ハチクロに導かれるように人生を

『ハチミツとクローバー』が好き。


20年ほど前に連載されていた漫画である。所謂「青春群像劇」であり、東京の美術大学を舞台に、登場人物たちがそれぞれの人生に向き合う姿が描かれている。通称「ハチクロ」。


16年前、金平糖のように小さきお子様だった私は、図書館で何気なく読んだハチクロに一瞬で心奪われた。ここで自我が芽生えた気もする。それ以来、私の人生の傍にはずっとハチクロがある。何度も読み返し、何度も涙してきた。大切なことは全てハチクロに学び、もとい、ハチクロに書かれていないことで大切なことなんてない。辛い時、悲しい時、寂しい時、苦しい時にはハチクロに縋り、ハチクロを読むことで心を落ち着け、そしてハチクロの中に答えを探す。そうして、ハチクロに導かれるように人生をやってきた。


ここ数年は、ほとんど毎日ハチクロに目を通している。毎日読んでいると、不意に想起される感情が変わることがある。同じシーンを読んでいるはずなのに、以前と異なる感情が心内に生まれている。ハチクロは変わっていない、ただそこにあるだけ。変わったのは私だ。ハチクロの啓示を受け取れるところまで、私がハチクロに近づいたのである。ハチクロは、自分の現在地を確かめる指標でもある。


もう、「好き」というよりは「信仰」に近い。私にとってのハチクロは、ただの漫画ではなく、もはや聖典とも言える。


お酒の席で気心のしれた相手と会話していると、私は隙あらばハチクロの話をはさみこんでいる、らしい。平気で「その状況はハチクロにもあって〜」とか、「あなたと同じように竹本くん(ハチクロの主人公)も〜」などと言っているようだ。相手がハチクロを読んでいるか否かは関係ない。無差別、無遠慮にハチクロをぶつけている。西欧文化圏のスピーチでは、やたらと聖書が引用されるが、私はこれをハチクロでやっている。権威としてのハチクロだ。聖書を引用するようにハチクロを引用し、「修司(ハチクロの登場人物)はこう言っています」などと前置いて、ハチクロ内のセリフを述べる。そして、このハチクロのお言葉の登場によって議論に決着がついたかのような顔をする。唖然とする相手をよそに、私は満足げにグラスを傾ける。


改めるべき態度だとは思うが、このあたりで止まっていればまだいい。私は思い込みの激しい性格をしている。ここから、もっと過激になっても不思議ではない。他者と自分の境界線をハチクロで引いてしまう、そんなところまでいくかもしれない。


自分を「ハチクロに至った人」、他者を「いまだハチクロに至れていない人」と認識する。ハチクロを読んでも響かない人もいるだろう。作品なんだから当たり前だ。ただ、私は止まらない。そんな人に「大丈夫、いつかわかりますよ」と憐憫を含んだ優しい言葉をかける。そのうち、ハチクロが浸透していない世の中に怒りが湧き出すことだろう。ハチクロを読んだことのない人間を見つけてはハチクロを強要する。街頭でハチクロの読み聞かせを行い、一軒一軒住宅のチャイムを押してはハチクロを説く。気が付けば、セミナーだって開いている。


私ならここまでいきかねない。


まあ、現段階では引き返せるところで止まっている。私はただのハチクロが好きな人間だ。それ以上でもそれ以下でもない。自身を客観的に見れてもいるし、問題はないだろう。


さて、「ハチクロ、おすすめです」という話でした。読んだことない人は一度手にとって読んでみてください。え、本屋さんにはもう置いてない?いやいや、ハチクロはあるとかないとか、そういうことではないのです。ハチクロは皆さんの心の中にあります。

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