テレビ今昔

夢美瑠瑠

(これは、昨日2月1日の「テレビ放送の日」に因んだ#よく見るテレビ番組は?というアメブロのブログネタに投稿したものです)



 television、は音声と映像の組み合わせの意味で、造語だと思う。YouTubeというのも、昔はテレビのことを Tube と言ったことからきているらしいです。昔はブラウン管というものでテレビは出来ていて、その”クダ”のチューブなんだと思います。


 今は薄型テレビばっかりですが、規格が切り替わったのは2011年の7月24日だったと思う。それまでは厚ぼったい重くて大きいテレビだったのです。



 連綿と?テレビを眺める人生で、テレビの思い出は多い。テレビさえなければ?とか思うこともある。テレビを眺めている時間はほぼ無駄であって、取り返しがつかない。で、俗悪な番組が多いから、弊害ばかり大きい。テレビに出ている人物は例外なく阿呆っぽく見える。「クールなメディア」とか昔に言っていましたが、なんだか訳知り顔の、醒めた目で現実を見てしまうという、それも一概に悪いこととは言えないかもしれんが?他に現実との接触が薄い場合には、なんだかひねこびた、斜に構えた態度を、あまり意味なくとってしまうという、だから「テレビっ子」とかいう言葉を昔に使ったけれど、そういうドライで要領はいいがあまり深く物事を考えない、流行とかに踊らされやすい、”他人志向”の偏った人格を、テレビが涵養してしまうという、そういう惧れはあるのではないか?


 ネットの場合には現実が加工されているという趣きはあまりなくて、寧ろ普通は抑えられているナマの現実が如実に現れる感じで、そこが面白くて新しい進歩なのだと思う。隔靴掻痒な情報の伝達の集積だったテレビは古くなっていって、例えば見えにくかった目とか聴こえにくかった耳が科学の進歩で手術を受けて治ったみたいな、そういう効果でメディアが洗練されて、世の中のいわゆる”マスゴミ”的なものが淘汰されて、本当に人間的な”ルネサンス”が訪れてくれればいいと思います。


 暗黒の昭和の過渡的な白痴的なテレビ時代が過去のものになり、すべてが心機一転、面目一新、とことんアップデートされて、反人間的なテレビバカとかが全部一掃されればいいと思う。


 テレビの思い出とか、いろんなエピソード、枝葉末節で、些末的ないろんなことは数限りなくありますが、そういうことは切り捨てるべき日本の黒歴史なのだと思う。迷妄に過ぎなかったのだ。すべては今、ここから、それは不変の真実でそこから始めるしかしょうがないことはどうしようもない普遍的な真理で現実ですが、とりわけ単なる商業主義の資本の論理のみで操られているテレビ的なものはどうしようもなくフェイクで、万人が忌み嫌うべき、蛇蝎とみなすべき過去の遺物であると思う。


 時間はどうやっても取り戻せない貴重すぎるもので、くだらない雑音を聞かされている暇などない、あるはずもないはずなのである。


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