遠藤
遠藤
入学当初から、遠藤は一部の学生のなかでも知られた存在だった。見た目はいいし、よく話すがうるさいというわけでもない。遊びに誘えば必ず応じるし、誰かの悪口を言うこともない。成績は中の上といった感じだが、毎回授業には真面目に出てくるし、なんならノートも貸してくれる。誰とでも仲良くするが、いつも一人でいる。そんなことで知られていた。
家族の話をしようとしない遠藤の親が、だから暴力団の組長であると知った時、学生たちは潮が引くように彼から去っていった。英二もそれを聞いて、橘君も気を付けて、と言われたものだったが、親と子では人格が違うしそんな親の元に生まれたのは彼のせいではないと思って、遠藤に挨拶されればし返したしノートを貸してくれと言われれば貸した。 学生たちのなかで、遠藤に対する態度が変わらないのは英二だけであった。遠藤は面白そうに言った。
「あんた、俺の親のこと知ってんだろ。知ってんのになんでノート貸してくれんの」
英二はちらりと彼を見て、面倒だな、でも返事をしないわけにもいかないなと思って、
「別に。あんたのせいじゃないだろ」
遠藤はその白い横顔を見てへえ、と感心の声を上げた。
「俺の母親みたいなこと言うんだな」
遠藤は英二の隣に座った。それを見て、周りの学生たちが避けるように席を立った。それらの視線にはお構いなしで、遠藤は言った。
「俺に友達がいないのはちっせえ頃から変わんねえ。それでも小学校まではつるんでる友達はいたけどな」
それも中学に上がる頃にはいなくなった、と大して面白くもなさそうに彼は呟いた。それから彼は食事をしながら、大学に上がるまでの話を英二に聞かせるともなく聞かせた。 この大学に入るくらいなのだから、頭はいいのだろうがもったいない話だ。親は選べないからな、などと英二は思っていた。
「あんた、女いる?」
食事が終わって立ち上がる英二に、遠藤は言った。
「いないよ」
「世話してやろうか」
「いらない」
なんだよつまんねえな、まさか童貞かよという声を背中に受けて、英二は歩き出した。 遠藤はついてくる。まくのも面倒だな、と思いながら英二は歩いた。
「女がいらないなら、こっちはどうだ」
遠藤がポケットからなにかを見せた。それをちらりと見て、英二はこたえた。
「薬はやらない」
「けっ、なにが楽しくて学生やってんだ。もっと遊ばないと卒業してから後悔するぜ」
校門を出る頃には、遠藤は彼から離れていた。遠藤は英二を見ると必ず話しかけてきた。 彼なりに疎外感を感じるなかで、英二の彼に対する態度が有り難かったのかもしれない。 会えば二言三言言葉を交わしながら、二年生になった。その年の夏には英二は
<le ciel>でバイトをし始めていて、大学に行くのも日を選んでということが増えていた。 大学に来ても英二がいないことが多いので、遠藤は話し相手がいないようである。たまに顔を出すと、狙っていたかのように彼はやってきた。
蝉がみんみんと鳴くなか、緑の樹の下を歩く英二を追って、その日も遠藤は来た。
「いいのが手に入ったんだよ」
そう言って校舎の裏まで引っ張り出された。
「その内死ぬよ」
「平気平気」
遠藤が袋から粉を取り出して歯茎にこすりつけ、またその粉を鼻で吸うのを見て、英二はため息をついてそこから立ち去った。蛙の子は蛙なのかもしれない。そう思った。
と、あちらから人が来るのが見えた。遠藤が薬をやっているところを見られたら、たちまち退学処分だろう。英二は後を引き返して遠藤に忠告しに行こうとした。
「――」
先程しゃがんでいた場所にそのまま、遠藤は倒れていた。口からは、泡を吹いている。 英二は辺りを見回した。人の声は近づいては来ない。
みんみんと、蝉の声だけがうるさく響いている。
遠藤が目を覚ましたのは、その日の夕方だった。彼は今いる場所がどこなのか、自分になにが起きたのかわからなくなって飛び起きた。
「気がついたか」
窓際には英二がいた。畳の上である。自分は布団に寝かせられていた。
「看護師のヒモやってる友人がいて助かったな」
英二は窓からつまらなさそうに表を見ていた。こいつの下宿か、遠藤はそこで悟った。
「――あんたがここまで運んだのか」
「重かったよ。タクシーで三メーターも走ったし」
遠藤はこめかみを押さえた。頭ががんがんする。
「これに懲りて薬はやめるんだな」
英二は言い置くと立ち上がった。
「どこ行くんだ」
「バイトだよ」
それから遠藤には目もくれずに、英二は下宿を後にした。遠藤は茫然とその背中を見送った。
蝉が、飽きもせずに鳴いている。
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