パートタイムマイセルフ

唇音ヒビキ

君があまりにも綺麗に笑うから

 十一月十八日、カーディガンの網目から冷気が忍び入り僕らの肌をいじめ始める頃、僕はカノジョに告白をした。

 その日の雲一つない空は、沈み始めた太陽をオレンジ色に輝かせながら色気も洒落気もない公園デートをする僕たちを見つめていた。僕の家から車で五分の場所にある川辺の無人公園を歩くカノジョは僕よりも三歩先を進んでいて、オレンジの光に当てられたウルフカットのカノジョはとても美しかった。

 川を優雅に泳ぐガチョウすら美しく見え、普段は茶色と緑を混ぜたようなドブ色の川面もカノジョと一緒にいると金色に眩く光って見えた。

 二日前に降った雨達はアスファルトの上に溜まり、不意にカノジョと目が合い咄嗟にうつむいた無様な僕の姿を鏡のように映しだした。家の鏡で見た時とは少し違う醜い顔をした人の子の顔だ。思わず水面に映る自分の顔を踏みつぶしたくなったが初冬の寒さの中、濡れるという自殺行為は犯したくなかったので文字通り踏みとどまった。

 恥ずかしさから顔をそらしたことを感づかれない様に僕は忍ぶように顔を上げカノジョの方を見た。

 幸か不幸かカノジョは僕の事を視界に入れることはなく、静かに立ち止まり、向こう岸に沈んでいる夕日を眺めながら歩みを止めた僕を待っていた。

 少し薄暗くなり始めた夕日に照らされているカノジョの左耳のピアスと髪、高い鼻、風に靡くサラサラの髪の間から見える唇、そのどれもが美しく僕は絵画を見ているかのような気分だった。 

 美しい光景を絵画で表現する画家の様に、もしくは一枚の写真で物語を語る写真家の様な気分で僕は写真を撮った。

 僕が着ていたカーディガンの右ポケットに僕の右手と共に突っ込まれていたスマホは写真を撮ろうと両の手で構えた時、左手に温もりを感じさせた。未だ夕日を眺めているカノジョに対しスマホのカメラを向け、画面中央下にあるボタンを押し、カノジョに気付かれないよう強く祈りながら写真を撮った。

 僕の手のひらより少し大きい赤いスマホに映されたカノジョの写真は顔こそ映ってはないが、まるでモネの”日傘を刺す女”の様に鮮やかに見え、そしてどこか寂しさを感じさせる。

 「先週までは暑いくらいやったのに、急に寒くなりすぎ。」スマホの中のカノジョに見惚れていた僕にカノジョは静かに話しかけてくれた。

「確かに、ジャケット持ってくればよかったね。」僕は気の利いたことが思い浮かばず、味のない返事を返してしまった。

 「寒いから車もどろっか」少し息を吐き白い煙を生みながらそう言ったカノジョに僕の首は縦に動いた。カノジョの提案に従い、車が止まっている駐車場へと戻る。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 鍵を開け入り込んだ車内は心成し外よりも寒く、公園に来るまでに使っていた暖房から生み出された暖気達の面影は消え失せており時間の経過を感じた。

 寒くて会話どころではないので車の運転席に入り込み、鍵を差し込みエンジンをかける。ダッシュボードの中央下に設置してある暖房のつまみを右に回し、四の字に矢印を合わせる。風量を最大にしたことによりエアコンの内側からはブォーという音を鳴らしている。出来ることならば座りたくない程冷たくなったシートに腰を下ろしエンジンと車内が温まるのを待つ。

 ほっと一息を着きカノジョから目をそらすように左側にある窓ガラスの向こう側の景色を眺める。気付けば空は眩しい夕日のオレンジを捨て、薄く暗い青色に染まっており、思えば社内も薄暗い青に染められていた。

 古い四輪駆動の日本車のエンジン音は少し小さく車内に響く。その微弱な振動が僕とカノジョの間にある気まずい空気を察し、行動を起こすように僕に諭してるように感じた。

 「冷えるね、去年の今頃は暖かかったのに。」僕は言った。僕が気付いていないような早口で。暗いねの一言だけだとつまらない男だと思われそうだったから、少しの味付けを加えたかった。

 「みんな毎年”今年は去年より寒い”とか”熱い”とか言ってるけど、ほとんどはその人の勘違いで実際は毎年同じような日々が繰り返されてるよね。」彼女はつまらない男から出されたつまらない話題を否定にするように言った。

 カノジョはいつもこうだ。とても冷たくて現実的に考えられる人だ。僕がメッセージを送ろうものなら無視は当たり前、たまに返される言葉はとても他の人には言えないような罵詈雑言の時だってあった。

 しかし言葉と性格の冷たさとは相反してとても優しい人だ。大学に入って友達作りも課題もうまくいっていなかった自分に話しかけて助けてくれた数少ない生徒のうちの一人だ。

 「人間ってどうしても”今生きてる瞬間が一番”って思ってしまう生き物なんだろうね。」 軽く僕の話題を往なしたカノジョは続けて話す。

 「寒い、熱い、幸せも辛さも。恋心でさえも。全て今が一番だと勘違いしてしまう。愚直な生き物なんでしょう、人間って。」カノジョは淡々と述べる。

 僕はカノジョの話をただ聞いていた。窓の奥に見える夕日の消えた真っ黒な川を見ながら。それは気まずさからか、はたまた図星を指されたことからの恥ずかしさから逃げるためか。

