第16話 腑に落ちないことの多いこんな世の中じゃ

 リツは混乱しながらも、血溜まりに倒れたメイたちの父親を門にもたれる形で座らせた。


「気は失っていますが、鼻血以外に出血はないようです」


 容体を口にすると、セツが隣で頷きながら赤く汚れた袖を捲り手首に指を当てた。


「そうだね。脈もあるし命に別状はないと思うよ。ただ、鼻は確実に折れちゃってるね」


 そこそこの重症を軽い声が告げる。それでも、最悪の事態にならずによかったとは思う。


 思う、のだが。


「あ、あの、兄様。ひとつ、質問よろしいですか」


「俺も……、多分メイと同じ……、質問がある……」


 腑に落ちない気持ちのなか、メイとハクが揃って手を上げた。すると依頼人は爽やかな笑顔で頷いた。


「うむ! 構わないぞ!」


「ありがとう、ございます」


「かたじけない……」


 小気味良い返事を受け、二人は揃って息を吸い込んだ。


 そして……


「なんで、父様を殴り飛ばしたん、ですか?」

「なぜ……、父君を殴り飛ばした……?」


 ……腑に落ちなさの根源となる質問を同時に口にした。


「……うむ! その、なんだ。二人が何のことを言ってるか、サッパリだ!」


 相変わらずハキハキとした返事だが、その目は明らかに泳いでいる。


武光たけみつ殿。拳と袖を地で汚しておいて、さすがにその言い訳は無理がありますよ」


「ですよね」


 力ないセツの言葉に同意すると、メイの兄、武光はギクリとした表情を浮かべたあと、あからさまに目を逸らした。


「はっはっは! 班長殿も副班長殿も何をおっしゃっているのやら!」


「武光殿、あまり時間がありませんので。私たちは別に、お父君を殴り飛ばしたことを責めるつもりはありませんから」


 リツの言葉に退治人一同が揃ってうなずく。すると豪快な笑顔は、申し訳なさそうな表情に変わっていった。


「すまない。実は弟たちが来ると伝えたら、『今回の件は明式の仕業に違いない。この手で成敗してくれる』とか言い出してな」


 落胆気味の声にメイの肩が跳ねた。たしかに、門にもたれかかる父親の腰にはあやかし用ではない刀が差されている。

 不仲とは聞いていた。それでも、いいようのない憤りが胸に込み上げてくる。


「……あやかしのせいにして、もう一発くらい顔殴っておくか」


「お、ハクってばいいこと言うね。私的には前歯も折っておくと、曲がった鼻と均整が取れると思うんだけど、どう?」


「ハクもセツ班長も、そんな目立つところを殴ろうとしないでください。狙うなら腹か背です」


「み、みなさん! お、落ち着いてくださいよ! と、いうか、リツ副班長も制止の方向性が、違い、ます!」


 命を狙われかけた本人の言葉により、リツたちはため息とともに構えていた拳をおろした。


「えと、僕なら、なれてます、から。ね?」


 どこか悲しげな苦笑が首をかしげる。


「それに、ほら、父様の刀くらいなら、簡単に避けられ、ます、から」


 だからと言って親が子に刀を向けるのは許しがたい。そう思いながら壁にもたれかかる父親を睨んでいると、メイが首を横に振った。


「今は兄様からの依頼、優先しないと、ですし」


「……それも、そうですね」


 あくまでも、今回の依頼は訪ねてくる和邇の対処だ。部下とはいえ、依頼に関係ないところに深入りするわけにはいかない。


「うーん。じゃあ、和邇について確認ですが、今日はまだ現れてないんですか?」


 セツが不満げながらも話を本題に戻す。すると、武光は苦々しい表情で頷いた。


「ああ。昨晩遅くに現れ俺を呼んでいたが、あやかし避けも効いていたから何もせずに帰ったよ」


「なら、相変わらず主だった被害は出ていないと」


「その通りだ。何をしにきたのか聞いても『貴方様の願いを叶えにきた』の一点張りで」


「埒が開かないかんじですね。では、ひとまず追加のあやかし避けをお渡しします。あとは……リツ」


 かけられた声に自然と背筋が伸びた。


「はい」


「件の淵にいるはずだけど、念のため相手の居場所を探ってもらえるかな?」


「仰せのままに」


 目を閉じ意識を集中して違和感を探す。やはり、血生臭さと腐臭が混ざり合ったような気配は感じない。


 むしろ、威圧感がありながらも清廉とした気配が少し離れた場所から漂ってくる。


「……おそらくですが、見つけました」


「お疲れ様。案内してくれるかな?」


「はい」


「ありがとう。じゃあ、メイは私たちと一緒に来て」


「は、はい! 尽力いたします!」


「はは、そんなに力まなくて大丈夫だよ。それで、ハクはいつも通り離れた場所で気配を消して、必要に応じて援護を頼むよ」


「了解……」


「よし。じゃあ、行くとしようか」


 かくして、リツたちは山城を後にし、気配を辿りながら和邇の元に向かった。


※※※


 一同がたどり着いたのは、やはり近くの川辺にできた淵だった。水は澄んでいるはずなのに、底は見えない。


 リツは再び意識を集中する。やはり、辿ってきたものと同じ気配がした。姿は見えずとも、確実に対象は潜んでいる。


「さてと。リツ、一応聞いてみるけど飛び道具は届きそうかな?」


 苦笑まじりの問いに首は自然と横に振れた。


「いえ。多分、届かないですね」


「だよね。この深さだと、薬も十分な効果が出ないくらいに薄まるだろうし」


「えっと、なら、誰かあやかしを、呼び、ますか?」


 メイの問いに今度はセツが首を横に振る。


「いや、今回は必ずしも退治しないといけないわけじゃないからね。まずは、話を聞いてみようか。えーと、かしこみかしこみもうさく」


 薄い唇がいつになく神妙に声をかけると、水底に赤黒い光が二つ現れた。


「どちら様かしら?」


 どこからともなく少女のような声が響く。


「向こうにある山城から来た使いのものですよ」


「まあ、あの方の」


「ええ。お話ししたいことがございますので、しばしこちらへお越しいただけますか?」


「わかりましたわ。少々おまちくださいまし」


 しとやかな声とともに、水底から赤い光と黒い影が浮かび上がる。そして、飛沫をあげて姿を現したのは。


「お待たせいたしました」


 長い黒髪がかかった岩のようなウロコが並ぶ顔。

 尖った口から溢れる鋭い牙。

 白い衣からのぞく水掻きのついた手足。

 強靭な尻尾。


「えーと」


「え、と」


 どう見ても魚類ではない姿に、メイとともに言葉を失った。一方、セツはなんとも脱力した表情で項垂れた。


「ワニって、そっちのほうだったか」


 川辺には力ない声が響く。


 かくして、爬虫類網ワニ目のほうだった和邇を前に、リツはまた腑に落ちない思いに苛まれるのだった。

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