真夜中の驟雨

羽里 扇

あの日、突然に母が逝った。

 かねてから、思春期に入った頃から、母との間には隙間風が吹きすさんでいた。あの日の朝に、登校のために黒色のくたびれたローファーの革靴に足先を突っ込んでいた時に、視界の隅をちらりとよぎった背中が、私が見た最後の生きた母の姿だった。

 そして、母が逝った後しばらくして、二人の親友といるときを除いて決して笑わなくなった。いや、もちろん、他のクラスメイトや教師といった、避けられない他者との人間関係の上では、相変わらず明るく振る舞う一人の女子高校生ではあり続けたが、真に心から喜び、笑い、はしゃいでいるのではなかった。


 父の記憶は断片しか残されていない。

 その一つとしては、どこかの公園のベンチで、母とおぼしき女の人の横に座っていた時の思い出がある。穏やかな陽気に包まれていた日だったから、そう小春日和という言葉そのもののような日だったから、季節は晩秋だった気がする。ベンチのすぐ前には大きな池があり、その水面みなもには、渡り鳥の群れが翼を休めに降りたのであろうか、水鳥がたくさん、波に揺られながらブイのように上下に動いて浮いていた。その池のほとりのベンチで、父は、固茹で卵の殻を割って剥いて、目の前に差し出してくれた。落とさないよう、落とすと転がって池に沈んでしまうから、と注意を与えながら。卵は大好物だったので、手渡された茹で卵を笑みを浮かべて頬張った。いや、卵の殻を取り除いて差し出し、落とさないよう注意したのは、ベンチの横手にあった茶店の人だった気もする。幼い私を連れて外に行くときには、母は、前もって食べ物や飲み物を準備して持って行くことはなかったように思うから、横にいたこの女の人が母であるならば、あの茹で卵はあの茶店で買ったものに相違なく、そうだとすれば茶店の人でも何も不思議はない。

 その二つめは、夏のお祭りの記憶である。お神輿が通る道筋に立っていた。道路の脇の人混みの中で泣いていた。ずっと背が高い大人の人たちが周りにいて、お神輿が見えないと泣きじゃくっていた。すると、父が、抱き上げて肩車をしてくれ、上からお神輿を見下ろせるようにしてくれた。父の肩の上で喜び笑い、人々の頭越しに、お神輿を担いで練り歩く法被はっぴ姿の氏子の人たちを見て、和太鼓の音や笛のを聴いていた。いや、父の頭にあんなに白髪があっただろうか。人混みの中で肩に乗せてくれたのは、母が懇意にしていた隣の小父さんだったというのが真実なのかも知れない。

 三つめとして心に残っているのは、どこかのお寺の境内にいて、手にお菓子を持っていた時のことである。サブレだった。鳩が二羽飛んできた。持っているサブレを狙っている。次から次へと仲間の鳩が飛んできて、サブレを盗もうと周りを巡り歩き始めた。あたり一面鳩だらけとなり、サブレを握り締めてしゃがみ込んだ。それでもまだまだ鳩が飛んできて、肩に、頭に、留まろうとして羽ばたいている。恐い。叫び声をあげ、父が駆けつけてきて鳩を追い払ってくれた。いや、父がこのお寺に来ていたならば、父は私の周辺からは離れないでいた筈で、鳩に囲まれてしまうようなことはない。鳩を追い払ったのは参詣者の誰かではなかったか。

 四つめの記憶は、春のことだった。同い年くらいの男の子と、あれは誰だったのだろう思い出せないが、その子と二人で広い草原くさはらの中で遊んでいた。私もこの男の子も、綿毛となったタンポポの茎を折り取り、息を吹きかけて綿毛を空に飛ばしていた。何本も何本も、茎を折っては飛ばしていた。そのうちに、この男の子に向けて綿毛を吹き散らすようになり、この男の子も私に綿毛を吹き散らした。男の子に綿毛を吹きかけている私を、父が目を細めて見守ってくれていた思い出がある。いや、あれは男の子の保護者であったのかも知れない。

 五つめの思い出は、正月の凧揚げ大会の会場にいた時のことである。土のグランドの会場では、日陰となっている所には霜柱が立っていて触った指先が冷たくて、犬の顔のアップリケが縫いつけられているポケットの中に手を入れた。会場には、同年齢くらいの子供は見当たらず、小学生くらいのお兄ちゃんやお姉ちゃんたちが大勢来ていた。みんな上手に凧を揚げるのに、どうしても私は駄目だった。べそをかきそうになった時に、父が代わって凧を揚げてくれ、それは高く高く昇って行き、その糸を握らせてくれた。父は、糸を引いたり緩めたりして風に乗せて揚げるんだ、と教えてくれた。いや、この大人の男の人は、凧揚げ大会の主催者のうちの誰かであって、凧を揚げられない私のことを可哀想に思い、見るに見かねて手伝って教えてくれた、という可能性が高いように思われる。

 六つめとして憶えているのは……もうそう、めよう。いくら記憶を辿ってみたところで、突き詰めて考えてみれば、父の思い出というものは、総て霧がかかったように曖昧なものとなってしまう。それが真に父のことなのかと問われれば、はなはだしく怪しくなってしまい、他の大人の男の人だったのかも知れないとの結論に行き着いてしまう。


 母と私のシングルマザーの家庭には、父の写真は一枚も無かった。


 小学校に入学する少し前までは、矢羽根市のマンションで暮らしていた。ある日、父の姿が消えた。突然、見知らぬ人が現れ、母に何事かを告げ、大声で母を怒鳴りつけた。母は、頭を下げて頻りに謝っていた。同じような光景を毎日のように何回も何回も目撃した。母から、誰が来ても決して答えずドアの錠を開けないように、と堅く命じられ、夜まで独りっきりでマンションに閉じこもった日が幾日か続き、県境を越えた皆川市にある、六畳一間・押し入れと簡単なキッチンとユニットバス・トイレから成る、階段が軋んで音を立てる木造アパートの二階の部屋に連れられて移り住んだ。

 市立笠井小学校の生徒だった時代には、母は、父のことは触れようとしなかった。もっとも、小学生の時には、母は、食品に特化したスーパーマーケットである大東ストアーのレジ係と商品補充係とを兼ねてパートタイマーで働き、更に、大東ストアーの仕事が終わった後には、二十四時間営業のコンビニエンスストアーであるフルタイム・マートの店員として夜中遅くまで働いていたため、私は朝の少しの時間しか顔を合わせる機会がない毎日を送っていた。朝、母に起こされて朝食をとり、独りで笠井小学校まで歩いて行き、授業を受け、給食を食べ、授業が終わると集団下校に混じってアパートまで戻り、自分で宿題と予習・復習を行ない、準備してある冷たくなった夕食を食べ、申しわけ程度のキッチンの流し台に置かれた洗い桶の水に食器を浸し、読書をし、風呂を沸かしてユニットバスに入ってから眠りについた。翌朝起こされると母がいて朝食があった。日曜日や祝日は大東ストアーの書き入れ時なので、食事を作り置きした母は早朝からアパートを後にしていたため、自分で目覚め、近くの市立の児童館に行き本を読んで過ごした。昼食のために一旦アパートに戻るものの、その後再び児童館に行って時間を費やした。平日に、たまに母がお休みをとってアパートにいる場合でも、たいがいは寝息を立てて眠っていたから、私はそっと静かにしていた。こんな日々の中で育って行き、父のことが話題となることは無かった。

 振り返って考えると、小学生の時代に母が父のことを全く何も言わなかったのは、生活費を稼ぎ父の後始末をつけるので手一杯だっただけでなく、母は、密かに、いつか父が戻って来るのでは、という淡い甘い希望を持ち、これを捨て切れずにいたためではないだろうか。

 この頃、小学生の頃には、睡眠中に頻繁に同じような夢を見た。夢の中では必ず、離れて立っている大人の男の人に向かって全速力で駆けていった。夢の場面は、ビルの屋上、児童公園、丘の上の木陰、遊園地などのときもあったが、波が打ち寄せている青い海の砂浜の場合がそのほとんどだった。海の夢の場合には、大人の男の人は、常に、水平線を背にして沖合からの浜風に吹かれて佇んでいた。逆風に押されながらも力の限り走って行き、ようやく辿り着いて倒れるように身を委ねると、男の人は、私を抱き締めて抱き上げてくれた。


 市立本町第三中学校に進学して思春期に入ると、この種の夢は全く見なくなった。本町第三中学校に進学した春から、このシングルマザーの家庭は急に大きく変わっていった。

 母の仕事が変わった。母は、ある日、夜まだ早い時刻なのにアパートに帰ってきて、もっと楽で稼げる新しい仕事が見つかったからこれまでの大東ストアーの仕事とフルタイム・マートの仕事はもう辞める、と言った。それは、発情期の野良猫がアパートの部屋の窓の下でグルグルと喉を鳴らしていた春の夜のことだった。本町第三中学校の入学式を控えた二日前のことだった。

 母が見つけてきた新しい仕事とは、母の説明によると、何でも、単身赴任で皆川市に来ている大手證券会社の地位のある五十歳前後の方の家政婦で、この方は酒も飲まず煙草も吸わず仕事一本鎗の真面目な人であり、仕事の内容は、食事を作り、洗濯をし、広いマンションの部屋の掃除をし、ただしネットを通じて株の取引をしている仕事部屋には立ち入ってもらっては困るそうだからここは掃除をしなくていい、練り歯磨きやら歯ブラシやらボックス・ティッシュやら髭剃りの替え刃やらの生活消耗品を買い出しに行って補充し、風呂場や洗面台やトイレの清掃をする、といった家事全般であり、最新式の家電が総て揃っていることもあるから実に楽なもので、仕事をするのは、土曜日・日曜日の全日と、水曜日の午後三時過ぎからであって、これらは、株の取引が無い週末と、間隔が開き過ぎないよう週の途中で一回株式市場が終わった後に、家事処理に来て欲しいとの意向であり、できれば株の取引が無い祝日も来てくれれば有難いと言っていた、とのことだった。軽い家事作業でありながら、週三日だけなのに、これまでの仕事で貰っていたよりももっとずっと多くのお金が貰える、祝日も行けばその分の追加のお金も貰える、と喜んでいた。

 本町第三中学校に入学したのとほぼ同時に、母は仕事を家政婦に変え、このシングルマザーの家庭の家計は、決して豊かとは言えないものの、以前と比べてゆとりが生じるようになっていった。母は、今後はたくさんお金が稼げるから、と言って、中学校入学のお祝いとして中古品の携帯電話を買い与え、母自身用にも中古の携帯を買った。皆川市本町のこのアパートに移り住んで以降ほとんど化粧をしていなかった母は、毎日口紅を差すようになり、以前よりも頻繁に美容院に行くようになった。笠井小学校の時代に、父母参観日に学校に来ていた同級生の母親と、貧相でみすぼらしい母とを比べて、引け目を感じていたので、初めのうちは徐々に美しく変わってゆく母を単に喜んで見ていた。

 初めての中間テストが終わった頃になって、母は、急に気づいたように、父によく似ている、父を女の子にしたとすればそっくりだ、などと言い放った。母とは容姿が全く似ていないことは一見して判るものの、父と似ているのかどうかは、父の写真が無い以上判断できないでいる。

 笠井小学校の時代と比べ、本町第三中学校の時代には、祝日ではない限り、月曜日、火曜日、木曜日、金曜日にはアパートの部屋で母と顔を合わせる機会があることとなった。しかし、母は決まって視線を逸らせて黙りこくってしまい、私も母を疎ましく思って避けるようになっていった。その頃は、小学生時代の放置同様の仕打ちに関し母が負い目に思っているだろうことと、中学生となり私が親離れの時期に入ったことから生じたものと、その原因を理解していた。母との関係は、例えて言うとすれば”言葉を交わすことが滅多に無い同居人同士“のようだった。

 中学生のこの頃になると、以前と違って母は父のことを語りだした。もっとも、私に聞かせるためではない様子で、自分で自分に言い聞かせる独り言のように受け取れた。憑霊した霊媒師が死者からのメッセージを呟くように、ぶつぶつと低い声で言っていた独り言と繰り言は、六畳一間を生活空間として共に暮らしている同居人である私に、私の耳に、容赦なく届いてまとわりついてきた。この時期に至って、独り言や繰り言とはいえ父のことを喋り始めたのは、生活にゆとりができたことと、母が淡く甘い希望を捨て去り、もう父が戻って来ることはない、戻って来なくとも差し支えはない、と心の中の父の残像を拭い去ったことが理由であろう、と考えていた。

 順不同に呟く独り言を、断片的で小間切れ状態の繰り言と併せて、順序良くつなげて総合してみると、全く知らないでいた父と母の姿がおおよそ浮かび上がってくる。

 母は、岡倉市の賑やかな繁華街である五十鈴町豊栄銀座の、その中央の一等地に店舗を構えた、江戸時代から代々続いている呉服屋の娘として生まれ、由緒ある店の承継者として年の離れた養子の兄が一人いた。母の父である私の祖父も、母の母である私の祖母も、もう子供は授からないものと諦めて養子を迎え老舗の家業を継がせる準備を終えていたところ、年をとってから急に母が授かったため、実子である母のことを猫っ可愛いがりに可愛いがったらしく、母は随分と甘やかされて育った様子である。

 母は、岡倉市の女子学習院とも称されていた私立の総合女子学園を、その初等部から入学して短大までを卒業した。独り言によれば、短大生の秋に学園祭に来ていた父と知り合ったそうである。母が高校生や短大生であった頃の女性向けの雑誌には、結構頻繁に「カレシがいない学生生活はつまんなくて最低」などといった記事が掲載されていて、二年しかない短大生としてのキャンパス・ライフの期間のうちに甘い甘い”カレシがいる学生生活“を味わわなくては、と思い込んだ母は、焦りもあったのであろう、父に引っかかってしまった。

 父は、当時から岡倉市の地元ではあまり評判が芳しくない四年制私立大学の軟弱な学生であって、”成るようにしか成らないさ“という投げやりな生活態度で暮らしており、いわゆる”ナンパ“の目的で総合女子学園の学園祭を訪れていたものらしい。

 祖父も祖母も、あんなへらへらした奴のどこがいい、つきあうな、と猛烈に反対したものの、母には引くに引けない事情があった。すでに私が胎内にいたのである。父は、他家よそ様の大切なお嬢様を孕ませたことにより逆上した父の両親から勘当され、家から叩き出された。父は、責任を取らされる形で大学を中退し、短大卒業後に実家で家事見習いをしていた母と駆け落ちして、岡倉市から少し離れた矢羽根市に流れ着いて生活を始め、私が生まれた。

 しばらくの間平穏な日々が続いた。そう、私が小学生になる少し前までの間は。記憶の中におぼろげに残存している父らしき男の人の思い出は、薄っすらと憶えているこの男性が真に父であるならば、この束の間の幸せな時期の思い出に違いない。しかしながら、このささやかな幸せのひとときは、実に呆気なく、突然に破綻した。父が失踪したのだった。母と私を放り出して、多額の借金を残して。

 独り言と繰り言は、父が行方不明となった経緯いきさつについては、ときと場合により食い違っていて一貫しない。外で女を作って、あちこちから借り入れて、女と手に手を取って集めた大金とともにどこかに消えた、とか、色仕掛けの女に騙されて、良く解らないうちに書類に印鑑を突いたら、それが女の借金の保証人となることを承諾する旨の念書であって、女は逃げ、結局女の多額の借金を丸々肩代わりする羽目に陥り、どこかに雲隠れした、とか、はたまた、手練手管にけた女に入れあげ、貢ぐために借金を繰り返し、利息も膨れ、雪ダルマ式にずるずると増えていって、とうとう首が回らなくなってしまい、どこかに逃げた、とか、女が絡んでいることと、父に対して凄まじいばかりの憎悪と怨念をいだいていることは解るものの、女の絡みと借金について、独り言や繰り言の内容は時々において随分と違い、父が蒸発した理由が正確には何であったのか解らない。明らかなのは、父が行方を晦ますと、母の元に、多数の借金取りが津波のごとくに押し寄せてきたことだ。母は、矢羽根市のマンションは月々の賃料も高かったこともあり、この皆川市の古いアパートに移り住もうと決めた、と独り言を言う。あの時に予想したとおりに、借金取りの幾人かは皆川市までは追いかけてくることがなかった、と呟いた。それでも諦めずに皆川市まできて大東ストアーの従業員用出入口の前で待ち伏せている借金取りには、市役所の生活相談課で教わってきたとおりに、父の借金の保証人ではないから支払う義務はないと伝えて押し返し、まだ諦めない借金取りに対しては、パートやアルバイトの仕事の収入しかなく日々食べていくのがやっとで支払うことはできないと言って聞かせ、どうしても諦めずにフルタイム・マートからの帰り道で絡んでくる借金取りには、収入だけでなく資産も全く無いから絶対に支払えないと言い切って断念するよう促し、最後まで諦めないで粘る借金取りに対しては、なけなしの手持ちのお金をはたいて渡し、相手方の面子メンツを立てた上で、これ以上はとても支払えないと断言して無理矢理に示談にして帰ってもらい、何だかんだで五年以上かかったものの、ようやく執拗な取り立てから解放された、と呟いていた。

 祖父や祖母の反対を押し切り駆け落ちを決行した母にとって、実家はすでに遠い存在であり、それみたことか、と叱り飛ばされるに決まっている祖父や祖母に頭を下げることはできず、また、老舗を継ぐために養子となった血の繋がりがない母の兄、すなわち私の伯父、に疎んじられ、今後長い間に亙って肩身の狭い生活をするのを望まず、実家には何も知らせることなく、この皆川市で職を求めたものの、家政婦の職を見つけるまではいい仕事に就けずにいて、厳しい職場で働き続けざるを得なかった、と繰り言を呟いた。


 母が逝った翌日に、医者から指示を受けたとおりに、死亡届を皆川市内の法務局の出張所に提出に行った。その折に、戸籍の謄本と住民票の写しを手に入れて調べてみた。母と私は未だ父の戸籍に入っていて、近日中に母の死亡が戸籍に記載されるだろう、とのことだった。戸籍は、矢羽根市のマンションの住所のままになっていた。父の住民票は矢羽根市のマンションのままで、母と私のは、笠井小学校に入学する三日前の日付で、矢羽根市のマンションから皆川市のアパートへと転居になっていた。戸籍上も住民票上も、父は矢羽根市のマンションで生きていることとなってはいるが、失踪した父の行方は全く知れない。

父の父・父の母は、戸籍上も住民票上も岡倉市弘谷町桐若葉に住んでいることとなっていたので、速達の手紙を出してみたが、「受領拒否、差出人返戻」の文字が封筒の表面に手書きで加えられた状態で手元に戻ってきた。借金取りが父の実家まで押し寄せて来て騒動があり、父の老いた両親は、すでに勘当して縁を切った馬鹿息子である父のことには、何であれ、金輪際係わり合いを持ちたくないのだろう、と容易に理解できた。

 母の実家についても遡って調べてみたところ、祖父も祖母もすでに他界していた。伯父はどこかで生きているらしい。しかし、伯父に送った速達の手紙は、伯父の戸籍上の住所であり祖父や祖母の閉鎖戸籍の住所でもある岡倉市土橋町大字畑中字新郷に宛てたものも、伯父の住民票上の住所である岡倉市土橋町大字盛宮字平野に宛てたものも、いずれも「あて所に尋ねあたりません」との郵便局の赤いスタンプが押されて手元に戻ってきた。

 また、皆川市本町にある県立中央図書館に行き、参考資料室に置いてあるNTTの全国の職業別電話番号簿「タウンページ」のうち岡倉市の最新版を調べたところ、母が独り言や繰り言で何回も呟いていた屋号の呉服屋は岡倉市に存在しておらず、現に商売をやっているならば職業別電話番号簿には掲載されている筈だし、由緒ある屋号を変えてしまうことも考えられないから、伯父はもう老舗の呉服屋を畳んでしまったものらしい。今の世の中、和服の需要者は茶道の師範や華道の師匠くらいのもので、成人式を迎える若い女性ですら晴れ着をレンタル店で借りて済ます御時世だから、呉服屋なんて時代遅れの衰退産業にほかならない。

 それにしても不可解なのは、独り言では、母が生まれてから駆け落ちをするまでの間暮らしていたのは、岡倉市の中心の繁華街である五十鈴町豊栄銀座の、くだんの老舗の店に隣接している大きな広い屋敷、とのことだったが、母の戸籍や住民票を遡って辿ってみても、祖父や祖母の閉鎖戸籍や住民票の除票を調べてみても、いずれも五十鈴町豊栄銀座ではなく、岡倉市の辺境の土橋町大字畑中字新郷となっていることで、これは伯父の戸籍上の住所でもある。あるいは、実家は代々続く名門の呉服屋で由緒ある旧家の実の娘、というくだりに関しては、独り言は、見果てぬ母の夢だったのであろうか。いやいや、地方の有名な総合女子学園で初等部から短大まで学んだことも、父との出会いも、駆け落ちすらも、総ては、微睡まどろみのうちに覚めやらぬ母の意識が紡いだお伽噺であったのだろうか。


     *


 西皆川駅の駅前にある横断歩道で、歩行者用の信号が青になるのを待っている。いつもの通学時にも青に変わるまで待たされたことがあったけれども、こんなに長く待っていたのだろうか。ようやく信号が青に変わり、早めに登校する生徒の疎らな群れの一人として、学校までやや早足で歩いて行く。今朝は早く学校に着いて、担任に報告して届出書を提出しなければならない。あまり長く欠席を続けていると、忌引なので出席日数不足で留年となってしまうことはないにしても、授業に追いつくのも努力が必要となるだろうし、期末テストも迫ってくることから、今日から高校生活を再開しようと足を速めている。菜摘なつみ小波こなみには、今朝アパートを出る時に、今日から登校することを携帯のショートメールで送信して伝えている。値段が張るスマホは中古のものであっても買えないし、いくら何でも母の遺品は使う気にはなれず、母のスマホは総て解約した上で遺影の前に置いてある。携帯であっても、電話の通話料金が高いので専らショートメールを使っている。菜摘からも小波からも返信のメールが来ていないのは、送信したのが登校前の忙しい時だったから未だ読んでいないためではないだろうか。角を左に曲がると、視界の正面に校門が見えてくる。久しぶりに来てみると、校門の門柱にある「県立皆川高等学校」との青銅製の浮き出し文字が懐かしく感じられる。不思議なものだ、そんなに長く欠席を続けていたのではないのに、ここまで心に染みてくるなんて。皆川高校では、一年生の教室は本館校舎の一階、二年生のそれは二階、三年生のは三階に配置されており、四階には音楽教室、教員室、校長室、教頭室がある。美術教室と理科の各実験室は第一別館に存在していて、図書館、学食、部活の部屋は第二別館となっており、これらの建物以外にも温水プールを含む体育館がある。まずは6組の担任の大橋おおはし先生のところに行って挨拶方々欠席を続けた事情の詳細を説明しようと、四階まで階段を小走りに駆け昇って行く。背中でポニーテールが軽やかに跳ねて踊っている。


 報告と届出書の作成・提出を済ませて階段を降り、二階の二年6組の教室に向かうと、菜摘と小波が廊下に出て待っている。

「お久しぶり、大丈夫?」

「思ってたよりもずっと元気そうで、安心したよ。メール送っていつから来るのか訊こうか、って思ったことがあったけど、菜摘に相談したら、当面は静かに放っておいてあげる方が絶対にいい、って反対されたから、何も連絡しなかったの」

