第5話  松前城陥落

松平太郎  「土方さん、ちょっと早いが兵を集合しましょう。」


     集合の鐘が乱打された。向かって左から守衛新選組、彰義隊、衝鋒隊、陸 

     軍隊、額兵隊、諸隊が整列し終わった。


大鳥圭介 「諸君、ご苦労だが松前、江差制圧よろしく頼みます。吉報を待っていま 

     す。土方君、よろしく頼みます。」

島田魁  「全隊、出発。」


     守衛新選組が先頭で歩き出した。横六尺、縦八尺の新選組隊旗が風にな

     びいた。諸隊も同様にそれぞれの隊旗を風になびかせた。

     留守隊士達が「頼んだぞぅ。」や「頑張って来いよ。」などと大声をあげ

     て見送った。


     守衛新選組の後に馬上姿の土方、カブヌーブ、ブッフィエも乗馬してい

     る。 

     各隊長も乗馬姿だ。実に壮観な軍隊ではないか。

     土方はこの姿を近藤勇、沖田総司に見せたいと思った。

     この日は有川で宿営した。土方と守衛新選組隊士は種田徳左衛門宅に泊 

     まった。


島田魁  「先生、今日の五稜郭からの行軍を、新選組の連中に見てもらいたかっ

     たです。」


     島田魁は目に涙をためて話し出した。


島田魁  「近藤先生、沖田君、源さん、長倉君、原田君、斎藤さん、山崎君、皆  

     に見てもらいたかった。     

      特大の隊旗創らせておいて良かったです。皆颯爽と胸張って歩いていま 

     した。市村、渡辺、生涯忘れちゃいけねえよ。」

蟻通完吾 「私は壬生浪と言われていた時分からいますが島田さんのおっしゃる通 

     り今日感動しました。」

角谷糺  「蟻通さん、この日を迎えることが出来て新選組冥利ですね。」

土方歳三 「皆、俺も皆とおんなじこと考えていたよ。知内辺りまでは今日の調子で

     気張って行こうや。

     こんなきれいな行進は最後になるからな。」


     土方は新撰組隊士と 仙台辺りから昔話しをしなくなっていたが、今日は 

     さすがに興奮したんだろうな。

     土方はそう思った。

     夜、遅くまで話に花が咲た。


十月二十九日 

十二月十二日

    茂辺地村に宿陣。山崎・前浜、薬 師山等数か所に砲台や壕を築くよう

    支持を出す。

   

十月三十日  

十二月十三日

    木古内村宿陣。


十一月一日  

十二月十四日

    この日、榎本武揚は鷲ノ木村から 箱館湾に入港し、五稜郭に入った。

    箱館湾に停泊した開陽等から二十一発の祝砲がとどろいた。

    木古内村を越えハギチャリ野村(現知内町湯の里)に陣を張る。

    松前藩の夜襲を受ける。土方軍は松前勢を敗走させる。

    松前藩士渋谷十郎との休戦の約束はこの時点で破棄された。


土方歳三の日記

    松前城を守備する松前藩は、城代蠣崎民部、総長松前右京、隊長鈴木織 

    太郎、尾見雄三、軍事方新田千里、三上超順等四百余りと報告を受けてい 

    る。松前郡は兵の一部を茶屋峠(字宣言~字山岳間の山道)と白神峠(字松浦

    と松前町字白神間の山道)の二つの天嶮を利用して我が軍を迎え撃つ体制を

    引いているとの報告があった。

    二十七日、松前軍は城代柿崎民部、隊長鈴久織太郎の指揮の下、福島村の

    浄土宗法界寺に本陣を置いた。松前軍の動きは、ほぼ掌握している。

    今夜の松前勢の夜襲も判っていた。新選組で情報収集を担当している者十 

    名を福島・松前方面に放っておいた。

    松前藩の武器は旧式のものが多いから敵にはならなかった。

    松前藩士渋谷十郎と行動を共にしていた櫻井怒三郎なる者が、渋谷十郎 

    の命令で福島に陣を張っていた松前藩隊長鈴木織太郎に和平交渉を告げた  

    ところ隊長鈴木は反論を乱す不届き者とし、処刑したらしい。馬鹿げてい

    る。鈴木というのが隊長なら松前城までの戦は問題なく勝てる。

    松前藩では、各神社の神主まで動員をかけているという報告もあった。  

    福島からは神明社笹井三河、白府神社富山刑部、知内雷公神社大野石見等 

    が参加したらしい。     

    神主達まで動員するとは、松前藩 も必死だな。

    午後に我軍軍艦幡龍が津軽藩旗を掲げて松前湾から松前城に向けて砲撃 

    した。松前軍は、城中と枝ケ崎(字福山)の地先の築島砲台から反撃。幡龍

    に二発命中。幡龍は箱館に帰港した。

    損害の程度は判っていないが大したことがなければいいが。


    大まかだが、萩茶理の戦いの顛末を書いておく。

    十一月一日午前八時ごろ鰯枠船三艘に分乗した松前藩の一小隊(五十名ほど)

