第15話 モンテカルロ法

 14.モンテカルロ法

 

 望のところに行くことにした。奈緒は倫子と他愛ない話をしている。竜也が何か言ったようだが無視した。


 “それは人為的にボールが置かれた場合だよ”

 “やはり、確率と考えるのが適切じゃないの”

“それじゃ、アインシュタインと一緒じゃないか!

 小夜さん。コペンハーゲン解釈には懐疑的なんだ”

 望が呆れた声で答えた


「おい望ぃ~酒の席で難しい話かぁ~。そんなぁ~難しい事いうから、山吹色ちゃんに逃げられちゃうんだぞぉ~」

「誰だよ山吹色ちゃんって、定子様か?」

 やはり望は私が碧のことをからかっても怒らない。そして望はみくりのために準備している。小夜にそうしたように。

 お酒も手伝って、わざと望の太ももの上に腰掛けた

「菫さん、そこ椅子じゃないし! まあ、このままでも大歓迎だけど」

「望のエッチぃ~」

「助けに行けなくてごめんな。奈緒さんに随分飲まされたんだね」

 

 望の隣に腰掛け直すと、望の頬に人差し指を滑らせた

「望は小夜ちゃんをいつも見ているもんねぇ~」

 望はこんなことをされても動揺しなかった。ただ小夜は明らかに動揺していた。言葉さえ失っている。酔っていても多少は悪いと思った、というより思うようにした

「小夜ちゃん、ちゃんと誘えたぁ~」

「ちゃんちゃんだ」

「ちゃんちゃん?」

 ようやく小夜が言葉を発した。


「今度3人でお出かけしようかぁ~」

 心にないことを発してしまった。私はこの提案の答えに何の意図もなく、きっと酔いに任せて潜在意識が言葉になったのだと思った。今更後には引けない。

「来週の土曜日どぉ~?望ぃ場所ぐらいセッティングする甲斐性は有るよねぇ~」

 望は笑って

「江ノ島とか行ってみたいな、こっちに来たら一度行ってみたかったんだ」

「いいねぇ~。私も海無し県出身なので海がいいなぁ~タコせんべいも食べたいしぃ~」

 小夜は照れた顔をして両手を振った

「いいよ私は、2人で行ってらっしゃい?」

「え~行こうよぉ~小夜ちゃんとも話したいしぃ~小夜ちゃんいつも奈緒ちゃんと一緒で私とお話してくれないんだものぉ~」

 わざと望の顔を見た。私の顔を見返す余裕はないようだ。小夜の最寄り駅を聞いてその駅に9:00集合で約束を取りつけた。


沈黙を嫌って望が会話のきっかけを作り出す。小夜に気を遣っている。有美や私にはこういう配慮はしない筈だ

「サザンの聖地巡礼。写真部でも男1人じゃ辛いからありがたいよ」

 小夜のための言葉なのに、小夜が反応しないのに腹が立った

「望のエッチぃ~」

「菫さん。なんでそう仰るのか伺っても宜しいでしょうか?」

「ガウス分布の中央付近に分布する人はぁ~歌詞なんか興味無いよぉ~ちっぽけな王子様の望はぁ~ちゃんと歌詞の意味を理解しているわよねぇ~」

「ははは、まずケースケさんに謝ろうか。

 電卓の原理知っていて電卓使う人がほとんどいないし、自動車の駆動原理を知っていて運転する人もほとんどいない。そしてそれを開発した人に敬意を表する人もほとんどいない。人は当たり前にあるものを当たり前に使う」

