②堕獄


すべて想い出した。


かくして彼の人生は、あえなく幕を閉じた――……はずであった。

東雲しののめはおそるおそるといった様子で、両の手の平を握りしめた。


「お、おぉ……!」


動く。足もある。

ぱたぱたと全身をくまなく叩き、しまいには犬のようにその場でくるくると回り出した。


「い、生きている……! いや、やっぱり死んだのか!? どっちだ!?」


彼を死にいたらしめた傷も、矢に塗りこまれていた毒も、きれいさっぱりなくなっている。こんな都合の良いことがあっていいのだろうか、まるで荒唐無稽こうとうむけい御伽草子おとぎぞうしのようだ。

あまりに非現実的な展開に東雲しののめは困惑し、胸や首筋に手を当てては、はやる心臓の脈動を何度も何度も確かめた。


死後の世界など、ありはしないと思っていた。

杉の巨木に身をあずけたまま、自分のすべてはあの瞬間に終わりを迎えるのだと絶望した。

それがどうだ。こうして自由に動かせる五体満足の体がある。これ以上に望むことなどあろうか……。


じわり、と全身が熱をおびる。次第に笑いが込み上げてきた。

笑うなど何年もしていなかったので、引き攣りうまく声も出せなかったが、彼は忍者になってはじめて、腹の底から思う存分笑い転げた。


「くッ、ははッ……! 生きてる、生きているぞッ!」


この際ここが地獄だろうと構わない。

たとえ寝物語に聞くようなむごたらしい奈落の底であったとしても、――それがなんだというのだ。そんなことは些細な問題に思えた。


もうけたのう!」


歓喜のあまり全身が震え、じんわりと汗までかいてきた。


黄泉よみの国のことなど詐欺法師の絵空事とまるで信じてはいなかったが、死後に続きがあるというならば、これまでのうつろな日々をやり直すことができる。

東雲しののめは息巻いた。どうせ一度は死んだ身である。鬼がいようと閻魔えんまが出ようと、もうなにかに縛られるのはまっぴら御免こうむる。


今度こそ何者にも指図されず、己の好きなようにやってやろうではないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る