「心配かけさせちゃったね。最初はどうなることかと思ったけど、今では落ち着きました。勉強遅れるといけないから、今日から学校に来たの」

「一昨日がお誕生日だったから、私たち、ひょっとしたら一昨日から来るんじゃないかと思ってたんだけど、来なかったから、よっぽどショックを受けてしまったのかなあ、って気にしてたとこ」

確かに母が突然に逝ったのは衝撃であったものの、二人が想像しているようなものではなかった。会話をすることのない同居人が急にいなくなって、今後の生活をどうするか慌てた、というのが実感だ。

「ところで、お誕生日おめでとう。ようやく十七歳ね。これが私たちからのバースデープレゼント」

菜摘が包装されている小さな箱を差し出す。小波の誕生日は四月十一日で牡羊座のAB型、菜摘の誕生日は七月八日で蟹座のO型、私だけが早生まれの山羊座でA型となっている。三人の間では、誕生日を迎えた人に、残りの二人が共同でバースデープレゼントを贈ることと決めている。菜摘が差し出した小箱は、夜空の三日月と星とを意匠にしたラッピングペーパーで覆われ、ターコイズブルーのリボンが掛けられている。

「開けていい?」

「もち」

二人が同時に同じ返事をする。指先が不器用な私は、はやる気持ちを押さえつつ、時間をかけて結び目を解きリボンを外す。店のシールを爪の先で剥がして丁寧にラッピングペーパーを取り除く。白い小箱だ。蓋を開けてみると、中には、パッキングに包まれて、クリスタルガラスの粒々をあしらった、ハートの形をしている小さなペンダントヘッドが入っていた。

「わあっ、どうも有難う。こんなに素敵なものを頂いて」

「行くわよっ、せえの」

「ハッピバースデーツゥユー、ハッピバースデーツゥユー……」

小波の合図で、練習したであろう二人が美しいハーモニーのデュエットで歌いだすが、歌いきる前に授業開始の予鈴のブザーが鳴った。今日の第一時間目は数Ⅱ・B。瀧澤たきざわ先生は時間厳守をモットーとしていて、瀧澤先生が教室に着く前に生徒全員が着席して教科書の該当頁を開いていなければ手厳しく文句を言う。合気道部の顧問をしていて有段者である瀧澤先生には鉄拳制裁伝説があり、男子全員がこの”瀧先の鉄拳制裁伝説“を恐れている。私だけでなく菜摘も小波も数学は苦手科目だから、変に瀧澤先生の反感を買ってしまっては困るので、三人とも廊下から教室に駆け込んで行く。


 第三時間目は美術だ。大学受験では美術は不要なので、美術よりも入試で選択する生物や日本史をもっと学びたいのだけれど、カリキュラム上芸術科目が一科目必須となっているため、工芸・美術・音楽の中から美術を選んで、辛抱して授業だけは出席している。美術教室は第一別館の四階。二年6組の教室から第一別館に向けて歩いていると前方から嫌な奴が近づいてくる。フランス語教師の茂原しげはらである。

 茂原は、三十代も終わりに近い年齢になっているのに未だに独身で、どこかなよなよしていて、フランス語でなく日本語を喋るときであっても巻き舌で甘ったるく言葉を発する。こいつは、本人は全く気づいていないものの、女子生徒全員から”にやけた野郎“と侮蔑されている。単なる自己満足でしかないのに常に男性用化粧品を使っていて、それが微香性のシェービング・クリームやアフター・シェーブ・ローションならまだ許せるのだろうけれども、いつもコロンのきつい臭いを胸元から周囲に漂わせている。そのため、こいつが近づいて来ると、鼻で息をしているとコロンの臭いで気持ち悪くなってしまうため、意識して口をパクパクして呼吸しなくてはならなくなるから、この気色悪い独身男は「パク」と呼ばれている。本当に鼻摘まみ者である。パクは、これでも自分では女性にもてようとコロンをつけて努力しているつもりなのだろうが、全く逆効果であることに気づかないでいる。パクは、可愛いい女子を見つけると何かと理屈をつけて擦り寄って行くし、パクが階段を昇るときには、上から降りてくる女子がいると、その胸が揺れているのを目で追って途端に昇る足取りが遅くなる、すれ違うまで。女子の中には”ヘンタイ“呼ばわりする者も少なくなく、私は、ヤゴが変態をしてトンボになるように、パクがある朝目覚めると巨大な褐色の虫に変わっていたならば、とシュールな想像を巡らせている。

 パクは立ち塞がるように前に来て言う、

「ボクにできることがあれば、いつでも相談に来てくれたまえ」

何が”ボク“だ、嗤わせるなよ。大体どこの高校に生徒に対して自分のことを”ボク“なんてため口表現で言う教師がいるか。パクは、伏し目がちを装いながら、さり気なく舐めるように私の胸元を見ている。パクは二年6組の担任ではなく、私がフランス語を選択履修しているわけでもない。パクの言葉は、母が逝き独り残されたのをチャンスだとして下心から発された、と見え透いている。教師が両親ともにいなくなった生徒のことを心配して何が悪い、問題となった場合にはそういった小賢しい自己弁護の理屈を並べ立てようと、すでに逃げ道を決めた上での発言だろう。だがパクは教師の立場にいて、生徒である私の立場は弱く、下手な受け答えをしてしまえば、パクは立場を悪用し強烈なしっぺ返しをしてくるだろう。上手に身を翻して逃げなくては。演技と気づかれないように微笑を浮かべて丁重に、

「有難うございます。茂原先生のご厚意には感謝いたしますが、でも、朝に担任の大橋先生に直接事情をお話ししましたとおり、亡くなった母の兄である伯父が生活を助けて下さるので、このまま、いままで通りにこの学校で学び続けられますから、何も困っていることはありません」

有難迷惑、あんたは担任じゃない、余計なお世話、あんたの出る幕はない、と皮肉を込めたのに、これに気づかず怯まないパクは、

「キミ、部活のほうは?」

あくまで接点を捜すつもりらしい。

「もともと部活は何もやっておりません。運動部も文化部も。完全な帰宅部です。でも、そのために、掃除や洗濯などのための時間がとれます」

生活の話が出たので鼻白んだ様子で、

「そうか」

気まずい雰囲気を察したのか、ひと言だけ小声で言い、パクは立ち去って消えた。

 ふうっ、神経使うよ、油断も隙もありゃしない。ったく、ざけるなよ、間抜けで腑抜けのエロ教師めが。生徒の弱みにつけ込もうとしやがって。こういうのは、スクール・セクハラって言うんだぞ。急がないと美術の授業開始に遅れてしまう。


     *


 そう、部活は全然行なっていない。学業以外の高校生活で楽しむのは、折々の学校行事と、親友である小波や菜摘とのお喋りと、学校の図書館や公共の図書館を利用しての読書で十分ではないかと考えている。入学した当初は、試しに二ヶ月ばかり文芸部に所属してみたのだけれど、部員は、男子は”うらなりの唐茄子“のような色白の二年生が一名いるのみで、あとは女子だけで、その結果なのか、部員の多数決で決める月々の読書課題小説が、田中英光『オリンポスの果実』、アンドレ・ジイド『狭き門』、ロンギュス『ダフニスとクロエー』と純愛ものの恋愛小説ばかり続くのでは、引いてしまって部活を続ける気が失せてしまった。どうしてもっと、人生を考えさせられるような小説を読もうとしないの? 例えば、石川達三『幸福の限界』とかヘルマン・ヘッセ『車輪の下』とか。

 私の読書歴は笠井小学校の時代にまで遡る。笠井小学校では、下校時には生徒を一旦体育館の前に集合させ、クラスを問わずに帰宅方向が同じ生徒ごとに集めて集団下校させていた。始めのうちは集団と一緒に歩いていたが、ほどなく、一人だけ集団から少し遅れて付かず離れず歩くようになった。帰り着いたアパートには、ファミコンもティラミスも無かった。前に住んでいた人が残していった、薄汚れたカーテンがそのまま窓に下がっていて、宿題を終え教科書を読んで予習・復習をした後は、笠井小学校の「としょかん」から借り出してきた児童書を読むこと以外にはすることが無かった。児童書では、出てくる漢字には必ず平仮名でフリガナが添えられていたので、まだ国語の授業で習っていない漢字であっても読むことはできたし、意味が解らない漢字は、翌日の昼休みに「としょかん」に行って「こどもじしょ」を調べて次々に理解していった。昼休みの時間は、校庭で遊ぶ生徒たちの歓声を窓を通して聴きながら、いつも「としょかん」の椅子に座っていた。

 その頃の一番のお気に入りの小説は、フランシス・バーネットの『小公女』だった。この小説は、ストーリーを細部まで憶えてしまったくらい頻繁に読み、主人公のセーラ・クルーに感情移入していった。ジュール・ヴェルヌの『海底二万里マイル』も読んだ。潜水艦で世界の海を巡る謎のネモ艦長の話に心を躍らせた。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズは全巻読破した。名探偵の明智小五郎が怪人二十面相の正体を「遠藤平吉」と見破っていた時は目を丸くしたけれど、少年探偵団には、高校を卒業して探偵団の顧問となった花崎マユミお姉さまを除くと、団員の女の子は宮田ユウ子ちゃん一人だけしかいなくて、これが不満だった。

 小説以外の本で好きだったのは伝記だった。偉人の伝記を通じて様々なことを学んでいった。『ナポレオンの光と影』、『江戸の和算の数学者関孝和―円周率の計算に挑戦する―』、『ニュートンと万有引力』、『野口英世の生涯』、野口英世の母の名前はシカ、姉の名前はイヌ、と知って、どうして野口英世の名前は動物の名称ではないのか、例えばウシとかサルとかではないのか、と頭を傾けてしまったのを憶えている。

 読書を始めてから、私の学力は伸びていった。国語では、授業で新たに習う漢字はすでに読みも意味も知っていた。社会、理科、算数の成績も向上して行き、級友たちも学業成績がよくなった私には一目置くようになり、”いじめ“から脱出できた。ただ、実技を伴う教科は苦手だった。病弱ではなかったが貧弱な体格だったため、腕の筋肉が細く、いつまでたっても鉄棒の逆上がりができなかった。音楽は、縦笛の穴を上手に指で押さえられなかった。

 本町第三中学校に進学すると、手当たり次第に本を読むようになった。学校の図書館が新規に購入した書籍は、すぐに借り出して読んだ。指先が切れてしまうような、頁が真新しい本の微かな紙の匂いが好きだった。皆川高校に進んでからは、伝記は読まなくなったものの、小説だけでなく、詩集や和歌集も読んでいった。外国の小説のうち英語で書かれているものは、短編であれば、中央図書館などで原文の本を捜し出して、無いときには場合によってはリクエスト用紙に記入して購入してもらい、英和辞典を脇において原文のまま読んでしまうようになっていった。


     *

 

 電車の窓ガラスを通過して射して来る陽差しに背中を温められていて、うとうととつい眠くなってきてしまっている。姫宮幸町駅行きの各駅停車は、皆川本町駅から西に四駅進んだ秦之坂駅で、後から来る特急列車の通過待ちのために停車している。


二年生三学期の期末テストも無事に終了して十日間が過ぎた今日は、”三美会“が開かれるので、菜摘の家に向かっている。先ほど菜摘に、”遅れてしまってご免、今、秦之坂に着いたところ“とメールで伝えたところ、”小波も遅れているから大丈夫よ“との返信が届いた。菜摘の家は皆川市の西隣りの菅谷市にあり、この秦之坂駅から更に西に三駅行った瑞穂八幡前駅で下車し、南に十分ばかり歩いた閑静な住宅地域の中にある。庭が広い戸建住宅である。

三美会っていうのは小波の提案で決まった名称であり、皆川高校の”女の“の略となっている。名称の提案時に菜摘は、ちょっとそれ、自惚れていて傲慢じゃない? と眉を寄せて難を示したが、賛美歌にも通じる綺麗な響きの名称だから、との反論が提出されて、採決の結果賛成多数で、と言っても小波と私の賛成・菜摘の棄権で、三人が一堂に会して種々雑多なお喋りを楽しむ集いのことを三美会と称する、との議案が承認・可決された。女子の集団は、人数が増えると集団内部で派閥争いが生じ、分裂して崩壊してしまうのが通常で、後々まで感情面のしこりが残ることもままあるから、三人が適正人数だと思っている。小波と菜摘は心底から信頼できる親友であるが、そのような親友であっても知られてはならない秘め事はある。


 特急列車がプラットホームの向かい側を慌ただしく通過して過ぎ去り、この各駅停車はドアを閉めて発車する。


 小波は本町第三中学校時代からの友達である。本名は直美なおみ。正直で美しい娘に育って欲しい、という願いを込めて両親が命名したのだそうだ。本当の名前が直美なのになぜ小波と呼んでいるのかというと、本町第三中学校時代には同じ学年に直美という名前の女の子が二人いたために、女子の間で、背が高い方の直美を大きな直美、”大直美おおなおみ“こと”オオナミ“と呼び、私の親友の方の直美を小さな直美、”小直美こなおみ“こと”コナミ“と呼んで二人を区別していたけれども、すぐに”大波“と”小波“の漢字のニックネームとなったもので、高校受験の折に大波は私立岩泉女子高校に進んだため、皆川高校では同学年には直美は一人しかいなくなったけど、従前と同じく小波と呼んでいる。この小波というニックネームは、他の中学校から進学してきた同級生の女子の間でも定着している。

 小波は中学生時代から水泳部に所属しているアスリート。滑らかな流線形をしている小波の体は、二の腕がちょっと太めという些細な欠点はあるものの、健康そのものの体形をしており、同級生の女子の中では抜群のナイスバディを誇っている。ウエストサイズがヒップとの比で十対十四であり理想の体形の七十パーセントにほど近い私であっても、小波の筋肉質で引き締まったボディラインには位負けしてしまう。水泳の邪魔になるからとの理由で、小波は髪を短くボーイッシュに切り揃えているが、この点、長く伸ばしている私とは違う。小波は本当の名前のとおりに正直だが、正直過ぎて他人の繊細な気持ちまで推し量ることができないときがあり、稀に、悪意は無いけど配慮に欠けて、他人の心の傷を逆撫でするようなことを全く気づかずにぺろっと言ってしまう、という欠点がある。けれども、性格に裏表や陰日向が無く、さばさばしていて気さくな友達だ。特に、小波のユーモアのセンスは秀でていて、他人をついつい笑わせてしまう天賦の才能を持っている。私にとって小波とは、人生という物語のうちの中学生時代という三年間に亙る諸々の段落を共に駆け抜けてきた友、といった感じで、実際、本町第三中学校の時代には小波と手を取りあって学校の廊下を歩いていた。小波の家族は両親と弟一人で、進路については、水泳の実績で体育系大学に推薦入学するのを希望しており、それが叶わぬ場合に備えて受験勉強も始めなければ、と言っていた。


 電車が瑞穂八幡前駅に到着したので、下車して精算機を使って精算を済ませる。自動改札機に精算券を入れて通り抜け、駅の南側に出て歩き始める。


 菜摘は、皆川高校に進んでからの友達である。入学してすぐに、学校の図書館の蔵書目録を検索して読みたい本の有無をチェックしたところ、本町第三中学校の時代から読んでみたいと思っていたジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』が見つかった。ただし、その時点では貸出中で、返却後は一名の予約が入っているとのことだった。予約を入れていたのは同じ6組の菜摘という女子だった。そこで、クラスメイトなのに心当たりがないこの菜摘という女の子を捜し出して声をかけ、ずうずうしくも予約上の順番を譲ってくれないか、と持ちかけた。菜摘は、至ってのんびりした口調で、それなら谷崎潤一郎の『細雪』を読むから『怒りの葡萄』はお先にどうぞ、と順位を譲ってくれた。『怒りの葡萄』を読み始めたものの、思いのほか読むのに骨が折れ、なかなかこの長編小説の終わりまで辿り着けず、とうとう貸出期間が終わる日の前日になってしまった。そのため、貸出期間の延長を承諾してくれるよう菜摘に頼み込んだ。菜摘は、『細雪』は読み終わってしまったけど、それなら次にアーネスト・ヘミングウェイの『武器よさらば』を読むから、とゆったりとした言葉使いで言って延長を認めてくれた。時間をとって菜摘と文学のことを話してみて、菜摘の、小説を読むということは自分と違ったもう一つ別の人生を経験すること、知らない生き方を知ること、という見解は、表現の差こそあれ私の意見と全く同じであることが解り、菜摘の中に文学少女としての私の同一人物ドッペルゲンガーを見出した。このようにして、『怒りの葡萄』の一件を契機に、菜摘と親友になった。

 そもそも菜摘との名前は文学好きに相応しい名前で、お父様が知人の著名な国文学者に依頼して考えてもらったものだと言う。早春の丘に菜を摘んでいる乙女がいて、この乙女を見かけたみかどが一目惚れして求婚した、という恋歌が萬葉集にあり、これが名前の由来なのだそうだ。菜摘は一人っ子で、ぽっちゃりとしていて色が白く、茶道部に所属しており、お母様に勧められて草月流華道の稽古にも通っており、ケーキやクッキーを焼くのを趣味にしていて、ナッツケーキもシフォンロールも、ガトーショコラもビスコッティも、とても上手に作っている。もう一つ、菜摘は、6組の自分の席に座ってばかりいるような印象なのに、不思議なことに学校内のあちこちで立っている噂話に詳しい。何組の男子の誰は原付の免許を取ろうとしていて、そのための教本を捜している、教師の誰は水虫の治療薬を液体状のものからクリーム状のものに変えた、何組の女子の誰はリュックの中の隅にマニキュアと除光液を隠し持っている、などおよそ校内の噂はほとんど知っている。菜摘は、中学校は私や小波と違い、菅谷第五中学校を卒業している。


 小波と菜摘、本来相性が良くない牡羊座と蟹座、性格が正反対のAB型とO型、一見したところでは全くもって水と油であるこの二人を結びつけたのは、媒介変数であるこの私。


 菜摘の家に着き、お母様に御挨拶をしてから階段を上がり、二階の菜摘の部屋に入ると、小波はもう先に着いていた。

「あれっ、ポニーテール止めたの? いつもポニーテールにしてたのに」

「そう、止めたの。これまでは、母が、女の子は髪を結いなさいって口やかましく言ってたから、仕方なく妥協してポニーテールにしてたけど、うるさい母が亡くなって自由になったから、ポニーテール、止めたの」

菜摘の問いに答えた。校則では、髪にパーマをかけたり、髪を染めたり脱色したりすることは禁じられているが、髪は必ず結えという規定は無いから、長いまま伸ばしていて差し支えない。もっとも、夏休み中に部活が無く登校しない女子の中には隠れてパーマをかける者もいて、そういった女子は、九月の初めには、誤魔化すために強引に三つ編みにして登校して来る。

「髪、変えても、私って変わらないでしょ」

「いやあ、中学の時から、何かこう、早生まれなのに年上のような雰囲気してて、何でも率先してやってたけど、それに加えて、髪を長いまま結わないままで伸ばしていると、何て言ったらいいんだろうなあ、大人の女性のような感じがしてくるよ」

小波が印象の変化を指摘する。

 菜摘のお母様がドアをノックして部屋に入り、三人分のカステラと紅茶、それにシュガーポットが乗せられたお盆を置いて退出していった。ティーカップの受け皿に添えられたレモンの輪切りが視界に入って、ぐっと胸が絞めつけられてしまう。

「どうしたの? おかしいよ、変よ、変」

即座に菜摘が気づく。

「ううん……何も……」

「何も、じゃないでしょ。顔色悪いよ。気分悪いの? 貧血で倒れてしまう前触れみたいだよ」

「何でもない。ただちょっと、ふと亡くなった母のことを思い出しただけなの。だから大丈夫」

「そう、だったらいいんだけれど。急に蒼ざめてしまったから、一体どうしたんだろうって思ったの」

「ところで菜摘は期末どうだったの?」

話題を変えてしまおうと試みて、期末テストのことを持ち出して投げかける。

「まあまあってところかな。でも瀧先の数学、今回は以前より難しくなってない? 瀧先、入試を意識してこれまでより難しくしたみたい。私は私大の文系狙いだから、数学は関係ないけど」

「どうせまた、いい成績残すんだから」

「それが、今回は駄目。いままでのうちで最悪。葬式やら何やらで学校休み過ぎたのが響いちゃった」

「へえーっ、学校休むと駄目なんだあ」

「私の勉強の方法は、授業中は授業に集中して他のことは一切考えない、ってやり方なの。あと、黒板に書かれたことをノートに書き写すだけでなく、授業中に喋ったことでも聞いてて重要そうだと思ったものは、メモを書いて残しているの。だから、長く欠席しちゃった今回は、残念ながら駄目」

「そうなんだあ。私なんか、授業中に、知らない間にJポップや水泳のこと考えてるのが、よくあるよ」

「斜め前に小波が見えるけど、授業中にぼんやりとしていて、心ここにあらず、って見えるときがあるもの。Jポップや部活のことだけでなく、駅前にオープンしたクレープ屋のことも考えてたんじゃないの?」

「へっへっへっ、ばれていたか。だって、あのクレープ・ミモザがオープンした時に配ってた割引券、まだ残ってるし、クレープの種類が多くて、まだ全種類食べてないんだもん」

「そうそう、昨日、駅でお蕎麦食べてたら、この髪の先っぽが丼の中にちゃぽんって浸かってしまって、ティッシュで拭いたけど、夜に髪洗うまで汁のにおいがしてたよ。ポニーテールを止めると、慣れてないから、こういったことが起きるのね」

菜摘も小波も吹き出してしまう。食べ物とお店の話がしばらく続く。

「水泳って、体力勝負だぞ。私って実は大食いなんだあ。お肉を中心に、毎日、随分食べてるんだよ」

「小波は一日にして成らず、だよね。毎日の食生活が、今ここにいる小波のナイスバディを作ってるんだ」

「だけど、そのうち、老婆は一日にして成らず、になっちゃうんだから」

小波が自分で自分のことを茶化したので、菜摘とともに笑い転げる。

「話、もとに戻るけど、予習・復習はどうしてる?」

菜摘は成績が伸び悩んでいて、来年の大学入試が気になりだしてきている。

「予習は、前の日に翌日の授業で習う部分を読んでおいて、教科書のこの箇所ではどんな説明をするのかな、って推理しながら事前に内容を知って頭に入れておく。復習は、その日のうちにその日の授業を思い出しながら、教科書とノートを読み返してみる、といった具合かな。ただ……」

「ただ?」

「ただ、それだと中間や期末でいい点をとれても、入試がうまくいくかどうかは気がかり。考えたことがない問題や知らない問題が出て、学校で習ってませんから答えられません、じゃ入試は合格しないもの。やっぱり受験のための参考書や問題集に広くあたっておいて、実力つけとかなきゃあ」

「アイアイサー、隊長殿、了解でぇーす」

小波がおどけて言った。

「聞いて、聞いて。私の五中のときの同級生で桜峰に進んだ子と三日前に会ったら、何と、驚き、ピアスしてるの。両耳ともだよう。あれっ、指導されないの、問題ないの? って訊いたら、ぜーんぜん、って。私立はいいよね自由が多くて。うちの校則厳しすぎ。同じ県立でも高見沢じゃあ、そりゃあ一応ピアス禁止の校則あるけど、実際は黙認で、注意受けること無いんだって。全くうちの学校は、いまどきの女子の気持ちに鈍感で、理解がないんだから」

