嫌悪を発しなければ気が済まなかった。

 落ち込むだろうか、傷つくだろうか。

 しかしカインの目の前で、アベイル・エルニは場違いに、ふっと笑んで見せた。

 余りにも空虚な、諦めにも似た、笑みだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 カインが稀代の悪役令息、アベイル・エルニの護衛を命じられたのは、今から丁度一週間程前の話である。

 王女との婚約破棄から二ヶ月、既に評判は地の底まで落ちていたアベイル・エルニの護衛の任に就くなど、到底カインに受け入れられるものではなかった。


「自分がエルニ侯爵令息の護衛騎士に……ですか?」

 第三騎士団団長、ジョルジュ・ライホネンに告げられた命が信じられず、カインは思わず問い返した。

 王都にある騎士団本部の片隅、第三騎士団の団長室には、カインも足を踏み入れるのは二度目のことである。一度目は数か月前、魔獣討伐の功を取り上げられ一個小隊の隊長へ引き上げられた際。そして二度目がこの日、悪役令息の護衛役を任じられた、今日のことである。

 呼び出された騎士団長室で、ジョルジュは豪奢な机に腕を突き、じっとカインを見詰めていた。顔の前で指を組み、老練さを隠しきれない相貌に睨まれると、カインとしても息が詰まる。一介の騎士であるカインが、直接団長から声を掛けられることなど滅多にない。

 かつて最前線で戦っていた歴戦の老騎士は、険しい顔で机上の書類をカインに示している。がっしりとした木造の机に置かれた、一枚の書面。その右下に押された印に、カインは人知れず気圧されていた。

 赤く押された哮る獅子の紋章。このシルヴァリル王国のシンボル、偽ることの出来ない王印である。

「そうだ、お前にはアベイル・エルニ公爵令息の護衛の任に就いて貰う」

「しかし、何故自分に……?」

 大人しく拝命するべきであるが、カインは思わず食い下がる。何せ護衛対象と示されたのは、あの悪名高きアベイル・エルニである。おいそれと応とは言えない。

 本来であれば上官の命には反論など許されてはいない。一兵卒の身であるカインには謹んで承る以外の選択肢はないのだが、流石に無茶を言っている自覚はあるのだろう。ジョルジュは逞しい顎髭を擦りながら、咎め立てはせず軽く咳払いをするに留めた。

「これは王命だ。南方のカムセト公爵領までの護衛、並びに領地での勤めの間の身辺警護に当たって貰う。任期は三年――場合によっては、それ以上の可能性もある」

 元来であれば平民上がりの騎士であるカインに、王命が下る筈もない。余りに不審な辞令に、カインは知らず眉を顰めた。田舎から王都に出て来て、第三騎士団の所属となって五年。二十一歳という若さで武勲を立て隊長を任じられてから、ものの数カ月も経たない内の新たな任命である。地位などに興味はないが、その不自然さは、とてもではないが看過出来るものではなかった。

 不審を隠し切れないでいるカインに、ジョルジュは鋭い眼光を向ける。

「この任務が終了した後、第一騎士団へ推挙も考慮するそうだ」

「……っな?! 自分が、第一騎士団に……? でも、それは……」

 団長から告げられた言葉に、カインは絶句した。第一騎士団に平民は入れない。それは貴族社会の縮図とも言える騎士団での不文律であった。

 王族貴族の身辺警護を担う第一騎士団、王都の周辺警護を任される第二騎士団。この二つの騎士団の団員は、ほぼ貴族の子息で成り立っている。カインの所属する第三騎士団だけは唯一庶民からの入団も受け入れているが、その門戸は狭く、また任務も魔獣の討伐や国境近くの紛争への介入など危険なものが多い。

 第三騎士団所属のカインが第一騎士団に推薦されるなど、本来ならば有り得ない。だがそもそも、貴族令息の護衛を第三騎士団の者に持ってくる時点で、おかしな話なのだ。

「……平民の自分が第一騎士団になどと、宰相派閥の者が黙っていないでしょうに……あ、」

 思わず零すカインは、はっと気付く。国の宰相を勤めるエルニ公爵は、詰まるところアベイル・エルニの父である。子息の愚行により、公爵を筆頭とした一門――貴族特権を重視した旧体制派閥はその勢力を弱めた。反対に、騎士団統括を勤める伯爵率いる新体制派閥が力を増したのは当然のこと。

 どうやら下らない貴族間の抗争に巻き込まれてしまったらしい。うんざりと、カインが嘆息するのを、厳格である騎士団長は今度も咎めなかった。

 何処か疲れたように眉間の間を揉みながら、ジョルジュはカインに告げる。

「……実は既に、アベイル公爵令息は二度ほど命を狙われている」

「……何と、」

「公にはなっていないがな。それ故、貴族のしがらみもなく、相応の腕を持つお前が、適任であると判断された」

「そうでしたか……」

 気の乗らない相手に危険な任務、これ以上なく憂鬱な仕事であるが、仕事は仕事である。ましてや王命であれば、カインに受けない選択肢など残されている筈もない。

「受けてくれるな」

 再度の問いかけによもや否はない。ブーツに包まれた踵を打ち鳴らし、胸に描かれた翻る鷲の記章に手を翳す。

「謹んで、拝命します」

 どこか安堵したようなジョルジュとは裏腹に、敬礼しながらもカインの胸には暗雲が立ちこめていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 騎士団長室を辞して、扉を閉めたカインは盛大に溜め息を吐いた。

