受け継がれていく銀の花弁よ
香屋ユウリ
そばに寄りそう一輪の銀花は
はぁ、と少女は白い息を吐く。
満点の星空。放牧地の丘の上に静かに居座っている冷えきった石に背中を預けながら、少女は瞬きをひとつして、眼前に映される世界を映し直した。。
はりのある雪のように白かったはずの手は、寒さでうっすらと赤みを帯びている。
ここに座ってはや1時間。その時間は、まだ幼い彼女にとっては飽き飽きするに違いないものであったけれど、今日は違った。なんといっても、今日は「あの人」とお話ができるのだ。
牛の世話や牧草の管理、追立て、その他雑務をすべて一人でこなしているもはや習慣化された灰色の時間を、「あの人」はいつも
「さて今日は、何の話を聞きたいのかね」
頭上から、そんな声が聞こえてくる。その声を聴いた少女ははっとして視線を上へと向けた。そしてそこには、まるで太古からそこに居座っているような厳かな雰囲気をまとう「あの人」がいた。
草原の真ん中にぽつんと置かれた石の上で静かに、彼女を見下ろすような形でいつの間にかたたずんでいる。
「あのねあのね、今日は、御精霊様のお話を聞きたいの」
一時間の我慢が、好奇心と希望に満ち溢れた目にありありと表れている。その小さな手をきゅっと握りしめて、少女は早く答えが聞きたいとうずうずしていた。
「あの人」は、御精霊様なんて言葉、よく知っているねえ、と驚きと感心の混ざった声で応答した。
「いいえ、私は知らないの。ただ、私と同じくらいの年の女の子たちが、勇者の御精霊様はきれいだとか、そんな話をいつもしてて、それをお仕事しながら聞いてるだけだもの」
そして少女は「あまりにもよく聞くから、こうしてあなたに聞きたかったの」と付け加えた。それに対し「あの人」は、ああ、と納得したふうだった。
それから「あの人」はしばらく黙り込んでしまった。答えを考えているのか。もしや、はたまた、考えすぎで眠ってしまったのかしら、と少女は若干不安になった。が、まさかそんなことはないだろうと首を振って、我慢して待つことを決めた。
ヒラン、ヒランとお星さまが地に落ちていく。あ、これは、この間「あの人」が教えてくれた「ながれぼし」というものだ。きっとそうだ。そうに違いない。少女は我慢を心の中から追い出すために、先月得た知識を思い出すことに努めた。
あれはどう、こっちはどうであっちはこう。少女はゆらりくらりと目を動かして、先月教わったお星さまに関することを丁寧に、一つ一つ噛み砕きながら飲み込んでいた。
そうして10分くらい経った後、「あの人」は、「ではお嬢ちゃん、今夜は御精霊様についてお話をしてあげよう」と、ようやく少女に声をかけた。星々に目を向けていた少女は、先ほどと同じように改めて「あの人」のほうへ視線を戻した。
そして少女は、少し首を傾げた。目に映った「あの人」は、どことなく寂しそうな感じがしたのだ。
しかし、彼女はその時はまだその理由をまだ幼いがゆえに理解することはできなかった。
「御精霊様というと、お嬢さんは何を思い浮かべるかい」
「え?……うーん、きらきらしてる、とか」
「きらきら?」
「うん、きらきらしてる感じがするの。でも、太陽みたいな明るさじゃなくって、えっと……そう、お星さま!お星さまみたいに、きらきらしてる感じがする」
少女はそう言って、満天の星空に向かって指をさした。
「はっはっは、そうかい。ええ、君は不思議だな。きらきら、そうか、きらきらしてるか」
「笑わないでよ、私は真面目に考えたのに」
ぷくっと頬をふくらませて、抗議する少女。そんな彼女に「あの人」は「いや、すまないね」と優しい声で少女をなだめた。
「でも、そうだね。あながちお嬢さんの言うことも、間違ってないかもしれないね」
「……そうなの?」
これは意外である。予想してなかった答えに、少女は目をぱちくりとさせた。そんな彼女に、「あの人」はゆっくりと語り始めた。
「はるか昔の話さ。私も生まれていなかった、はるか遠くの時代。どうやらこの世界には、天使という存在がいたらしくてね。天使というのは、背中に美しい白く輝く翼を持った存在のことだけれど、彼女らは天から舞い降りて万物に癒しと安らぎ、平和をもたらしたとされている。とある文献によると、どうやら人間族と深いかかわりを持っていたことも分かっている。そんな人間は、初めのころはケガや病気などの災難から天使に守ってもらっていたんだよ。
