第14話 勘違いは渦を巻いて膨らむばかり

 私、ウェンデル・ブラッドはブラッド公爵家の長男だ。祖先が約500年前の大戦で大きな功績を残し、公爵位を賜った。

 領地のダンジョンは100年程前に突如として現れ、当時は(当たり前ではあるが)大きな混乱で多くの兵や領民を失ったという記録が残っている。高祖父の嘆きと悲しみ、そして無力感が溢れるその当時の記録は、我が家の嫡子が必ず目を通すという伝統になっていた。

 そうして曽祖父、祖母、父の奮闘もあり、私の代になる頃にはブラッド領はダンジョンの街として有名になった。


「あとはご結婚されてお世継ぎさえいらっしゃれば……」

「ブラッド家の跡継ぎはもういる」


 この質問にはいつもそう答えてきた。


 私には12歳年上の腹違いの兄がおり、名前をクラークといった。父が使用人の女性に生ませた子だ。父はその女性と結婚を強く望んだが、それが許されることはなかったのだと、使用人たちがこっそりと話しているのを聞いた。兄は聡明で少しの野心もなかったので、私が幼い頃から領地の屋敷で父の補佐として働いていた。

 

 私の母は領地を獣臭いと嫌がり、王都から出てこなかった。父も王都と領地を往復する日々。幼い私は小さな胸に寂しさを隠して過ごしていた。

 そんな私を兄はめいいっぱい可愛がり、自身が結婚した後も家族のように温かく見守ってくれた。


「兄上、私は冒険者になりたいのです!」


 父や兄と頻繁に出かけた冒険者街はいつだって私をワクワクとさせ、夜寝る前にはいつも冒険者となった自分の勇士を想像したものだった。


「ウェンデル様……兄上と呼ぶのは少々問題が……それに領主のお仕事がございます。冒険者はなかなか難しいかもしれません」


 困ったように笑う兄を見たのは1度や2度ではない。

 

「では私が冒険に出ている間は兄上が領主代行をしてくださればいい!」

「またそのようなことを……いつかは美しい奥様を娶って立派な領主になられるのですよ」

「どうせ政略結婚だ。兄上のように好いた人と結婚がしたいよ」

「ウェンデル様であれば、きっと素敵な方がお側に来てくださいます」


 私は自分より兄の方が領主として適任だと幼いころから知っていた。この領地を愛していたし、暇があれば難しい本を読んでいた。優しく、穏やかで、庶子という立場にも関わらず皆から愛され、なにより私を大切にしてくれていた。


「では、ウェンデル様が冒険しやすいように冒険者街を整備いたしましょう」

「それがいい! ここを冒険者の街としてもっと有名にしよう!」


 兄が結婚の話題から逃げたことはわかったが、逃げた先が冒険者絡みだったので素直に受け入れた。

 愛する人と結婚することも、冒険者になることも、自分には難しいことは知っていた。だからせめて冒険者と関われるような領主としての仕事を、という兄の配慮が嬉しかった。


 そんな兄は父と共に死んだ。生まれたばかりの彼の息子を残して。王都への道中、魔獣に襲われたのだ。あっけない最期だった。


(母上がこの領地にきたのはその時の葬儀が最後だったな)


 兄の子は母親共々、遠方へと追い払われた。後継ぎを主張されては堪らないと母が恐ろしい剣幕でまくし立てていたことを今でも覚えている。

 そうして私は若くしてブラッド公爵となった。


「兄上が領主になるべきだったのに……」


 あの雨の日の葬儀が忘れられない。


(昔の夢か)


 執務机でうたた寝をしていた。久しぶりに兄に会えて嬉しいが、同時に寂しい。今も生きていたら次から次に降ってくる難題をどうにかするのに手を貸してくれていただろう。


 執務室の机には書類が山積みになっていた。急な来訪者クリスティーナにどうなることかと思ったが、大きなトラブルなく彼女は王都へ帰っていった。間違いなく妻の功績だ。


(なぜあそこまで頑張ってくれたのだろう)


 直前に酷い難癖をつけられ怯えていたのに。クリスティーナ様の品格がこれ以上落ちないようと、別室で彼女の想いを吐き出させ、更には励ましたのだ。


 結婚に猛反対していたヴィクターが妻を認めるような発言までし始めた。誰1人あの激しいクリスティーナ様には敵わなかったのだから当然の評価ではあるが。


「公爵様、ダニエル様からお手紙が届いております」

「ああ」


 のダニエルが暮らしに不自由しないよう支援していた。兄の妻はあの後、夫の後を追うように亡くなった。また家族を1人失った気分だった。


 クリスティーナ様から逃れるために結婚したウェトウィッシュ家の娘が、自分のせいで不幸になったのだと知った時、雷に打たれた気分だった。

 結婚式のあの日、花嫁の控室へ挨拶へ向かっていた途中、その部屋から大声が聞こえてきたのだ。


「よくも騙したわね!?」

「お嬢様! 諦めが悪いですよ!」

「くどいです!」


 どうやら自分の妻になる人物の声だと気付いき、その場から動けなくなった。

 彼女に花嫁衣装を着付ける為の侍女やメイドが、叱ったりなだめたりしている。


「私は自由に生きたいの!!! 結婚なんてしたくないってずっと言ってるじゃない!」

「お相手はあの公爵様ですよ! 贅沢なお悩みです」

「あのご容姿ですよ!?」

「顔が良いとか悪いとかじゃない! 私が好きか好きじゃないかでしょ!!!」


 まさか私と結婚を望まない女がいるとは……そんなこと考えもしなかった。あらゆる女性に結婚してくれと迫られてきた人生だったのだから。

 そしてそれと同時に、私はやはり『家族』というものに縁がないのだと思い知った。妻は、自分と家族になることを望んでいない。

 