菜摘がめずらしく強い声で文句を言い、先を続ける。

「高校生の時代、男子から完全に無視された状態でした、じゃあ、後でこの時の思い出を振り返ったときに、淋しい。淋し過ぎる。私、まだ男子からラブレター貰ったことないの。だからピアスをして少しでも男子の気を引きたいのに」

「大丈夫、気にしない、気にしない。要するに、春に咲く花でも早く咲くのと遅く咲くのとがあるでしょ。問題は、早く、ではなく、どれだけ大きく、どれだけ綺麗に、どれだけ立派に、花を咲かせるかでしょ」

菜摘を慰める。菜摘は大人しく、引っ込み思案だから、男子の目に留まりにくく、留まったとしても話かけづらく、近づこうという男子がいないのだろう。もっとも、菜摘のところにラブレターがひらひら舞い込んだとしたならば、菜摘のお父様やお母様と菜摘との間で、ひと悶着もふた悶着も起きてしまって、お家騒動に発展してしまうこととなるだろう。

「私だって、ラブレター貰ったことないんだ。あ~あ、スポーツマン・タイプで素敵な男子、どこかにいないかなあ」

小波も貰ったことないの? 意外。もっとも、小波は水泳に打ち込んでいるから知らないでいるかもしれないが、小波の隠れファンの男子は幾人か気づいている。ただし小波が言うスポーツマン・タイプではなく、いずれも大人しい男子だ。そのうち一人は下級生。こういった男子にとっては、スポーツ・ウーマンで性格がさばけている小波は、あたかも”頼れる姉御“のように見えて素敵に思われるのだろう。だけれども、この種の男子は得てして気が弱いから、小波に声をかけることが無いのだろう。

心の中で指を折りながら、入学してから受け取ったラブレターの数を数えてみる。五本の指が折られ、二本の指が開かれた。皆川高校は上級生が三、同級生が二、下級生は無し。他校生は二。それらは総て吹雪となって散り去った。菜摘が迫る。

「いままで何回貰ったの、どうなの。正直に言いなさい、正直に」

「さあて、どうだったかなあ。英単語を覚えてたら記憶から押し出されて飛んじゃってしまったから、よく解りません。ご想像にお任せいたします」

「狡い、逃げたナ」

「逃げるよ。もう遅くなってきたから、そろそろおいとましなきゃあ。菜摘のお母様だって夕御飯の支度があるから」

「ほんじゃあ、私もねっ。バイバイ」

小波も同調して席を立った。


 玄関まで見送りに来た菜摘と別れて、小波と二人で瑞穂八幡前駅に向かって歩く。近道となる路地を抜けると夕間暮れの駅前商店街の通りに出る。横に目をやると、暮れなずむ空の茜色の残照を背景にして、連れ添って歩く小波の横顔が、写実的な宗教画の女性の横顔のように崇高に輝いて見える。


     *


 教材のプリントが列の前の生徒から、順次、後ろの生徒に手渡しで送られてくる。古文の島田しまだ先生は、授業内容の要点を記載したプリントを開始前に配布する方法を採っている。プリントが最後尾の生徒まで行き渡り、島田先生の声が朗々と教室に響き渡る、「春は曙」。クラスメイト全員が声を合わせてこれに続く、「春は曙」。「やうやう白くなりゆく山ぎはすこし明りて」、島田先生に続いて全員で「やうやう白くなりゆく山ぎはすこし明りて」と唱和する。島田先生は、誰かを指名して教科書を読ませるのではなく、全員で音読する方法を採用している。指名された生徒のみが気を張って読み、他の生徒はボケっと上の空でいることがないように、また、日本の古典の美しい文章を知り記憶に残すように、と特段の配慮をしている。


 春は曙。やう〳〵白くなりゆく、山ぎはすこし明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。


 夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、たゞ一二ひとつふたつなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るも、をかし。


 秋は夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三四みっつよつ二三ふたつみつなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いとちひさく見ゆるは、いとをかし。日入りはてゝ、風の音、虫のなど、はた、言ふべきにあらず。


 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつき〴〵し。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。


 島田先生は説明する。

「無駄がなく、簡素で引き締まっていて、それでありながら品格のある文章だろう。声に出して読んでいて美しい響きだ。現代語に訳すと、まず春の段だが、春の季節の中では曙の時間が素晴らしい。だんだんに夜が明けてきて、山際の空が少し、また少しと明るくなってゆき、紫色がかった雲が細く棚引いているのが良い、となる。もっとも、君たちは、春眠暁を覚えず、だから、つい眠くなってしまう曙の時間帯に起きてるってことはないだろう。授業中に居眠りして注意されて、『先生、枕草子の記述が本当かどうか確かめたくって、曙に起きてたから、今、つい眠っちまったんですう』なんて弁解するなよ」

何人かの女子がクスクス笑いだす。島田先生は続ける。

「次は夏の段だ。夏の季節は夜が素敵だ。月が出ている時分は当然のこと、月が無い闇夜であっても、蛍がたくさん乱れ飛んでいるのが良い。蛍が一匹か二匹微かに光りながら飛んで行くのも風情がある。雨などが降るのも風情がある」

「続いて秋の段だ。秋の季節は夕暮れの時が良い。夕日が射して山の頂に沈みかけようとする頃に、烏がねぐらに帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽と急いで飛んで行く姿は趣がある。まして雁が列をなしているのが大変小さく見えるのは、特別に風情がある。日が完全に落ちた後の、風の音、虫の声などは改めて言うまでもない」

「最後に冬の段。冬は早朝の時間が素晴らしい。雪が降った際は言うまでもないが、霜が真っ白に降りているのも、そうでなくても、とても寒い朝に急いで炭火をおこして、それをあちらこちらに持ち運ぶのも、冬の朝に相応しい。昼になって暖かく緩んでくると、火桶の火も白い灰を被った状態になってしまって、風情がない」

ひと息入れてから、島田先生は続行する。

「清少納言だが、そもそも清少納言は歌人であって、どちらかと言うと和歌よりも漢詩を得意としていた。枕草子は随筆文だ。そのことからすれば、清少納言は随筆家に相当する。英語で言えばエッセイストだ。枕草子は、わが国における随筆文学中最高の古典作品と讃えられている。もしも清少納言が現在に生き返ってきて、枕草子が有名になっていることを知ったならば、君たちみたいに、『えーっ、私が書いたエッセイがみんなに読まれてるって? うっそー、国語の教材にもなって教科書にも載っちゃったりなんかしてるんだって? やっだあー』なんて言うかも知れない」

クラスメイト全員が爆笑している。

「さて、枕草子の文中にある『をかし』だが、古文の『をかし』は現代語の『おかしい』とはイコールではない。古文の『をかし』には現代語の『おかしい』つまり『笑いを誘う』の意味もあるが、他に『風情がある、趣がある』といった意味があり、この意味で用いられることの方が多い。これじゃないよ」

島田先生が黒板に「お菓子」と書いたので、再びクラスメイトが大笑いする。

「それで、だ。枕草子の中には『をかし』とか『笑ふ』という言葉が頻繁に用いられているが、これからその理由を説明しよう。プリントの三枚目の人物関係の一覧表を見てくれよ。清少納言が仕えたのは皇后定子。定子の父親が藤原道隆。道隆の一門は中関白家なかのかんぱくけと呼ばれ、清少納言が定子に仕え始めた時こそが、この中関白家が栄華の絶頂に達した時だったんだ。しかし栄華は続かない。すぐに道隆は病死してしまう。道隆の子である藤原伊周も藤原隆家も、権力争いに負けて左遷されてしまう。中関白家は急速的に落ちぶれてゆくんだ。定子も二十五歳で死んでしまう。枕草子は、中関白家が零落してゆく過程で書き記されたものなんだ。清少納言は、自分が仕えている定子の家が没落していくとの目の前の辛く厳しい現実を見つめざるを得ず、深く心を痛めていた筈なのに、それは心の奥底に秘めていて、枕草子にはそういった悲壮感漂う話は全く書いていない。ともすれば暗くなりがちな心を押さえ、振い立たせて、努めて明るく、宮廷での煌びやかな輝かしい『をかし』や『笑ふ』という部分を中心として書き残しているんだ。これが枕草子の中で『をかし』とか『笑ふ』とかが頻繁に出てくる理由なんだ。君たちの『カワイー』みたいな感覚で使ってるんだ」

三度目の笑い声が教室に満ちるが、「現実」とメモをとる。

「清少納言と比較されるライバルは紫式部だが、この二人の立場はよく似ている。まず、どちらの父親も歌人だ。紫式部の父親は藤原為時で、その和歌は後拾遺和歌集に選ばれて今に伝えられている。清少納言の父親は三十六歌仙の一人の清原元輔。歌人としては藤原為時よりも清原元輔の方がはるかに格が上だがね。為時も元輔も中流貴族の『受領』という地方官だった。『受領』っていうのは地方の任国で行政事務にあたる国司のことだ。一条天皇の御世に、清少納言は皇后定子に仕え、紫式部は中宮彰子に仕えている。定子も彰子も第一皇妃の資格を持っていた。紫式部は清少納言を嫌っていて、『悧巧ぶっている』とか『軽薄な人柄となり、最後は絶対に幸福になれない』などと紫式部日記で厳しく批判しているが、境遇が瓜二つの二人だし、紫式部にとっては、漢詩に関する深い知識をひけらかす清少納言の態度が気に障ったんだろうな。紫式部は漢詩が苦手だったらしく、このことも原因の一つだろう。しかし、清少納言と紫式部が同時代の人物とはいっても、紫式部が中宮彰子に仕えて宮中に参内した時点では、清少納言はすでに宮仕えを辞めて引退していたから、残念ながら、紫式部と清少納言が宮廷の廊下かどこかでばったりと出合って、角突き合わせて、『何よ、お前なんか。最近つけ上がっていやがって、フン』『お前の方こそ何よ。取り澄まして、いい気になりやがって。ツンツン』なんてことはなかった」

またもや激しい笑いが教室中に巻き起こる。笑いが収まるまで待ってから、島田先生は先を続ける。

「枕草子に戻ると、個人的には、有名な『春は曙』から『冬はつとめて』までの四つの段よりも、『近うて遠きもの』の段と、この段と対になっている『遠くて近きもの』の段の方が好きだな。これらの段の中には『をかし』も『笑ふ』も出てこないんだがね。『春は曙』は有名になり過ぎている。そうだな、デビュー当時は近しく思えたアイドル歌手でも、人気が出て有名になり広く知られるようになってくると、何かこう親しみが湧かなくなる感情に似ている、と言えば、君たちには理解できるのかな。『近うて遠きもの』の原文と現代語訳、『遠くて近きもの』の原文と現代語訳は、プリントの最後の頁に載せておいたから、各自で読んでみてくれよ」


 近うて遠きもの。宮のべの祭。思はぬはらから、親族の仲。鞍馬のつゞらをりといふ道。師走のつごもりの日、睦月のついたちの日のほど。


 近いと思っていると遠いもの。宮のべのお祭り。心が通わない兄弟、家族の者同士。鞍馬寺へ行く幾つも折れ曲がっている参道。師走の下旬から正月初旬にかけての頃。


 遠くて近きもの。極楽。舟の道。人の仲。


 遠いように思われるのに近いもの。極楽浄土。舟で行く道のり。男女の仲。


「親族」の文字の上に母の名前を重ねて書いて、プリントを二つに折った。


     *


 貨物列車が、上り線のプラットホームの一つ向うの線路を、背中に響く軋んだ音を立てながら緩やかに通過している。別段数えてはいなかったから正確ではないが、十五輌近くは連結しているのだろう。思いついて、気になって、背負っていたリュックを降ろして開けて確かめてみると、危惧が当たってしまい、無い。銀行預金通帳が無い。一体どうしたのだろう。振込送金を確認するために、今朝登校する際にリュックに入れてアパートを出た。昼休みを利用して学校を抜け出し、西皆川駅の駅前にあるATMコーナーまで行って記帳してみて、確かに振込送金が入金となっているのを確認し、ひと安心した。通帳はリュックの内部のサイドポケットの中に戻してマジックテープでとめる蓋をしたと思っていた。それにもかかわらず、授業が終わって西皆川駅で電車を待っているうちに、ふと気がかりになってリュックを開いて確認してみると、無い。スリにやられたのではない。クラスメイトの誰かに盗られたのでもない。サイドポケットの中にはお財布は残っているのだから。中央図書館に行くのはとにかく一時中止にして、どうしても通帳を見つけなくてはならない。

 慌てていないで落ちついて考え直してみよう。確実に記憶に残っている、最後に通帳を見た時は? 昼休みにATMで記帳した時にはあった。間違いなく確かにあった。それからどうした? 入金を確認してリュックに入れた。これも確かだ。手に持ってATMコーナーから出たのではない。次に何をした? ATMコーナーを出てリュックを背負った。そして? 学校に戻った。途中で何かあったのか?


 ホームの屋根を支えている鉄柱に設けられた拡声器が、快速急行が通過すると告げ、黄色い点字ブロックまで退くようにと注意を喚起する。ライトブルーのチェック柄の制服のプリーツ・スカートの裾を左手で押さえつつ、ホームの上り線を高速で走り抜けて行く快速急行の車掌室を見送った。


 途中で何かあったのか? 何もない。ATMコーナーから学校までは、途中どこにも立ち寄らず、リュックを降ろしたことは無い。リップクリームを買いにドラッグ旭屋に立ち寄ろうかとも思ったが、午後の授業の開始までに学校に戻れるのか疑問になったので、止めにした。午後の授業に遅れ、無届で昼休みに学校を抜け出したことが解ってしまうと何かと面倒になるので、リップクリームを買うのは止めにした。学校まで戻る途中でリュックを開いたことは無い筈だ。それでは学校に戻ってから何をした? 三年6組の教室に直行して、机のフックにリュックを掛けた。それから後は? 第五時間目の倫社・政経と第六時間目の英文法の授業を受けた。その時、いずれもリュックを開いて教科書やノートなどの必要なものを取り出し、授業が終了した後にリュックに戻した。授業終了後には何をした? 何もしていない。英文法の教科書とノートと筆記用具をしまった後はリュックを背負い、中央図書館に移動するため、三年6組の教室から西皆川駅まで歩いてきた。途中どこにも立ち寄らずここまで直行してきた。そうだとすると、リュックを開けたのは第五時間目の授業の時と第六時間目の授業の時だけだ。この時に何か間違って通帳をリュックから出してしまったのではないだろうか。

 しまったことを仕出かしてしまった。万一、教科書やノートの出し入れの時に教室の床に落としてしまい、気づかないでいたとすれば一大事だ。大変なことになってしまう、落とし物として届けられたとしても。ともかく学校に戻らなくてはとリュックを背負いなおし、ようやく滑り込んできた久浦仲町駅行き各駅停車を無視して、ホームから下り階段をつんのめりながら駆け降り、改札口を通過して、走って学校まで戻って行く。

 校門を抜け、三階まで階段を一気に駆け昇って、閉まっていた三年6組の教室の後ろの扉を左にスライドさせて開けて入る。すでに放課後ある程度の時間が経過しているので、部活があるクラスメイトは部活に赴き、予備校や進学塾通いの者は夕方からの講習会や学習会に行き、残りは帰宅したのであろう、誰もいない、がらんとして静まり返った教室となっている。教室の床を端から端まで丹念に眺めてまわる、私の席の周辺は特に念入りに。床には落ちていない。念のために私の机まで行ってその中を見ると、あった。そうだった、英文法の授業開始前にリュックを覗いて通帳があるのを確認していると重松しげまつ先生が教室に入ってきたので、慌てて教科書とノートを取り出した。その時に通帳も取り出してしまい、授業が始まってしまったため、終了後にリュックにちゃんと戻そうと思いつつ、机の奥に入れたんだった。そして授業に集中している間に通帳のことは忘れて、机の上の教科書とノートと筆記用具をリュックに戻して西皆川駅まで歩いて行ってしまってたんだ。ほっと大きな息を吐く。席に座って階段を駆け昇ってきて苦しくなった呼吸を整えることとする。通帳を忘れるなんて、注意力が散漫だった。


 ようやく心臓の動悸も落ち着いてきたので、火曜日の今日は今からでも遅くなく席がとれるから中央図書館に行こうと、椅子から立ち上がりかけると、廊下の向うからクラスメイトの男子の声がして話しながら近づいてくるのが判る。声からすると岩槻いわつき山岸やまぎし橋本はしもとの三人のようだ。三年6組の教室の前まで来ると、そこで立ち止まって話を続けている。

「それにしても、うちのクラスのあの二人は胸がでかいなあ」

「相当重たいんじゃないか、あれじゃあ。肩が疲れてしまうぞ」

「風呂にでも入れば、アルキメデスの原理があるから、浮いて楽になるんじゃないかな」

「だから直美は水泳部か」

「横から見ると盛り上がっていて、凄い迫力だぜ」

「Cだな、あの大きさじゃあ二人とも。ひょっとするとⅮカップなのかも」

「クラスじゃなく、学年の二大巨パイだぜ」

「二大巨パイだと、大と巨が二重だよ。シンプルに二巨パイだよ」

「あの二人、仲がいいぜ、類は友を呼ぶ、ってとこかね」

「英語じゃあ、同じ色の羽根の鳥は共に群れる、だよ。望進ゼミナールのこの前の全国模試に出ていたぜ」

「同じデカパイは群れをなす」

「2パイ・アール」

「二人併せりゃ、4パイ有る、てなとこか」

「放物線だよ、放物線、円でなくて、引っ繰り返した放物線。y=x^2のグラフが左右に二つ並んでる」

許せない。小波はプールで部活の最中で本館校舎にいないことは判りきっているし、帰宅部である私は遠の昔に帰ってしまったものとばかりに思って、陰でこんな下卑た話をしているなんて。こいつら絶対に許さない。

 教室の後ろの扉を力を込めて故意に音を立てて右にスライドさせて開け、無言のまま廊下に出る。声からして岩槻だと考えていたのは、そうではなくて野崎のざきだった。野崎、山岸、橋本の三人。この三人だと首謀者は橋本に違いないと判断して、何も言わずにつかつかと橋本の正面に歩み寄る。黙ったままで橋本を睨み続ける。

「えっ、お前、いたのかよう」

悪戯いたずらが露見した小僧のような目をした橋本が、眉を小刻みに動かしながら言う。それでも橋本は肩を張っているが、野崎と山岸は閉じた唇を細かく震わせている。橋本も野崎も山岸も、私も、何も言葉を発しないままの奇妙な時間が流れて行く。橋本は、続いて何が起こるのか計りかねている様子で頭をやや傾けていて、野崎と山岸は視線を泳がせている。この静けさを破って、右手で力一杯の平手打ちを橋本の左頬に喰らわす。掌は狙いたがわず派手な音を立てて炸裂する。橋本の左頬の肉が歪む。反動の遠心力で背中のリュックが右に引っ張られるが、辛うじて踏み止まった。橋本も踏み止まって立っている。野崎と山岸は、ぎゃっと一声叫んだだけで、後ろを向くやいなや一目散に走って逃げ去って行く。再び沈黙の時間が流れ、橋本の目がじわじわと追いつめられた子犬の目のように変わってゆき、唇の左の端からは僅かに血が滲み出してくる。突然、その場に崩れ落ち、

「すまん」

土下座をして潔く一言だけ言い、橋本は頭を上げようとはしないでいる。

 私は百八十度回転し、後を振り返ることなくその場を歩いて立ち去った。立ち去って西皆川駅への道を歩いて行った。痺れる右手でシャープペンを握れるのかを気にしながら、中央図書館に受験勉強をしに行くために。


     *


 皆川高校は県立の全日制普通科の高等学校で、生徒のほぼ全員が大学進学を希望するものの、進学先の大学は必ずしも難関大学とは限らない。県内でトップクラスの進学校ではなく、それに次ぐ中堅上位の進学校と位置づけられている。もともとは男子校の県立の旧制中学校であったのが、男子校の新制高等学校となり、男女平等の流れに沿って共学校の高等学校になって現在に至っている。旧制中学校の時代に遡って計算するならば、創立以来百年を優に超える伝統ある学校であって、そのため、校内でしか通じない隠語スラングがいくつかある。例えば、学校側の諸般の事情により予定されていた授業が急遽休講となることを”ブランク“と言い、「今日の第三時間目の世界史はブランクだ」の様に用いている。”ガンテツする“は、徹夜で勉強をすることを示す言葉であって、私は「頑張って徹夜で勉強する」の省略形であるとの説明を受けている。授業や学校行事をサボることは”フケる“と言う。なぜか、部活をサボるときは決して”フケる“とは言わない。どうやら「他の事柄に、とりわけ部活に、フケっていて授業や学校行事の出席を忘れる」からきた言い回しらしいが、今では正確な語源については誰も判らないでいる。丸一日サボることは”マルフケ“と称している。


 疲れた。張りつめて疲労した精神と体をだましだましして、何とか昨日まで持ちこたえさせてきたけど、もう限界になってしまった。今日はマルフケしてしまおうと決断した。入試の日はまだ先だ、受験勉強も根を詰め過ぎると続かない、たまには息抜きも必要、と心の中では弁解している。今日の昼間は、のんびりと優雅に時間を無駄に費やしてしまうのもいいだろう。

 こうして、御留山おとめやま自然公園に来ている。皆川市の最北端に位置しているこの公園は県が管理していて、管理・維持のための費用の一部に充当する目的で若干の入園料を徴収している。入園料がかかるので、ここに入園している人はそう多くはなく、幼稚園児の集団のような賑やかで騒がしい団体はいない。ペットを連れての入園は厳禁となっており、走り回って吠える犬もいない。そう、公園内のどこにいても、静寂の境に浸ることができる。また、有難いことに、ふれあい広場と名づけられた芝生の広場があり、実際には芝生は追われてあらかた駆逐されてしまい雑草広場となってしまっているけれど、広場内にビニールシートが持込み自由となっている。シートを持参してきて、その上に座ってお弁当を食べて、ちょっとしたピクニックの気分を味わうのもよし、その上に寝そべって日光浴を楽しむのも差し支えなし、となっている。

 持参してきたブルーのビニールシートを紙製の手提げ袋から取り出して敷き、UVカットクリームを腕と脚に塗りつけ、虫除けスプレーをぷっと吹きかけてから、シートの上にごろりと仰向けに寝っ転がる。日の光が眩しく目蓋を閉じると、ほどなくぽかぽかと暖まってきて、萌え出でた若草の草熱いきれが全身を包んでくる。目蓋を閉じたまま手探りをして、近くに生えている雑草を折り取り、茎を歯で噛んでみると、青臭い苦味を舌先に感じる。

 入園チケットの半券に書かれていた説明によると、江戸時代にはこの公園は駿備藩の領地内であり、殿様が鷹狩りに興じる低い山となっていて、竹の塀を巡らせて殿様とお連れの者たちしか入れない場所としていたから、一般人は入るのを留められていた山だったから、乙女山ではなく御留山との名称になっているのだそうである。そうしてみると、この広場は、鷹匠が鷹を放ち、殿様に狩りを見せていた場所なのだろうか。

