土方歳三の199日

鬼龍院右仲

第1話 前書き

私は昭和三十二年、函館で生まれ昭和四十八年函館市内の高校に入学した。古典の担当教師が「先生の爺さんは柳川熊吉と言って五稜郭戦争と関わりのある人物なんだ。」五十年前のその一言をこの小説を書くにあたり思い出した。

私は六十五才になって初めて小説を書いてみようと考えた、題材は五稜郭戦争=土方歳三に決めた。私は関西に約三十年住んでいた。新撰組を題材にした小説、映画は殆ど見ていた。私は六十才になった時、函館に戻ってきて図書館通いを始めた。勿論、箱館戦争の資料を見る為だった。

柳川熊吉がこの戦争で大きな役割をしていたことを知った。


何故、箱館戦争は起こったのか。

慶応四年、四月薩長等の官軍と旧幕府と薩長に不満を持つ武士達の戦争である。鳥羽伏見の戦いに始まり、連戦連敗の旧幕府軍。そういう中での江戸城無血開城により、戊辰戦争の部隊は北陸、東北へ舞台を移していった。頼みの会津藩が猛攻撃を受け降伏、奥羽越列藩同盟は瓦解する。そんな中、旧幕府海軍副総裁が艦隊を率いて仙台に来た。敗走する旧幕府軍等と一緒に蝦夷地鷲ノ木(道南の森町)に上陸した

私は思う。

箱館戦争程、不思議な戦争はないのではないだろうか。資料を調べて行く内に幾つもの「何故」に突き当たった。

土方歳三を筆頭とする「この戦で死ぬ。」と決めている集団と、榎本を筆頭とする「何をしたいのかわからない」集団。この二つの集団はある種「カオス」の中にいる。榎本武揚自身がカオスその者であったのかもしれない。

また、中島三郎助の存在もこの小説を盛り上げてくれる。最後に柳川熊吉の存在である。いくら任侠の親分だからと言っても、旧幕軍の屍を弔うなんて考えられないことではないか。何故なら薩長が会津戦争でしてきたことを考えると柳川熊吉の行動はリスクが大きすぎるのである。本小説には幾つかの「何故」が出てくる。箱館戦争の史実を検証していくとこれらの「何故」は必然なのだ。しかし、史実を始めこれらの「何故」を探求している資料には出会えなかった。それに明治二年一月から三月中旬までの七十五日の土方の動きを詳しく書かれた資料も見つけることは出来なかった。

土方が鷲ノ木に上陸し戦死するまでの百九十九日の内の約七十五日が大袈裟に言うと空白なのだ。土方はこの時期どのような行動をとったのであろうか。興味は尽きない。

私は「何故」を明かすことが出来るのではないかと考え、この小説を完成させることにした。

また、日付に関しては上が旧暦、下を新暦にした。理由は、私が資料を呼んでいると旧暦だけ記載されている者があった。ピンとこなかった、そこで新暦も載せることにした。

私は、箱館戦争で幾つもの「謎」にぶつかった。

その「謎」とは・・・・・

一、何故、榎本は暴風雨の中仙台に向かったのか。

二、何故、榎本は松前方面に旗艦開陽で行く必要があったのか。

  榎本は、この時点で四隻の軍艦を失っても勝てると思っていたのか。

三、何故、榎本は箱館市中の人達に敵意を持たせるようなことをしたのか。

四、何故、榎本は噴火湾方面の守備に固執したのか。

五、何故榎本は室蘭に貴重な戦闘員を駐屯させたのか。

六、何故、榎本はプロイセン人ガルトネルに七重の土地三百万坪を貸す必要があった 

  のか。

七、何故、榎本は総裁なのに自決しなかったのか。


榎本武揚という人物は非常に〇〇〇〇〇〇な男だと言うことが判った。

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