シアワセなカンケイ~心優しき先生と生徒達との忌憚の無い日常~

八木崎

case1.東雲アスカ

第1話




 校舎の片隅にある小さな一室。僕以外は誰もいない隔離された様な空間にて、僕は与えられた職務を黙々とこなしていた。そんな時である。


「せんせー、ちょっといいかなー」


 がらっと音を立てて部屋の扉を開け放ちながら、一人の女生徒が勢い良く手を上げて入ってきた。線の細い体型に長く艶のある綺麗な髪を持った、一見した限りでは清楚さすら感じさせるような、至って普通の女子高校生である。


 僕は書類に向けていた視線を離し、回転式の椅子を回して彼女がいる位置へ振り返る。


「……誰かと思ったら、東雲か。どうしたの?」


「あー、ごめんねせんせー。今って忙しい?」


 僕が問うと、彼女―――東雲アスカは眉を下げながら申し訳なさそうに言った。


「ううん、大丈夫だよ」


 そんな彼女に向けて、僕は優しく微笑みながら答えた。すると、彼女の表情がパッと明るくなる。まるでコロコロと変わる万華鏡の様に変化の速度が速い。そうした彼女の仕草、変化を見ていて飽きないなぁ―――なんて事をしみじみと感じていると、いつの間にか彼女が椅子に僕の隣まで来ていた。そして彼女は椅子に座る僕を見下ろしながら、満面の笑みで言う。


「やっぱりせんせーは優しいね! そんな所も大好き!」


 いきなりのストレートな言葉に思わず面食らう。それから彼女は面食らう僕を余所に今度は不満げに頰を膨らまると、こう言葉を続けた。


「けど、私との約束を忘れてるのはちょっと減点だよ。私の事はちゃんと名前で、アスカって呼んでくれないと」


「……あれ、そうだっけ? ごめんね、最近物覚えが悪くて」


 僕はバツの悪い表情を作りながら謝る。すると彼女は先程までの笑顔に戻ると、再び両手をぱちんと合わせてこう言った。


「ふふっ、別にいいよせんせー。最近は何かと疲れてるみたいだしね」


「あぁ、うん。でも……ごめんね」


「だから、大丈夫だって! 今から正してくれるなら、私もそれで許してあげるからさ」


「……ありがとう、アスカ」


 僕がそう言うと、アスカはくすくすと笑って見せた。


「えへへ、別にお礼なんかいいってばー」


「……それはそうと、アスカ。一つ聞いてもいいかな?」


「? なぁに?」


「どうして、その……アスカは全身ずぶ濡れなんだい?」


 僕は恐る恐るではあるけど、アスカに向けてそう問うた。彼女が入ってきた時から気になってはいたけれども、髪や服からはぽたぽたと雫が落ちていたから。


「あー、やっぱり気になる?」


「……それは当然気になるよ」


 僕が困ったように答えてみせると、彼女はアハハと笑った後こう続けた。


「えっとねー、実はさっき……外を歩いていたら突然の通り雨に降られちゃってさぁ」


「通り雨?」


「そう、通り雨」


 僕の問い掛けにアスカが頷いてみせた。


「本当、災難だったなー。いきなりこう、どばーって私の頭上から水が降ってきてさぁ。それで一気にびしょ濡れ状態」


「……えっと、それで?」


「あはは、そんな目で見ないでよ。それでこんな状態だと帰れないから、せんせーの所に来たんだ」


「……つまり?」


「だから、タオル貸して欲しいなー」


 手を合わせながら僕に願うアスカ。そんなお願いに対して僕が断るはずもなく、部屋の隅にある棚を指差してから言った。


「うん、いいよ。いつもの場所にタオルと……あと着替えもあるから、自由に使っていいから」


「ありがと、せんせー。いつも助かるよー」


 お礼を言いながらアスカがパタパタと棚の元まで駆けて行く。そして棚から大き目のタオルを手に取ると、まずは長い髪から拭き始める。


 そんなアスカの姿を見てしまわない様にと、僕は視線を彼女から窓の外に逸らした。そこから見える景色は雲一つ無い晴れ空。全く雨なんて降りそうにもない、まさに快晴という言葉が相応しい。そんな空模様である。

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