第3話 奴隷ルート

 多分、俺は異世界転生における大きな困難を打開した。


 世界中どこにでもランダムスポーンする主人公を見つけられたんだ。


 それは恐ろしいほど狭き門で、その困難を打破できたこと自体が奇跡みたいなもんだ。



 とりあえず、一安心。


 しかし、次の困難は俺に休む暇を与えない。



 俺はこの拾った銀髪少女を、少なくともレベル50くらいまでは育てなくてはならない。


 不幸なことに、俺は主人公がゲームにおいて、どんな成長をしていくのか知らない。


 だから、主人公の成長イベントを全部すっ飛ばして、俺一人の手でこの子を成長させていく必要がある。


 ……結構、前途多難だった。




「うう……これは……最悪だ……」


 俺は一旦、銀髪少女を山奥の小屋に運んだ。


 その間、どうしても感じてしまう少女から漂う死臭と血の匂い。


 そして、少女の長く伸びた銀髪に集る鬱陶しいハエの軍団。


 そのダブルパンチで、俺の精神は既に限界だった。


 まぁ、地獄の鍛錬に比べれば屁でもないんだけど……。



 俺はそんなことを思いながら、山奥の小屋に入り、銀髪少女をベッドに寝かせる。


 まだ少女の意識は戻っていない。


 栄養失調以外の深刻な外傷は見つからない。


 息もしっかりしているし、生命力もまだ途絶えていない。


 恐らく栄養失調で意識を失ってしまっただけだ。


「この子も……主人公以外に生まれてればなぁ……」


 俺は意識を失ったままの少女を見つめながら、小さくそう呟いた。


 まぁ、この子にそんな同情したって意味はないか。


 この子は世界を救う予定の主人公なのだから。


 俺は一呼吸して椅子から立ち上がった。


 この子の意識が戻らないうちは、何も出来ないな。


 せめて、身体に着いてしまった血を拭ってあげるか……。



 俺は風呂場に行き、暖かく濡らしたタオルを用意した。


 少女の髪をそのタオルで拭き取った。


 すると、タオルにとんでもない量の血が吸い取られた。


 な、なんだ……この量……おかしいだろ。


 少女の髪に付着する血の量を見て、俺は困惑してしまう。


 この子に何があったんだろうか。


 あの戦場で何があったんだろうか。


 俺には全く想像もつかなかった。





 *****





「あ……」


 じっと銀髪少女を眺めていると、薄らと少女の瞼が開くのが分かった。


 銀髪少女の長く伸びた睫毛が動き、チラチラと辺りを見渡す。


「大丈夫か? 体調はどうだ?」


 俺は目が覚めたであろう銀髪少女に質問を重ねる。


 まだ意識は朦朧としているだろうな。


 質問には答えられないかもしれないな。


「だ、大丈夫……です」


 目の前の少女は怯えたような目をして、掠れた声でそう答えた。


 すると、次の瞬間、少女はハッとした様な表情をしてベッドから降り、その場で地面に頭を付けて土下座してしまった。


「え」


 一連の少女の動きを見て、俺はただひたすらに唖然とするしかなかった。


 少女は土下座をしながら、ビクビクと震えていて、未だに顔を上げる気配すら感じさせなかった。


 少女の動きは明らかに、恐怖による隷属を示していた。


「これは……」


 俺はあまりの絶望的な状況に溜息を吐いた。


 俺は数十通りある主人公のスポーンパターンの中でも、最悪のパターンを引いてしまったようだ。


 恐らく、これは帝国軍の奴隷ルートだ。


 絶望をプレイしたことのない俺でも、異常な悪評のせいでそのルートだけは知っていた。



 帝国軍の奴隷ルートでは、そもそも奴隷であるため主人公のレベルは他のどのルートより低い。


 スキルや技能は何も得られず、代わりに戦闘中に足を引っ張るトラウマだけ主人公の心の中に残ってしまう……らしい。


 俺はそんな最低最悪なルートを引いてしまったようだ。


 俺は……この子とどう付き合えばいいんだろうか。


 物語の正式な手順なしで、俺はこの子の傷を治せるのだろうか。



「そんなことをするな。もう君は帝国軍の奴隷じゃない。君はもう自由なんだ」


 俺は少女の手を掴み、できるだけ優しい声音でそう言った。


「自由……? どういう……ことですか?」


 少女は顔を小さく上げると、まだ怯えたような表情でそう尋ねた。


 その顔に俺の心臓がきつく締め付けられ、胃もたれしそうなほど重い感情が生まれてしまう。


 世界とか未来とかどうでも良くて、この子だけは幸せになって欲しい。


 俺はそう思ってしまった。





 ******




 ジャーという湯水の流れる音と、俺と銀髪少女の気まずい沈黙だけが流れる空間。


 俺はシャワーヘッドを持ち、少女の長い髪に湯水を流す。


「ふぁっ……」


 少女から小さな悲鳴が聞こえてきて、俺はビクリと固まってしまう。


「だ、大丈夫か!? 冷たかったか!?」


 俺はシャワーの水をすぐに止め、そう尋ねた。


「い、いえ……ちょっと……びっくりして……」


「そ、そうか。う、うん。分かった。このまま流すぞ……」


 俺は酷く焦りつつも、シャワーを水をまた流し始めた。


 長い銀髪から、こべりついた血が落ちていく。


 徐々に綺麗な銀髪が姿を現した。


 やはり、主人公なだけあって貴族並みに綺麗な髪だ。


 帝国の奴らはこの子が異常だって気づかなかったのか。


「…………あ」


 少し下に視線を向けると、少女の小さな背中が目に入った。


 小さな背中には無数の痛ましい傷跡があった。


 胸が痛くなり、無意識に拳に力が入ってしまう。



 俺は絶望というゲームの主人公の見方を勘違いしていた。


 主人公を助け出して、育てて、ラスボスを倒させればいいと思っていた。


 しかし、いざ目の前に主人公がいると……どうしても感情が抑えられなかった。


 目の前にいるのは主人公なんかじゃなくて、ただの生きた人間だ。


 いざ悲惨の運命を持つ主人公に出会ってしまうと、俺の優先順位は大きく変化してしまった。


 ゲームのシナリオなんかより、目の前のこの子を優先すべきだと思ってしまった。

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