 昨夜は、国公立の難関大学において過去の入試で出題された問題を、適宜選んで解いてみた。国語では、夏目漱石の『草枕』の冒頭部分を掲げて読解力を試す問題を解いた。


 ……とかくに人の世は住みにくい。住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる……人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう……


一週間ほど前に読んだ『倫敦塔』という短編小説では、漱石はこうも書いていた。


 ……生れて来た以上は、生きねばならぬ。あええて死をおそるるとはいわず、ただ生きねばならぬ……何の理窟も入らぬ……凡ての人は生きねばらぬ……


人の世で生きること、生き続けること、これが突きつけられている命題である。しかし、いずれは死ぬのに何故生きるのか、どのみち死ぬのに何故生き続けるのか。漱石の本では解らない。” 何の理窟も入らぬ“では、問いをもって問いに答える禅問答のようだ。生まれてきたこと、生きていること、生き続けること。小さな声で呟いてみる、何故生きている、何故生きている、何故生きているのか、と。この味気ない命、何故生き続けなければならないのか、この人の世で。昨日、今日、そして明日、何故生き続けなければならぬのか、自己嫌悪に満ち溢れ、さいなまれて。誰だ生きよと言ったのは。誰だ生き続けよと命じたのは。どうしようもなく私は生きている。救われようがない私が生きている。もがきながらも生きている。足掻あがきながらも生きている。おびえながらも生きている。おののきながらも生きている。泥にまみれて生きている。のたうちまわって生きている。それでも耐えて生きている。それでも私は生きている。

 日の光を直視しないように注意しつつ、少しずつ目蓋を開けてゆくと、広く碧い空と、もこもこした白い雲とが視界に入ってくる。いいなあ雲って。あの雲に乗ってみたら、ふわっとしていて、総てを受け止めてくれるんだろうなあ。


 雲に乗りたい

 真っ白い、真綿のような雲は

 私を優しく包んでくれる

 私の心は雲の上で

 緩やかに弾んでる

 喜びとともに弾んでる


 雲に乗って

 独りっきりで旅をしたい

 この暑苦しく鬱陶しい髪を

 思い切って切り捨てて

 新しい真っ白な服に着替えて

 心地好い風に吹かれて


 旅立ちの時は陽の光が柔らかな

 よく晴れ渡った朝にしよう

 真っ赤な薔薇の花々が

 乱れ乱れて咲き乱れる

 涼やかな朝の早い時刻にしよう


 真っ白な雲は

 ふんわりふわり、ふわりふんわり

 穏やかな風に押し流されて

 森の上に、海の上に

 丘の上に、湖の上に


 雲の上で私は

 七色の風船を膨らませ

 ひとつひとつ空に浮かべよう

 赤、橙、黄、緑、青、紺、紫


 雲の上で私は

 しゃぼん玉を飛ばしたい

 しゃぼん玉に吹き込めた

 ささやかな思いを飛ばしたい

 高く、高く、天まで届けと


 そして

 誰も私を知らない

 遠く遠い町まで行って

 静かに、密やかに

 そっと独りで暮らしたい


     *


 皆川高校では、受験指導として、受験生である三年生のみを対象に校内模試を行なっている。校内模試は計三回行なわれ、第一回目は一学期の期末テストが終了した直後、第二回目は夏休み明けの九月初め、第三回目は第二回目から二週間後、と毎年同じ時期に行なわれている。昨日と今日は第一回目の校内模試の日だった。一年生と二年生は期末テストが終わって休みとなり、頬が引き締まった三年生だけが登校してきて模試を受けていた。科目は、昨日が数学と理科、今日は外国語と国語と社会、となっていて、国公立大学を志望している生徒は両日とも受け、私立大学の理系学部を狙っている生徒は昨日及び今日の外国語を受け、私立大学の文系学部を目指している生徒は昨日は欠席して今日は最後まで受けた。公立大学を志望している私は、昨日も今日も登校して来て模試を受けているが、私立大学の文系学部を受験する予定でいる菜摘と小波は、昨日は来ないで今日だけ学校に来ていた。今日、模試が総て終了したところで、菜摘が、ヤムヤム・バーガー西皆川駅前店に行って臨時の三美会を開催しよう、重要な話がある、と誘った。


 今、二階の禁煙のボックス席を占拠している。注文したのは、菜摘がコーラ、私がアイスコーヒー、小波がストロベリーシェイク。いずれもLサイズで、長時間居座っても店から苦情が来ないようにするためにはLサイズが好都合だからだ。飲み残しは捨てればいい。それと、やみつきフライドポテトのLサイズ一つ。これは共有だ。ヤムヤム・バーガーのオリジナル商品であるやみつきフライドポテトは、その名のとおりに一度食べたら止められなくなる。ほのかな醤油の香りとバジルに胡椒と唐辛子を混ぜた特殊なスパイスの味がして美味しいスティック状のフライドポテトで、人気商品だ。ただし、注文を受けてから揚げるので、少々時間がかかってしまう。普段の日は、この店は皆川高校の生徒たちでほぼ満席の状態なのに、今日は、一年生・二年生は登校していないし、私立大学の理系学部を受験する三年生は外国語の模試が終わった時点で帰宅してしまっているし、残っていて国語と社会の模試を受けた三年生も模試が総て終了した直後にほとんどが帰宅してしまっているため、ぐるり見回してみても、二階には、ボックス席を占めている私たちとカウンター席でノートブックパソコンに熱中しているサラリーマン風の若い男性一人しかいない。小波が、やみつきフライドポテトを含め注文した品々を一階で受け取って、それらと冷水が入ったコップ三個とを乗せたトレイを持って、階段を昇ってきて席に着いた。

菜摘が重要な問題に関する詰問を始める。

「秘密は作らないでいてよ。なんで黙っているの」

手を固く握り冷や汗をかいてしまう。

「全くもう。知ってるわよ」

どうして知られてしまったのか、菜摘に。

「私のことで下品な話をしていた男子三人を張り倒して、三人ともとっちめちゃったんでしょ」

小波が話に割り込んできたおかげで、何のことか了解した。何だ、橋本ほか二人の男子の件だ。私の耳にはまだ届いてはいなかったけれど、菜摘が得た情報によると、小波の胸が大きいことで下卑た話をした男子三人を、放課後に私が呼び出し、一発ずつ殴りつけた上で全員土下座させて謝罪させた、という話が一部の女子の間に噂として流れている、ああ麗しき友情だ、という感想まで添えられている、とのことだった。誰が源となってこの変容し尾鰭がついた噂話が武勇伝のように流れているのだろう。橋本にしてみれば、男子の沽券に係わることだから、女子から平手打ちを喰らい土下座して謝罪しました、なんてことは海鼠なまこになっても言わないし、野崎と山岸だって、怖くなってわれ先に逃げ出しました、なんて男子のプライド丸潰れとなる事実を漏らすわけがない。誰かがどこかから見ていた? 誰なんだろう、この噂話を流したのは。

「だけど、事実は違うわよ。流れている噂は真実じゃない」

「じゃあ本当のとこは?」

「下品な冗談は小波だけじゃなく、私のことも言ってたの。二人併せて4パイ有る、とかなんとか。小波のこともあったけれど、自分のことで洒落にもならない冗談を言ってたんで腹立てた、というのが、動機としては強かったのかなあ。麗しき友情なんて的外れ。それと、痛い目にあわせたのは、中心になって言っていた橋本君だけ。それも平手で一回叩はたいただけ。それを見て野崎君と山岸君は逃げちゃったの。結果として、右手が痛くなってシャープペンが握れなくなって、その日は予定していた数学の問題集をやれなくなってしまい、仕方なく生物の参考書を読んでただけで、勉強時間をうまく使えず損しちゃった」

「でも、よく一人で男子三人に立ち向かっていって、引っ叩いたわねえ」

菜摘が眼をしばたき、小波が頷く。

「ものの弾みよ、単にものの弾み。菜摘や小波に黙ってたのは、あの三人も男子としての恥を言い広められたくはないだろうし、私にしても、校内で暴力を振るったことになるから、学校に知られたくなかったし」

「正当防衛よ、やっつけたって構やしない。女子のことを胸しか見てない奴なんて、学校に来るな。いなくなっちまえ」

小波が息巻く。

「それはそうとして、ねえねえ知ってる? パクの話。パクの奴、最近じゃあ4組の麻耶まやまとわりついてるんだって」

菜摘がパクの最新情報を伝える。

「学年を問わず、うちの学校の女子から嫌われてるのに、まだ気がつかないでるの、パクの野郎」

「嫌われとるのも知らんと、死んだらエエネン」

小波が関西のお笑い芸人の決め台詞を、その口真似で言って茶化したから、三人ともきゃっきゃっとはしゃぎ声をあげてしまう。菜摘が先に進める。

「麻耶、性懲りもないパクを適当にあしらって、翻弄してやるってさ。小悪魔みたいに振る舞ってやるって」

「危なくない? それって。ストーカーみたいになったりしたら。私だって、先に母が亡くなった後に、パクが絡んできて、上手に逃れるのに苦労したよ」

「麻耶は大丈夫だって言ってるって。パクって意外と小心者で思い切ったことは全然できない鼠のような奴だからって。それに、麻耶のお父様はこの皆川市の有力者だから、いざパクがおかしなことをしそうになったら、麻耶、即、お父様にタレ込んじゃうって言ってるって。そしたら、お父様がすぐに市の教育委員会に命令するだろうから、教育委員会からうちの校長にクレームが降りて来て、パクは、良くてうちの学校から追放となり、悪けりゃ教員免許を取りあげられちゃうだろうって」

「へえっ、そこまで考えてるの」

麻耶の深い企みに感心してしまう。

「麻耶は、パクに対して気が有りそうな無さそうな態度を続けて、パクをじりじり焦らせて、やきもき、いらいらさせて、引きずり回してやるらしい。これまで散々弱い立場の女子生徒に不快な思いをさせ続けてきたパクを征伐し、陰で泣いていた女子に代わって復讐してやるんだと」

「あ~あ、麻耶はいいなあ。お父さんが有力者で。その上、麻耶のお父さんお金持ちだから、麻耶、ピアノ持ってて、週二回先生が自宅に来てレッスンだって言ってたし」

そう言う小波も、そこそこの会社に勤めている課長さんのお父さんがいて、菜摘も、部長代理の肩書を持っているお父様がいて、どちらも家がある中間層管理職の家庭にいるじゃないの。小波、ちょっと配慮が足らんぞ、と思っていると、菜摘が察して、

「ところでさ、うちの母がとても褒めてたよ。お母様が急に亡くなられてから、一人暮らしで学業も生活も上手に両立させてるって」

「ううん、そうじゃないよ。亡くなった母の兄である伯父が生活費や学費を送ってきてくれてるから、それに甘えて何とかやっているだけよ」

菜摘のおだてにゆるやかに微笑している。

「今日の重要な話だけど、もう一つ。この菜摘樣は氣づいてゐるのぢやぞ。秘密にしてないで言っちゃいなさい」

再び息をのんでしまう。

「忍ぶれど色に出でにけり、でしょ。人知れずこそ」

「ものやおもふと? 戀すてふ?」

それだったら違う。そうすると、小波だ。視線が小波に向かう。菜摘の視線はすでに小波を捕えている。

「てへっ、ばれたか」

小波がチロッと小さく舌を出す。

「誰なの? 小波が隠してても、何となく判っちゃったよ」

「さあ誰でしょう。正解者の中から抽選で一名様に三泊四日のハワイ旅行が当たります。奮ってご応募下さい」

「もったいぶってないで、さっさと言っちゃいなさい」

「どうしようかなあ」

「今月のAB型の牡羊座は、隠しておいたことが知れてしまう、って書いてあったから、年貢の納め時なのよ」

「じゃあ仕方ない、言っちゃおう。藤井ふじいクン」

「えっ、藤井君?」

「藤井君なの?」

藤井は同学年の2組の男子。サッカー部のキャプテンで、今の時点になってさえも受験を気にかけずに毎日毎日夕方遅くまでボールを蹴って転がしてる奴だ。運動部のキャプテンであることから、幾人かの下級生の女子が藤井のファンになってることは知っている。しかし、他のサッカー部の三年生は受験勉強を開始していて、これと部活の両立までで手一杯なため、顧問の熊野くまの先生がキャプテン就任を打診しても誰も応じる者がなく、その隙をついて、入試を甘く見ている藤井が肩書欲しさから横からしゃしゃり出てきてキャプテンに就任した、との噂が流れている。藤井は、サッカーも上手くなく、統率力もなく、そのくせ威張り散らしていて、一年生や二年生の部員は陰で藤井に対する不満を漏らしている、と言われている。小波は体育系大学に推薦入学できる可能性が高いけれど、藤井の場合はスポーツ推薦入学は絶対に無理だろう。では、入試に挑戦して合格できるかと言えば、これまでの中間テストや期末テストの成績順位に関する伝聞からすれば、それも無理だろう。なのに藤井は大言壮語で、見栄を張っているのか、俺は東京の難関大学に現役で合格して進学するんだ、などと大風呂敷を広げているらしい。

「だって藤井クン、去年の『フルーツ』の時に手を握ってくれたんだもん」

小波が熱っぽい瞳をして言う。「フルーツ」とは、体育祭の「ファイアー」の前に踊る伝統のフォークダンスのことだ。私は、昨年の

”フルーツ“の折に藤井が小波の手を握るに至った経緯を知っているが、それにしても、学校行事のフォークダンスで手を握られただけで、小波の恋心はいとも簡単に着火して燃え盛ってしまうのか。

「藤井クンって、優しそうだよね」

小波が陶然とした顔をしていて、一方的な小波の片思いに過ぎないと解る。もっとまともな男子だったら、喜んで小波の恋の仲介をするのに。菜摘も同じく思っているだろうことは、口をつぐんだ表情から伺える。小波は、どうしてこうも容易に恋に陥って参ってしまったのだろうか。水泳に明け暮れていて、男子に対する警戒心が弱いからなのだろうか。この点、菜摘は、男子に対しては心の中で構えてから接しているし、一旦自分を突き放して、客観的に自分の感情を判断することができる。小説を読んでいて登場人物に感情移入しても、読者としての怜悧な視線を保つのと同じだ。去年の体育祭の”フルーツ“では、菜摘だって男子の誰かに手を握られた筈だと思うが、菜摘は、それはそれ、ただの学校行事に過ぎない、と割り切っているのだろう。小波のようにのぼせ上がってはいない。それにしても、小波、よくも十ヶ月もの間、私や菜摘に隠し通していたな。しかも「スポーツマン・タイプのいい男子はいないのかなあ」なんてぬけぬけと大きな嘘までついて。

「あー暑くて暑くてたまらないよう。エアコンちゃんと効いているのに」

菜摘が椅子から立ち上がり、私も小波も立ち上がる。てきぱきとテーブルの上を片づけてトレイを下げ、臨時の三美会は閉会となる。


     *


 英語の単語のカードを繰りながら中央図書館の入口の前に並んでいて、開館時刻の午前九時が到来するのを待っている。夏休みたけなわだが、この夏の過ごし方が入試の結果を大きく左右するであろうことは、三年生の誰しもが十分に心得ているので、同級生のほとんどは、東隣りの久浦市にある大手予備校の望進ゼミナールの夏期講習会に毎日通っているらしい。皆川市には大手の予備校は無い。よく解らないが、皆川市内に予備校のような大規模の施設を建てるのは、市の条例か何かの建物建築基準の制限との兼ね合いで、許認可の取得が難しいらしい。望進ゼミナールの夏期講習会に通っていない同級生の心当たりはないけれど、仮にそのような同級生がいたとしても、自宅近くの進学塾などに通っている筈で、みんな受験勉強に余念がないことだろう。私は普段のとおりに中央図書館に行って独力で受験勉強をせざるを得ない。

 普段授業がある日は、放課後すぐに西皆川駅まで歩き、一駅区間電車に乗って皆川本町駅で下車するものの、アパートには戻らずに中央図書館に直行し、閉館の午後八時まで勉強を続けている。中央図書館は水曜日が休館日である。また、土曜日と日曜日は、勤めを持っている社会人の人々が来館して混雑するなどの理由から、中央図書館には行かない。

 中央図書館は静かであり、冷暖房がほどよく効いていて快適な学習環境であるから、壁が薄く外の騒音が聞える上に夏は暑く冬は寒いアパートよりも段違いに過ごしやすく、とても気に入っている。午後八時に中央図書館が閉館するとアパートに急ぐが、途中で食材を買って帰る。この時間帯ともなると食材を値引き販売している店も多く、その日のうちに食べてしまう以上は、値引き品であっても何も問題はない。夕食を作って食べ終わった後は、勉強を続行し、三十分ほど読書をして、最後にユニットバスに膝を折り曲げるようにして浸かってから眠りにつく。

 夏休みに入ってからは、中央図書館は全般的に席が取れにくくなっている。受験生は予備校や進学塾に行っているだろうものの、受験生でなくても、夏休みの宿題を図書館でやって済ませる高校生や中学生が大挙して中央図書館に来るようになっている。だから、こうして開館前から列に並んでいなければ席が確保できない。また、入館すると閉館までは一度も退館しない。昼食のために一旦退館してしまうと、再入館した時に席が無い。そのため、利用規約では館内での飲食は禁止されているけれど、こっそり持ち込んだサンドイッチやお握りをトイレの中で音を立てずに隠れて食べて昼食としている。

 私は、笠井小学校の小学生の時代に、みんなが持っている学校指定の大きめの三角定規を買ってもらえず、文房具屋で売っていた一番安い小さな三角定規で我慢したことを忘れない。給食費の支払いが滞るたびに教員室に呼ばれ、毎回担任の先生から小言を言われたことを忘れない。体育館で履く運動靴に穴が開いたのに新しいものを買ってもらえず、穴の開いたまま履き続けて同級生の男の子にからかわれたことを忘れない。ろくなモン食べてないから逆上がりができないのと違うか、と体育の先生に言われたことを決して忘れない。忘れるもんか、絶対に。

本町第三中学校の入学時に、お祝いとして、その時点ではまだ互いに話をしていた母が中古の携帯を買ってくれたものの、本当に欲しかった中古のスマホは値段からして最初から諦めていた。

中学一年生の時に、クラスは違ったけど同級生に一人、シングルマザーの家庭の女子生徒がいた。早苗さなえという名前の子だった。早苗は、夏休みが終わった頃から煙草を吸うようになり、家出をしては保護されて戻されるようになり、不登校になっていった。そして、その年の終わりには、どこかに行ったまま完全に行方不明になってしまった。家出の繰り返しは、早苗が周囲に発していたSOSのサインの様だった。家出を繰り返してSOSを発信してみても、周りの人は誰も何も手を差し延べてくれるものではない、頼れるのは自分だけ、間柄が冷えてゆく一方の母も一切あてにできない。親がどうのこうのと言ってみたところで解決するものではなく、置かれた境遇から脱け出すためには自分の力で、学力で、立派な大学を卒業するしかない、自力で這い上がるしか方法はない、そう思い知らされた。

中学三年生の時には、担任の先生から県内随一の進学校である県立狭依高校の受験を勧められたものの、母との仲が冷え切っており、高校受験に失敗すれば中学卒業と同時に職を捜して働かなければならず置かれた境遇から脱出できないと確定することが解っていて、私立高校では母は授業料を出してくれないだろうから県立高校しか進学できないことも解っていて、同じ日に一斉に入試が行なわれる県立高校のうちの一校しか選べないので、万一狭依高校の受験に失敗したときのことを考え、ランクが下の皆川高校を受験せざるを得なかった。

高校入試の合格発表後、本町第三中学校出身者のつてを辿って、その年の春に皆川高校を卒業した三年上の女子に連絡をとり、不要になった制服のブレザーやプリーツ・スカートや学校指定のトレーナーを無償で貰い受けた。また、同様に、難関の国公立大学に合格した卒業生の幾人かに連絡をとり、お会いして受験の体験談を伺うとともに、いらなくなった参考書・問題集・予備校や進学塾のテキスト類を総て無料で譲ってもらった。難関大学に合格した卒業生がこれらの古本の欄外の余白に書き込んでいた文字が、私にとっては予備校や進学塾の講師の代わりとなっている。更に、大学案内や募集要項を調べ進学する大学の候補を捜し、志望大学を決めて高校一年生の夏休みに入った直後から受験勉強を開始した。

 私が志望しているのは公立大学である県立国際通商大学であり、そのキャンパスは東隣りの久浦市の福瀬町にある。国際通商大学は、商学部・経済学部・法学部・社会学部の四学部から成る文系総合大学で、狙っているのは四学部のうち最も難しいとされている経済学部。県内の長期居住者が国際通商大学に進学する場合には、学費の面で特典が与えられており、また、他の国公立大学と比較して、返済の必要がない給付の奨学金の制度が充実している。笠井小学校入学のために母が住民票の住所を矢羽根市から皆川市に移して以降、私は県内居住者であるから、学費に関する特典を享受する資格を持っている。奨学金を受給できれば十分に手が届く立派な大学が存在していた。

 国際通商大学は、どちらかと言えば新設大学に属するものの、産業界・経済界の国際取引に役立つ人材を育成する、を建学精神の一つとしていて、この大学を巣立った卒業生は商社を含めて大企業に就職する者が多く、また、最近では国家公務員試験や地方公務員試験、裁判所書記官試験などを受験して公職に就く者も増加している。大学案内には、この大学の学生の間では浮ついた雰囲気はなく、学問を極めようとの真面目な意気込みが強い、と紹介されていた。

経済学部の試験科目は、共通テストは外国語(英語、ドイツ語、フランス語、中国語、韓国語のうちから一科目選択)、数学(数Ⅰ・数Aは必須、数Ⅱ・数B、情報関係基礎、簿記・会計のうちから一科目選択)、国語、理科(物理基礎、化学基礎、生物基礎、地学基礎のうちから二科目選択、又は、物理、化学、生物、地学のうちから一科目選択)、社会(倫社・政経、世界史B、地理B、日本史Bのうちから一科目選択)、となっており、個別学力検査は外国語(コミュニケーション英語・英語表現を含む英語、フランス語、ドイツ語のうちから一科目選択)、数学(数Ⅰ・数A・数Ⅱ・数B)、国語(国語総合)、社会(倫社・政経、世界史B、地理B、日本史B、ビジネス基礎のうちから一科目選択)、となっている。


 入館して席を確保し、今日は日本史から始めることとして教科書と参考書とノートを机の上に開く。

仏教が伝来した年については二説あって、「日本書紀」の記述に基づく五五二年説と聖徳太子の伝記である「上宮聖徳法王帝説」や元興寺の由来を記した「元興寺縁起」の記述に基づく五三八年説である。五五二年説は、末法思想を取り入れた日本書紀がそれに合わせた可能性があり信頼性が低いと判断されていて、五三八年が通説となっている。「仏教伝来御参拝(五三八)」と憶えること。聖徳太子の事跡としては、冠位十二階制度の制定は六〇三年、憲法十七ヶ条の制定は六〇四年、憲法と言っても現代の憲法とは違って政治に対する官吏の心構えを規定したものである。小野妹子を派遣した遣隋使は六〇七年、小野妹子が伴った通訳は鞍作福利、鞍作福利の名前は教科書には出てこないが入試ではたびたび問われていて要注意。他に遣隋使の関係で憶えておくべき人名としては高向玄理、僧旻、南淵請安。隋の皇帝煬帝は「日出ずる処の天子、書を日の没する処の天子に致す。恙なきや」との国書を受け、無礼であると不快感を示したと伝えられている。その理由は、煬帝は、天子イコール皇帝は唯一自分のみと考えていたので、他にも天子すなわち皇帝がいるとの国書は許し難かったのだ、とするのが通説であるが、これに加え、日出ずる処つまり隆盛してゆく国、日の没する処つまり衰退してゆく国、との対比をも感じ取って許し難かったのだ、とする説もある。十一年後に隋は没落して滅び、唐に代わった。

