第36話 どちらにしろすごく遠い時代

 リツは呆然としながら、雛菊に囲まれた草刈り鎌を眺めていた。


「すぅ……、すぅ……」


 相変わらず寝息は続いている。

 どう見ても普通の鎌ではないが、人を餌にする類のあやかしが放つ嫌な気配は感じない。それに、鎌を武器として使用する例もある。これが探している宝物だという可能性もないわけではない。


「あのー、お休みのところすみません」


「……んぁ?」


 恐る恐る声をかけると鎌はカタリと動いた。


「あれ? 寝ちゃってたのか……んん?」


 今度はフワリと宙に浮かび首をかしげるように全体がかたむく。


「──ちゃん?」


 切先のあたりが、どこか戸惑った幼い声で誰かの名前を発した。おそらく、人違いをしているのだろう。


「すみません。よく聞こえなかったのですが、私たちは初対面かと思います」


「……そっか。そうだよね」


 鎌は寂しげな声をあげてから、くるりと一回転した。


「ごめんなんだよ!! 人違いしちゃったんだよ!! それでお姉さん、何かご用かななんだよ?」


「えーと、ですね」


 独特な口調に気おされながらも、リツは事情を説明する。すると、湾曲した刃がキラリと輝いた。


「ふむふむ。なら、お姉さんが探してるのは私で間違いないんだよ!!」


「そう、でしたか」


 任務を達成したことを喜ぶべきはずなのに、言いようのない脱力が全身を苛んでいく。ひょっとしたら、自分も心の底では男性陣と同じように格好いい武具であることを期待していたのかもしれない。


「お姉さん? どうしたのなんだよ?」


「いえ、なんでもありません。そういう事情なので、神野殿のところまでご一緒していただけますか?」


「うーん。私はそれでも構わないんだけど、まだ管理者が前のこのままだから一度書き換えをしてもらわないといけないんだよ」


 苦笑いまじりの声とともに切先が地面を指す。視線を落とすと仄かに光沢を帯びた薄茶色の小石のようなものがあった。それが何なのかは、さすがに察しがついた。


「私は管理者の許可なしに移動できない設定になってるんだよ。でも、ごらんの有様なんだよ」


「そう、ですね。なら、その管理者? というのを一時的に私にすることはできますか?」


「もちろんなんだよ! じゃあ、お名前を教えてねなんだよ!!」


 本来なら退治人の武具を自称しているとはいえ、正体不明のものに真名をやすやすと明かすべきではない。


花埜はなのの しらべ……っ!?」


 しかし、警戒するまもなく口から真名がこぼれていた。慌てて身構えるが鎌はやはり敵意を放つことなく宙に浮いているだけだ。


「しらべ様なんだね! うん!! いいお名前なんだよ!!」


 朗らかな声からはやはり殺気や悪意は感じられない。少なくともしばらくは話を合わせていつも問題ないだろう。


「……どうも」


「いえいえなんだよ!! じゃあ、今度は私にお名前をつけてねなんだよ!! そうすれば管理者権限を移譲できるんだよ!!」


「名前ですかえーと……」

 

 鎌之丞。

 鎌道。

 典侍の御許。

 鎌鬘。


 急に言われたせいか、なんとも言いがたい名前が頭に浮かんでは消える。それらを掻き消すように首を振り辺りをを見渡すと、黄色い花が目に入った。

 安直すぎる気もするが、突拍子もないよりはましだろう。


「では、雛菊、で」


「……ヒナギク?」


 不意に、鎌の声が低くなった。

 敵意までは感じないが、やはり安直すぎたのかもしれない。


「すみません。今、もっといい名前を考え直します」


「あ、ううん!! 気に入らなかったわけじゃないんだよ!! いいお名前をありがとう! ただ、なんでそのお名前をつけたのかなって気になったんだよ!!」


「安直で申し訳ないですが、そこに沢山咲いているので」


「……そっか」


 鎌は悲しげに呟き頷くように刃を動かした。

 

「……あのね、しらべ様。このお花はね、本来ならこの時代にこの国に咲いてるはずがないものなんだよ」


「……え?」


「まあ、建築様式だとか、敬称だとか、諸々の制度だとか、娯楽だとか、生活が便利になるものは多少早めに流行らせてもオッケーってことにしてたけどね」


「あの?」


「でも、動植物は原則的には史実に基づいて管理することになってるんだよ。せっかく落ち着いた生態系がぐちゃぐちゃになっちゃうかもしれないし」


「一体、なんの話を?」


「ただ、このお花だけは前の管理者が好きだったから、ここでしか育たないようにしてから育ててたんだよ」


「雛、菊?」


「ああ、混乱させてごめんなんだよ。えっとね、しらべ様は絶対に知らないはずの花を知ってるってことなんだよ」


 鎌の声はいつの間にか大人びたものに変わっていた。


「絶対に知らないずの花?」


 そんな事があるわけない。

 現に、古い歌や物語にも多く扱われていたはずだ。


「……あ、れ?」


 しかし、いくら記憶を辿っても具体的な思い出せない。

 ならば結社の資料に載っていたのだろうかと再び記憶を辿ったが、結果は同じだった。


「うん。まあ、混乱するのは当然なんだよ。ヒナギクもビックリしてるんだよ。つまるところ、しらべ様はすっごく昔のことを知ってるか……」



 いつの間にか視界が波打ち始める。


 

「……すっごく未来のことを知ってるんだよ」



 激しい眩暈のなか、リツは大人びた声に微かな懐かしさを覚えた。

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