 心の中で閉ざした扉。いつか扉に鍵を掛けたことも、鍵をどこに置いたかも忘れたし、扉の存在すら忘れていた。いつか周りと話を合わせれば楽だと気付いて忘れていた扉だ。

「ごめんなさい。クリエイターには敬意を表さないとねぇ~」

 望が呆気にとられているようだった。予想外の対応だったようだ

「子供がタケちゃんマンの歌を歌っていると笑っちゃう。ドリフもそうだったけど、土曜の8時は子供の無礼講時間だったからね」

「地名だけだからセーフよぉ~」

「菫さんも相当エッチですね」


「酷い! 私のこと淫乱だなんてぇ~」

 やはり望は動揺しない。有美の言う通り私は望の一番ではないのだ。私を雑に扱っても望には有美やみくりがいる。小夜がたしなめる

「菫さん。酔っているんじゃない?」

 望が言葉を被せる

「菫さん、お酒飲めない年齢ですよね」

 私は薄笑いを浮かべて、望の頬をまた指で弄ぶ

「ガウス分布が身についていないようですねぇ〜。の、ぞ、み」

 望の頬にガウス分布を描く

「多分2σの範囲が安全なのがぁ~20歳の設定なのらぁ~。菫ちゃんは安全の位置に分布している。エッチな歌も、国の設定もお見通しなのらぁ~」

 

 望は薄笑いを浮かべて

「この国では科学より法律の方が優先されるんだよね。酔っ払いの菫さん」

「望ぃ~! 私のことからかっているでしょ~」

「多分、僕がからかわれているのでしょう」

「望、つまんなぁい〜」


 小夜を凝視して

「小夜ちゃんはぁ~望のこと好きなのぉ~」

「嫌いじゃないわ」

 小夜の予想外の言葉に戸惑った。でも現時点の望は小夜より私の方を優先してくれる

「フフフ、私と一緒だぁ~」

「そうよね。有美さんの前で望君と腕組む位だからね」

 したり顔で小夜が答えた

「小夜ちゃんに見られちゃったかぁ~」


 小夜は真顔になって

「ねえ望君、菫さんの前でもさっきと同じこといえる?」

「菫さん、好きです。彼氏と別れる事があったら、是非某それがしをご用命下さい」

 望は涼しい顔で言い放った。小夜は言葉を失ってしまった

「望がそこまで言うなら考えようかなぁ~。でもみくりちゃんはいいのぉ~」

「ここで迷うのは菫さんに失礼ですよ。まだみくりさんと会話どころか、写真さえ見たことないし」

 望は即答する。命中弾を受けた小夜を私はさらに砲撃する

「美人の周りは美人が集まるって言うじゃない〜。きっとみくりさんも美人だよぉ〜。いいのぉ〜」

「美人ねぇ?美人って知能をX軸に取ったガウス分布で、どの分布の人が見ても判断できるでしょ」

 小夜がようやく会話に入ってきた

「どういうこと?」

「大抵の男は美人と僕が一緒に歩いていると、奪えると思って勝負を挑まれる頻度が高いってこと。ガウス分布の中心値の左側分布の人は予想外の行動を取るからね」


「菫さんも美人よね」

 小夜が返した

「確かにかわいいな」

「望君は本人の前でもそういうこと平気で言うんだ」

 その言い草はないと思う

「女性は僕より頭良い人が多いので、嘘を吐いても直ぐバレるので、嘘を吐かないようにしている」

 

