第2話 人間になった元魔王

気がつくと、俺は真っ白な空間に一人胡座をかいていた。

辺りを見回しても、何もない。ただただ白い空間が広がっており、上と下を切り分ける地平線もない。


まるで別世界に飛ばされたかのようだ。


「ここは…ん?」


あれ、おかしいぞ。


俺はある違和感に襲われる。


「おっほん、あー、あー、聞こえるか?」


確かにしゃべっているのは俺のはずなのだが…

聞こえてくるのはなぜか若い声だった。


「声が…若返っているのか?」


俺の声は、もっと重く、聞く人に圧迫感を与える程度には威圧的だったはずだ。

それが今では、まるで子供のように丸く、清らかで落ち着く風に聞こえる。


「まさか…」


気になった俺は視線をおろし、自分の体をチェックすると、


「なんだとっ?!」


そこにあったのはかつての筋骨隆々で厚毛に覆われた漢らしい肉体ではなく、ほとんど毛も生えていない人間の肉体だった。しかも裸で。


「こ、これは一体どういうことだ…!」


変わり果てた自分の姿に戸惑いつつ、これがもしかして神化なのではないかと考え始めた頃、周囲に少しずつ変化が現れた。

白かった空間が、徐々に霧を散らすように薄くなっていき、木々が姿を現し始めた。


「ここは、どこかの森か?」


言葉を発すると、それがきっかけになったかのように一気に視界が晴れる。


どうやら俺は、どこかの森林に飛ばされているようだ。

見渡してみると、右手側には緑の生い茂った木々が乱雑に生えており、左手側には大きめの川が流れていた。透明な水流には、何匹かの小魚が泳いでいるのも見える。


「やっぱり俺は、人間になったんだな…」


川の水面を鏡にして姿を確認してみると、予想通り人間の肉体をしていた。


さらさらとした黒髪に、鮮やかな赤色をした瞳、しっかりした鼻筋に小さめな口。年齢にしてまだ10代中盤か、見た目こそ悪くはないが、これでは到底王になれる顔はしていなかった。

男らしいどころか、ぱっと見女々しさすらも感じられるくらいだ。


困ったものだが、これはどう見ても神化ではなく退化でしかなかった。


見た目ではなく、人間という身体的な不利が多い種族が問題だった。その体の弱さを補うために文明が発展し、魔族より優れた技術を手に入れているとはいえ、肉体の面で人間は魔族に劣っている。


つまり人間になった俺は、魔王だった頃よりも遥かに弱くなっているということだ。


「わかりきっているが、試してみるか…」


俺は試しに適当な枝を拾い、自分の手のひらに思い切り突き刺した。


「痛」


想像以上の痛みに思わず声を出してしまった。


手のひらから枝を引き抜くと、傷口から濃い赤色の血が流れ出てくるが、すぐに塞がり、元通りの綺麗な手になった。


どうやら魔法は使えるみたいだ。


「ううむ…あれにするか」


俺は攻撃魔法を試せそうな大きめな木を見つけ、その太い幹に手のひらを向けて念じる。


すると、手のひらから漆黒の玉が現れ、幹めがけて一瞬で飛んで行く。距離にして20メートルほどが、瞬く隙も与えずに縮められ、直後───


ドゴォォォオオ!!


轟音と共に砂煙が舞い上がる。


「こんなもんか」


威力の衰えを認めざるを得ないが、人間の体にしては上出来だ。


ちなみに、煙が散ってから確認できたことだが、狙った木だけでなくその直線上にある木々諸共吹き飛ばしていたようで、そのせいで森林に不自然な破壊を与えてしまったようだ。


「おーい、大丈夫かー?」

「ん?」


森林の中から、男の声が聞こえてきた。


そちらに目を向けると、筋肉のついた、短い髭を生やした中年の男が姿を現した。

彼の腰には短剣がぶら下がり、手には弓を持っていた。狩りの途中のように見える。


「すごい音が聞こえたからなんだと思ったんだが、何があったんだ?」


男は心配そうに近づくと、裸の俺に気が付き「裸?」と呟いて上着を一枚羽織らせてきた。


「すまん、ちょっとした力試しをしたくてな」

「力試し…? あ、あれは君がやったのか!?」


一直線に倒れている木々と俺を交互に見て驚く男は、困ったような表情を向けてくる。


「すごいな…こんな強力な魔法を使える人は初めて見たが…裸にならないと使えないのか…」

「いや、服は無くしただけだ。 それよりも、ここがどこだか教えてくれ」

「無くした…? あぁ、ここはルンドルの森といって、ルンドル町が管理している森林だ」

「国は近いのか?」

「そこそこ距離があるが、国に行きたいのか?」

「いや…」


特に何かする予定がないため、返事に困っていると、今度は男の方から提案してきた。


「特に予定ないなら、うちに寄ってくか? 服がないと困るだろ」

「そうだな…お願いしても良いか?」


そういうと、男は白い歯を見せながらケラケラ笑い、俺の肩を叩きながら「もちろん」と快く返事してくれた。


なかなかに親切な男で、彼の家に向かっている途中、多くの話をした。

俺はヴァルと名乗り、男はサリオといった。

彼は俺の出身が気になったみたいだが、両親がいなくて、一人であの森に迷い込んだとういうことにした。すると彼は同情してくれたのか、辛かったなと声をかけ、それ以上深く聞かれることはなかった。

次いでサリオも、自分のことを教えてくれた。

彼は現在、娘のメリアとルンドル町で二人暮らしをしている。この森も、ルンドル町の管理下に置かれているのだとか。

サリオの生活は狩りを中心に、あとは日雇いの仕事をしているらしい。他にも、彼には妻がいたのだが、自分が魔法を使えず、お金になる仕事ができないことを知り、貧乏生活が辛くて貴族と駆け落ちしたという、随分とプライベートな話まで教えてくれた。


ちなみに、森の木々を破壊したということは結構重大なことになるのだが、娘に魔法を教えることと、狩りを手伝うということで手を打ってくれるそうだ。


住むところがない俺からしたら、誰かにお世話になった方が後々楽になるだろうと思い、快諾しておいた。


「もう着くぞ」


森を抜け、サリオが指差したところを見ると、白塗りされたレンガ造りの一軒家を見つけた。

腰ほどの高さの柵に囲われたその家には、井戸や薪割りの木材たち、それと鶏が数匹地面をつついているのが見え、生活感が漂っていた。


サリオの家のさらに奥を見ると、石畳の小道に続いてポツポツと家が立ち並んでいる。


ルンドル町だ。


「これはどうだ? 俺が若い頃に着てた服だが、今のヴァルには似合うんじゃないか?」

「試してみよう」


家の中に入ると、早速サリオは物置から数着の服を取り出した。


「お、いいじゃねえか」


茶色で無地の服と白いズボンを着てみると、思ったよりしっくり来たのか、サリオが笑う。


「細身だから、これくらいがすらっとしてスタイル良く見えるぞ」

「悪くないな」


細身と言われたことは嫌だが、妥協しよう。


「それに、娘の前で露出されては困るからな、ちゃんと服は着ておけよ?」

「俺に露出の趣味はないぞ」


何か勘違いされているな、なんと不名誉なことだ。


その後、娘のメリアが帰ってくる前に夕食の準備を手伝ってほしいとのことで、俺はサリオの指示で魚やウサギを捌き、野菜を切り刻んで鍋で炒める。


ちょうど夕食が整った頃、家のドアが開いた。


「ただいまー」


ひょいと顔を出したのは、俺とそう歳が変わらない、綺麗な顔立ちをした女の子だった。

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