EP22 届かない願い

 夕星(ゆうせい)は止血シールで塞いだ傷口を抑えるのに夢中になっていた。すぐ側で未那月(みなつき)と麗華(れいか)の激闘が繰り広げられていようと、そちらに注意を裂いている余裕はない。


 ただ、そんな最中に一つの疑問を抱いてしまった。


 ────果たして、陽真里(ひまり)は本当にエゴシエーターじゃなかったのか?


 ポケットの中には未だ、彼女が書いたメッセージガードが収まっている。


 だが、彼女がどうしようもない程に真面目だったのは小学生の頃も変わらない。欠席遅刻一切なし。宿題すらもサボったことが無い彼女が本当に、カードを提出し損ねたなんてことがあるのだろうか?


「止めろ……変なこと考えてんじゃねぇよ」


 頭の中で淡々と組み上がっていく仮説が、最悪な答えを出してしまいそうな予感を薄々感じていた。それでも一度始まってしまった思考は、ブレーキが壊れたトロッコのように止まることを知らない。


 もしも、彼女が教員から二枚目のメッセージカードを貰っていたとしたらどうなるか?


 一枚目のメッセージカードは思い出として大切にしまい込み、二枚目のメッセージカードに願いごとを書けば、彼女は課題を提出したことになる。それは即ち彼女がスターレター・プロジェクトに参加したことに、ひいてはエゴシエーターの因子を獲得したことを意味していた。


 幼馴染が二枚目のメッセージカードに何を願ったかは分からない。だが、夕星の中にあったこれまでの確信と安堵が音を立てて崩れていく。


「いいや、そんなわけがねぇ……ねぇよな、ヒバチ?」


 その問に答えるかのように、彼女の瞼が開かれた。喜ぼうとしたのも束の間だ。旋回する瞳が優勢の歓喜を台無しにしてしまう。


「────歯車状のッ⁉」


 彼女を中心に周囲が砂塵と化していく。それは足元から広がって、夕星の制服の裾までが決め込めやかな砂へと分解された。


 反射的に飛び退こうとした夕星に向けて伸ばされるのは、彼女の両腕だ。それは営利な爪を立て、喉を締め上げた。


 彼女はとてもまともな状態にあるとは思えない。


「かぁっっ……⁉ 止めっ……」


 夕星は喘ぐように言葉を紡ぐも、上手く息が吸い込めなかった。肺が酸素を求める一方で、意識だけが遠のいていく。


「チッ! 不味いことになってきたみたいだねッ!」


 銀線が迸ると同時に、陽真里の両腕から力が抜けた。割り込んだ未那月の斬撃が容赦なく彼女の両腕を切り落としたのだ。


 未那月の意識は麗華からも逸れていない。この機に乗じて不意打ちを試みた彼女の胸元へも刃を突き立てる。


「おっと、竜胆(りんどう)ちゃん。この事態は君が招いたものでもあるんだ。下手に動かないで欲しいんだけどな」


 夕星の意識は、切り落とされた陽真里の腕に釘付けになる。


「ヒバチッ! お前ッ……!」


 彼女の断面から血液が滴ることはなかった。周囲の砂塵が集約され、そこを補おうと形を創っていく。


 だが、それは人の腕とはかけ離れたもの造形だ。爪の先は寒気を覚えるほどに研ぎ澄まされ、全体が幾重にも爬虫類のような鱗で覆われてゆく。


「怪獣の腕……と、言ったところかな?」


「あり得ない! あの少女の心臓は確実に私が止めた筈だッ! なのに何故、彼女のエゴシエーター能力が起動しているッ!」


 麗華の驚嘆を嘲るように、彼女の瞳は旋回を続ける。ぐるぐると回り出した歯車は、もう止まることを知らなかった。


「神室くん。これから私が語るのは、一つの憶測に過ぎない。……ただ君にとっては胸を裂くようなものになるだろう」


「……え?」


 今の陽真里の状態は、一つの特異点のようなものだ。


「まず前提として、藤森委員長は何らかの危うい願いを胸の内に秘めていた。今もその願いを抱いているかどうかは関係ない。願いが叶うまでの過程状態にある以上、結果を出すまで発動し続けるのがエゴシエーター能力だからね」


 思い出されるのは、陽真里の独白だ。


「世界がぶっ壊れちゃえばいいのに」と願った彼女の胸の内が不明でも、その願いをフェイズⅡの無自覚状態で叶えようとしていたならば────


「待て、それではおかしいだろ……あの少女がこれまでも怪獣を創り続けたエゴシエーターだったなら、今回も世界を壊すための怪獣が生まれる筈だ。彼女自身が創り変わるのは明らかな能力の範疇だろ」


「だから、特異点なんだよ」


 麗華の疑念に、未那月は返す。だが、その口調には何処か彼女らしからぬものがあった。


 先程まで嬉々としていた彼女が、今は続きを語ることを躊躇うように言葉を濁すのだ。


「どうした? 何故途中で止める!」


「神室くん。……ここからは君のエゴシエーター能力が関わってくる」


「どういうこと……なんです?」


「ARAsを離反した後の竜胆ちゃんが使える魔法が増したように、エゴシエーターの能力は時と場合に応じて成長したり、影響範囲や発動の制約が緩んでしまったりすることがあるんだ」