    隊長渡辺、副隊長目谷子平太の指揮の下、矢越岬を越え小谷石村に上陸。

    此処から間道沿いに脇本村を経て知内本村で宿営。翌朝午前二時ころ知 

    内本村に夜襲をかけた。

    その際、村中に火を放った。大火となった。

    萩茶理村まで進出していた額兵隊 (隊長星恂太郎)は急遽、知内村に向かっ

    た。又、木古内村に宿していた衝鋒隊(隊長古屋佐久右衛門)も知内村に駆

    けつけた。この日、知内村に宿していたのは陸軍隊(隊長春日左衛門)だっ  

    た。一時、大混乱に陥ったが収まった。

    松前藩は、「松前藩御届書」に旧幕府軍六十余名を打ち取ったと報告してい

    るが、軍務官から余にも過大だと酷評された。実は松前藩はほとんど戦 

    果を出せていなかった。


十一月二日  

十二月十五日

    一の渡りに陣を布いていた松前藩 神代蛎埼民部は綱灰野の東端の崖地上 

    に散兵壕を設けて敵をまっていた。旧幕府軍は額兵隊が尖兵である。


星恂太郎 「物見に出た菅原隼人を呼んでくれ。」 

菅原隼人 「今、戻ったところです。隊長。」

星恂太郎 「隼人、報告してくれ。」 

菅原隼人 「敵は、御番坂の上で壕を掘って待ち伏せしています。ただ、敵の恰好で  

     すが野袴、陣羽織、鉢巻、大小をさして槍、鉄砲姿です。鉄砲は、先込め

     のゲーベル銃か火縄銃ですよ。

      人数は約三百、大砲は見えませんでした。」

星恂太郎 「判った、ゆっくり休んでくれ。あっ、それから熱海君と荒井君、影田

     君を呼んでくれないか。」

     「忙しいところすまんな。今、菅原君から報告を受けた。」

熱海卓司 「それで。」 

星恂太郎 「敵は野袴に陣羽織、鉢巻き、銃はべゲール銃か火縄銃だとよ。

     荒井君、べゲール銃の射程距離は。」

荒井左馬 「平均で三百メートルです。我々のエンフィールド銃は九百メーターです

     ね。」

影田泰蔵 「敵五百メートル手前から一斉射撃を仕掛けます。隊長、いいですか。」

星恂太郎 「大砲はあったよな。先ず大砲十発打ってその間に五百メーターまで

     一挙に進め。全軍に徹底するように。」


     額兵隊の攻撃が開始された。星恂太郎隊長の作戦が的中し、松前軍は 

     総崩れとなり、茶屋峠の久蔵砲台で陣容を立て直そうとしたが、敗走を

     余儀なくされた。

     彰義隊隊長渋沢清一郎と額兵隊が一挙に吉田橋正面から攻撃し、また

     別隊福島川河口浜中を経て攻撃した。

     湾内に回天、幡龍の二艘が砲撃を開始した。幡龍の砲弾が神明社本殿に 

     命中し被害を出している。

     この戦いにおいて、彰義隊の色男と評判だった、毛利秀吉か一番乗りの 

     手柄を立てようとして、某寺境内に侵入した時、百貫目弾(三百七十五グ

     ラムを胸のど真ん中に命中。

     即死だった。

     この戦で松前藩は、宮嶋磽之丞、 田中宇吉、高橋二太郎、桜井金七

     郎、武藤幸右衛門、寺田治助等が戦死いている。


土方歳三の日記

      昨日の松前藩の夜襲、今日の一の渡の戦い、福島の戦い等は予想通 

      りだった。特に額兵隊、彰義隊はよくやってくれた。昨日の敵の夜襲で

      食料を焼失してしまったので兵達は空きっ腹で戦ってくれた。

      彰義隊隊士毛利秀吉の戦死は残念至極。非常に陽気な美男子だった。

      明日は戦後処理と休日に充てる。 四日は松前に前進しながら途中で 

      軍議を開くことにしている。今日発たせた密偵が戻ってくるのが四日昼  

      頃、その報告を聞いて軍議だ。


十一月三日  

十二月十六日

     朝飯後、市村鉄之助と渡辺市造に命じた。


     十二月十六日明日の軍議の作戦とこの三日での被害報告を全軍に伝えさ  

     せせた。二人ともかなり緊張して出発していった。

     午後から守衛新選組を共なって白神山道方面を視察した。

     森常吉、角田糺、島田魁等が馬上で話し合っている。今日は、奴らの話に  

