第10話 ピンチ・ヒッター
俺と藤村が話しているところへ、緑川が来た。藤村があたふたと慌てる。
「い、伊織ちゃん……! 今の話、聞いてたんですか……!?」
緑川は怪訝な顔で俺の方を見て、
「私に聞かせられない話してたの?」
と言った。
「部分的には、そうかな」
「じゃあ、話せる部分は?」
「今のところ、ない」
と俺と緑川がじゃれていると、藤村が、だ、だだだ、とどもりながら、何かを言おうとする。緑川が、落ち着いてよ、と声をかけると、藤村は一息のみこんで、
「だ、だだ大丈夫です、藍田さんは伊織ちゃんのことが大好きなんです……!」
と叫ぶように言った。
「な……!?」
「へえ、いいこと聞いた……」
「だだ、だから、赤根崎さんにすこぅし浮気しても、藍田さんは伊織ちゃんのところに、ちゃんと戻ってきますよ!」
続いて出てきた言葉に、今度は緑川も固まった。
「……君、浮気してたの?」
「いや、違う。勘違いだって」
「でも、藍田さん、私の気持ちが分かるって言ったじゃないですか。赤根崎さんのこと、つい目で追いかけちゃうって」
「それは……」
頭が痛くなってきた。
「それは、藤村の勘違いだよ」
「どういう意味?」
と緑川がすかさず突っ込んでくる。
言い訳を考えたけれど、上手いかわし方が思い浮かばなかった。代わりに、緑川のにやけ顔が浮かんで、頭痛が加速した。
「俺は、藤村みたいに赤根崎が気になるんじゃなくて…………む、無意識に、伊織のことを目で追いかけてるときがあるって意味で、藤村の気持ちが分かるって言ったんだ」
目を瞑らないと言い切ることが出来なかった。思いっきり息を吐いて、緑川の様子を窺うために、そっとまぶたを開けた。
「き、君はほんとうに私のことが……だ、大好きだな」
え、と声がもれた。予想に反して、緑川は顔を真っ赤にして、俯いていた。
「ときどき、君の視線を感じるなあと思うことがあったんだけど、まさか! そういうことだったとはね!」
やけくそ気味に、緑川が叫ぶ。首まで赤くなり、緑の瞳が涙目だった。
「そんなに仲良しだと、うらやましくなっちゃいますね」
と藤村が言う。まったくだね、と同意する声が続く。声の方に振り返ると、赤根崎が立っていた。突然のことに言葉が出ず、赤根崎はにやにやと笑って、続けた。
「お昼休みに惚気を見せつけられて大変じゃない、藤村さん?」
「? 私は大変じゃありませんよ? 伊織ちゃんと藍田さんの方が大変です」
俺と緑川が固まっている間に、二人で話し始めてしまう。
「私は、お二人が話してるのを見ているの楽しいですよ」
「そっかぁ、それは幸せだね。二人みたいな関係が理想なの?」
「伊織ちゃんと藍田さんは、これ以上ないくらい仲良しですから、理想的な関係です」
「藤村さんも、藍田くんたちみたいになりたいんだ」
「伊織ちゃんには藍田さんがぴったりで、藍田さんには伊織ちゃんがぴったりなので、私はお二人みたいにはなれないですよ?」
あはははは、と赤根崎が笑うと、うふふふふ、と藤村が返した。
何か、二人の間でものすごい勘違いが生まれている気がしたが、間に入る隙もなかった。
「藤村さんとおしゃべりするの、楽しいなあ!」
「私もです。赤根崎さんって、やっぱり不思議な感じがします。言葉が理解できるのに、意味が通じないみたいで……赤根崎さんとお話しするの、大好きです」
赤根崎のにやけ顔が固まる。一方で、藤村は目をきらきらさせて、本当に楽しそうだった。
「私、もっと赤根崎さんのこと、知ってみたいです」
「……いつでもどうぞ~」
と言って、赤根崎が離れていく。喧嘩に負けた野良猫みたいだった。
「もう行ってしまうのですか……さみしいですが、また、いらしてくださいね」
と藤村が手を振ると、赤根崎も手を振り返して、ぱっと廊下に消えていった。
藤村はゆっくりと手を振るのをやめて、少しさみしそうにした。そして、緑川を見て、
「ねえ、赤根崎さんは不思議な人でしょう? とっても面白いんです……!」
と無邪気に言う。緑川は俺の方を見たけれど、諦めたように、
「桐子の言うとおりだ」
と呟いた。
俺は、というと、赤根崎が困っている様子を見て、いつもからかわれていた仕返しじゃないが、すっきりした気分だった。
後日、赤根崎が俺のところに来て、
「藤村さんのこと、ちょっと教えてよ」
と言った。それを藤村に見られていて、
「藍田さんばかり、ずるいです。私も、赤根崎さんとお話ししたいです」
と詰め寄られたのだが、赤根崎が
「あの人、ちょっと困らせてみたいよな」
と言ったことは秘密にするしかなかった。
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