アイデアだけの場所

和泉将樹@猫部

ユートピア ⇔ ディストピア (ジャンル:SF)

 朝になった。

 脳が覚醒し、周囲を見渡すと、閉じたカーテンの隙間から、光が射し込んでくる。

 寝台から降りて、カーテンを開けると、まばゆい光が視界を白くした。


「うん、今日もいい天気だ」


 今日の朝食はトーストにスクランブルエッグ。

 レタスをトーストに乗せてその上に卵を乗せてみよう。

 飲み物は甘さ控えめのカフェオレ。

 あとはドライフルーツを入れたヨーグルトがいいか。


 そう考えて食堂に向かうと、すでに食堂にはが並んでいた。

 周りには誰もいない。

 だがそれを不思議に思うことなく、置いてある朝食を僕は食べ始めた。

 食べ終わると、今日やることを考えて――いつの間にか食器は消えている――そういえば、確か今日は『彼女』が来てもいいと言っていたのを思い出す。


 彼女。

 そうしか呼んでいない。

 名前は知らない。いまだに彼女はタグを開示してくれないので、名前が分からないのだ。

 とりあえず、着ていく服を決めると、家を出た。

 行くべき場所はわかっている。

 瞬きする間に、到着した。

 にはあり得ないと思える、ひどく荒れ果てた印象の小屋。

 しかし間違いなく、ここが彼女のだ。


「やあ、来たよ。早すぎたかな?」


 所定の番号アドレスに対して呼出コールを行うと、ほどなく声が聞こえた。


「今日は何の用?」

「前に見せてくれた『本』ってのをまた見てみたいんだ。ひどく不効率なんだけど、なんかまた見たくなってね」

「ああ、いいけどさ。……うん、ま、いっか」


 小屋の扉が開いた。

 中に入ると、外とはまるで印象が違う。

 真っ白な壁と床、天井。なんの飾り気もない壁紙テクスチャが貼られたその部屋は、来るたびに思うが気がする。


 部屋にいるのは、長い黒髪の少女。

 黒髪黒瞳は珍しい。

 この自由な世界で、なぜこんな地味な色を選ぶのだろうと思う。

 髪や瞳の色なんて、望むままに変えることができるのに。


「はい、本。今日のは昔の御伽噺おとぎばなしだよ」


 そう言って彼女が渡してくれたのは、直方体の紙の束。

 今時、紙すらほとんど見ないというか、それ自体趣味の代物だ。

 それをこのように束ねるなど、不効率この上ない。


 それに、その内容も不思議だ。


「これはどういうお話?」

「いつのかも分からない架空の話。学校で男の子と女の子が恋するお話」


 恋は、わかる。概念だけだけど。

 けれど。


「学校って、なに?」

「昔あった、勉強……知識を習得する場所よ。みんなで集まって、指導員に教えてもらって」

「ずいぶん効率悪いやり方だね……」


 そもそも今や、知識を求めるのはタダの趣味だ。

 極論、何も知らなくても生活できる。

 全てはエイムズが何とかしてくれる。


 はるか昔、世界の資源も食料も枯渇したらしい。

 そこで人は、最低限の資源と食糧で人が生きていくための仕組みを構築した。

 それがエイムズという名の理想郷ユートピア

 この程度のことは、さすがに僕でも知っている。


「そうね。エイムズが出来る前から、とっくに消えた制度だしね」


 エイムズが出来る前、と言われても想像ができない。

 今ではエイムズが人の生活を全て支えてくれている。


「ところでさ。そろそろタグ、見せてもらえないかな?」


 もう彼女と会うのはこれで四回目。

 いい加減仲良くなったと思いたい。


 タグ。正しくは身分証明タグ。

 であり、本人であることを示す証だ。


「うーん。ま、いっか」


 そういうと彼女はタグを開示してくれた。

 初めて知る彼女の名前を見て……唖然とする。


「何この、master010923って。名前、これ?」

「うん、私のコードナンバー」

「……名前じゃなくて?」

「そ」


 そういうと、彼女は目を細めた。


「私は人じゃないからね」


 ぞわ、とした。

 急に目の前にいる彼女の像が、歪む。


「やっぱ、君も仮想空間エイムズのことは認識できなかったか」

「え」


 彼女の像が、さらに歪み、一部欠ける。


「ま、ほとんどの人がエイムズは現実だって思ってるみたいだけどね。もう何年、ポッドそこにいるの?」


 何年?

