魔王、禁忌に触れて人間になってしまったので、諦めて平和に生きることにした

桜薪

第1話 プロローグ

「ヴァラトス様、用意ができました」


寝室で横になっていると、どこからともなく声が聞こえてきた。


「おお、やっとか」


俺は重い上体を起こし、部屋の角に飾られている花瓶の影に目をやる。

ゆらゆら揺れているその影は、やがて少しずつ浮かび上がって人型を形成していき、最終的に黒髪が綺麗な執事の格好をした青年───ゲルハルト───が現れた。


「ご案内いたします」

「頼む」


ゲルハルトが一礼し、部屋を出ていく。

俺もその後に続いて薄暗い廊下を歩きながら、少しだけ魔族としての一生を振り返った。


俺は100年間、魔族として人間と何度も戦争し、あらゆる死線を生き抜いてきた。そして、大昔に滅んだ魔物の国をも再建し、自他共に認める最強の魔王として謳われるようになった。


だが、それも長くは続かない。


魔王でも人間と同じように、寿命があるのだ。


100年以上生きた俺は、いつしか自分の力が衰えていくのを感じるようになった。

このままだとまた人間に国を滅ぼされかねない。そう考えた俺は、従者たちと共に何か方法はないかと模索し続けた。


そしてたどり着いたのが、一つの禁忌魔法超越神化だった。

《超越神化》は、全ての種族を支配し、意のままに操る圧倒的な力を与えてくれると文献にある。だが、その代償が何なのか、具体的なものは何一つ見つけられなかった。


禁忌とされているのは、この圧倒的な力の代償が未知だからなのか、それとも、世界の理を変えてしまう可能性があるからなのかはわからない。

だが、魔族の永続的な繁栄のために、魔王として俺は試してみようと思った。


「ヴァラトス様、絶対、成功させましょう」


前を歩くゲルハルトが、突然そういった。


なかなか感情を見せないあのゲルハルトが、しんみりとしている…?


俺は驚きを隠せずにいながらも、彼の言葉に感動を覚える。


「当たり前だ、俺は最強の魔王だぞ、失敗などありえん」

「ふふ、そうですね」


俺の言葉が可笑しかったのか、彼が少し笑う。


ゲルハルトは、俺が魔王になった頃から共に戦ってきた戦友だ。彼は魔族にしては珍しく、人間との友好を望み、そのように働きかけてくれていた。

俺もそのような共存を理想に掲げたかったが、なかなかうまくいかなかった。


「今まで、力になってあげられずにすまんな」

「何を言いますか。あなたがいなかったら、私たち魔族はバラバラのまま、人間に狩り尽くされていましたよ」

「そうか…」


彼の言葉に、俺は幾度となく救われてきた気がした。

だからこそ、《超越神化》が成功したのちには、真っ先に彼の願いを叶えてあげたいと誓った。


「ヴァラトス様、到着いたしました」


ゲルハルトは、一つの部屋の前で立ち止まり、扉に手をかける。


ギィーーーーーー


錆びた音を響かせながら、ゆっくりと開かれていく扉。

その部屋の地面には魔法陣が描かれ、魔法陣の中心に大きなアーティファクトが置かれてあった。


「これが、《超越神化》のために必要なアーティファクトか…」

「はい、《超越装置》と呼ばれ、《超越神化》のためだけに作られた世界でたった一つのアーティファクトだそうです」

「壮観だな」


感嘆しながら、俺はゆっくりと《超越装置》を観察する。

正面をくり抜いた大きな箱に見えなくもないが、手に触れてみると、漆黒の壁は硬く重厚で、禍々しい模様が描かれているところは彫刻によって凹んでいる。

天井は蓋のように作られており、取り外せそうな気もするが、ゲルハルトによるとどれだけ力を込めて動かそうとしてもピクリともしないらしい。


「始めるか」


ゲルハルトが頷くのを見て、俺はアーティファクトの中に入り、胡座をかいて目を瞑る。


「成功を、お祈りしています」


彼の声を皮切りに、俺は集中して魔力をかき集める。

すると───


ドゴゴゴゴォォォオオオ!!!


急に地面が揺れ始め、《超越装置》の内部からポツポツと光が現れて俺の体に纏わりつく。


ゲルハルトは揺れに耐えるため、壁に手をついて見守る。

そんな中、俺の体にどんどんと光が集まり、やがて部屋全体を覆う───と思った。


シュウウゥゥ


「あれ?」


なぜか、あれだけ激しかった揺れが急に収まり、光も霧散していった。


俺とゲルハルトの目が合う。


お互い何が起きているのか、さっぱりな様子だった。


「これって、もしかしてしっぱ───」


ピカーーーンッ!!!!


口を開けた途端、急激に眩い光が俺の体から放たれる。

次の瞬間、まるで最初から居なかったかのように俺の姿が消えた。

後に残ったのは、何が起きたのか全く理解できていないゲルハルトと、思わぬ形で姿を消した俺のマヌケな声だけだった。

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