 それは感情の激しい起伏にこそ起因した。


「まさか……」


 陽真里の死に直面し、感情が激しく揺らぐ中、夕星は願ってしまった。


 能力のタガが外れてしまった状態で、「藤森陽真里を生かしたい」と。────心の底から、そう願ってしまったのだ。


「神室くんの場合は後者だ。おそらく〈エクステンド〉を中心に半径一〇メートルでしか作用しなかった制限が失われてしまったんだろうね」


「それで〈エクステンド〉のエゴシエーターが瀕死の彼女を蘇生しようとすれば、彼女をあの程度の傷では死なない存在に創り変えるしかなくなる。……そして、彼女の危険な願いはまだ叶っていない状態にあった」


 二人の願いが混ざり合った結果起こってしまったエラー。それはまさに今「藤森陽真里を生かすため、彼女のことを世界を破壊してしまう存在」へと創り変えようとしていた。


「あれはもうフェイズⅢどころの話じゃないね。────仮称するのならフェイズEX(エクストラ)のエゴシエーターだ」


 夕星の思考は二人のやり取りに追いつけるほど、柔軟でなかった。


 それでも、陽真里が創り変わっていく原因が自分にあるということだけは理解できる。


「だったらッ!!」


 夕星は手を伸ばそうとした。だが、その手も未那月によって弾かれた。


「止めるんだ、今の状態の藤森委員長に近づくのは危険すぎる。下手をすれば君まで分解されてしまうぞ!」


「けど、俺の能力の暴走だって言うなら、俺がアイツを止めなくちゃ!」


「なら、聞くが。何か具体的なプランはあるのかい?」



「それは……」


 何もない。目の前では、誰よりも護りたかったはずの幼馴染が歪に歪んでいくというのに、今の自分にはどうすることもできなかった。


「プランがないのは私も同じさ。一時退却して、対策を練り直す必要がありそうだが……竜胆ちゃん。三年前の君ならいざ知らず、今の君ならば私たち三人を分解することも出来るんじゃないか?」


 麗華のワープ能力は、自身を異なる存在へ創り変える際に、再構築する座標を変動させられるという副次的作用から発動するものだ。


「魔女」のエゴシエーター能力では、他者を異なる存在に創り変えることはできない。ただ、他者を分解しワープさせることだけならば可能かもしれなかった。


「……もし可能だと言ったら」


「私たちを基地に飛ばしてよ。もちろん、嫌と言わせないけど」

 

 だが、それは麗華に無理を強いる行為でもある。満身創痍の彼女がそんなことをすれば、確実にワープ先で力を使い果たしてしまうだろう。


「そんなのどうぞ拘束してくださいと言っているようなものだ。だいたい、誰が貴様の命令なんてッ!」


「もう一回言おうか? 嫌とは言わせないって」


 未那月は突きつけた剣先を彼女の胸へと食い込ませた。


 陽真里を中心に進む、周囲の砂塵化は止まることを知らない。外壁やミサイルの残骸はとうの昔に分解され、未那月の長髪の端もじわじわと砂に代わっていた。


「言っとくけど、竜胆ちゃんがワープで逃げるよりも早く、私は君の首を落とせる。それとも、どうする? ここで私たち三人仲良く砂に分解されちゃうかい?」


「……このバケモノめッ! 貴様だけは絶対に殺してやるからなッ!!」


 麗華は歯を食いしばりながらも、未那月たちの身体を粒子化させてゆく。


 だが、夕星はそれでも納得することができなかった。


「だったらアイツも……ヒバチも一緒に頼む!」


「貴様も馬鹿なのか、〈エクステンド〉のエゴシエーター! あんなものをワープさせてどうしようと言うんだ!」


 陽真里の身体は砂塵に呑まれ、消えてゆく。そして、新たに生まれ落ちようとする彼女の姿に夕星は絶句してしまった。


 急激な現実固定(メルマー)値の変動とともに、その全長は五〇メートルを軽々と越え、辺りの建築物を次々と押しつぶしていく。だが、そこに攻撃性は介在しない。


 まるで揺籠に包まれたように繭を形成していくソレの姿を形容するのは簡単だ────いつか翅を羽ばたかせ、世界を壊そうとする「蛹の怪獣」。


「ヒバッッ────!!」


 夕星は幼馴染に向かって何かを叫ぼうとした。だが、既に口は粒子へと分解されて、その続きを紡ぐことさえも叶わない。


 エゴシエーターはただ願うだけで、現実を歪め、己が願いを叶えてしまう。


 その力で夕星は〈エクステンド〉という、理想の存在を世界に生み出した。


 そして、遥か格上の戦闘センスを秘めた「魔女」にさえも一矢報いてみせた。


 エゴシエーターにはそれだけの力があるのだ。


 ────だと言うのに、夕星の「たった一人の幼馴染を救いたい」という願いだけが届かない。


 悔しさと絶望に押し潰されながら、神室夕星はまた光の中に溶けてゆく。

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