暗記の仕方への疑問

kazanagi byo

暗記

※これはただの個人の意見・感想です。





皆さんは物事を暗記するとき何を意識するだろう?

私ならば問題集などを繰り返して暗記した。

ただ、少し意味の分からない暗記の方法がある。

それはの暗記の仕方である。

歴史の年号とか、人物とかはもちろん何度も書いたり読んだりして暗記する。それならば、しっかりと覚えられたら実感が湧くし、新しいことができる喜びもあるからできた。

実験だってそうだ。一度実験して結果を見てから何が起こったのか確認する。実験の中身を知ることができる。そこで新たな学びが生まれ、好奇心が湧く。楽しみながらできる実験は比較的覚えやすかった。

では、漢字の覚え方はどうだっただろう。

よく、教師は

「ノートにたくさん漢字練習してきてください。」

とか、

「たくさん書いて偉いね。たくさん書いたからもう覚えられたね」

とかたくさん言って来ていた。もちろんたくさん書けば誰でも覚えられる。全員が全員完璧に覚えられるわけではないが、たくさん書いて一つも覚えられないことはないだろう。ただ、凄く時間がもったいない気がする。人間として、一つの文字を覚えるためにたくさんその字を書いたら覚えられる。ところが、すべての漢字にそんな時間を費やしている暇はない。なのに教師は

「同じ行にかけるだけ漢字を書いて出してください」

だとか

「書いたら書いた分だけ覚える」

とか言っていた。そんな一つの文字のために何度も書く必要はあるだろうか。それがすごくもったいない気がしているのだ。描くことは否定していない。そこまで書く必要はないと思ったのだ。それは私が単に文字を書くのが嫌いだからかもしれない。でも、計算式をたくさん書くのは楽しんでできる。やり切った感が深く刻まれるからかもしれない。

自分の中で漢字は『達成感』というものが少ないのかもしれない。

「そんなの覚えたことに達成感を感じればいいじゃん!」

という人がいるかもしれない。残念ながら難しいと思っている。

日常の中でよく使う漢字は自然と覚えられる。なんか英才教育とかしてるテレビの特集とか見ると壁に元素周期表とか貼ったりして覚えているのを見たことがある。それと同じで漢字は見ていれば覚えられる。

 達成感を求める漢字の練習法として、一つ思いついたものがある。一回ずつ書いて読んでその後にすぐテストを始めるというものだ。それならば解けた問題に自信が付き、問題を解けたことに達成感が得られると思う。それなら同じことじゃないかという人もいるだろう。それは違う。

ただただ漢字を書いているだけの練習で暗記すると残念ながらそれは書くための『作業』となってしまう。問題形式だと解かなければいけないという使命感が生まれ、それは『勉強』となる。

 冒頭にも書きましたが、これは一個人としての感想なので、皆さんの意見や、反対することについてもぜひ教えてください。よろしくお願いします。ただ勘違いはしないでください、私は達成感を求めるために勉強するということが真意ではないと思っています。新たな学びを求めるために人は学ぶと思っています。

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