人生もフラクタル

本条想子

第1話 仕事の不満

 目をつぶると、星を一面にちりばめた銀河が現れていた。これが、天野広司と言う男の眠りの幕開けだった。そして、その星の位置が様々に変化して、色々な景色が形作られていた。まるで、万華鏡を覗いているような気分になっている。そんな変化を眺めているうちに様々な考えが浮かび消えて行った。それは人生についてだ。人間は宇宙の中で生き、宇宙の中で死んでいく。そして、その日々の中で目覚めと眠りを繰り返し、死の予行演習を続けているに過ぎないと考えていた。人間は必ず死を迎える。死ぬことが運命付けられている。彼も眠るように死にたかったのだった。


 人間は、いつも同じ事の繰り返しをしている。眠りながらも、レム睡眠とノンレム睡眠を繰り返し、深い眠りのノンレム睡眠から次第に浅い眠りのレム睡眠へ移行し、ただ眠っているだけの自分の心拍数も呼吸数も速くさせ、レム睡眠特有な速い眼球運動をも起させ、そればかりではなく下半身が立ち、子作りの予行演習を続けている。


 レム睡眠では、目覚めた時すでにほとんど忘れている事が多い夢に、どっぷりと浸かっている。眠りながらも、夢という手段で過去の記憶の再現を繰り返しながら、目覚めを待っている。あくまでも、人間に死が訪れるまで、眠りと目覚めを繰り返し、生き続けなければならない。


 彼の見る夢は、睡眠の時に見るような大画面に入り込むものと、居眠りの時に見る小画面でテレビの様なものがあった。彼は、この小画面が天井に浮かぶ様子をテレビというより霊が見える時の様子に似ていて、好きではなかった。それを、二画面テレビとでも思えばいいのだろうが、まるで死後の世界を覗き見ているような不気味な感じがして、恐怖さえ覚えているのだった。 



 今夜も、仕事の事が浮かんできている。彼は、エンジニアで入社して、事務職に配置転換され、腐っていた。希望の仕事でもないのに、毎日毎日同じ事の繰り返しを眠りの中でも目覚めている時でも続けている人生とは何なのか。この地球上に自分自身が存在していること事態、不可思議に思えた。自分にどんな価値があるのか、自分はどうでもいいお飾りの部品で、取るに足りないちっぽけな存在として主要な部分の単なる歯車として否応なしに動き続けるのか。まるで、ベルトコンベヤーのように流れの中で自分自身を見出す事ができないのかと、暗闇の中でもがいていた。


 このまま大企業で定年まで過ごせば、可もなく不可もなく時を送る事ができ、そして藤倉麻美と結婚して子供が誕生して父親になり、その子供が結婚して彼の孫が誕生するという具合に、幸せを思い浮かべてみたりした。これは有史以来継続している事で、人類が生き残る限り変わらない事だと納得させようとした。


 冒険だ!挑戦だ!未来だ!栄光だ!希望だ!志だ!夢だ!などという胸躍る言葉が、彼の頭上を通り過ぎて行った。彼は社会の流れにどっぷりと浸かり、大学を卒業して大企業に就職し、その最終のレールに乗っている自分を空しく感じているのだった。

 彼は、会社を辞めて、自分の適性を生かした職場を探す決断をした。こんな気持ちを彼女に告げるために、待ち合わせをした。



 広司は麻美の戸惑いを思い、辛かったが素直な気持ちを話す方が誠意だと信じていた。

「会社、辞めるよ」

 広司は切り出して麻美の目から視線をそらして下を見た。


「ええっ、何故」

 麻美は驚いたように聞き返し、広司の視線の行き先を追った。


「事務職をこのまま続ける気に成れない。半年間、会社に配置転換を申し出たけど、一向にその気配がなく、我慢できないよ」


「必要性があっての事でしょう。技術者が事務や営業に回されるのは、何処の会社でもあるわ。いろいろ経験してから決めても遅くないでしょう。会社を変えても同じ事が起こるわ」


「麻美は今の仕事に満足しているから、そんな事が言えるんだよ」

 広司は麻美を羨むように言って、先程までとは打って変わって麻美の目を凝視した。


「満足というより、早く一人前になりたいわ。短大を出て三年になり、女性の先輩から言われているの、昇進や給与アップを望むなら、転勤を覚悟し総合職になりなって。それに、銀行というところは信用が大事だから、早くに男性は結婚するので、女性も若い行員から辞めて行くのが現実よ。残るのも女性は大変なの」


「結構、我慢しているんだ」


「思い通りに、会社は動かないから、適応するしかないじゃない。そこが我慢よ」


「我慢と妥協は違う」

 広司はすかさず返した。


「私だって、妥協している訳ではないわ」

 強い口調で言った。


「俺の場合だよ。やりたい仕事と違うのだから、出来ないまま今の仕事を続けるという事は妥協と同じ事だ」


「皆、それでも働いているわ」


「上司の言われるままに、ロボットのように言われた通りの事をしていればいいのか。好きな仕事も出来ずに、毎日毎日同じ事を繰り返している現在が嫌なんだ」


「毎日同じ仕事をするのは当たり前よ。違う仕事をするのは、フリーターよ」


「そうだな、フリーターにでもなって、自分の生き方を少し考えてみるか」

 広司は思い付くままに言った。


「広司、おかしいわ。仕事の内容じゃなくて、ただ働きたくないだけじゃないの。そんな事、大学を卒業するまでに、方向性が決まっているでしょう」

 と言って、麻美は落胆した。


「分かる訳がないじゃないか。学生時代に将来が分かるのか、結婚前に将来の設計を立てるのか、子供を生む前に子供の将来を決められるのか。皆が先々を考えて、分かったような顔をして、分かったような事を言って働いているのさ。何も分かっていないくせに。結局は妥協して働いているだけさ」

 広司は、見透かせるほどの薄っぺらな世間にうんざりした顔をした。


「でも、先の事が分からないのも不安なものよ。それに、辞めたら今のような大企業へはもう入れないかもね」

 と、憔悴しきったように言った。


「そんな先の事、今は考えられない。今を納得するようにしか生きられない」


「だったら、私は何も言えないわ」

諦め顔で言った。


「俺を、嫌いになった」


「うううん、分からなくなったわ。確かに先の事は分からない。でも、私はその先の事を考えて、今を生きているつもりよ。それを、広司に押し付ける訳にもいかないわね」

 麻美は、成す術をなくしたように言った。



 広司は、就職先を決めてから退職した。しかし、彼が望んでいた職場とは違い、ここも辞めてしまった。広司は、就職先も決めずに飛び出し、麻美に故郷へ帰ることを告げた。麻美は、言葉少なに語られた広司からの別れの言葉を反芻していた。広司は、『麻美にも理解できる人間になるまで故郷にいるつもりだ』という言葉を残して別れて行った。

 麻美は、広司が友人の水原和樹を頼みにしている事が分かっていた。麻美は水原に電話して、広司の力になって欲しいと懇願した。

 水原は学生時代から美しい麻美が好きだった。しかし、そんな事を知らないはずもない麻美から水原に広司の事を頼んできたというのは、よほど広司を心配しているという事が分かり、いじらしかった。

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