第17話 side王立魔導工房3

「これが異界化?」

「ま、魔導師ヒルデバルド! あれっ。モンスターっ」


 普段、目にしない異界化の様子を興味深そうにキョロキョロとボーロが見回し、遠くに現れたモンスターにシュリサリーが驚きの声をあげている。

 安全な工房の中で権力闘争に明け暮れる詠唱派の彼女たちが、いかに現場慣れしていないかが如実に現れていた。


「ふ、二人とも、落ち着きなさい──『蒼炎の時はきたれり。かは我に仇なすものなり。縮合の果て、かを焼き付くさん』」


 ヒルデバルドの詠唱が暗い室内に朗々と響く。何の準備もなく、ただ言の葉によってのみ生み出された炎が、ヒルデバルドの権の錫杖を持つ手とは反対の手のひらから放たれる。

 ヒルデバルドたちへと迫っていた不定形のゼリー状のモンスターへと到達し、それを燃え上がらせる。


「さすが魔導師ヒルデバルドっ。お見事です」


 取り巻きたちが口々にヒルデバルドを褒め称える。


 その炎の威力は、シンが紋章魔導によって生み出した物に比べると、大したものではなかった。

 詠唱魔導の準備がいらない手軽さは、威力と汎用性を犠牲にしたものだったからだ。

 しかし、紋章魔導は逆に事前準備に膨大な時間が必要なため、余暇時間を権力闘争に当てられる詠唱派に比べて、政治的には不利になりやすいという欠点があった。


 ヒルデバルドの詠唱魔導を賛美していたシュリサリーたちが口をつぐむ。

 地下に響いたヒルデバルドの詠唱の声に、つられるように何匹ものモンスターが集まり始めたのだ。

 そのどれもが不定形のゼリー状のもの。


「あ、あなたたちもっ。さっさと詠唱なさいっ」


 ヒルデバルドの焦った声に、慌ててシュリサリーたちも詠唱魔導を唱え始める。

 三人から散発的に放たれた詠唱魔導によってモンスターたちは倒されていくも、モンスターたちが集まってくる速度の方が圧倒的に速い。


 どちらかと言えば、三人の詠唱の声が響くことで集まる速度が速くなっていた。


「ま、魔導師ヒルデバルド! これ、大丈夫ですかっ」


 シュリサリーの不安そうな質問。その頭を過るのは不定形のゼリー状のモンスターに取り込まれて起きる無惨な死に様。


「うるさいわっ! とっておきがあるでしょう。これよこれっ」


 そういってヒルデバルドは手にした権の錫杖を構える。


「そ、そうですよねっ! その魔導具は魔導の威力を、何倍にもできるんでしたよね」


 権の錫杖の一般の魔導師にも知られている、いくつかある効果のうちの一つを口にするシュリサリー。


「そうよっ! 見てなさいっ!」


 ヒルデバルドが詠唱する。

 現れたのは、先程と比べて、何倍もの大きさ炎。

 放たれたそれが、モンスター数匹をまとめて焼き払う。


「──あはっ。楽勝ね」


 調子に乗ったヒルデバルドが、権の錫杖を使って詠唱魔導を連射する。

 あっという間に集まっていたモンスターたちが焼き付くされていく。


「すごいですわっ」「圧倒的」


 口々に誉める取り巻きたちに、ヒルデバルドは満面の笑みだ。


「さあっ。さっさと異界化の核とやらをつぶしますわ。ついてきなさい」


 意気揚々とヒルデバルドは奥へと歩きだす。


 しかしそのヒルデバルドの顔や手の皮膚からは、権の錫杖を使う前には見られた張りが失われ、肌色もくすみ始めていた。手の甲などは肉が減って血管が浮きではじめている。

ただ、薄暗い地下にいる三人は、まだヒルデバルドの変化に気がついてはいなかった。


 権の錫杖は、実は使用する度に使用者の生命力を代償とする魔導具だった。歴代の異界化対策の責任者の間のみで口伝されてきたその事実は、当然下っぱの魔導師たるヒルデバルドたちは知るよしもなく。

 ただ、その力の全能感のままに、ヒルデバルドは権の錫杖を振り続けるのだった。


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