 だから彼女に自由を与えた。私が王族との結婚から逃れるために犠牲になった女性へのせめてもの償いだ。

 彼女を見ると罪悪感で胸が潰されそうだった。絶対に冒険者になる日は来ないことを知った、あの雨の日の自分を思い出す。

 

 それなのに、彼女が寂しがっていると聞いた時は驚き、実を言うと少し嬉しかった。


(そうだ……彼女の家族もこの屋敷では私だけじゃないか)


 勝手に連れてこられたこの土地で、1人寂しく感じるのは当たり前だ。

※テンペストは今が人生で1番楽しい


 せめて朝食の時間だけは一緒にと、どれだけ疲れていても無理をして早起きをした。罪悪感からなかなか目を合わせられなかったが、挨拶は出来る仲になれた。


(このままいけば、家族のように振る舞える日がくるかもしれない)


 彼女も別に私を嫌っているわけではないようで、疲れている私を労って強力なヒールをかけてくれた。あれだけのヒールを使うことは彼女にとっても負担のはずだ。

※あの程度で借りを作らずにすんだとほくそ笑んでいた


 それになんと妻は、毎月渡す金をほとんど使わず、孤児院に寄付しているのだ。ドレスや宝石は必要最低限しか買わず、しかもそのドレスは私の瞳の色だった。

※お金を旦那様に返したくないだけ

※侍女が選んだだけ


(もしかしたら妻も私と仲良くしたいのかもしれない!)

 

 そんなことを考えて彼女との穏やかな生活を送っていた。


(なのに私は……!)


 私は、あの女冒険者に一目惚れしてしまった。なんて不誠実な男なのだろう。優しい妻がいるというのに。罪悪感が泉のように湧き出てくる。

 

 強く自信満々な姿を見て私の心もその自信で満たされる思いだった。私を宝石の1つ見せびらかすための道具のように見てくることもなかった。それに彼女ならきっと急に死んでしまったりしない。私の前から突然消えてしまうこともない。強烈な生命力を感じた。彼女から溢れるエネルギーで自分も前向きに、元気になれた。

 強く可憐で凛々しい、冒険者テンペスト……彼女が愛しい。その想いを消すことはできなかった。


「テンペストに会いたいな」


 思わず口からこぼれてしまった。


「奥様は本日もお出かけされております」


 ヴィクターは困り顔だ。彼女には自由を約束していた。なかなか行動を制限するのは難しい。


「奥……様……?」


(そうだ! テンペストが2人なんだ! なんて運命!)


 だが姿は全然違う。冒険者テンペストは不自然なほどの白い髪の毛で、妻の方は艶やかな黒髪だ。


 性格も違う。冒険者テンペストは自信家で挑戦的な力強い意志を感じた。

 妻テンペストは優しく包容力がある。気の強いクリスティーナ様に少し怯えていたが、最後はを果たそうと彼女を励まし、その場を丸く収めてくれた。今では心強い味方に感じている。

※さっさと夜会を終わらせたかっただけ


(あれほど酷い言葉を浴びせられたというのに、なんて慈悲深い)


 妻と過ごすと、いつも心の中がほんのりと温かくなった。先日の夜会で絆も深まったように感じている。

 夜会での対応は完璧だった。礼儀作法も客人達への対応も、そしてトラブルにも。公爵として生きるしかない私の伴侶として、彼女ほど頼れる女性がいるだろうか。


(私は、冒険者テンペストのことも妻のテンペストのことも愛しているのか?)


 先ほどから冒険者テンペストの事を考えると、どうしても妻の顔がよぎったのは罪悪感のせいだと思っていたが、罪悪感というには少し違和感があったのだ。その違和感が、妻への恋心なのだと気が付いた。


 そうなるといよいよ最低な男だ。軽蔑に値する男だ。あの尊敬する兄には見せられない。


 情熱的に、燃え上がるように恋に落ちたテンペストと、穏やかで、まるで春の日差しのような暖かさで自分を包み込んでくれる妻テンペスト。


「ああ! 私はどうすればいいんだ!?」


◇◇◇


 ウェンデルのところは、相変わらず少しも自分がフラれることを考えていないところだ。自分が選べる立場だと疑うことはない。


「公爵様……?」


 怪訝な顔をするヴィクターに気付かないまま、締まらない顔つきで幸せな悩みを抱えながらウェンデルは机に向かうのだった。

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