上宮聖徳法王帝説によると、聖徳太子は、死に際し、その妃に対して「世間虚假せけんこけ唯佛ただほとけこれぞまこと」と言い残し、妃は、天壽國繍帳を織らせてこの言葉を亀の図の背中に織り込ませた、とされている。虚仮こけとは「小馬鹿にしてあなどる」ではなく「偽りのものであり仮のものである」の意味である。この世が仮のものであって偽りのものであるなら、私が齷齪あくせくと生きている人の世は虚構なのか。生き続けている今は、いつになったら真実の世に転換するのか。こんな毎日、こんな人生、こんな命、仮の姿と。偽りの姿と。唯仏のみが真実、と言うが、お釈迦様は「世の中は『苦』である」と言い、苦を「生、老、病、死」と「あい別離べつり怨憎おんぞう不得ふとく五蘊ごうんじょう」に区分し、併せて「四苦八苦」と称したと伝えられている。

生れることが苦、とは、小学生以前の頃の明瞭な記憶が残存していないことからして理解できない。

老いが苦、も実感が湧かない。未だ十八年に満たない人生の物語しか綴ってきていないために、老いとはそもそも何なのかが、具体的にも抽象的にも解らない。

病が苦、については、秋から冬にかけて風邪をひくことがある程度の健康状態でいて、母の急逝後、心の端で、急に重病になったらどうしよう、どうなるのだろう、という不安とも危惧ともつかない思いを持つことが稀にあるのは確かだが、どこまで現実味があるのか、病の”苦“も実感に乏しい。

死の苦、は全く解らない。この世において生きていて、生き続けている私にとって”死“が何故”苦“であるのか把握できない。直面している命題である”生き続けること“の終着点となる”死“は、むしろ、生き切ったこと、命題を無事に終えたこと、を意味し、人生という物語の終章の最終ピリオドではなかろうか。最後の終止符の”死“に到達するのは、自然死を前提とする限り、恐らくはずっと先のことであろうから、”死“が”苦“であるか否かは、その時点になってみなければ決して判断できないことなのだろう。

愛別離苦、愛する者と別れなければならない苦しみ。父に関する記憶については非情なまでに希薄であって、父はこれに当たらない。母はどうだろうか。小学生であった時代には放置されていたし、中学生になった少し後から母との間は冷ややかなものになり、母が逝った日まで、口を利くことがなく相互に避けあっていた同居人同士の間柄だったから、母もこれに当たらない。菜摘や小波は親友だが、別々の大学に進学し、各自の路を歩んで行くことはお互いに承知しているから、別れの時が来ても”苦“にはならない。

怨憎會苦、嫌いな人と顔を合わせなければならない苦しみ。思わず笑いが生じてしまう。これがパクに擦り寄られるような場合を意味するならば、皆川高校の女子全員はこの”苦“が何であるかを知っていることとなる。

求不得苦、求めても思う通りに得られない苦しみ。小学生の時代から、物質については、求めても得られなかった状態が日常だったので、物質に関する限りはこの”苦“には慣れている。もしも、今後も最大限に努力を尽くして受験勉強に打ち込み、入試に臨んだとして、結果、国際通商大学経済学部に不合格となったとするならば、その時、この”苦“が実に強烈に理解できるだろう。

五蘊盛苦、人として肉体や精神があるが故に生じる苦しみ。そう、この”苦“が、生きること、生き続けること、という命題を突きつけられているために、最も釈然としていて腑に落ちる”苦“だ。

ひじり」とは。自らが行なってしまった、あるいは、行なうであろう悪業を知り、言い逃れの弁解は一切せずに素直に己の非を認めることができる者のことである。「非・知り」である。人は、とかく、自ら行なってきた悪業を、知らぬふりをしたり、他人のせいにしたりする。くだらない言いわけをして逃れようとしたりする。私は、自らが行なってきた”非“を知って認めている。そう、私は小生意気な女である。私は可愛げのない女である。私は気位の高い女である。自らの行為は自らの責任を伴い、自らの責任は自らで負う。いかに重くとも。決して、片親だったから、両親ともにいないから、と口実にして逃げるまねはしない。逃げないで生きてゆく。

さとり」とは。神仏かみほとけの心は崇高であって、低劣な人間のさがとの格差は甚大なものとなっている。神仏と人間との心のレベルの差を取り除いた状態が「差・取り」である。”悟“の境地に達すると人間の心は神仏の心と同一になる。しかし、いつになったら差を取り除き生きていることの悩みを捨て去って、心根のレベルを上げることができるのだろうか。

「罪」。知って繰り返し続ける”非“は「積み」重なって”罪“となる。よって”罪“の文字の中には”非“が含まれている。積み重なる前に悔い改めるべきなのであろうが、私は弱い。けれど負けない。負けたくない。

清少納言は、遠く思われるのに近いもの、として極楽を挙げているが、くらい闇からくらい道へと迷い続け渡り歩いていても、それでも近いものなのだろうか。


私の日本史の教科書に掲載されている唐招提寺の鑑真像の写真は、顔に丸い縁の眼鏡を掛けている。これは小波の悪戯いたずらだ。こうやって眼鏡をつけてみると、鑑真って日本史の久保くぼ先生にそっくりじゃない? 久保先生はきっと鑑真の生まれ変わりなのよ、だから日本史教えてるし、仏教の話になると熱がこもるのよ、と言いつつ小波が描いてしまったものだ。なるほど、眼鏡を加えた鑑真は久保先生と双子の兄弟のようだ。それは否定はしないが、一言文句を言ってもいいのかなあ。小波っ、良く似ているのは別として、私の教科書にボールペンで、消せない落書きをするな、ってば。


     *


 設問一、次の各熟語の意味を記載せよ。

the struggle for existence, on duty, second to none, all in all, at yet, for

good, by sight, of the day, on earth, arm in arm, out of order, on end ……

 設問二、次の各単語の名詞形を書き、かつ、その名詞形の意味を

記載せよ。

 irritate, exaggerate, flatter, acknowledge, betray, indulge, maintain, improve,

restrain, contribute, pursue, qualify, embarrass, convince, proceed, adapt……

設問三、次の文章を読み、各小問に対して英語で答えよ。

……been turning over in my mind ever since. Whenever you feel like

criticizing any one, he told me, just remember that all the people in this

world haven t had the advantages that you ve had. He didn t say any……

 だめだ、どうしようもなく苛立ってしまっていて、勉強にならない。中央図書館で、ベクトルの問題も確率の問題もどうしても解くことができなくて、くさくさしているうちに閉館時刻を迎えてしまい、アパートに戻ってきて、得意の英語で気分を切り替えようと問題集を開いているのに、だめだ。目が滑って問題を眺めているだけで、脳がその意味するところを理解しようとしない。原因については全部判っている。そのうちの一つは今日の昼休みのこと、教頭の古谷ふるたにの件だ。


今日の第一時間目は漢文だったが、その授業の開始前に担任の大橋先生が教室に顔を出し、登校して来ているのを確認して廊下に呼び出し、周囲には誰も生徒がいない状態で、昼休みに教頭室に出頭するよう、この件は他の生徒には黙っておくように、と小声で告げた。何のことだろう、一介の生徒が教頭に呼び出されるなど誰からも聞いたことがない。心がささくれ立って揺れ動き、背中の神経に電流が流れているかの如くピリピリして、午前中の授業は集中できずに昼休みまでの時間が長く、髪をかき上げてばかりいた。

教頭室は、校長室と並んで本館校舎の四階の東の奥にある。三年6組の教室よりも一階上の階だ。十二時半を少し過ぎたところで、ぎこちなく教頭室のドアをノックすると、中から、入るように指示する声がした。古谷教頭は、白いレースのカーテンがかかっている窓を背にして、大きな机の後ろに置かれた肘掛けがついた椅子に座っていた。書棚には金色文字の背表紙の大百科事典の各巻がぞろりと並んでいる。勧められるがままに古谷教頭の正面の位置に置いてある椅子に浅く腰を掛け、机を挟んで古谷教頭と対峙する形となった。ただの一人の女子生徒に過ぎない私にとって、教頭とは、校長不在のときなどに校長に代わって壇上に立ち、生徒たちを見下して、全くもってどうでもいいことを、さも重要そうにくどくどと言う存在である。今日のように正面きって一対一で話すことは予想していなかった。

「君が、進路指導会議で話題になった、と私のところに報告が上がってきた生徒さんだね」

両方の掌の内側に汗をかいていたけれども、この一言で落ち着きを取り戻したが、進路指導会議で話題になっていた? 何のことだろう、そんな話は初めて聞いた。

「君はなぜ東大を受けないのかね」

思いがけない話題が振り向けられてきた。

「本校の三年生を対象とする校内模試では、君は、七月の期末テストの直後に行なわれた第一回目の成績は全校で三番、夏休み明け直後の第二回目は全校で一番、この前の第三回目も一番だったじゃあないか。しかも二回目、三回目は二番だった生徒に大きな差をつけて。私立大受験の三科目ではなく国公立大受験の五科目で受けていて、数学が苦手なのか他の教科よりもやや低い点となっているが、それでも全教科に亙って万遍なく高得点だ。どうして君は東大を受けないんだ。君なら実力があるし、悪くとも一浪もすれば、十分に東大文Ⅲに合格できる筈だ」

「でも……」

でも、志望校を変更することは、私という物語の第二章に早急にピリオドを打つ計画が、そのスケジュールが、覆ってしまうかもしれないという大きなリスクを負担することを意味している。更に、学費はどうする、生活費はどうしたらいい、という金銭上の問題からしても、受験科目の問題からしても、変更なんかできる相談ではない。何よりも、大学で学びたいのは文学ではない、経済学だ。いくら本好き、読書好きであるにしても。

「でも、私は、東大文Ⅲのような文学部ではなく、経済学部を志望しています。大学卒業後の就職やその先のことも考えた上で、経済学を学びたいと決めています」

「東大だったら、大学のブランドでどの学部を卒業しても就職できるよ。それから先のことは就職してからでいいじゃないか。本校の記録を調べてみたところ、過去十年分しかデーターが残されていなかったが、浪人を含めて東大に合格したのは七年前に二人、三年前に一人だった。どうだね、本校の名誉のために志望を国際通商大の経済から東大の文Ⅲに変更してくれんかね」

これで読めた。こいつは古谷でなくて古狸だ。この狸爺ィは、県立高等学校連合会の教頭会議で、進路指導結果報告の折に自分の手柄として発表し優越感に浸りたいんだ。東大進学者がいない他校の教頭の目前で、わが校では教職員一同の一致団結・協力のもとに徹底した指導を行ない、その結果久しぶりに東大合格者を出しました、とでも威張り腐って報告したいんだ。

進路指導というのは、本来、生徒の学力だけではなく他の諸事情も考慮して適切な進路を指導するものであり、本町第三中学校の先生が、当初は狭依高校を勧めたものの生活上の諸事情が解った後は理解を示し、小波も受けるこの皆川高校を勧めてくれたように、生徒の側が真に求めているものに合致した進路を示唆する筈なのに、この古狸は、自分の功績のため、自分の自慢のために教頭という権威を利用して志望校変更を威迫する。何が、東大だったらどの学部でも就職できる、だ。何が文Ⅲだ。文学ディレ愛好者ッタントだから良く解っているが、文学は奥行きが深く、私程度の能力や知識では手に負えるものではない。また、私は、会社に就職することを最終の目標とはしていない。私という物語の元々の第一章を三つに分割して順送りにし再編成せざるを得なくなってしまったものの、再編成後の第二章に早急にピリオドを打ち、第三章の終わりまでで社会に出る前の準備期間を終了して、第四章が就職し社会人になり仕事を覚えるのならば、第五章では勤めを辞めて独立して、小さくとも自分の企業を興して会社を作り事業を始める、という筋書きを展開してゆきたい。そのためにはどうしても経済学を学ばなければならない。狸爺ィは生徒の人生なぞどうでもよく、目先の自分の手柄しか眼中に無いのか。古谷ならぬ古狸は教頭でなくて狂頭だ。十分に皮肉を込めて、わざと丁寧に返答する。

「真に有難いお言葉を賜りました。それほどまでに私の将来を案じて頂けて、実に幸いに存じますが、しかしながら……」

「では東大に変えるね」

返答を最後まで言わせず強引に止めさせ、志望校の変更を強いる。

「いいえ、申し訳ありませんが、志望校は変えられないんです」

何を言いやがるこの頑固な小娘の奴め、とでも言わんばかりの表情を浮かべたが、すぐに、

「なぜ変えられないんだい」

引きつった笑顔を作って言い放った。

「理由は幾つもあります。親がいないんです。両親とも。今は亡き母の兄である伯父の送金で暮らしている身分ですので、受験に失敗して浪人することはできないんです。浪人を避けるために私立大学を併願して受験することも、私立大学の学費が高いためにできません。これ以上伯父に負担をお願いするのは無理です。同じくお金の問題なのですが、国際通商大学は県立大学なので、県内に長く住んできている者が学生となる場合には、入学金や授業料について減額や免除の制度があります。東大は国立大学ですし東京にありますから、この種の減額や免除は受けられないものと思われます。その上、国際通商大学は、返済しなくていい奨学金の制度も充実しておりますし……」

「しかしね、君ね、本校のことも考えに入れてもらわんとね……」

非礼だとは知りつつ、しつこい狸爺ィの割り込んでくる言葉を遮断して続ける。

「試験科目の問題もあります。共通テストと個別学力検査を通して考えて、東大文Ⅲでは理科と社会は二科目ずつの選択が必要となっていた筈です。これまで国際通商大学経済学部を志望して、理科と社会は一科目ずつとの前提で生物と日本史を勉強してきました。東大文Ⅲに変更するとなると、新たに化学とか地理とかも勉強して合格するだけの学力を蓄えなくてはなりません。残された入試までの期間で、追加されて増える二科目を十分にマスターする自信は、残念ですが全くありません」

ひと呼吸置いてから続ける。狸爺ィに諦めさせるため、思いついた策を実行してみる。

「もっとも、古谷先生が個人的にお金を負担して下さり、先に申し上げました金銭上の問題を解決して下さるのでしたら、入試科目が増えるという問題を再検討して、熱心にお勧め頂いております東大文Ⅲの受験も、考え直してみようかと存じますが……」

「そうだったな。受験科目が増加する問題があったな。それでは東大文Ⅲは勧めない方がいいのかな」

古狸の奴、急に自分の懐に飛び火してきたので、慌てて逃げを打って、受験科目増加の問題を利用して話を終結に持ち込んだ。予想した通りだった。

「では、もうすぐ昼休みも終わりますから、教室に戻らなくてはなりませんので、退室いたします」

「分った。国際通商大学の合格を祈っているよ」

儀礼的な言葉を形ばかりに言い、狸爺ィはドアを顎で指した。

 教頭室から退出して廊下に出ると、はあっと息を吐き、震えて両手を固く握り締めてしまう。結局自分が可愛いのだ。不合格のリスクは負わせて、東大文Ⅲに合格したら労せずして手柄としたいのだ。それが、金銭の負担をさせられそうになって来ると、とたんに掌を返してしまう。狡賢い狸爺ィの奴め。パクを相手にした時よりも今回の古狸相手の時の方が、時間も長く対応も厳しかった。ゆっくりと、一段一段階段を降りて、一歩一歩三年6組の教室に向かって歩いて行く。


 嫌なことが続けて起きる日は滅多になく、特に、大きな不愉快な出来事が立て続けに生じる日はまずない。しかし、今日は違っていた。藤井だ。本当は大声で怒鳴って罵声を浴びせなければ気が済まないところだが、ここで大声を出してしまっては、壁が薄いこのアパートでは隣人に迷惑をかけてしまうから、自重せねばならない。自重せねばならないことが、苛立ちを更に増幅させる。藤井の奴め、よくもこんなに不快にさせ、憤らせたな。やい藤井、お前は、知らないうちにリュックを勝手に開けただろう。どれだけ中を見たかまでは解らないが、リュックの内部のサイドポケットの蓋まで開けたのは動かし難い事実だ。なぜならば、サイドポケットの中にお前のラブレターが入っていたからだ。

 いままでだって、上級生や同級生の男子がラブレターを渡してきたときは、机の中に入れておいたり、手渡したりしていた。他校の男子だって、駅で待ち伏せていて、直接手渡す方法をとっていた。無断でリュックを開けて、マジックテープで留めている内側のサイドポケットの蓋も開けて、その中にラブレターを突っ込むなんて、手荒く杜撰ずさんなやり方をされたのは初めてのことだ。デリカシーに欠け、プライバシーの侵害だ。だいたい藤井のような運動部の男子野郎は、雑でがさつで大雑把で、繊細な気持ちなぞ気づこうともせず、配慮も気働きも何もない。

 おい藤井、サッカー部のキャプテンだからというそれだけの理由でもって、下級生の女子の一部に人気があるから、ファンがいるからといって、のぼせあがるな、つけあがるな、調子にのるな。精神的には脆弱で軟弱で、両親の庇護のもとでぬくぬく生きてる、やわでぶよぶよした温泉卵のようなお前は、甘ったれの馬鹿ったれ、も一つおまけに糞ったれ。お前は真に心の底から悩んだことがなく、困難に出合うと、ん、まあボールでも蹴って汗でもかいて、スカッとして忘れてしまえ、とスポーツで紛らわせて逃げてきているだろう。正面きって自己を見つめて、困難に立ち向かって行ったことがないだろう。大和やまと男子をのこ益荒男ますらおぶりも何もない、ぺなぺなな青二才のやからで、男としての奥行がなく厚みがないお前にできるのは、サッカーボールを蹴って転がすことだけ。昆虫の糞虫のフンコロガシを知っているだろうな。スカラベとかタマオシコガネとかのことだ。お前も牛の糞や馬の糞を丸めてボールにして、脚で蹴って転がしてればそれでいい。糞ったれのお前にはそれがよく似合ってる。野球部の連中ですら、甲子園県大会敗退の翌日から三年生は受験勉強にシフトしたというのに、お前は九月の末になってまで毎日毎日球たま蹴ってただろうが。そのくせお前は下手糞で技量がない。馬鹿ったれで脳味噌がカスカスで、頭の中ではキリギリスが合唱してるに違いない。

「……入試まで限られた期間を残すだけとなったこの時期に、君を驚かせ悩ませてしまうこととなるが……」

全くおめえはイカれてる。解ってるんなら寄こすな、このあわただしい受験勉強の追い込みの時期に。

「……迷ったあげくに、この手紙を書くことにした……」

迷ったんなら書くな。書かないでくれた方がよっぽどまし。

「……君の感情を害した橋本が、君から平手打ちを浴びたのは知っている……」

えーっ、あの噂話って、男子の間でも広まってんだ。

「……この手紙を出すことで、僕は君から平手打ちにされるかも知れないが、それでも僕はかまわないと思っている……」

おめえには叩かれて嬉しがる趣味があるんだ。変な趣味だな。

「……君を特別に意識したのは、もう一年以上も前の、二年生の夏休み明けの頃のある日だった……」

だからあの秋、ダッシュして来たんだ。腕組みして答えをはっきり示したじゃない。

「……これまで女の子にこんな思いを持ったことはなかった……」

あのなあ、「初恋」の「初」は衣編ころもへんだよ。示編しめすへんじゃないんだよ。もっと漢字書取問題集やっとけよ。

「……僕は東京の慶智大学を狙っていて、第二志望も東京の早教学院大学、第三志望も東京の稲応大学となっている……」

それがどうした。おめえがどこの大学を狙っていようと、知ったことか。

「……君は地元の国際通商大学を志望している……」

あっかんべー、だ。どこを志望していようと、おめえには関係がないだろうが。

「……このまま僕と君とが目指している大学に合格すると……」

あー鹿。何を寝言ほざいてんだよ。おめえが現役で大学に入学できる余地があるとでも本気で思っているのか。どう見ても絶望的だろうが。

「……僕と君とは、皆川高校を卒業した後は、別れ別れになってしまう……」

あのー、別れ別れになって係わり合いがなくなれば、スッキリ清々するんだけれども。

「……だから、だからこそ、今この時点で、君に僕の心を告げておきたいんだ……」

げっ、よせよ。背中がゾゾっとして寒気がする。

「……あらゆる不幸から、僕は君を守りたい、いや、必ず守ってやる……」

おめえなあ、文字から受ける印象くらい、考えて書けよ。「守る」じゃあまるで「子守り」みたいだぜ。文脈からして「護る」だろうが。おめえは「護る」だと画数が多くて書けないのかい。仮に文字が「護る」だったとしても、おめえなんかに護られたくないから、辞退させて頂くよ。

「……愛してる、君のことを愛してる……」

気持ち悪る。悪る過ぎ。鳥肌が立ってきた。

「……愛している。君を愛して愛して、どうかなってしまいそうな僕のことを許してくれ……」

夜中じゅう、愛してる愛してる愛してる、って書いたって、逢坂あふさかの關守は許さないんだ。甘ったれるな、どうかなる、なら勝手になっちまえ。発狂する? リストカット? どうぞご自由に。

「……君からの返事を待っている……」

アホか、おめえ。誰が返事なぞ出すか。完全無視に決まっているだろうが。あのな、おめえ、おめえは「初恋」でなくて「しつこい」だ。漢字で書けば「失恋しつこい」だ。残念でしたね「失恋しつれん」してしまえ。 

これまで受け取ったラブレター八通は、例外なく、返事を出さずに処分してきた。封筒も便箋も、できるだけ細く引き裂いて細かく破り、翌朝の登校時に早くアパートを出て、皆川本町駅発の特急列車を利用して、西へ西へと菅谷市の隣の八重樫市の西の端まで行って、窓を開けて、畑が続く風景に紙吹雪として散らしてきた。藤井のこのラブレターは、紙吹雪では済ませない、許さない。もっと惨く酷い目にあわせなければ気が済まない。納得できる方法を思いつくまで、まずは藤井のラブレターを細く細かく破ってしまえ。

 藤井、てめえは、俺の彼女って美人だろ、なんて連れまわして、あちこちの男友達に見せびらかして、自慢して悦に入っていたいんだろうが。てめえが勝手に憧れて美化した像を押しつけてきても、ただただ疎ましいだけ。てめえが一方的に理想化したお人形さんのような私じゃないんだよ。豚の背中に乗ってるくせに、てめえは何を知ってる。真の私を知ってるとでもいうのか。