     入らないで聞いておくことにした。

     もっぱら、箱館市中、弁天岬砲台、箱館山の守備に関することだった。


十一月四日  

十二月十七日

     午前八時、白神山道に向け全軍出発を始めた。十二月十七日午前 

     十一時、斥候を命じていた商彰義隊頭取の大塚鶴之丞、菅沼三五郎が戻

     ってきたので全軍隊長に集合命令をかけた。

土方歳三 「諸君、よく戦ってくれた。斥候を命じていた大塚各之丞、菅沼三五郎 

     が戻ってきたので報告を聞いて松前城攻撃に関する軍議をする。大塚君、

     報告頼む。」

大塚鶴之丞「進撃路は二道あります。」

     「一、吉岡村から炭焼沢村、荒谷村を通じる道。」

     「一、吉岡村から不動滝を経て荒谷村にいたる杣道。」

     「吉岡村越えは一般には知られていないとのことでした。奇襲をかけら

     れます。」

土方歳三 「最初の吉岡村から炭焼沢村は、遊撃隊にお願いする。人見君、頼む。 

     吉岡村から不動滝は陸軍隊で頼む。春日君、頼む。」

      「守衛新選組と俺は遊撃隊と行動を共にする。」

      「明日の出撃は午前六時、両隊の集合場所を城東にある法華寺境内と 

     する。集合時間は正午だ。

     絶対遅れるな。そして境内に西に向けて砲台を構築しておくように。天 

     守まで凡そ四百メーター。」

     「戦法は、法華寺境内から四斤砲を打ちまくる。砲兵隊の腕の見せ所

      だ、頼むぞ。守衛新選組と陸兵隊は俺と一緒に城裏の北門を攻める。 

      春日君、梯子を用意してくれ。守衛新選組と陸軍隊は梯子で塀を越えて

      中に入る。

      それから遊撃隊の中から決死隊二十名選抜してくれないか、人見君。搦 

      手門の敵兵は門を開けて大砲を打ってくるだろう。打っては門を閉め、

      門を開けては大砲を打つ、それを何度か繰り返すだろう。人見君、隙 

      が出来たら決死隊を突っ込ませてくれ。君に任せる。遊撃隊は搦手門

      に猛射撃を浴びせろ。守衛新選組は塀を乗り越えたら抜刀。新選組

      の剣技をたっぷり見せてやれ。

春日左衛門 「先生、陸軍隊の半数を場外に敗走してくる敵兵に充ててもいいです

      ね。」

土方歳三  「構わねぇ。遊撃隊も遠慮しねぇで徹底的にやってくれ。但し、深追い

      は禁物だ、人見君、何かあるか。」

人見勝太郎 「大丈夫です。」

土方歳三  「準備に取り掛かってくれ。解散。」     


      そのころ、松前藩も防戦の準備をしていた。

      郡司方新田千里を中心に、進出してくる旧幕府軍に対して城下入口の及 

      部川流域に布陣をさせている。また、青森に逃れていた竹田作郎以下 

      の十切地の松前陣屋の兵百五十名が松前城に入った。

      これで、松前城守備隊は五百五十人になった。その半数を及部川流域

      に出陣させた。

      及部川以東(現松前小学校付近)に小山八百里、工藤大之進の率いる二 

      十五名を伏兵とし、更に、野越坂下に牧田津盛ら二名、その西側に

      竹田泰三郎ら二十五名、及部川西方には隊長下国定之丞が橋口に

      一小隊五十名、新田千里を総師とする文武館掛十八名は橋口の空家に 

      五門の百匁砲を配置、大砲隊長因藤辰次郎ら十四名と旋条砲二門、河 

      口には瀬戸昇平の一小隊、熊坂轟ら十五名、島田能人ら二十名、更

      に、上流狩屋付近には新井田早苗が三百匁砲二門と二十四名を配し

      た。 

土方歳三の日記

      初戦における損害は想定内だった。当然と言えば当然だろう。松前兵

      の武器はほとんどが旧式の者が、圧倒的に多いのだから。

      明日は松前城攻めだ。兵力においても我軍が優勢だ。

      士気も上々だ。問題なかろう。


十一月五日  

十二月十八日

      八時、土方軍は歩兵四百、二門の 左遷砲を引いて大澤村裏手の高台

      を占領した。

