EP30 最後のエゴシエータ―
藤森陽真里(ふじもりひまり)は、荒事とは程遠い日常を過ごしてきて少女だ。行きすぎた夕星を叱るために平手を打つことはあれど、殴り合いの喧嘩なんて一度も経験したことがない。
だから〈コンストラクト〉の迎撃も、軌道の読み易い単調なもの成り果てていた。エゴシエーター能力の乱用で満身創痍になった〈エクステンド〉にさえ躱せると言えば、そのお粗末さが伝わるのではないだろうか?
ただ、彼女の本能は理解していた。────敢えて単調な攻撃を繰り出せば、標的に心理的余裕が生まれ、本命の攻撃への意識を削ぐことが出来る、と。
それは皮肉にも、夕星(ゆうせい)が荒事でよく使うフェイントのノウハウに通じていた。
中学の頃。陽真里は一度、荒れていた頃の夕星が殴り合いに興じる場面を見たことがあったのだ。
敢えて雑な攻撃を繰り出し、それに乗ってきた相手にカウンターを合わせるその立ち回りを。
◇◇◇
〈エクステンド〉の指先が、核心(コア)に届くと同時に夕星は、ある違和感を覚える。────どうして、コイツは最重要なコアを露出させているのか?
ゲームの分かりやすいボスキャラじゃないんだ。それこそ、陽真里のエゴシエーター能力があればコアを庇護するような外骨格を創造するのも容易な筈。
迎撃のために伸ばされた触腕だってそうだ。〈コンストラクト〉の体表から伸ばされたそれは今も展開されたまま、寧ろ夕星の退路を潰す障害物として残り続けている。
「フェイトかッ!!」
悪寒に、全身が総毛立つ。
気づいた夕星は、すぐに機体を退かせようと推進機を逆噴射した。コアに届きかけた指先を引いて、一刻も早く彼女の罠から逃れようと思案する。
だが、それでは遅いのだ。
コアの中心。そこから新たに創られた一本の触腕が〈エクステンド〉の胸部を貫いた。
さらに一本。さらにもう一本。と、次々にアウトプットされる触腕は鋼の巨人を串刺しにした。ガードしようとも鋭利な鋒が装甲を穿っていく。まるで豪雨のような連撃だ。
最後に造形された一本が〈エクステンド〉を貫くとき、そこに人型のシルエットは残らなかった。両手脚は連撃の勢いに耐え切れず、千切れた断面からはドス黒い機械油をダラダラと流し続けている。
そして、串刺しになったのは夕星を収める頭部コックピットも例外ではない。
伸び切った触腕の先から滴る、紅い液体は明らかに機械油の色と違っていた。
『大丈夫か、夕星ッ! 俺の声が聞こえてるよなッ!』
必死な十悟の呼び掛けにも、返答はない。ノイズ混じりの沈黙が続くだけだ。
そのまま〈コンストラクト〉は、残骸となった〈エクステンド〉を抱き締め始めた。まるで愛しい人を、その両翅で包むように。
◇◇◇
「夕星、なに黙ってんだよ……らしくねーぞッッ!!」
管制室のモニターに表示されたのは、スクラップ同然と化した〈エクステンド〉が、元の砂塵に戻ってゆく光景だ。
十悟が〈エクステンド〉の敗れる姿を見るのは、これが初めてじゃない。ただ、今回は以前と決定的に違う差異が二点あった。
一つは〈エクステンド〉を駆るのが、自身にとって欠け甲斐のない親友であったこと。
そして、もう一つは崩れていく砂塵が〈コンストラクト〉のコアへと吸いこまれていくことだ。
あらゆる生物が混ざり合った姿をした怪獣の体表に、今度は機械的な特徴が現れる。生物的な外骨格の上には、さらに強固な金属質の装甲が覆い被され、各部から新たに創造されるのは無数の銃火器達だった。
さらにその体躯は巨大化し、果ては頭頂部が雲を突くほどであった。
「まさか……陽真里ちゃんが、夕星の〈エクステンド〉を吸収してるのかよ……」
そこでブツリと映像が途切れてしまった。詳細を確認する為に近づけたドローンが、触腕の一本に容易く叩き落とされてしまったのだ。
「なっ……」
管制室は沈黙に覆われてしまう。
〈エクステンド〉と「魔女」。神室(かむろ)夕星と竜胆麗華(りんどうれいか)の喪失は、明らかなARAs側の敗北を意味していた。作戦は失敗したのだ。
だが、管制室に立ち会ったARAsの人間がそれを口にすることはなかった。例え絶望の渦中にあろうと、思考を放棄することが出来ないのだ。
きっと何かがある。何か、この状況を打開しうる可能性が残されている、と皆が必死に答えを探す。
無論それは、十悟も例外でなかった。頭の中で何度だって「考えろ」と言い聞かせる。ここで自分が思考を放棄すれば、親友が助かる可能性さえも潰えてしまうのだから。
「────ふふっ……ふふふっ……あっはははは!!」
不意に笑い声が聞こえた。初めのうちは堪えるような、けれど、それが次第に大きくなっていく。
当然、誰の視線も声の主へと集約されるだろう。遂には額に手を当てて、笑いを堪え切れなくなった未那月(みなつき)の方へと。
「なんで、笑って……」
「ねぇ、鳥居(とりい)くん。それに皆もさ、『スターレター・プロジェクト』って何だと思う?」