 ちょっとでも乳製品を摂取し過ぎれば、とたんに下痢をしてしまう。初めてお酒を飲まされた時には、あれはフランス産の白ワインだったが、反吐へどを吐いて胃液のえた臭いを撒き散らし、胃が痙攣けいれんして苦しみぬいた。唾も吐く、痰も吐く。冬場に風邪にかかれば黄色い鼻汁を啜りあげる。夏ともなればティーシャツの両腋の下に汗染みがでてきて、小麦を炒って焦がしたような臭いに包まれる。今日のように二十九日と四日との周期できっちり巡り巡ってくる血の暦が体内で知らせるときは、ナプキンに滲みた濃赤色の血汐は固まることなく臭いを漂わせる。どれもこれも私だよ。本当の生身の私だよ。おい藤井、てめえに解るか、この晴れやらぬ日が毎回もたらす痛みが、鎮痛剤が早く効くよう嚙み砕く時の苦みが、嚥下する時の苦みが。

 やい藤井、勝手にリュックを開けやがって、サイドポケットを開けやがって。てめえは見たのか? 見てしまったのか? サイドポケットに入っていたものを、替えのナプキンを。てめえはそのサイドポケットにラブレターを突っ込んだんだぞ。おい藤井、てめえは何だ、何のつもりだ。

 禁忌がある。月のさはりの女性は神社の境内には入ってはならぬ、との禁忌がある。その理由は、穢れているからだと。祝詞のりとの、知りて犯したる罪穢れ、の穢れだと。言葉だけの綺麗ごとでは生きてゆけない。綺麗ごとでは生き続けることはできない。私は、反吐も、汗も、穢れも、何もかもをまとったままで、凪ぐことのない海風にあがらって、水平線に向かって誰もいない浜辺を走る。吹き荒れている風に黒髪をなぶらせながら、砂に足を捕られてよろけながらも走ってゆく。脚を縺れさせ、倒れかけ、転びそうになりながらも走ってゆく。駆けてくる黒髪の重さを、あるがままの姿を、丸ごと受けとめ抱きとめられるというのか、大海原のように。もとよりも。

 そうだ、黒色の小振りのレジ袋が部屋のどこかにあった筈だ、と思いついて捜し出してきて、ぐずぐずに破いた藤井のラブレターを入れる。サニタリーショーツを脱いでナプキンを取り替え、使用済みのをこの黒いレジ袋に入れる。やい藤井、おめえのラブレターはナプキンとともにいるのが好きだろうから、このとおり一緒に袋に入れておいてやる。今晩一晩、魚の臓物はらわたが腐ったような臭いとともにいるがいい。滴り落ちた経血とともにいるがいい。そして、明朝の可燃ゴミの収集の時に、二重にくるんで判らないようにして出して捨ててやる。


 怒りを爆発させたら、気持ちはすっきりとはしたものの、ぐったりとしてしまった。今日はもう眠ってしまおう、総てを忘れて。蛍光灯を消してカーテンを開ければ、窓の外、天空の頂には十六夜いざよいの月が煌々こうこうと光を放って輝いている。はるかに照らせ山の端の月。

 何気なく菜摘から聞いた話を思い出す。ドイツ語を選択履修している菜摘は、英語と違ってフランス語やドイツ語には名詞に女性・男性の区別がある、と教えてくれた。月は、フランス語では女性名詞、ところがドイツ語では男性名詞だそうだ。ドイツの男たちは、月が女性名詞ともなると、女性を天空の暗闇に独り歩きさせることとなり、これを嫌って男性名詞にしたとか。


     *


 十月も末になってしまうと、日が傾いて黄昏たそがれともなれば、やはり冷え込んできて、もう一枚着込んでくるのだったと反省している。本館校舎の屋上には他には誰もいなくて、ただ冷たい微風びふうが、時折、頬を撫でて過ぎ去って行くだけ。屋上の柵の金網には、銀杏の葉が一枚絡まって引っ掛かっている。右手には、地学部の部員が観測のために使用する反射式天体望遠鏡を収めた半球形状のドームが一段高い場所に設けられており、夕暮れの中で淡い光を受けて鈍い銀白色に見えている。

 今日は今年の学園祭の最終日。皆川高校の学園祭は、土曜日と日曜日に跨って行なわれる文化祭と翌週の日曜日に行なわれる体育祭とから構成され、学園祭のフィナーレとして、伝統の「フルーツ」と「ファイアー」がある。建前上は、学園祭は全校生徒が出席義務がある学校行事となっているものの、三年生に関する限りは受験勉強を考慮に入れてくれ、出欠のチェックはルーズで、後日各自で出席簿に出欠を記帳することとなっており、フケてしまっても出席にしてしまうことが可能で、これが問題視されることはない。

 一年生の時は、菜摘と小波は文化祭も体育祭も参加したが、私は文化祭は風邪をひいて熱を出して欠席し、体育祭は風邪が治りきらず厚手のセーターの上にウインドブレーカーを着込んで見学していた。二年生の学園祭は、菜摘と私は文化祭も体育祭も参加したが、小波は水泳の選手権大会の日程と重なってしまったため文化祭は欠席し、体育祭だけ参加した。三年生の今年は、菜摘は、受験の学力に不安があるので総てマルフケて勉強に当てると決めていて、小波も、すぐに迫った推薦入学の最終面接に備えて総てマルフケると言っていた。私は、文化祭はマルフケた。体育祭の今日も昼間はフケて微分の問題を解いていた。当初は菜摘や小波と同じに夜もフケようかと考えていたが、思い直して、学園祭の締めの”フルーツ“と

”ファイアー“は屋上から見学しようとしている。参加はしない。ただちょっと見てみるだけ。そう見たいだけ。

 昨年の文化祭では、最初に茶道部主催のお茶会に行って、菜摘に抹茶を点ててもらった。菜摘の凜とした遠州流の御点前は美事だったけど、私は茶碗を何回どちらに回すのか覚つかなかった。和菓子は美味しかったけれども。児童文化研究部では3組の奈々ななが創作した脚本による人形劇を上演していた。鉄研こと鉄道研究同好会は、大きな情景模型ベースを作り、電気で動くミニチュアの汽車を走らせていた。吹奏ブラスバンド部の演奏は無難にこなしてはいたが、残念ながら盛り上がりが欠けていた。ESSの「赤道を挟んだ隣人、オーストラリア」のパネル展では、5組のから、オーストラリア大使館の広報部にお願いして資料を提供してもらったとの説明を受けた。落語部の公演では、「寿限無」や「饅頭怖い」を演じた部員が上手でプロの噺家さながらで、観客の笑いが絶えなかった。クラス有志参加のグループは、お化け屋敷や筮竹占いなどのコーナーを開いていたが、一年生の女子がメイドさんのコスチュームでウエイトレスをやっていた喫茶店は、主として他校の男子で賑わっていた。

 体育祭では、昨年から新たにチアダンスが競技種目に加わった。菜摘や小波や他の6組の女子とともにチアガールとなり、ミニスカートをはき大きなポンポンを両手に持って踊った。丈の短いスカートが恥ずかしかった。競技種目が終わった後、OB・OGの採点の結果チアは6組が第一位と発表され、菜摘と小波と三人で抱きあって泣き崩れた。そして、”ファイアー“の前の”フルーツ“の時に藤井の一件が生じた。

 言い伝えによると、フォークダンス”フルーツ“は、皆川高校が男子校から男女共学校に変更された直後に、他の高校のフォークダンスを、たぶん農業高校のものを、拝借して安直に作ったものとされている。地方の古い高校の、伝統があるがためにしぶとく生き延びている、せいぜい良く言っても牧歌的な、悪く言えば泥臭いフォークダンスで、いまどきこんなのはどこの高校でもやっていないだろうと思われる。その目的は、シャイな男子に対し心を寄せる女子の手を握るチャンスを与えるとともに、ペアになり損ねた男子に罰ゲームを課して嘲笑うことにあると言えよう。

 ”フルーツ“は、”ファイアー“のための井桁を中心に、内側に男子が輪を作って並び、間隔を開けて、外側に女子が疎らに並んで輪を作る。学園祭実行委員長が開始を宣言して、


 白菜はくさい人参にんじん牛蒡ごぼう、白菜・人参・牛蒡、畑に種を蒔いて野菜を作る、白菜・人参・牛蒡、白菜・人参・牛蒡、畑に種を蒔いて野菜を作る……


とアカペラで繰り返し歌う。歌に合わせて、男子の輪は時計回りに、女子の輪は反時計回りに、種を蒔いたり畑を耕したりする振付で歩きながら踊る。歌詞が急に変わって果物フルーツになると、例えば、


 いちごを選び、苺を選び、選んだら二人で仲良く踊る、苺を選び、苺を選び、選んだら二人で仲良く踊る……


になると、外側の女子の輪は立ち止まって各自井桁の方を向き、内側の男子の輪は崩れて各自気になっている女子に向かってダッシュして来る。男子は右手でお目当ての女子の左手を握る。女子がOKすればペア成立で、ペアは女子の輪よりも更に外側に移動し”フルーツ“が終わるまで二人で踊る。もちろん女子には拒否権があり、拒否する場合は握られた左手を強く振り払って示す。成立したペアが最も外側に移動したのを確認して、男子・女子ともに輪を作り直して再開するが、二巡目以降は果物フルーツの名称の部分の歌詞が変わっていく。例えば、苺から林檎りんご、林檎から蜜柑みかん、蜜柑から杏子あんず、杏子からメロンといったように、学園祭実行委員長が適宜変えていく。適当な回数を経て終了が宣言され、ペアになりそこなった「もてない男」には罰ゲームが待っている。去年の罰ゲームは、その場で腕立て伏せ連続十回、だった。


 眼下の校庭では”フルーツ“が始まる。今年の学園祭実行委員長である二年生の今西君が歌いだす。


 白菜・人参・牛蒡、白菜・人参・牛蒡、畑に種を蒔いて野菜を作る、白菜・人参・牛蒡、白菜・人参・牛蒡、畑に種を蒔いて野菜を作る……


生徒の二重の輪が動いている。


 去年の”フルーツ“の時には、女子の輪の一員として踊っていた。一巡目の果物フルーツの歌詞は”葡萄ぶどう“だった。男子の輪が崩れ、いち早く突進してきたのが藤井だった。一旦手を握られてから振り払うのでは一時的にせよ握られてしまう。そう判断して、藤井によく見えるように大袈裟なそぶりで胸の前に腕を組み、断固拒否を表明した。藤井は腕組みを見て右横斜めに逸れていった。右横五人ほど先に、ちょうど逸れていった藤井の進行方向に、偶然立っていたのが小波だった。小波は、不意に斜め横から現われた藤井に左手を握られ、ペアを組むことになった。小波はもちろん菜摘にも伝えていないが、これが去年小波が藤井に手を握られるに至った経緯で、私は”フルーツ“が終了するまで腕組みを続けていた。


 今西君が終了を宣言し、罰ゲームが発表される。今年の罰ゲームは「”東京特許許可局“を淀みなく五回連続で言う」だった。

続いて、学園祭実行委員は全員で急いで”ファイアー“の準備に取り掛かる。


 ”ファイアー“の時は、伝統として男子は学ランを、黒の布地に金ボタンの詰襟の学生服を、着用することと決まっているが、私が入学する四年前に制服は学ランとセーラー服から男女とも紺色のブレザーに変更されているので、”ファイアー“に臨むに当たり、男子は学ランを調達する方法を考えねばならなくなった。確かに伝統の”ファイアー“を紺ブレザーで行なっては興醒めもはなはだしい。中学生時代に着ていた自分の学ランや中学生の弟の学ランを着てくる男子もいるけれど、体格に合わず、金ボタンの周辺の布地が引きつっている。ほとんどの男子は、学ランが制服となっている他の高校に進学した、体格が似ている友人・知人を頼って、拝み倒して借りてくるのだそうだ。こういった理由から、学ランの金ボタンの表面にある校章はまちまちのものになっている。


 眼下の校庭では、”フルーツ“でペアになったのであろう、女子に学ランを羽織らせて、その横で白の体操着姿でいる男子が何人か見受けられる。井桁に火が入れられて、炎が立ち上がる。人が古人類であった昔から魅せられてきた炎。炎に対する秘めたる熱情が解き放たれて甦る。

 最初の歌は蒙古放浪歌だ。今西君が、前口上を朗々と発する。


 風紀名門の子女に恋するを

 純情の恋と誰が言う……


この前口上を滑らかに暗唱できるように記憶するのが、学園祭実行委員長の役割であり、責任となっている。


 ……雨降らば降るがよい

 風吹かば吹くがよい

 泣いて笑って……


前口上が息継ぎのため止まるたびに、「ヨッサー、みなこう」との男子の合いの手の掛け声が挙がる。いくら共学校になったとはいえ、前口上や合いの手は女子では無理だ。


 ……ああ我 山行 渡鳥

 いざ唄わんかな蒙古放浪の歌を


 心猛たけくも 鬼神おにがみならぬ

 人と生まれて なさけはあれど

 母を見捨てて 波越えてゆく

 友よけいと いつまたわん


 波の彼方の 蒙古の砂漠

 をとこ多恨たこんの 身の捨てどころ

 胸に秘めたる 大願たいがんあれば

 生きてかえらん 望みはもたじ


 砂丘を出でて 砂丘に沈む

 月の幾夜か 我らが旅路

 明日あす河辺かわべが 見えずばどこに

 水を求めん 蒙古の砂漠……


私も小声で口ずさむ。蒙古放浪歌の後は、第一高等学校寮歌「嗚呼ああ玉杯に花うけて」、人を戀ふる歌「妻をめとらば才たけて」、第三高等学校寮歌逍遥の歌「くれない萌ゆる丘の花」、琵琶湖周航の歌「我はうみ子放浪さすらひの」と続いてゆく。

 炎を囲んで、学ランとトレーナーとが肩を組んだいびつな二重の輪が、放歌高吟しながら不規則な波を作って揺れている。左に右に、右に左に、揺れる、揺れる、揺れている。そして次第に滲んでぼやけてゆく。宴が終わる時がどんどん近づいてくる。最後は皆川高校の伝統の「ファイアーの歌」となる。


 闇を焦がして 燃え盛る

 真っ赤な炎は わが青春

 輝く未来に 夢をのせ

 ともに集いし 若人よ

 いざ進みゆけ 進みゆけ

 讃えよ 我らの伝統を

 ああ皆高に栄あれ

 ああ皆高に栄あれ


炎が鎮まると、終わる。総ては記憶となって、終わる。


     *


 受験勉強でお忙しいだろうけど、たまには息抜きでもしなきゃあお二人さんは緊張し続けててたまらないでしょうから、女の子にとってはお喋りが何よりのストレス解消の方法だから、っていうお誘いのメールで、早いけれどもささやかなクリスマスパーティーを開くことになり、小波のお宅に集合して久しぶりに三美会を開催している。小波の家は、皆川高校の校門の中央と西皆川駅の改札口の向って左側の端とを直線で結んだと仮定して、それを底辺とする正三角形を北東側に描いたとすれば、その北東の角の頂点に該当する位置にある。小波の家は、菜摘の家とほぼ同じくらいの大きさだが、庭はなく、敷地目一杯に建っている。私のアパートで三美会を開いたことはない。築年数がだいぶ経過している木造のアパートに住んでいることを中学生の時代から知っている小波が、これを菜摘に伝えた様子で、菜摘の意見に基づいて、原則的に三美会は二人のどちらかの家で開催する、と決めたものらしい。

 今回の三美会を招集した小波は、地元の範囲内といえる泉原市上翔鳳町にある私立の体育系大学、柴崎体育大学に推薦入学が決まった。小波の二歳年下の弟は、小波や私が本町第三中学校の三年生の時には同じ中学校の一年生だったが、学業成績が極めて優秀で「本町三中の神童」と評判になっており、今春、当然のごとく県内トップの進学校である狭依高校に入学した。小波の両親は、小波よりも弟に期待をかけていて、小波に対しては、推薦で入学できるようになった柴崎体育大学で好きな水泳を存分にして、大学を卒業したら中学校か高校の体育の先生にでもなって、適当な時期に嫁に行ってくれれば、と思っているらしい。推薦入学が決まっているし、両親も過度の期待はしていないから、小波は実にのんびりとしている。強いて言えば、大学進学についての小波の悩みは、皆川高校よりも柴崎体育大学の方がはるかに遠く、電車を乗り継ぎバスを利用すれば何とか自宅から通って通えないわけではないけれども、水泳で疲れた後に今までのように徒歩ですぐに帰宅できないから、大学構内にある女子寮に空きが生じて入れたらいいのになあ、と思っていることである。もうあと二ヶ月半くらい先となった入試が人生の一つの大きな山場となる菜摘や私には、暇を持て余すような小波の生活は正直言って羨ましい。菜摘は、お父様もお母様も自宅からの通学しか認めてくれないことも勘案した上で、お母様が勧める菅谷市の隣りの八重樫市の東姫宮町にあるミッション系のお嬢様大学、聖パトリシア学園大学を狙っていて、文学部を第一志望とし、併せて滑り止めとして家政学部と教育学部も受験することにしてはいるが、附属高校から持ち上がりで進学する者がいて大学時点での募集人数が多いわけではないために、現時点の学力では苦戦しそうだと予想を立てて気を揉んでいる。私だってうかうかとしてはいられない。国際通商大学の合格レベルは、四つの学部のいずれについても、ここ数年に亙って毎年毎年高くなり続けている。国際通商大学は公立大学なので総ての学部の入試が同時に行なわれるため、菜摘のように違う学部を併願する方法を採ることはできない。

 小波の部屋の学習机の横にはちょっとしたショーケースがあって、その中にはメダルや記念楯やトロフィーが飾られている。これらは小波の中学生時代からの水泳選手権の足跡を示している。小波の栄光の歴史である。先ほど小波のお母さんが部屋に来て、ショートケーキと香り良いミルクコーヒーを配って、一旦戻ってから、蜜柑が山盛りとなった籠を持ってきてくれた。ショートケーキはクリスマスパーティーに相応しいけど、ショートケーキならばコーヒーはブラックの方がいいんだけれども。

「藤井クン、東京の慶智大学が第一志望なんだってさあ。第二志望、第三志望も東京の大学なんだって」

小波が藤井の名前を口にするときは、「君」ではなく必ず「クン」と呼ぶ。もちろん小波も賢いから、男子の前でも、菜摘と私を除く女子の前でも、決して藤井に心を寄せていることを気づかれないように振る舞っている。何か引っ掛った菜摘が、先の夏の臨時三美会を招集して小波に自白させたから解ったものの、菜摘がピンと感じるところがなければ、小波は絶対に喋らないで隠し通していたことだろう。情報通でもある菜摘は、藤井の心の中には小波はおらず藤井は小波に無関心である、と知っている様子であるが、小波にはこれを明かさない。藤井の気持ちが誰に向かっているかは、菜摘でさえ知らないでいるだろう。私も、ピンク色の霧に包まれているような小波の片思いの気持ちを壊したくないので、二年生の秋の”フルーツ“の真相や、藤井がリュックにラブレターを入れてきたこと、そのラブレターを処分したこと、は小波に絶対に言わない。菜摘にだって言ってはならないことである。

「あ~あ、できるんなら、こんな片田舎の地方の体育大じゃなくって、東京の体育大に行って、藤井クンと東京で会いたかったなあ。東京、東京」

小波の心のような状態を、恋に恋する、とか、夢見る夢子さん、とか言うのだろう。藤井の話をしてくるときには、小波は、瞳を潤ませ、うっとりした憧れを頬に浮かべる。

「東京、東京って言うけれど、ここは片田舎なんかじゃなくって一応立派な地方都市だし、東京と比べても決して悪くはないよ。むしろ、東京みたいにゴミゴミしてないし。それに、小波は中学生の時から水泳で頑張ってきた努力が実って、入試受けないで大学生になれるんだもの、贅沢言わないでよ。私は今、乗るか反るかのボーダーラインにいるのよ」

普段は落ち着いている菜摘なのに、苛立ち気味で文句を言う。

 小波と菜摘のやりとりを聞きながら、籠の蜜柑の山に手を伸ばして掌の上に一個乗せてみる。大粒の橙色のふっくらした蜜柑は、大学も決まり片思いの甘酸っぱい思いに浸っている小波のようだ。だけど小波、早く目を覚ましなさい。早く気づいて止めなさい、藤井のようなくだらない男は。藤井なんかよりもずっとずっといい男が現れるから。小波は、どうして藤井のような三流以下の男にうつつを抜かして一途に思い込んでいるの? たかだか学園祭の戯れのフォークダンスで一回手を握られただけじゃないの。小波の心の中に居座ってしまった藤井の影は、どうしたら強制退去させて追い出せるの? 何かいい方法……

……をボーっとしているの、聞いてるの?」

「ん、何だったっけ」

「やだぁ。蜜柑を手にとって掌に乗せたと思ったら、そのままで皮を剥かずに私の顔見てんだもの。目を開けていながら眠っちゃったみたいに。さあさあ、その蜜柑、皮剥いて食べちゃいな」

蜜柑の皮を剥くと、皮の汁が酸味のある香りを漂わせる。ポケットティッシュから一枚引き抜いて、皮の汁が付着してしまった右手の指先を拭う。

「話からすっと抜けて、急に黙って小波を見つめてたけど、話しているのはシャンプーとリンスのこと」

菜摘が教えてくれる。すでに藤井の話題から移っていたのか、と初めて気がつく。口の中に蜜柑を入れているので言葉を出せないでいる。

「早く食べてしまいなさい」

菜摘から催促を受け、咀嚼中の蜜柑を無理に呑み込む。

「シャンプーとリンスの話よ。何か特別なシャンプーかリンスを見つけたの? 髪の匂いが日によって違ってるし、小波も同じ意見だし、どんなシャンプーやリンスを使っているのか、小波にも私にも全く見当がつかないの。だから教えてよ」

この二人が微妙に異なる髪の匂いに気づいていたとは。

「ふふふ、残念でした。それは企業秘密でして公開はいたしません。なーんちゃってね。二人とも何をそんなに珍しがってるの? 皆川本町駅前のニコニコ堂の棚に並んでるフツーの国産のシャンプーとフツーの国産のリンスだぞ。高い輸入もんの奴なんて、全然使ってないぞー」

菜摘も小波も眼を見開いて無言でいるから、続けて追加の説明をしなければならなくなる。

「菜摘も小波も、同じメーカーの同じブランドのシャンプーとリンスを使ってるでしょ。それはそれでいいんだけれど、私は、シャンプーのメーカーとリンスのメーカーを違うところにしてみたり、メーカーは同じでもブランドを違うものにしてみたりして、バリエーションを持たせてるの。組合せ次第で微妙に髪の匂いが違ってくるの。どれとどれを組み合わせるとどうなるか、はヒ・ミ・ツ。研究してみてごらん」

「うーん、そうなのか。でもそれ、たくさんの種類のシャンプーやリンスを買い揃えてないと、どういった組合せがどうなのか調べられないけど。随分お金かかっちゃうよ」

危うく嘘がばれそうになる。

「試供品よ、試供品。ニコニコ堂の店長さんと親しくしてるから、店長さんに頼んで、無料で配る試供品をいろいろ貰ってるの。試供品で実験してみていい香りの組合せが見つかったら、そしたら商品買うの」