「勝負を挑まれても菫さんなんだ」

「菫さんは頭がいいから、知能指数が低い人とは会話が成り立たないでしょう。そういう人と付き合うとずっと気を遣わなくちゃいけないことも知っているし」

「望君は知能指数が高いんだ」

 嫌味を言うように小夜が吐き捨てた

「僕の知能指数は中心付近の分布だけど、知能指数の高い人と友達だったので作業標準書を構築してあるってとこかな。だから稀少分の方にバカなりに対応ができるだけ」

「取扱説明書を持っているってこと?」

「小夜さん、それは違う、さっきの”確率”と同じくらい違和感がある」


 2人は互いに目を反らして沈黙した

「私にもさっきの”確率”の話してよぉ~」

 望は小夜を一目して

「量子力学の話だ、EPR論文のあとのシュレーディンガーとアインシュタインのやり取りの話だ。だよな、小夜さん」

 仏頂面の小夜が“そう”とそっけなくつぶやいた。望が解説を始めた。

「2つの箱がある。どちらかにボールが入っていて、その箱をA、Bと呼称する。

 菫さんがAの箱を開けたとき、箱の中にボールがあった。この場合、箱を開ける前のBの箱にこのボールの影響が及んでいるかということ」

 小夜が答える

「菫さんは、箱の中にボールが入る前の経緯を何も把握していないから、ボールがAに入っている確率は1/2でしょう。そして菫さんは1/2の確率でAを選んだ」

 望が残念な顔をしている事が分かった

「では、小夜さん。同じ状況の実験を10回繰り返したらどうなります?たとえば6回目の箱で菫さんがBを選んだ場合、Bの箱にボールが存在するのは1/2の確率と考えますか?」

「高校の数学でやったよね。確率は1/2でしょ。菫さんはどう思う?」

 私は望がどういう答えを期待しているかはわからないが、確率が1/2でないことを示す必要があることは理解できた

「もしかしてぇ~モンテカルロ法のこと言っているぅ~」

 小夜は笑って

「何よそれ、聞いたことがないわ」

 

 望の顔を見ると難しい顔をしていた

「有美さんが菫さんのこと一目惚れする訳だ。

 確か、フォン・ノイマンの式だったか中性子の挙動を示すために使ったやつだ。

 菫さんの言葉はモナコ・マイスターのグラハム・ヒルがローズヘアピンを超高速で駆け抜けていくようだ」

 小夜は不思議そうな顔で

「何、訳のわからないこと言っているのよ」


 望は私を凝視して、手を握った

「ごめん、たとえが悪かった。選択によってガウス分布の収束位置に影響がでるモンテカルロ法の干渉はこの場合は無視できるほど極小値で議論する意味がない。僕が言いたかったのは観測理論の方だ」

 望に手を握られて身体が熱くなった。私は手を握られて、有美や望の本当の仲間になったと実感した

「観測理論?

 もしかしてぇ~、6回目の実験で私がBの箱を選んだらぁ~必ずボールがあるってことぉ〜」

 小夜が慌てて菫に問いただす

「では、菫さんは、6回目の実験でAの箱を選ばなかったのはなぜ?」

 困っている小夜をからかってやろうと思った

「5回目の実験でBを選んだからかなぁ~」

 望に頭を小突かれた。小夜は私達の会話を理解していないようだ

「望ぃ~。5回目の実験でBの箱を選んだ私はぁ~Bの箱にボールを観測できたかしらぁ~?」

 私は意地悪く小夜の顔を見た。小夜は狐につままれたような顔をしている

「望君は解るの?」

 小夜は救いを求めるような目線を望に浴びせる

「5回目の実験ではボールはBの箱で観測できたな」

 小夜が食ってかかる

「じゃあ7回目の実験ではどっちの箱にボールがあったの?」

 望は笑って

「どの時点で?」

「言っている事が分からない。菫さんは解るの?」

「それはぁ〜、私が箱を開いて観測したからねぇ~」

 小夜はショートカットの髪を掻きむしった

「これ、理論実験よね。どうしてそれが断言できるの」

 望が穏やかな声で

「人がボールを仕込んでいないとすれば菫さんが箱を開いた時にボールは確定する」

 私は補足して

「私がぁ〜Aの箱を選べばボールはAの箱に確定されぇ~、Bの箱を選べばBの箱に確定されるのぉ~」

 望は続けて

「神様はサイコロを振って未来を決めるけど、ボールの存在は菫さんが選んだ箱で決まる。でも菫さんは神様でも預言者でもなく、ただの観測者である」

 小夜は納得いかない顔をしている。望は付け足す

「箱から出てくるボールが1/2の確率に近似するのは、予め人間がボールをどちらかに仕込んだ場合ですよ。月が夜空にあるのは月が既に観測者に観測されているからですよ」

 小夜は席を立って去ろうとした。こんな理詰めの反論を予想していなかったようだ。

  <つづく>

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