⑰夢の手帳

ゆるやかに再開された酒盛さかもりは、語られた壮絶な戦場いくさば余韻よいんを引きずりながら、しめやかに続けられた。


夜が深まるにつれ、にぎやかなうたげも次第にまぶたを重くし、物思いに沈む者、あの時はこうだったと、国にいた頃の出来事をとりとめもなく吐露とろする者が、かた役を引き継いだ。


しみじみとした穏やかな空気をさかなに、東雲しののめは蜂蜜酒をなめていた。


いい加減酔いもまわり、甘ったるい美酒にやや飽きもきていたが、西大陸には出まわっていない島独自の酒であると聞いては、まだ切り上げてしまうには名残なごりおしい。


しかしそうは言っても、東雲しののめの周囲には泥酔でいすいした飲兵衛のんべえどものしかばねが折り重なるようにたかいびきをかいており、風情や情緒とは縁遠えんどおいありさまである。


東雲しののめ酒樽さかだるを転がして、トトの横に尻を落とした。


勇壮ゆうそうの士とは思えぬうれい顔じゃな」


「!」


眉間みけんにシワが寄っているぞ、ネズ公」


トトはパッと小さな手で顔をぬぐうと、困ったように苦く笑った。


「シノ殿は、なんでも御見通おみとおしでございますなぁ」

「いやさいやさ」


むしろネズミほど分かりやすい者もそういないのだが、東雲しののめはあいまいに相槌あいづちをうっておいた。


「赤鬼どもに勝利し、故郷を奪還し、明日には念願の船が出る。こんなめでたい席でなにをうれうことがある?」


トトはためらうように数度逡巡しゅんじゅんしたが、やがて観念して、ぽつりぽつりと言葉をこぼした。


「勝利、確かに勝利でございましょう……。ミクトランは穀物こくもつを豊富に産する土地。時にどろをなめ、朝露あさつゆ咽喉のどをうるおすほどに困窮していた我らには、夢ようなみやこでございます」


しかし、と大きな瞳が悲嘆ひたんに暮れた。


「たった一度の勝利を築くために、あまりにも、あまりにも多くの同胞どうほうを失いました。親も、兄弟も、苦楽くらくを分かちあった友朋ともさえも、皆トトを置いて、偉大なる真白ましろのもとへかえってしまった……」


東雲しののめ神妙しんみょうな顔で黙っていた。


ついぞ他人ひとと心を通わせてこなかった彼には、到底わかりえない苦悩である。


ただ、この小さな生き物が、恐るべき巨躯きょくと怪力を誇る敵を相手にしのぎを削るには、おびただしい犠牲が必要であったことだけは、容易に想像がついた。


「喜びを分かち合う仲間もおらず、どうして勝利に酔いしれることができましょう」


彼の小さな背中には、どんなに言葉を尽くしても語り尽くせぬ苦悩が重くのしかかっているようだった。

しかし、そんな過去の暗い幻影を振り払うように、トトは首を振った。


「ミクトランを陥落かんらくせしめ、一族の夢は成し遂げられました。ですからトトは、残された人生を、自分の夢のために使おうと決めたのです」


「自分の夢?」


西大陸ユーラヘイムを旅することにございます」


トトは肌身はだみ離さず背負っていたかばんの中から、ずいぶんと年季の入った一冊の手帳を取り出した。

日に焼け、黄ばんだ分厚いページには、米粒ほどの小さな文字がびっしりと隙間なく埋められている。


東雲しののめには読めない、異国の文字であった。


「祖父の遺品です」


まるで玩具おもちゃの宝物を自慢する子供のように、トトは手帳をめくってみせた。


「我らはご覧のとおり身体が小さい種族ですので、船を操り海を渡ることができぬのです。しかし若く好奇心旺盛だった祖父は、無謀にも赤鬼オグルの海賊船へ潜り込み、西大陸ユーラヘイムを十余年旅して、再び東大陸ホルンガルドへ舞い戻ってきた、奇特きとくなチミーでした」


誇らしげにトトは語った。


「一族の者の中には、祖父の話をホラと笑う者もおりましたが、トトは幼い頃から祖父の話す摩訶不思議まかふしぎ冒険譚ぼうけんたんが大好きで、暇さえあれば旅の話をねだったものです」


まだぬ空想の景色へ想いをはせるように、トトはゆるりと目を細めた。


「いつか自分の足で西の大陸を歩き、祖父の話が本当であったと確かめるのが夢でございました」


ふいに、トトは東雲しののめを振りあおぐと、あのだまりのような輝く笑みを浮かべた。


「しかしシノ殿と出逢い、トトはすでに夢をひとつ叶えてしまいました」

「……俺が? そりゃまたどういう?」


いそいそと開かれたページをむけられて、東雲しののめは軽く目を見開いた。そこに描かれていたのは、全裸の人間の図であった。


西大陸ユーラヘイムの人々に人間ニンゲンと呼ばれるその生き物は、住んでいる場所も、生活の様式も一切が謎に包まれた、うわさのみに聞く種族である。その姿、青鬼ユニルとおおよそ似かよっているが、角はなく、耳は短く丸い形状で、髪色はさまざま……。祖父の記録どおりでございました!」


「……そうだな」


読みあげられた内容に対していろいろと気になる点はあるが、あまりにもネズミが楽しそうなので、こまかく突っつくのはやめにしておいた。


いと疲労からくる心地よい倦怠感けんたいかんが、小難しい話など明日以降にせよ、と駄々だだをこねたのもある。


たまにはいいじゃないか、と東雲しののめは甘い誘惑に身をゆだねた。

今は、小さな毛玉けだまが語るまぶしい夢の話を、もっと聞いていたかった。


「それで、着いたらどこへ行く? 西の大陸にはなにがあるんだ?」


「それはもちろん、寄港きこうした場所から手あたり次第に!」


トトはうたうような軽やかな口振りで、旅先の候補地を手帳から拾いあげていった。


美食の街フルークトゥス、水中都市グッタ、宝石の山脈ミネラ、獣人のむ領域ナトゥーラ。


そして西大陸に住む種族についても、面白おかしく逸話いつわを語った。

黒き領民りょうみんインペット、小柄こがら凄腕すごうで職人コポント、美しき鳥人ハルピュリア。


とめどなくつむがれる物語を聞いているうちに、東雲しののめはいつしか自分がの地へ立って旅をしているような夢想につつまれた。


興味がそそられるままに西へ東へ、あてなく気ままな旅暮たびぐらしは、きっと毎日が驚きに満ち、胸躍る日々に違いない。


「そりゃあ楽しみだな」


無意識に、東雲しののめは笑っていた。

すると突然、トトがずい、と身を乗り出してきた。


「よろしければご一緒しましょう! トトは、シノ殿とともに旅をしてみとうございます!」


東雲しののめはそのあまりの勢いにぽかんと呆けた後、腹の底から笑い声をあげた。


「俺もそう思っていたところだ」


打算ではなく、心からの言葉だった。彼との旅はさぞかし楽しいことだろう。

二人は顔を見合わせて、ニッと白い歯をみせた。


そして、ボロボロのり切れた小さな手帳をのぞきこみ、ひたいをつきあわせるようにして、きることなく未知なる冒険の計画に華を咲かせたのだった。

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