けれど……やがて人間は、天使を敬愛を示すべき対象として、彼女らの存在を敬うようになったのさ。これが皮肉なことでね。こういった崇拝はやがて尊びに変わり、やがて宗教になる。宗教というのはいかなる時代も戦禍を巻き起こす原因となるけれど、この時代も例外ではなかった。
あるとき、天使を忌み嫌う独裁者──ヴァルッダ8世が王に立って、彼女らへの扱いは大きく変化した。独裁者にとっては、人々に癒しを与える天使という存在が気に食わなかったのだろう。彼女らを迫害する法を作ったんだ。
天使は見つけ次第王国に差し出すように。差し出せば、それ相応の金貨を与えよう、とね」
ここまで話すと、少女は信じられないとでもいう風に前のめりになった。
「ひどい、だって天使様はみんなを助けてあげただけでしょ?それなのに、なんで」
「ああ、そうさ。ひどい話だよ。けれど、ここからはもっとひどい。法として定められたのだから、それは国民が守らなければならぬものだ。天使を崇拝していた者たちは当然、反発した。けれど、反発すれば法を守らぬ悪として次々に処罰されていった。その後、人々は処罰されることを恐れ、天使を捕縛するようになってしまった。そして結局、何百、何千もの天使が処刑されてしまったのだよ。悲しきかな、それで天使は皆、この世界からいなくなってしまった」
「あの人」は、ふう、と一呼吸置く。
「それで、前置きが長くなってしまったけれど、精霊というのはその暗黒時代から、およそ500年後に現れた存在なんだよ。それが天使になんで関係があるかと言われれば、それは両方とも魔法が関係しているからだ」
「まほう?」
「うん、君もよく使っている、不思議な力のことさ」
はて、と少女は首をかしげて考えた。
けれど、いつも湖から水を少し浮かせて持ってきて使っていることや、暖炉に指を触れることで火をつけたりすること──それが「まほう」なのだと、感覚的に理解をした。そこは、幼いながらの想像力の豊さのおかげといえようか。
まだ実感が沸かないけれど、そうか、自分が普段使っているのは「まほう」という不思議な力なのか。
少女はゆっくりと、理解したようでそうでもないというふうに、あいまいに頷いた。「あの人」は、お嬢さんにもそのうち分かる日が来るよ、と笑ってみせた。
「魔法というのは、天使が天空からもたらしたとされる人間への授け物だ。けれど、人間は魔法というものを知識で知っていても、実際に使うことは不可能だった。それを可能にしてくれたのが、君が今知りたがっている、精霊なんだよ」
少女はその言葉を聞くと、むむむ、と唸りながら眉をきゅっとして難しい顔をする。
「……なんだか、ずっと難しい話されて頭がぐるぐるしてきた」
ぽふんと、頭から湯気が出てきそうである。
「はっはっは、そうか。うん、10歳の君に難しい言葉を使いすぎたかもしれないね。久々にこの話をしたものだから、私もつい熱がこもってしまった。いや、すまない。……まあ、結論を言うと、君が普段の生活で魔法を使えるのは精霊のおかげだということだね」
「御精霊様のおかげ……」
少女はそう言うと、空に浮かぶ星々を再び見上げた。先ほどまで美しく照り映えていた星たちはみな、うっすらと消えかかっていた。そして気が付けば、空の右側がうっすらとオレンジ色に染まり始めていた。夜明けが近いのだ。
「なら、御精霊様に牛乳を混ぜて焼いたクッキーを焼こうかな。ありがとうって、言わなくちゃ」
「それは良い考えだね。きっと、御精霊様も喜んでくれるさ─────」
「あの人」の声が少女の耳から遠ざかっていく。いや、どんどんその声が小さくなっていってるのだ。ああ、お話の時間も、もうおしまいなのだ。少女は名残惜しそうに、「あの人」のほうに向きなおった。
「じゃあ、そろそろ今夜のお話はこれでおしまいだね。最後に何か、あるかい?」
聴覚を研ぎ澄ませないと聞こえないような、それでいてもなお優しさに満ち溢れている声が、少女に語り掛けた。
少女は、数秒考えた。そして、氷のように冷たい空気を吸い込んでから、口を開く。
「勇者様って、どんな魔法を使ったの?」
その問いに、「あの人」は少しばかり驚いたようだったが、思い出を懐かしむような声で、すぐに少女の問いに答えた。
──みんなを、笑顔にするような優しい魔法さ。
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