強引に辻褄を合わせてしまう。本当は、私だって同じメーカーの同じブランドのシャンプーとリンスを使って長い黒髪を整えている。しかも、シャンプーもリンスも、ニコニコ堂に置いてあるものの中では一番値段が安い国産のものだ。違うのは、母が逝った後に鞄の中から発見したエッセンシャルオイルだ。火曜日と金曜日に髪を洗うときには、アロマセラピーに用いるエッセンシャルオイルを、少量、リンスに混ぜて用いている。クラリセージ、ローズマリー、ベルガモット、ジャスミン、アンジェリカ、メリッサといったそれぞれの種類により、仕上げた髪の匂いは微妙に異なってくる。母がなぜエッセンシャルオイルを隠し持っていたのかは、使い方を教えられるまで判らなかった。

 最後まで取っておいたのは、クリスマスプレゼントの交換。私から小波に、小波から菜摘に、菜摘から私に、それぞれプレゼントが手渡され、各自が開けてみる。小波が受け取ったのは鞄に下げるチェーン付きの小さなイルカの縫いぐるみ、菜摘が受け取ったのは焼き菓子のレシピの本、私が受け取ったのはロゴマークの刺繍がワンポイントで入ったハンドタオルと瑞穂八幡神社の学業成就のお守り。入試の日は、菜摘のより私が受ける国際通商大学の日の方が遅い。それが終了するまでは三美会はなく、三人が全員集まってあれこれ話す機会はない。


     *


 国際通商大学の入試も、個別学力検査の最終日最終科目のこの国語で終わりとなる。試験会場であるこの教室には、前の中央の机のところには試験監督官主任が、四隅には試験監督官が、それぞれ立っていて、不正行為が行なわれないか監視している。試験補助員の腕章を着けた係員が、裏返しの状態で試験問題と解答用紙を各受験生の机の上に置いて行く。試験開始となるまでは両手を膝の上に置いて神妙にしていて、配布物には一切触れてはならないのがルールだ。良く消えるプラスチック製の消しゴムを三つ持ってきていて、全部机の上に置いている。万一落としてしまった場合に、捜して拾い上げる時間を節約し、落としたのは放置しておいて二つめ、三つめを使用するためだ。皆川高校では、二年前に、ただ一つ持ってきた消しゴムを試験中に机から落として紛失してしまい、気が動転してしまって答案が書けず、実力は十分だったのに不合格となってしまった現役の生徒がいた。そのため、昨年以降、三年生の各担任は、筆記用具を複数持って行くのは当然のこととして、消しゴムも複数持って試験に臨みなさい、と指導している。

 試験監督官主任の開始の合図で、受験生全員が一斉に試験問題に取り組む。解答用紙と試験問題に印刷上の不都合がないかどうかさっと確認し、ざっと斜め読みに試験問題に目を通す。古文・古文・現代文・現代文・漢文の五問構成だ。国語は百五十点の配点だから、一問あたりは三十点の計算になる。


第一問 次の文章を読んで、傍線部分を現代文に訳せ。


 今日討死討死と必死の覚悟を極め、若し無嗜みにて討死いたし候へば、かねての不覚悟もあらはれ、敵に見限られ、穢なまれ候故に、老若ともに身元を嗜み申したる事にて候。事むつかしく、隙つひえ申すやうに候へども、武士の仕事は斯様の事にて候。別に忙はしき事、隙入る事もこれなく候。常住討死の仕組に打ちはまり、篤と死身に成り切つて、奉公も勤め、武辺も仕り候はば、恥辱あるまじく、斯様の事を夢にも心つかず、欲得我が儘ばかりにて日を送り、行当りては恥をかき、それも恥とも思はず、我さへ快く候へば、何も構はずなどと云つて、放埓無作法の行跡になり行き候事、返す返す口惜しき次第にて候。平素必死の覚悟これなき者は、必定死場悪しきに極り候。又かねて必死に極め候はば、何しに賤しき振舞あるべきや。このあたり、よ

くよく工夫仕るべき事なり。又三十年以来風規相替はり、若侍どもの出合ひの話に、金銀の噂、損得の考へ、内証事の話、衣装の吟味、色欲の雑談ばかりにて、この事のなければ一座しまぬ様に相聞え候。是非なき風俗になり行き候。昔は二十、三十ども迄は素より心の内に賤しき事持ち申さず候故、詞にも出し申さず候。年輩の者も不図申し候へば、怪我の様に覚え居り申し候。これは世上花麗になり、内証方ばかりを肝要に目つけ候故にてこれあるべく候。


第二問 次の文章を読んで、各設問に答えよ。


 むかし、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でてあそびけるを、大人になりにければ、をとこも女も恥ぢかはしてありけれど、をとこはこの女をこそ得めと思ふ。女はこのをとこをと思ひつゝ、親のあはすれども、聞かでなむありける。さて、この隣のをとこのもとよりかくなむ。筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに女、返し、くらべこし振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべきなどいひ〳〵て、つひに本意のごとくあひにけり。さて、年ごろ經るほどに、女、親なくたよりなくなるまゝに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内の國、高安の郡に、いきかよふ所出できにけり。さりけれど、このもとの女、惡しと思へるけしきもなくて、出しやりければ、をとこ、こと心ありてかゝるにやあらむと思ひうたがひて、前栽の中にかくれゐて、河内へいぬる顔にて見れば、この女、いとよう假粧じて、うちながめて、風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとりこゆらむ

とよみけるをきゝて、限りなくかなしと思ひて、河内へもいかずなりにけり。


第一問の文章はいままで読んだことがない。徒然草? 違う。赤穂義士盡忠録? 江戸時代の文献の様子だが出典が解らない。第一問にかかわずらっていては時間を食ってしまうので、まずは他の問題の解答を終えて、それから第一問に戻ってくることにしよう。第二問は知っている、伊勢物語の筒井筒の段だ。ちょうど十日ほど前に問題集で学んでいた箇所だ。ラッキー。問題集の参考情報には、筒井筒の段から能の『井筒』ができた旨の注釈があった。第二問から始めよう、楽に解答できる筈だ。


 試験監督官主任の止めの合図で筆記用具を置き、両手を膝の上に乗せる。終わった。試験補助員が答案を回収してゆく。回収が終了し確認がとれると、試験監督官主任は答案をジュラルミンのケースに入れて鍵をかけ、受験生に退室を命じる。解放された私は、この試験会場の校舎をゆっくりと時間をかけて出て行こうと思う。急いだところで、どうせ最寄りの福瀬駅は試験を終えて帰宅する受験生でごった返しているだろうから。それよりも、この国際通商大学のキャンパス内を散歩して、新鮮な空気を吸い込んで時間を潰して、駅構内の人混みが静まってから帰ろう。今日は夕食を作るのは面倒だ。ここで時間を潰してから福瀬駅に行けば、皆川本町駅で降りてアパートに向かう前に大東ストアーに立ち寄り、売れ残りで「表示価格の半額」と印刷された円形のギザギザ枠のシールが貼ってあるお弁当を買える時刻になるので、一つ買って帰ろう。そうだ、今日は久しぶりに銭湯に行こう。そう決めた。高校一年生の夏からの受験勉強の疲れを癒すには、膝を曲げてかがんで入るユニットバスでは駄目だ。今日は久々に福の湯へ行こう。持って行くのは、シャンプー、リンス、ヘアブラシ、ボディソープ、タオル、バスタオル、エトセトラ。エッセンシャルオイルは持って行かない。今日、明日、明後日の三日間はのままの黒髪でありたい。湯帰りの道では、洗いたての艶やかなこの髪も、自然な香りを柔らかに漂わせてゆくことだろう。切り落としてしまいたいと望んでいるこの黒髪が。

つい先刻まで試験会場だったこの教室は、未だに熱気が残存していて息苦しく蒸れている。


     *


 これからは三人はばらばらに各自の路を歩むことになるから、このあたりで三美会も締めてけりをつけよう、との提案から、三月も下旬の麗らかな春の日である今日は、菜摘の家を小波と共に訪問している。四月からは、いままでのように同じ制服を着て同じ校舎で毎日顔を合わせるのではなくなる。今後は、会う機会はあっても、次第に稀になってゆくことだろう。

 私は、国際通商大学経済学部に合格した。小波は、柴崎体育大学構内の女子寮に入れることとなり、寮への引越の準備と入学早々にある水泳部の合宿の準備に追われている。菜摘は、運良く、聖パトリシア学園大学の文学部になんとか入学できることになった。

菜摘は、予定していた通り、第一志望の文学部と、家政学部と教育学部を受験したものの、滑り止めのつもりで受けた家政学部も教育学部も不合格、第一志望の文学部は、掲示板に貼り出され大学のホームページでも発表された合格者の受験番号の中には菜摘の番号は無く、補欠の欄にそれが表示されていた。ところが、文学部の正規の合格者のうち幾人かが、他の大学に流れたのか聖パトリシア学園大学の入学を辞退して、期限までに入学金を支払わなかったために、補欠だった菜摘は繰り上げで入学できることになった。補欠であった気落ちと、それでも入学できることになった喜びとがぜになっている菜摘を小波が励ます。

「まっ、いいじゃないの。合格不合格は受験番号でしか示されていなくて名前の表示はないから、キャンパス・フレンドには菜摘が繰り上げってことは判らないし、卒業しちまえば、ミッション系お孃樣大學を卒業した御令孃の菜摘樣ぢやあ、って顔をして、大手を振って生きてけばいいんだから」

それでも菜摘は、後ろめたいのか唇を結んだままでいる。小波が続ける。

「もしも将来、万一、この三人の間で繰り上げ入学のことを言わなきゃなんない場合には、他人には解んないように、『マロン・フライ』って言おうよ」

「マロン・フライ?」

同時に首をかしげた菜摘と私に対し、小波はメモ用紙に何やら書き始め、書き終わるとそれを指先でつまんで見せた。

「栗・揚げ」

菜摘と一緒に吹きだしてしまった。

「ヤムヤム・バーガーの新製品のデザートの名前みたい」

菜摘はそう言って笑い続けた。この小波のユーモアで、菜摘は繰り上げ入学という心の中の淀みを振っ切った。

 カップに残っていたモカコーヒーを啜る。エクレアはもう食べてしまった。気づいてみれば、小波は、ニックネームが示すように水泳の道一筋に進む。菜摘も、名前のとおりにお嬢様から玉の輿に乗るだろう。みかどに見染められた乙女のように。私は、愛子は。

 ひとしきり、誰がどこの大学とどこの大学に合格してどこに進学する、とか、誰は浪人してどこの予備校に通う予定でいる、といったクラスメイトや同級生の近況に関する話題が続く。

「藤井クンさあ」

また小波の藤井クン藤井クンが始まった。

「藤井クンさあ、落ちちゃったんだって。第一志望も、第二志望も、第三志望も。全部。東京に行って予備校に通うんだって、予備校の寮に入るんだって」

当たり前だろう。九月の末まで毎日球ボール蹴ってて、十月になってもラブレターなんか書いてて、一体全体いつから受験勉強を始めたんだろう。それで東京の難関大学に現役で合格できたら奇跡だ。東京で寮に入るだと? あの藤井のことだ、東京に行ったら行ったで、都会の刺激に浸り切って遊び惚けてしまい、来年も受験に失敗するだろう。

菜摘が上手に話を逸らそうとする。

「そうそう、パクがもうすぐ辞めるんだってさ。今月末までだって。知ってた?」

「それ、初耳。とうとうクビになっちゃったの?」

菜摘が持ち出してきた新しい話題を追うことにした。

「次、どこの高校に勤めるの? パクの奴は」

「未定だって」

「だったら、実際は追放で、学校側が外聞を気にしたから、自発的に辞表を提出した形にしたんじゃないかな。ほら、よくある『一身上の都合により』ってやつ」

「それ、あり得る」

小波もパクの話に参加してきた。

「辞める原因って、ひょっとして麻耶のこと?」

「違うみたい。麻耶は、私じゃない、って言ってたって」

「かえって怪しいよな、それって。だって警察に逮捕された真犯人にしても、必ず、やったのは俺じゃない、って言うでしょ。同じよ。麻耶、京都の清潤に進むから、最後の最後でパクを徹底的に懲らしめてやろうと、動かぬ証拠を集めて握っておいた上で、お父様にタレ込んだんじゃない?」

「パクのためにこれまで多くの女子が気持ち悪い目にあってきたから、ザマーミロだよね」

三人でケラケラと嗤い続ける。

「ちょっと、コーヒー、新しいのを入れてくるから」

食べ終わったエクレアの皿と飲み干したコーヒーカップと受け皿をお盆の上に乗せ、菜摘は一階に降りて行った。菜摘の家では、今年に入ってからコーヒーのための機器一式を購入している。そのため、本格的に豆から挽くドリップコーヒーとなっていて、市井の専門の喫茶店のものと同じくらいに美味しい。残されてそのまま小波とお喋りを続けているが、適当に相槌を打って聞き流しているに過ぎない。

 小波よ、菜摘のことは余り心配していない。心配しているのは小波の方だ。小波は、そんなにあんな奴、藤井が好きなのか? 藤井が東京に行くことで距離ができ、小波の熱が冷めるのを期待している。藤井は、あ・き・ら・め・ろ。もし藤井とくっついたならば、念願叶った小波は、当初は幸福に浸るかも知れないが、しかしそれは、とんでもない不幸へと導かれる路に迷い込んでしまったことになる。決して知られてはならないことだが、父は交通事故で死亡したのではない。母の独り言によると、女の絡みで借金を残して突然蒸発したのだ、母と私を放り出して。母は、心が燃える恋愛に憧れて望み通りにカレシを得たが、恋の炎を燃やしたその結果、待ち受けていたのは苛酷なシングルマザーの暮らしだった。そして、シングルマザーの暮らしから抜け出せずに逝って終わった。小波よ、小波の人生の軌跡は、小波が主演プリマ女優ドンナとして振る舞い喝采を浴びる脚本シナリオとなっている筈だ。明るく面白い性格。鼻筋が通った横顔。ナイスバディ。特に豊かなその胸。男を引きつける魅力は十分過ぎるほど備えている。もっと自分に自信を持て。近い将来小波の前に現れて跪くだろう男たちの中から厳選し、最も良い一人を摑まえればいい。そして幸せになれ。焦るなよ。絶対に焦るな。

「お待ち遠さま。コーヒー入れてきたよ。今度のはブルマン。それと、昨日焼いといたクッキー」

菜摘が部屋に戻ってきた。

「ジャーン」

持ってきた缶の蓋を取って中を見せた。甘い香りが漂う。

「これがラングドシャ、こっちはブラウニー、そしてポローネ。ポローネはこの前小波から頂いたレシピの本に載っていたから、試しに作ってみたもの」

コーヒーカップから立ち昇る湯気に絡みついたブルーマウンテンの香りを、胸に溢れんばかりに吸い込む。ポローネは口の中で崩れて蕩け、コーヒーに良くあう。

小波が急に思い出したように言う。

「そうそう、ⅮⅤⅮ鑑賞会の時、何も言わずに見てたけど、どうして?」

「一人だけクールだったわねえ。みんな騒いでたのに」

菜摘も言う。ⅮⅤⅮ鑑賞会とは、由紀ゆきが兄の部屋に忍び込み、隠してあるのを見つけた裏エロⅮⅤⅮを、仲間内で鑑賞した件のことである。大学生である由紀の兄は、まだ名古屋の下宿から帰って来てはいなかったけど、由紀の家では両親がいるので観ることができない。たまたま姪の結婚式で両親ともに九州に行ってしまった沙織さおりのお宅に白羽の矢が立って上映会場と決まり、由紀がⅮⅤⅮを持ち出し、理恵、奈々、菜摘、小波、私の五人が上映会場に集合した。沙織の年子の妹の香織かおりも、躊躇ためらうことなく共犯者の一人になって加わった。麻耶は、卒業旅行でロサンジェルスに観光に行ってて、帰ってきてから悔しがった。鑑賞会に参加した八人は、各自がスナック菓子の袋と清涼飲料のペットボトルを持って、恋人同士という設定の金髪の若い白人女性と黒褐色の髪の若い白人男性が絡まりあう無修正のⅮⅤⅮを観た。銀色の円盤が機械の中で回転を始めると、興味津々の十六の瞳が息を潜めて食い入るように見つめた。場面場面で、


  やっだー エッチー

  いやらしー

  キャー すけべー


などと、黄色いはしゃぎ声や未熟な嬌声がわさわさと賑やかにあがった。しかし私は、リアリティが欠如していて登場人物に感情移入できない小説を読んで白々しく思ってしまうのと同様に、この二人の役者の演技が下手に観え、白けた気分で画面を眺めていた。

「あのね、感動するとすぐ言葉にする人がいるでしょ。外人なんか特にそう。『オー・ビューティフル』とか『ハウ・ワンダフル』とか。反対に、感動すると言葉に詰まってしまい、何も言えなくなってしまう人もいるでしょ。日本人にはありがちでしょ。私は典型的な大和やまと撫子なでしこ手弱女たおやめだから、感動して何も言えなくなってしまったの。ただそれだけ」

「大和撫子、だってさ。はいはい、判りましたよーだ。よい子ちゃんでしたっけねー」

私は自分のことを”よい子“とは考えていない。決して”よい子“

ではない。

「小波は入学式に何を着ていくの」

「決めてないよう。だって引越と合宿の方に気が向いているから。合宿中はジャージとトレーナーで過ごすけど、入学式、何を着ようかなあ。菜摘はどうする?」

「紺のダブルのジャケットに赤のタイト・スカートかなあ。これだとストッキングは黒ってとこだよね」

菜摘と小波が入学式に着る服の話で盛り上がっている。そう、大学生ともなると制服はないから、毎日のコーディネートを楽しむことができる。四月からは、毎日、手持ちのトップスとボトムズをどう組み合わせるかが嬉しい悩みとなる。二人の話題がスカーフやコサージュに移ってゆく。

 今日はアパートを早く出てきた。菜摘の家に来る前に駅の北側にある瑞穂八幡神社に立ち寄り、菜摘から貰った学業成就のお守りを納め、柏手を打ってお礼の参拝をしてきた。境内には、十メートルを越すだろう高さの彼岸桜の古木があった。木製の立札には、この古木につき「玉置の桜」と書かれていて、戦乱の時に神宝の玉を置き埋めて隠し、平安になった後にこれを掘り出して社殿に戻したところ、埋めていた場所からこの桜の木が生えてきたので神木となり、玉置の桜の名称で呼ばれるようになった、との由来が記されていた。この古木の桜は存分に枝を拡げ、精一杯に花を咲かせていた。微風そよかぜの中でみなぎ生命いのちの力をここぞとばかりに満開の花と結んでいた。お喋りに飽きたら、菜摘と小波を誘って三人であの古木の桜を見に行こう。今を限りと空を覆い、満ち満ちて咲き誇る桜の花々を。


     *


 今日は土曜日。第一限目の「心理学第二」の講義を受講した。深層心理学の祖であるジークムント・フロイトは、人間の心理構造につき、”無意識“の”リビドー“である”性欲“を”意識“である

”自我“の”理性“が抑止しているものと把握し、「性欲と理性の対立」という基準に基づき心の葛藤の総てを解明しようと試みた。

”性欲“を唱えるフロイトは、倫理・道徳観が支配していた十九世紀終わりから二十世紀初めの当時の心理学学会において、異端者として厳しく非難され、軽蔑され、その名前を口にすることすら憚られるほど忌嫌われたという。

 朝一番の講義や土曜日の講義は、そもそも履修を届け出る学生自体少なく、土曜日の朝の国際通商大学のキャンパスは閑散としていて、植込みのヤマツツジの花の燃えるような朱赤色が鮮やかである。「心理学第二」の受講を終えた私は、講義の内容を反芻しながら、キャンパスの最寄りの駅である福瀬駅へと向かって歩いている。


 あの日、母が逝った日は水曜日だった。物理の授業が終わり、西皆川駅へと歩いて行った。小波は部活があり、風邪をひいていて体調を崩した菜摘は昼前に早退していた。西皆川駅から皆川本町駅まで一駅区間を電車で移動し、水曜日は中央図書館が休館なのでアパートに直行した。アパートに戻ってから、制服であるブレザーとプリーツ・スカートを脱いだ。ジーンズをはき、首からリボンを外してセーターを脱いだ。ブラウスを長袖のコットンシャツに着替え、再びセーターを着た。いつもの水曜日と同じく、会話がない同居人である母は、大東ストアーの水曜限定特売「夕方市」で買うもののメモを置き残していたので、同居人としての分担作業の一つと位置づけていた買物に出かけた。事前にチラシをチェックした母が作ったメモにしたがい、鰺の干物二尾入り一パック、トマト二個、卵Ⅿサイズ十個入り一パックなどと大東ストアーのプラスチック製の籠に入れていき、レジの列の終わりに並んだ。ブックス桔梗に立ち寄って週刊誌の記事を立ち読みしていたこともあり、アパートに戻ったのは夕方でも遅い時刻だった。充電のため置いていった携帯の電話の着信曲が流れていて、途切れた。薄暗い部屋の中でLEDの赤い着信ランプが脈を打つように点滅を続けた。手に取ってみると、発信元は母のスマホと表示されていた。この携帯を買って貰った当初は、母の携帯と相互に電話連絡をとりあっていたことがあったものの、中学一年生の一学期の中間テストが終わった頃から後は、母との間で電話連絡をとったことは絶えていた。

 折り返し母のスマホにかけてみると、知らない男の声が母の死を告げた。そして、急いで大倉綜合病院まで来るよう命じた。嘘だろう、何かの悪い冗談だろう、と思いつつも、早足で皆川本町駅まで行き、通学定期で改札を抜け、階段を駆け降りて、ちょうどプラットホームに停車していた上り電車に飛び乗った。飛び乗るのとほぼ同時に扉が閉まり、電車はゆるゆると動き始めた。すぐにつまらないミスをしたことに気がついた。停車していたこの電車は快速急行であって、男の声が指示していた東皆川駅には停まらない、六つ先の久浦仲町駅まで停まらない。私は、東皆川、美和、彩吹台、百里堂、梅ヶ森と次々に通過してゆく駅を、窓を通して眺めながら下唇を噛んでいた。ようやく停車した久浦仲町駅で電車から飛び降り、跨線橋を使って下り線のホームに移動し、各駅停車に駆け込んで取って返して東皆川駅に向かった。電車が一駅一駅速度を落として停車し、僅かな人数の乗降客のためにいちいち扉を開閉するのを苛立っていた。

 東皆川駅で精算機を使って精算を済ませ、男の声が指示したとおりに駅の北側に出たところ、大倉綜合病院はすぐに見つかった。母は胸の上に手を組んで横たわっており、顔には白い布が掛けられていた。覆っていた布を取り去って対面し、その顔を見ると、目を閉じて微笑んでいた。それは、記憶が遡れる小学校入学の少し前の時からあの日までの間には一度も見たことがない、満ち足りている表情の顔だった。

 母の横に、五十代半ばと思われる男が立っていた。母が家政婦として通っていた独り暮らしのあの男だった。あの日の夜、私と男は母に付き添った。霊安室は冷暗室とも言えるほどに寒くて暗かった。酒を飲まない男の横で、小さく縮こまりながら黙ったままで次の朝を迎えた。

 母の死因は急性前壁中隔心筋梗塞。この日、母は、予定通りに男のマンションに午後三時少し過ぎに来て、散らばっている靴下や下着やコットンシャツを拾い集め、枕カバーやフェイスタオルなどとともに全自動ドラム式洗濯乾燥機の中に入れ、適量の粉石鹸をセットしてスイッチを押し、その後、普段のとおりに夕餉の準備のために外出した、とのことである。マンションの部屋を出たのは午後三時五十分前後のことだろうと推定できる、と男は言った。