 そういえば、

 そもそも、自分は今

 さっき彼女と会うのは四回目だと思った。

 本当か?

 もう


ゆりかごポッドら出られない君たちが人に戻れるように、いろいろ見せてあげたけど、無理だったみたいだね」


 気付くと、自分の手がブレている。

 違う。

 この、見えている手はんだ。

 エイムズとは世界の管理システム。

 違う。

 エイムズとは――。


「エネルギーが枯渇してどのくらい経ったか。人という種を保持する役割を持つエイムズわたしたちだったけど、それすら稼働限界が来た。でもその長い時間のおかげで、地球は復活して、再び人が暮らせるようになっていた。だから人を解き放とうというのがエイムズわたしたちの判断だったけど――うん、無理だね」


 彼女は何を言ってるのか分からない。

 ただ、感覚が遠い。


「人類がエイムズの中だけを現実とした時点で、もうダメだったんだろうね。幾度となくエイムズわたしたちが繰り返した言葉は、もう誰にも届かなかった。本に興味を示した君は、まだ望みがあったと思ったんだけど。ま、一人じゃどうしようもないね」


 一体自分はどこにいるのか。

 今まで自分は、一体何をしていたのか。


「本当は君たちにんげんだけの特権だったのに、今となっては私たちつくりものの方がよほどいろいろ考えるようになってる。皮肉なものだね」


 ああ、そうだ。

 なぜ忘れていたのか。

 地球環境が限界に達し、人々は肉体をポッドと呼ばれる装置で状態を固定し、仮想世界を構築、そこで醒めぬ夢に沈んだ。

 人間が地球環境に与える影響を最小限にして、地球環境の復元を待つことにしたのだ。

 そして人間としての機能を保つために作られた、限りなく現実に近い仮想世界。

 それが人工幻像具現化機構Artificial Image-Materialize System――A.I.M.S。


 本来のエイムズは単なる仮想世界の一つで、現実を補完するだけの存在だったはずが、いつの間にかそれがになり替わっていた。

 それは目的に即していたのだが、やがてその事実すら

 社会を維持するための活力は失われ、生産という概念すら消えた。

 思考は失われ、ただそこにの存在。それが今の人間。


「あと百年くらいなら、エイムズも稼働してるだろうけどね。でもそれで終わりだ。エイムズは究極の理想郷ユートピアだったはずなんだけどね……それが滅びに繋がっちゃったんだから、皮肉というしかないね」


 ああ、そうだ。

 永遠に繰り返す幸せな日常。

 無限に続く同じ日。


 それは――ただの無限地獄だった。


―――――――――――――――――――――――――――――――

これは逆に続きようもない話ですね……これで完結でもいいかも。

ネットワークや電脳化が行きつくところまで行くと、物理空間が消滅しても電脳世界だけで人間が『生きている』状態になることもあり得るのではという感じです。

これに近いことになってたのが、ゼーガペインというアニメでしたね。

あれは量子コンピュータの中で繰り返す日常をやってたというか。

実際地球から外に行けなかった場合、最終的にはこういう形で滅ぶという未来もあり得る気がします。

それこそ遥か未来でしょうが。


極論、周りの人間すべてがAIだったとしても、人間ではないと分からないようになるほどのAIは、百年以内には登場しそう。

そうなると、五感全てを感じることができるような仮想空間があれば、それはもう現実と変わらない、むしろ現実より楽なこともあるでしょう。

人工知能しか周りにいなくて、自分を(最終的に)全肯定してくれる人ばかりとか、思考停止しそうですね。

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