「過去の出来事は記憶として覚えられるけど、その時感じた感情は忘れてしまうんだ。失礼な話だよね。昔の私達だって今の私達と同じ様に幸せを感じて、時に絶望していたのに。」

 カノジョの語ることはいつも僕の興味を引いた。それが嘘か真かは僕には分からないし正直どうだっていい。でもカノジョの語る”人間”は何処か愛おしく感じてしまう。

 でも。

 「僕は先輩と話してるこの時間が一番幸せです。」僕は自分の胸のざわめきを愚直に翻訳して伝えた。

 「そう、じゃあ聞くけど君の初恋はいつ?」カノジョは動揺の欠片すら見せず僕に返した。

 「小学校二年生の時、同じクラスだった女の子です。」僕も不思議と勇気が湧いて臆せずに返した。

 「付き合った?」

 「小学校卒業までは。中学からは別の学校に。」

 「それからは?何人と?」

 「それからは二人です。高校で二人。」

 カノジョの簡素で意図の分からない質問に答え続けた。

 「その子たちと付き合ってるときは幸せだった?」

 「楽しくて充実したものでした。」

 僕は自分の発した言葉の表現に少し違和感を覚えた。

 「幸せとは言わないんだ。」カノジョは静かに言った。

 「どうでしょう。」僕ははぐらかす様に答える。

 少なくとも今のカノジョとの日々は少なくとも僕にとって今までで一番幸せであると言える。でもそう、カノジョの言うように今まで僕がどのように人を愛してきたかなんて覚えてなんかいないのだ。

 「先輩の方はどうなんですか。先輩綺麗だから僕より経験あるでしょう。」意中の人に向けて初めて発した”綺麗”という言葉に少し自分でドキッとしてしまった。

 するとカノジョはいつもよりか細い声で言った。

 「私は今までお付き合いしてきた人がいないので分からない。」意外な返事だった。

 「家族は好き。家族と過ごす時間は幸せと思うけど、赤の他人を愛して幸せなんて思うことなんて今まで無かった。」カノジョの発する言葉は悪意のないモノだった。しかし、僕の心の一部は自己中心的にその言葉は自分の好意を否定しているのだと受け入れてしまった

 「今まで異性と同姓、多くの人から好意を寄せられた。でも私は別にその人たちのこと好きじゃなかったし、幸せになれる未来が見えなかったから全部断ったの。」カノジョが発する無慈悲な言葉は僕に好意を諦める様諭しているかのようだった。

 「でも最近、何か少し変わった気がする。」一足先に絶望し窓の外を見ながら泣きそうになってる僕を気にせずカノジョは言った。

 「何が変わったんですか。」少しの沈黙を置き僕は問う。泣きそうになっているので声が震えそうになったが必死に堪えた。

 「私も君といる時が楽しく思えるようになってきた。」その声は僕と同じで少し震えていた。

 「君と居ると車の中の静かさでさえ心地いい。」

 「もしお金的に、社会的に許されるのならずっとこの空間に居たいと思うくらい。」カノジョは続けて言う。

 僕はカノジョから発せられる言葉たちに疑いをかけてしまう。なんて情けない話だろうか。カノジョは冗談でこんな事を言うような人ではないと心から解り切っているのに、もし違ったらと恐れている自分に支配されそうだ。

 「先輩、僕とお付き合いしてくれませんか?」僕はカノジョの方を振り返り何処か遠くを見つめているカノジョの眼を見て言った。

 しかし血迷った。寄りにもよって相手が好意を示してくれているタイミングで告白なんて卑怯にもほどがある。

 相手から好意を示された後に告白をするなんて、まるで愛に飢えている男の様でとても恥ずかしいと思っていた。でも、僕が自分自身をその恥ずかしい男の姿と重ねる直前に僕の頭はすでに最愛の人を手に入れるために動いていた。

 想いが溢れただしたとかそんなオブラートに包んだ言い方はしたくない。今僕はこの絶好のチャンスを逃したくなかったのだ。ただ目の前にいる最高の女性を手に入れたい、それだけだった。

 カノジョの眼は少し泳いでるように見えた。そして数秒の沈黙を置いた後、口を開いた。

 「私、あまり人との関わり方が分からない。恋人らしいスキンシップはもちろん、毎日の連絡とか、手を繋ぐとかも苦手なの。」カノジョは気を遣っているのか少し言い淀むように言った。

 「問題ないです。先輩に触れたくない訳はないですけど、先輩のストレスになりたくないですから。それに元々先輩のそう言う所は知ってますし。」僕は意中の人と交際できる絶好のチャンスを逃さぬよう畳みかけるように答えた。付き合うために適当に返事をしているわけではない、すべて本心だ。

 カノジョは少し考えているように見える。優しく振ろうとしたが僕に伝わっていなくて困っているのか、それとも心地いいとは言ったが付き合う程でも無かったのだろうか。

 考えれば考えるほど泣きそうになる程の可能性達が頭を埋め尽くす。頼む神様、もし死ぬのであればカノジョに拒まれた瞬間で。僕が悲しみを感じる前に殺してください。

 「そう言う事なら。不束者ですがお願いします。」カノジョは突然言った。

 「退屈よりはマシだって思わせないでね。」カノジョは言う。

 「少なくとも死ぬよりかはマシですよ。」僕は言う。


 十一月十八日 冬場の川辺の寒さから絶たれた車内で僕らは付き合った。運転席と助手席、離れている二人の距離が将来縮まればいいなと願って僕は車を走らせた。

 





 

 

 

 

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