 誰が好き好んで泥船に乗りたいなどと思うのか。それも貴族連中が我先にと降りて完全に見放されたような沈没寸前の船だ。

 しかし任務は任務、くよくよしていたところで己が立場が変わる訳でもない。はあ、と再度深い息を吐き、カインは騎士団室の重い扉に背を向けた。纏まらない思考のまま、自然と足は廊下を進み馴染んだ第三騎士団の棟へと向かう。丁度訓練の時間なのだろう、中庭にある訓練場から兵士たちの掛け声が聞こえて来る。

 むしゃくしゃした時は体を動かすに限る。適当に訓練中の兵に相手をして貰おうと、渡り廊下を足早に通り過ぎようとした時だった。


「――っカイン! 聞いたぞ、お前、飛ばされるって?!」

「耳が早いな、ユージーン」

 背後から駆け寄る気配に、カインは苦笑しながら振り返る。自慢の赤毛をくしゃくしゃに振り乱しながら、全力で追って来るのは、カインと同じ第三騎士団の部隊に所属する、ユージーン・フェルマンである。第三騎士団の青と白を基調とした制服に身を包み、血相を変えた様子で迫って来た。

 子爵家の三男坊であるユージーンは、身分は違えども同年代であり、また騎士団に同時期に入団したこともあり、懇意にしていた。カインにとっては騎士団内での数少ない友と言える。

「あの悪役令息の護衛役だなんて……一体何やらかしたんだ、お前?!」

「別にやらかした訳じゃない、落ち着け」

「これが落ち着いていられるか、何でそんな外れ籤引かされる羽目に……」

 詰め寄るユージーンは、流石に言い過ぎたと思ったのか、次第に尻すぼみになると小さく咳払いした。幾ら何でも公爵令息を外れ籤扱いは、誰かに聞き咎められては面倒なことになる。


 周囲に人気がないのを確認するとユージーンはこちらに顔を近付け、声を潜めた。

「……っ何だってお前が、あの公爵令息の護衛役なんか……」

「さあな、お貴族様のゴタゴタに巻き込まれない丁度いい人材だったんだろうよ」

 騎士団長たるジョルジュは体の良い言葉を使っていたが、要は外野から面倒の入らない庶民を体良く使う算段だろう。無論、ジョルジュ自身の思惑ではなかろうが。

「だからって、カインでなくとも……折角隊長になったばかりだって言うのに……」

「まあ、それは残念だが……」

 隊長としての任はお流れになるが、この護衛任務を追えれば第一騎士団への斡旋が待っているとの話である。一見出世の道であるかに聞こえるが、カインはとてもではないがその話を鵜呑みには出来なかった。大方地方での任務を終え、戻って来たらそんな話は知らぬ存ぜぬと出世の道も立ち消え、しがない一兵卒として使い潰される。平民の身であるカインには、そんな未来しか見えない。

 しかし例え架空の話にしろ、いらぬ出世の話をすれば下手なやっかみに通じる。ユージーンが誰に漏らすとも思えないが、人の口に戸は立てられないのは今回の件を見るに明らかだ。

 余計な話はせず、カインは肩を竦めてみせた。友に隠し事をする後ろめたさよりも、煩わしい事態を回避する方が優先された。

「仕方ない、命令は命令だ」

「それは、そうたが……出立はいつだ」

「一週間後」

「そいつは忙しないな! 送迎会をする時間もないじゃないか!」

「いいよ、そんなもの」

 大仰に嘆いてみせるユージーンに、カインは苦笑する。実際、自分が鬱屈してた部分を外野が喚き立ててくれるのは多少なりとも気持ちが和らぐものだ。

「まあ、花祭りに参加出来ないのは残念だがな」

 生温く渡り廊下に吹き込む風は、柔らかな甘さを孕んでいる。中庭は薄紅色で埋め尽くされていた。シルヴァリル王国の国花である、リーリアの花。花壇に植わるその一輪花は、今が見頃とばかりに咲き誇っていた。

「花祭りの警備、カインがいないと割り当て増えそうだなあ……面倒臭い」

「お前は女が目当てなだけだろう、ユージーン」

「それはそうだろ、三年に一度の祭りだぞ。……つくづく、残念だよ」

 ぽん、と肩に手を置かれる。三年に一度、国花であるリーリアが薄紅色に咲き乱れる季節、行われる花祭りは、国を上げての大掛かりな行事だ。殊にリーリアの花言葉、『永遠の愛を捧ぐ』に因んで、恋人に愛を伝える伝統的な祭りでもある。尤も近年では男女の出会いの場にもなっていて、独り身の若者にとっては外せない行事だ。ユージーンを筆頭に、日頃異性との出会いに恵まれない騎士団の連中にしてみれば、それこそ警邏などやっている場合ではないのであった。

 かく言うカインも独り身の内であるに違いないのだが、元来色恋沙汰には疎い性質である。精々がユージーンが恋に浮かれて無様に玉砕する様を笑ってやろうと思っていた程度だ。

 それでも祭りごとは気分が浮き立つものである。三年前は騎士になったばかり、自身の警備範囲を見回るのに必死で周囲も見られなかった。今年は多少余裕も出来、屋台や出し物やら少しは楽しむ時間もあるかと、内心楽しみにしてはいたのだ。

「ああ、本当に……残念な友の憂さ晴らしに、付き合ってくれる心積もりはあるんだろうな、ユージーン?」

「っはは、手加減してくれよ。本気のお前に来られたら骨の一本じゃ済まないからな」

 制服に包まれたユージーンの肩を叩く。本当は祭りなどより、気の置けない友人との語らいが失われることの方が残念でならない。

 きっと噂に聞く悪役令息は、とてもではないが友好を育むに値しないだろうから。


 ふわり、淡い香りが身体を包む。出立の日は近い。

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