      白神山山頂に布陣していた松前藩兵は挟撃されるのを恐れて松前城下に 

      退却した。土方軍は、正午過ぎ、乙部川東岸近くに進出、松ケ崎、野越

      付近に埋伏していた松前藩兵と銃撃戦を展開したが、一進一退を繰り返

      していたが沖合に回天が現れ援護射撃を始めた。激戦となったが、及部 

      川上流から川を渡って来た陸軍隊により松前藩兵は敗走、松前城に入っ

      た。

      土方軍は、馬形(まがと)台地に進出、その突端にある法華寺境内に陣

      を構えた。

土方歳三  「朝夷健次郎砲兵隊長、すぐそこの枝ケ崎(字福山)筑島砲台を叩いて

      くれ。」

朝夷隊長  「了解しました。」

      朝夷隊は、つるべ打ちに砲撃し築島砲台を黙らせた。築島砲台の大  

      砲の威力があったので回天、幡龍が湾内に入ることが出来なかった。

      回天は湾内に入って松前城めがけて砲撃を開始した。幡龍は高波の

      為、湾内に入ることが出来なかった。

土方歳三  「市村、遊撃隊人見隊長に搦手門攻撃。と、伝令に走れ。」

市村鉄之助 「承知っ。」


      遊撃隊は、南面、東面する天神坂馬坂より搦手口に向かった。ま 

      た、守衛新選組と陸軍隊の半数が新坂から寺町門口へと攻め上っ

      た。

      松前藩側は。城代家老蠣崎民部を主将とし、三上超順を郡事方(参謀)

      竹田作郎、上原久七郎を長として南門搦手門、大手門、天神坂口門)  

      を四十五名、北門(寺町五門)を佐藤男破壊魔率いる五十名が守り、及  

      部川から敗走してきた諸兵は各門と本丸内を守った。

      搦手門での戦闘は、昨日、土方が言った通り門を開けては大砲を  

      打ち、門を閉めるを繰り返した。

人見勝太郎 「岡田君、柴田君、決死隊の出番だ、門が閉まったら行動を起こせ。

      十分気を付けてくれ。」

      「会津遊撃隊は、門が開いたら一斉射撃をたのみます。」

      「攻撃はじめっ!」

      遊撃隊は搦手門に向け一斉射撃をはじめた。

      松前藩兵は扉を開いて大砲を放った。四度繰り返された。人見隊長 

      が岡田・柴田の決死隊、会津遊撃隊に合図を送った。門が開いた。 

      すかさず会津遊撃隊が一斉射撃をした。松前藩兵が一瞬たじろいだ

      様に見えた。その瞬間、決死隊が中に乱入し松前藩兵を切りつけて

      いるのが見えた。


      余談になるが松前藩士田村量七十一歳は隠居の身であったが「 お 

      家一大事とばかりに登城し負傷。本丸御殿玄関で割腹自殺を遂げてい  

      る。また、足軽北島幸次郎の妻美枝は落城を知ってのどをついて自害。

      後、女性第一号で靖国神社に祀られている。

      守衛新選組、陸軍隊も順調に場内 に入り、乱射、白兵戦が繰り広げ  

      られた。

      城代家老牡蠣崎民部は城に火を放ち江差方面に敗走していった。

      この時、松前兵は町に火を放って江差方面に敗走。この行為で松前の 

      町の四分の三が焼失した。


      土方軍は松前城を落とした。

      松前藩主松前徳広ら主力は十月二十八日に内陸の館城に移動してい 

      る。

      十一月十日、大野口から松岡四郎次郎率いる一聯隊など五百名が二 

      股を経て松前藩主が立てこもっている館城攻略に向か った。

      十一月十五日午前九時ころ攻城戦が始まった。

      館城には六十名ほどの松前藩兵が奮戦したが同日夕方には落城した。

      松前藩主一行は十一月十二日には館城を退去し松前藩領北端の熊石  

      へ退いていた。

      二十二日熊石に到着、藩主一行六十名は船で弘前藩領に逃れた。

      船に乗り切れなかった松前藩士三百名は一聯隊に投稿した。

      これにより、蝦夷地平定は完了した。

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