それは少年、少女の願い事が書かれたメッセージカードを打ち上げるだけのチープなプロジェクトにして、全てのエゴシエーターが生まれたきっかけだ。
「これはあくまでも私の仮説で、根拠なんて微塵もないんだけどさ。宇宙には私たちじゃ想像もつかない上位者、ざっくり言うのなら〝神様〟みたいな存在がいると思うんだ」
その神様に打ち上げた願いが届いたからこそ、エゴシエーターという現実改変能力者が生まれたと言いたいのか。
「けどさ、仮に神様だとしても。世界や認識を歪曲させて、私達の日常を剥奪しようとするのなら────ソイツも私と同じロクデなしのバケモノで、紛れもない悪役だよね?」
「ッッ……アンタ、状況わかってないんすかッ! 突然、そんなタラレバの話を切り出されてたって!」
十悟が怒りを露わにした。それでも彼女は嬉々として続ける。
「そうだね、これはあくまでもタラレバの話だ。だけど、重要なのはここからさ」
ゆっくりと彼女が額から手を離せば、覆い隠されていた瞳も露わとなる。
見開かれた未那月の瞳。────それは歯車状に変容し、グルグルと旋回を始めていた。
「なッ……マジかよッ……⁉」
「マジだよ。見ての通りフェイズⅢのエゴシエーター・未那月美紀(みき)覚醒の瞬間さ」
十悟は言葉を失った。十悟だけじゃないこの場に立ち会った誰もが絶句してしまう。
ARAsの保有する「スターレター・プロジェクト」の参加者リストを始めとしたどの資料にも「未那月がエゴシエータ―である」とは記述されていないのだから。
「ごめんね、皆。資料は一度、私が全部改竄しておいたんだ。私のエゴシエーター能力は鉾なの皆とはちょっと規模が違うから秘密にしてたんだ。組織の最重要機密と言うべきな?」
それでも、彼女の語る内容は、困惑した十悟たちの説明にはなっていない。
「どういうことなんです⁉ 俺たちにも分かるように説明して下さい⁉」
「私も神室くん達と同様に願いが〝結果〟として叶えてしまう。ただ、私の能力の場合は願いが叶えるまでの〝過程〟に問題を生じさせてしまうんだ」
「必要な人物に干渉し、物事の因果を私の願いが叶うように先導する」────それが自身のエゴシエーター能力が踏まなくてはならない過程であると未那月は語る。
「早い話、私の願いが叶うのに必要なフラグやイベントを乱立させちゃうんだ」
未那月は今日までフェイズⅡの半覚醒状態のエゴシエーターだった。
「十年前の私はただの女子高生だった。そんな私がどうして、二、三年修行した程度で未那月刀剣術なんて神業を編み出せたと思う?」
彼女は自身の身の回りで起こり始めた以上に疑問を持ち、やがて少しずつ己に目覚めつつある力を理解していった。
「私はお金持ちなわけでも、特別なコネを持っているわけでもない。そんな私がどうして、こんなに凄い秘密結社を組織できたと思う?」
彼女のエゴシエーター能力が、他のエゴシエーター能力と決定的に異なる点は他者へ及ぼす影響だ。夕星にしろ、麗華にしろ、彼らの及ぼす現実改変が直接的に誰かの運命を捻じ曲げることはない。それはフェイズEX(エクストラ)に到達した陽真里でさえもだ。
だが、未那月は違う。
彼女は自分の願いを叶える為に他者の歩む筈だった運命を歪曲してしまうのだ。そして、その影響規模は彼女の願いが大きければ、大きいほど甚大なものと化す。
「勿論、私だってエゴシエーターだから能力にも当然制約はあるよ。フラグを立てることは出来ても、それを回収できるかは当人次第。詰まるところ、私は私自身や他者に何かが変わるかもしれないキッカケを、ひいては日常を変革させてしまう因子を無差別に振り撒いているバケモノなのさ」
彼女の力は夕星達と同列には語れない異質さを秘めていた。
それはまさしく彼女が「神様」と呼ぶ存在、エゴシエーターの因子を与えた上位者とも同等の現実改変能力だ。
「けど、ちょっと待ってくださいよ……それじゃあセンセは、」
ここまでの彼女の独白を聞いて、十悟は必然的にある疑問へとたどり着いく。
どうして、このタイミングで彼女のエゴシエーター能力がフェイズⅢに達したのか?
それは、今まさに彼女が一つ一つ回収してきたフラグが結末を招こうとしているからだ。だから彼女はいつだって不適に笑い、時には歪んでいく日常を楽しんですらいたのだろう。
────では、彼女は一体何を望んでいるのか?
「貴方がそこまで叶えたい願いってのは何なんです?」
「ふふっ、そんなのシンプルだよ」
歯車状の瞳を見れば、これから語る言葉に一切の嘘がないことを感じられた。
「私はただ、立ち会ってみたかったんだ。────どんな逆境にも屈しない『正義の味方』が誕生する瞬間ってやつにね」
彼女がスターレタープロジェクトに参加してから今日までずっと胸の内に秘めたのは、水晶のように透き通った純真で幼稚な願い。
それが今、この瞬間にも叶おうとしている。
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