魔犬操士

白兎

第1話

 ワオーン! ワンッ、ワンッ。犬の遠吠えが、静かな夜に響き渡った。

「うるさいぞ! 俺は明日、入学式なんだ。寝かせてくれよ!」

 ワオン、クウ~ン。少年の言葉にしょんぼりと項垂れるのは、人よりも大きく、真っ黒で艶やかな毛が月明かりに輝く獣だった。

「ああ、今日は満月だったんだな。お前は満月が好きだからな。でも、今日はもう吠えるな」

 少年が言うと、獣は甘えた声を出して、その身体を小さく縮め、掌に乗るくらいの子犬の姿になり、少年のベッドへ飛び乗ると、枕元で身体を丸めた。

「よし、よし。いい子だ。さあ、お休み」


 翌朝、

義則よしのり、起きなさい。早くご飯を食べなさい。今日は支度もありますから、急ぎなさい」

 母の声で起こされた少年は、眠い目をこすり、

「分かってるって!」

 と答えて、居間へ向かった。

「おはよう、義則」

 父は既に朝食を済ませ、スーツを着て、出かける準備は済んでいるようだった。母は着物に割烹着を着て、台所に立っていた。

「もう、あなただけですよ、義則。あと三十分で家を出ますからね」

 そう言って、割烹着を脱いで畳んだ。

「じいちゃんは?」

 義則が聞くと、

「お父さんは、もう既に朝食を済ませて、仏間に居ますよ。お母さんにあなたが高校生になった事を話しているのでしょうね」

 と母が答えた。

「そっか。じいちゃんは来ないのか?」

「ええ。お母さんとお留守番ですって。入学式におじいちゃんが来るお宅もないと思うわ。そんなことより、早く食べて、お支度をなさい」

 母はそう言って、自室へ向かった。

「頂きます!」

 食べ始める義則を、優しい眼差しで見つめる父は、

「お前も、もう高校生か。早いものだな」

 と呟いた。


 十分ほどで食事を済ませると、

「それは私が洗っておくから、お前は支度をしなさい。遅れるわけにはいかないからね」

 と父が言った。

「おう、父さん。ありがとう!」

 義則は自室へ戻ると、急いで着替えて、洗面所で歯を磨き、顔を洗って、髪を整髪剤で整えた。

「我ながら、今日もいい男だぜ」

 義則が言うように、鏡に映った彼の顔は、凛々しく精悍な顔立ちだった。

「ほら、何をしているの。もう支度は出来たのですか?」

 自分に見惚れて、いつまでも鏡の前にいる義則に、母が厳しく言った。もう時間がないのだろう。

「分かったって。もう支度は出来た」

 母はそんな彼を見て、

「あら、あら。ボタンはきちんと留めなさい。シャツはズボンに仕舞って」

 小言を言いながら、義則の乱れた服装を正した。

「あっ、じいちゃんに言ってくる」

 義則は思い出したかのように言って、仏間へ向かった。

「じいちゃん、行ってくる。本当に入学式、来ねえの?」

 義則が言うと、

「俺はこいつと二人で留守番だ」

 と仏壇の写真を見て言った。

「そうか、ばあちゃんは来られないからな」

 義則が残念そうに言うと、

「お前、明子に挨拶していけ」

 と祖父が言った。

「あっ、忘れてたぜ。ごめんよ、ばあちゃん。おはよう、そして、行ってきます」

 義則は線香に火をつけて、手を合わせた。

『おはよう。行ってらっしゃい』

 祖母の霊魂が姿を現し、義則に微笑みを向けた。

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