 男は、リビング・ダイニングのソファーに座って、最新版の会社四季報の頁を繰りながら、安値で仕込んだ株につき、その発行会社の情報を再確認して時間を過ごしていったが、あまりに戻りが遅いので部屋の入口のドアを開けてみると、ドアの数歩先に母が倒れており、もう息もしておらず心臓も動いていない状態だった、とのことである。男は急いで119番に連絡し、駆けつけた救急車が大倉綜合病院に搬入したものの、単に死亡が確認されただけだったそうである。

 あっけない母の急逝に何をしたらいいのか戸惑う私に代わって、男は葬儀社を手配して葬式を取り仕切ってくれた。もっとも、母の死を知らせる先は格別になく、学校にも事情があって休むと電話連絡したのみで、質素な野辺送りが執り行なわれただけだった。骨になった母は軽かった。総てが終わった後、学校に忌引でしばらく休むと電話で伝え、菜摘と小波にもメールで知らせた。男は、アパートまで来て骨壺に向かって手を合わせ、長い間黙禱していた。黙禱が終わると、香奠袋に入れた多額の現金を渡して帰って行った。この香奠と母の預金通帳の残高とが当面の生活費となるものの、概略の計算をしたところでは、そんなに長くはもたずに尽きてしまうとの結論となった。

 翌日、男は再びアパートに来て、母が行なっていた仕事を詳細に説明し、仕事を引き継ぐかどうかを困惑している私に尋ねた。私は回答まで数日間の猶予を貰い、回答日限のぎりぎりまで考えて、条件をつけてメールで投げ返した。水曜日と土曜日は放課後しか時間がとれないこと、疲労をとるため水曜日・土曜日に当たる場合を含めて祝日は総て休ませて欲しいこと、中間テストや期末テストの時期については開始日の一週間前からテスト終了日までの間はお休みにして欲しいこと、その他学校行事などがある場合にも、前もって告げるから、特別にお休みにして欲しいこと、の四つの条件である。男が、これらの条件を呑んで話がまとまるのもよし、条件を呑めずに話が無かったこととなるのもよし。


 福瀬駅から電車に乗ってきたのだけれど、久浦仲町駅を発車して梅ヶ森駅との中間あたりに差しかかったところで、速度を緩めて停車してしまった。車輌内がざわざわと騒がしくなってきたところで、突風によって煽られたレジ袋が架線に絡みついたため現在取除き作業をしております、作業が終わり安全が確認されるまでの間ここで停車いたします、との車内アナウンスが流れ、お急ぎのところご迷惑をおかけして真に申し訳ありませんが、しばらくお待ちください、と続く。やれやれ立往生だ。電車の窓ガラス越しに線路脇に自生しているオオアラセイトウの淡い紫色の花を眺めている。オオアラセイトウの花期も今年はもう終わりに近い、とふと思う。


 男は、当初に母が告げていたような大手證券会社の役職員ではなく、自分の手持ち資金を元手にして株の売買を行なって利鞘を稼ぐトレーダーだった。株の取引のこと以外は寡黙であるが、何とか聞き出したところによれば、初めはネットのゲームに熱をあげていたが、そのうちに、ゲームの筋書きが容易に読めてしまうようになり飽き足らなくなってしまい、難易度のランクが最も上のゲームにチャレンジするような感覚で、ネットを通じての株式売買という筋書きのないゲームに参入したのだそうだ。株の取引による儲けはあたかもゲームの得点のごとくに考えていて、いかに高得点をあげるか、には多大に関心を示して考えを巡らせるものの、高得点をあげた結果として得られた金銭については、全くと言っていいくらいに執着しない。偶然に男の銀行預金通帳を見てしまったが、驚くほどの巨額のお金が使われぬまま放置されて残高となっている事実に手が震えてしまった。男にとっては、株取引というネットゲームで高得点をあげて勝利者になる、という自己満足のプライドを満たすのが最大の欲求であり、高得点をあげた場合には、上げ三法の時に安く仕込んでおいた株の窓が大きく開いて急上昇してきたから様子を見ていて、そろそろだと思って利食ったら、案の定、宵の明星も三羽烏も出てきた、などと独りで興奮して言い、予想に反して失点してしまったときには、なんぴん買均かいならしは禁じ手、見切千両、などと自分に納得させるように小さな声で言うが、株の知識がないために何を言っているのかさっぱり解らない。

 男に家族はいない。正確を期すなら、若い頃に結婚した妻がいるが、ネットゲームにのみ興味を示して夢中になる男に対し、妻は愛想を尽かして出ていってしまい、そのまま長期に亙って別居状態が継続しているのだそうだ。男から聞き出したところによると、妻との関係は、現在では、戸籍に妻が入籍されたままになっていることと、妻の銀行預金口座に宛てて毎月一定額を口座振替で送金していることだけで、妻がどこで何をしているのか、十年くらい前に風の噂にジュエリー・コーディネーターとかいう仕事をしていて勝手気ままに生きていると聞いたことがあるものの、確かなことは全く知らないし、妻も男が株のトレーダーになっていることを知らずにいて未だにネットゲームに興じているものと信じている筈だ、とのことだった。

男にとっては、株取引というネットゲームで勝利者となりプライドが満たされたとなれば、欲求はあらかた片づいてしまい、残るのは、ヒト科オスの生き物として生命を維持し、これに付随する諸々の欲求を満たすことだけであり、他は何もない。

衣食住の欲求については、順不同となるけれども住については、男は、東皆川駅から徒歩約十五分のマンションの部屋を、新築完成より前の分譲予約受付開始日に、即日全額小切手払で契約して購入している。予定されていた設計上の間取りは4LⅮKであったところ、部屋の間仕切を大幅に変更させ、2LⅮKとした上で完成させて入居している。二部屋のうち一部屋は、ネットを通じて株取引を行なうディーリングルームにしていて、この部屋には絶対に誰も立ち入らせない。立ち入ると、何らかの拍子に機器に触れてしまい、誤発注してしまうかもしれない、と危惧しているからだ。ちなみに、男は、酒も飲まず煙草も吸わず、ストイックな生活を続けているが、これも、酒を飲んだ翌日に投資判断が狂ってしまうことを恐れ、また、株取引に夢中になって火をつけた煙草を失念し火事になってしまうことを恐れているからだ。もう一つの部屋の方は、ダブルベッドが置いてあり寝室となっていて、この部屋の掃除は家政婦の仕事の範囲としている。間仕切を変更させたために、これらの二部屋もリビング・ダイニングも、いずれも当初の設計よりも広々としている。男は、株取引以外は一切「面倒臭い、煩わしい」と言う。住のメインテナンスとしての掃除やバスルーム・洗面台の清掃は、総て家政婦に任せる。睡眠欲はダブルベッドで熟睡して満たし、頭を休めて翌日の株取引に備えるものの、シーツ・布団カバー・枕カバーの交換や洗濯は、総て家政婦に任せる。トイレで排泄欲を処理するものの、トイレの洗浄やトイレットペーパーの補充は、総て家政婦に任せる。

住に続いて衣を考えれば、着ているものは、常に、洗い晒しで済むコットンシャツとチノパンかジーパン。アイロンを掛けたワイシャツを着てネクタイを結びスーツやジャケットを身に着けた姿は、母の葬式の時以外見たことがない。男にとって衣とは、色や柄はどうでもよく、サイズを指定してネット通販で購入し、クレジットカードで代金を決済してしまえば足りるもの、下着も靴下も。だから、胸にパンダのキャラクターがプリントされているティーシャツを着ていたり、赤と白のストライプの靴下をはいていたりする。それであってもメインテナンスとしての洗濯が残る。最新式の全自動ドラム式洗濯乾燥機を購入したものの、あちこちに脱ぎ散らかした衣類を集めてドラム内に放り込むのも面倒ならば粉石鹸の量を計ってセットするのも煩わしい、総て家政婦に任せる。

最後の食だが、朝食と昼食については、朝に目覚めると、マンションとは通りを渡ったはす向かいにあるコンビニであるフルタイム・マート東皆川新店へ行って、ペットボトル入りの緑茶、野菜ジュース、ロイヤルミルクティーといった炭酸が全く入っていないソフトドリンクと弁当を適当に見繕い、いずれも二つ購入し、弁当の一つはすぐ朝食として食べ、一本目のペットボトルは株式市場の前場で喉を潤すために使い、二つめの弁当は前場と後場の間に掻き込み、二本目のペットボトルは後場で用いる、と言う。夕食は、場が大引けになった後に、運動がてら散歩がてらに東皆川駅までだらりだらりと歩いて行って、駅前のスーパー長谷川で弁当、パック入りの惣菜、缶詰などと、大きなペットボトル入りの烏龍茶を一本買って帰って済ませる、と言う。こんな繰り返しで機械的に食欲を満たしているものの、コンビニにしろスーパーにしろ、弁当の種類には限りがあって飽きてくるから、ときどきではあっても売っていない手料理で食欲を満たしたい。家政婦に任せて作らせる。

男は、食べ終わった弁当や惣菜の容器、缶詰の空き缶、割箸、飲み干したペットボトルや瓶などのゴミを、マンション一階にあるゴミ集積所まで持って行くことすら、面倒だからと行なわない、煩わしいと行おうとしない。一階のゴミ集積所まで持って行けば、後は管理人さんがゴミの種類に応じて分別して、市の取集日の朝に出して処分してくれるというのに。

要するに、家政婦を必要としているのは、欲求を満たす上で面倒臭く煩わしいと思うこと総てを、家政婦に押しつけて解消したいからである。家政婦に支払う金銭なぞ、男にとってみれば取るに足らない僅かなものに過ぎず、家政婦の銀行預金口座に宛てて口座振替で送金してしまえばそれで済むものなのだから。


予期せぬ電車の架線事故のために遅れてしまったが、ようやく男のマンションに到着した。毎回、まず始めに行なうことは、前回来た日以降にあちらこちらに脱ぎ捨てられた衣服を拾い集め、洗濯乾燥機のドラムの中に入れることだ。例えば、靴下の一方がソファーの上にあり、他方がマガジンラックに引っ掛かっている、なんて状態で、どこにどう散らばっているのか十分に探索しないと、洗濯を忘れたものが後でひょっこりと出てきてしまう。寝室ではダブルベッドの下、リビング・ダイニングではソファーに囲まれた小テーブルの下とオットマンの下、これらが要注意の箇所だ。初めのうちは着用済みで汚れている靴下や下着に直接触れるのが気持ち悪くて、割箸で挟んで拾い集めていたけれど、今では指先で摘まみ上げられるほどまでには慣れてきている。ダイヤルを回して”洗濯から乾燥まで“を選択し、規定量の粉石鹸を入れてスイッチを押すと、給水が開始されてドラムが回転を始める。

昼食として何を作ろうか考えたけれど、今日は遅れてしまったため、凝った料理では時間がかかるので、手抜きをしてちゃちゃっと済ませてしまおうと思う。買い置きしてあるデュラム小麦のセモリナを用いたスパゲティの麺をアルデンテに茹でて、前に大量に作り過ぎて残りを冷凍保存しておいたトマトソースを電子レンジで解凍し、これに缶詰のツナとガーリックを混ぜて暖めて、茹でた麺の上にかければ昼食のできあがり、となるだろう。コンビニやスーパーではスパゲティ弁当も売ってはいるが、ミートソースやナポリタンといった定番や、せいぜい和風明太子くらいしか種類がないので、男の舌はツナ・ガーリックソースのスパゲティを新鮮に味わうだろう。もっとも、これまで男が出された料理について文句を言った試しはないけど。昼食を有り合わせの材料で作るとすれば、買物は午後に行けば足りてしまう。昼食の準備を開始する前に、寝室やリビング・ダイニングやキッチンに電気掃除機をかける時間がとれる。


母は、男とは、フルタイム・マートの仕事の時に、店員とお客様の関係で知り合ったのではないだろうか。小学生の時代に母が勤めていたのは、皆川本町駅の駅前にある大東ストアーでありフルタイム・マート皆川本町店であったが、後者のオーナーは、美和にも一店舗、東皆川にも二店舗を有して経営しており、東皆川の二店舗のうちの一方は、男のマンションの通りを隔てたはす向かいにある東皆川新店であって、男の行きつけの店となっている。母がこの東皆川新店にシフトで入っただろうと容易に想像できる。ただ、男は朝に立ち寄るのを常とし、母は夜の勤務だったという点で食い違っていて、疑問がないわけではない。それとも、急に必要な何かが生じて、男が夜にフルタイム・マート東皆川新店を訪れたのだろうか。いずれにしても母と男は知り合い、家政婦の合意ができた。大東ストアーのパートタイマーとフルタイム・マートの店員を兼ね、掛け持ちで働き、働いて働いて、ようやく一握りの金銭を得ていた母にとって、男は、株のトレーダーとして悠々と広いマンションで暮らしており、輝いて見えたことだろう。母は、失踪した父に替えて、男と人生を再出発したかったのではないだろうか。所在が不明となって七年以上が過ぎた者は裁判所の宣言によって死亡したことにしてくれる、と独り言でぼそりと呟いたことがある。失踪した父が宣告により公に殺されてしまえば、父に対する憎悪は和らぎ、母の側の戸籍上の障碍はなくなる。男の妻はすでに長期に亙って別居しており、泥棒猫と罵られ蔑まれることを承知の上で、籍はあっても実体がない妻を追い出そうと企てていたのではあるまいか。あるいは、妻を男の戸籍から追い出して正式に自分を籍に入れることまでは欲しておらず、妻に対する従前通りの定額送金は黙認した上で、妻の知らないうちに同棲状態になることでもかまわないと考えていたのかもしれない。家政婦の仕事に変わってから徐々に美しく変身していったのも、考えてみれば腑に落ちる。母は、抜き足差し足で男に近づいていったのだろう。ちょうど、元は飼い猫だった薄汚い野良猫のメスが、新しく飼主になってくれそうな人に、媚びを売りながら擦り寄って行くように。


ツナ・ガーリックソースのスパゲティができた。すでに、男はリビング・ダイニングの食卓の椅子に腰掛けている。男の前に一皿、それとスープ皿と冷水のコップ。その反対側に私の分の一皿とスープ皿と冷水のコップ。フォークとスプーンを配し、パルメルザン・チーズの細長い円筒の容器を男の前に置く。スープはインスタントの顆粒のコーン・クリーム・スープを熱いお湯で溶いただけ。席に着くと、男は粉チーズを振り掛けて食べ始める。乳製品には弱いところがあるので、粉チーズはパスして、スプーンとフォークを使い、フォークに麺を巻き取るように絡ませて食べ始める。男はただ黙々と食べ続けている。フォークを咥えた時、その先端から、かすかに濁った真鍮の味がする。

昼食が済むと、食器類やカトラリーをキッチンに下げ、ペーパータオルでさっと拭ってから食器洗浄乾燥機に入れてスタートボタンを押す。お米を研ぎながら、夕食には何を作ろうかと考えている。昼をスパゲティで簡単に済ませたものだから、夜は少しは豪華にしなければ男も納得しないだろうと、あれこれ思いを巡らせている。主菜の大皿にはレモン・ポーク・ジンジャーにキャベツの千切りとブロッコリーと人参の各温野菜とを添え、副菜の中皿は玉葱と海老の春巻で、小鉢は大豆とめかぶの酢漬け、春巻は男は三本で家政婦の私はお味見かたがた一本、小鉢は男のためだけで家政婦の私には無し、それと味噌汁の具は男が好きな豆腐とわかめ、これでどうだろうか。塩、胡椒、バター、お酢、小麦粉、片栗粉といった調味料類や粉類はあるし、キャベツ、玉葱、水で戻す乾燥カットわかめも買い置きがある。そうすると、買ってくるものをメモに書き留めると、豚のロース肉二枚、生姜一個、ブロッコリー一個……


母が逝ってから振り返って考え直してみると、当時は解らなかったことが次から次へと理解できるようになっていく。

小学生の頃には、父が蒸発したように、母も、できることならば私を放り出して失踪したかったのではないだろうか。あたかもトランプのババ抜きのように、父は私というJOKERのカードを母に引かせてゲームを降りて逃げ、母は手元に残されてしまったJOKERに困惑したものの、これを押しつける別の他人プレーヤーが見当たらないがために、どうしようもなくJOKERを持ち続けざるを得なかった、そう、仕方なく養育し続けたのではなかったのか。放置同然の仕打ちも、そう考えれば理解できる。

私が中学生になると、話は更に複雑になり厄介になっていく。男と知り合い、仕事を家政婦に変え、時間的な余裕ができた母の目に映ったのは、大人への過渡期となって急に父と似て見えてきた私だった。凄まじい限りで恨んでいた父に容姿が相似する私が母の目の前にいた。父に対する、誰にもぶつけることができない暗い怨嗟と、どこにも持っていきようがない黒い情念とを心に秘めた母は、独り言で繰り返し呪いの言葉を呟いていたが、それは、父に向けられていたのと同時に、父の血を引いていて容姿が酷似している私に対する憎しみの呟きでもあったのではないだろうか。母が望み欲していた崩壊した人生の再建に関しても、すなわち男との再婚ないし同棲に関しても、障害となる邪魔者が私である。そう、父が母に残していったJOKERというカードである。中学生であった時代には、母が気まずい表情をして黙り込んでしまうことの意味を全く誤解していたようだ。父に対する恨みつらみを、その血を引いていて容姿がそっくりな私に向け、かつ、人生の再起の妨害者と判断して、心の奥底で憎悪していたのに違いない。そう考えると、総てが腑に落ちてくる。何もかもが納得できるようになってくる。

きつく冷ややかだった母の顔が、逝った時には穏やかな顔となっていたのは、男のマンションで逝くこととなり満足だったからに相違ない。男が自分の葬式を出してくれるだろうと安心して逝ったからに相違ない。


 ……人参三本入り一袋、絹ごし豆腐一丁、剥き海老一パック、めかぶ小一パック……メモを見ながらスーパー長谷川の籠の中に入れてゆく。春巻の皮はどこの棚にあったっけ。レモンは、果実は買わない。容器に入った調味料としてのレモン果汁を買い、少しずつ滴らして使う。白ワインは、ジンジャーソースに使うには少しもったいない気がするけれども、大匙二杯分だけだから、男が買っていて冷蔵庫で冷やしている年代もののシャトー・ドボワチーヌを使ってしまおう。ついでに綿棒とトイレ用芳香消臭剤も買ってストックしておこう。レジでお金を支払い、レシートを受け取る。立替払いした金額は、レシートを渡せば払い戻してくれる。それも千円未満は切り上げ計算で。マンションに戻ったら、夕食の食材をキッチンに置き、収納に綿棒と芳香消臭剤をしまい、乾燥まで済んでいるだろう洗濯物のうち必要なものにアイロンを掛けて、あとは洗面台・バスルーム・トイレの清掃となる。そうだ、バス用の黄色い液体洗剤がほんの少ししか残っていなかったんだ。帰り道の途中にある二軒のドラッグストアーのどちらか、田宮かファーレルで調達しなければ。


 母は、戸籍上は妻があっても遠の昔に家庭の形が喪失している男と、父の戸籍に入ってはいても家庭が形成されていない母とでは、うまく合わさると単純に考えていたのかもしれない。しかし、いかに強く望んだとしても、仮に妻が籍を抜くことに同意したと仮定してみても、男が母と再婚することはなかったのではないか、と思う。しからば、同棲に漕ぎ着けて心の安住を得られたのだろうか、これもあり得なかったのではないかと思われてならない。男にとっては株の取引で高得点をあげることが至上の命題であり、食欲などの欲望を満たし、面倒臭い、煩わしいと思うこと一切を代行させる目的で家政婦として雇い入れたのである。妻の家出の時に遭遇したであろう感情面・情緒面での泥仕合のようなトラブルに懲りた男が、母に対して、母のみならず他のいかなる女性に対しても、妻とのトラブルの二の舞を演じるリスクを負ってまで心を向けることは、仮初かりそめにしてもあり得ないだろう。株取引を通じて男はリスクに敏感になっている。母が絆を求めたとしても、男はそれを振り払うだろうことは容易に知れる。あるいは、母はこのことに気づいていて画策を巡らせていたのだろうか。


目の前で男は夕食の箸を休めないでいる。何も言わずに腕を伸ばして空になった御飯茶碗を差し出してくる。これで三杯目が空になった計算だ。食事を中断して、食卓の上に乗せた電子炊飯ジャーから御飯を継ぐ。大盛り気味にしておこう。今日の夕食の支度は、玉葱の擂り下ろしと微塵切りで目に滲みたが、ジンジャーソースがよくできて、レモン果汁の香りと酸味がアクセントになって、美味しいポークに仕上がったし、春巻もパリッと揚がって上手にできた。決して自画自賛ではなく、実際男も食を進めている。だけれど、キャベツの千切りはまだまだだ。一定した細い幅で切ることは、これは今後の課題だろう。


母が再婚を目論んでいたとしても、同棲を企てていたとしても、その裏にあったものは、第一には金銭上の問題であっただろう。しかし果たしてそれだけだったのだろうか。家政婦の仕事を始めた時は、母が三十代初めから半ばに差し掛かろうとしていた頃であり、私が中学生になったばかりの時だった。潔癖症だったその頃、具体的ではなかったものの、次第に母の内の何かを直感で感じ取っていった。それは、娘として本能的に、と言っても差し支えないものだった。そして、その母の内部のねっとりした何かに反撥し、その何かを嫌悪していた。そのためもあって、無意識のうちに、母との間柄が”口を利かない同居人同士“となっていった。

 当初から家政婦の仕事の範囲として取り決められていたものだったのか、それとも、家政婦の仕事が継続している途中で、男が追加を求めたものなのか、母の側から追加を提案したものなのか、母が逝き男が何も言わないでいる以上その経緯は解らないが、母の仕事は軀の関係を含めた家政婦だった。父の失踪後、母に性欲が全く無かった、などとは思われない。経緯の真相がどうであれ、母は、盛りがついたメス猫同様に、マタタビの粉の匂いを嗅いだときのようなとろんとした目つきをして、男にじゃれついていたのだろう。家政婦の仕事を見つけたと言っていたその春の宵に、アパートの窓の下でグルグルグルと鳴いていた野良猫のように。

 常にリスク回避を考慮する男にとっても、食欲などと同じく、性欲を満たす手段として好都合だったのだろう。男の立場に立って考えてみれば、性病に罹患する心配がないこと、避妊が容易であること、妻の家出時に懲りた感情面でのトラブルが生じないこと、との条件で、ヒト科オスとしての欲情を発散できれば都合が良い、との考えであろう。

商売女でない母から罹患するとは考えにくく、また、母の血の暦もきっちりした周期で巡っていただろうから、ゴムが要らない安全日と必要とされる要注意日・危険日とは、ほぼ正確に判断できた筈だ。それで母は、絆を求めていることは押し隠しておいて、忍び足で男に近づいて行き、女であることを罠として利用し、関係を積み重ねて事実を厚く構築し、足場を十分に固めきった上で、最終的には、有無を言わせず男を雁字搦めに絡め捕って押し切ろうと謀っていたのではないだろうか。もし画策が予定通りに順調に進んだとしたならば、多分きりが良い時に、おそらく皆川高校を卒業した時に、母は、邪魔者であるJOKERのカードを投げ捨てて失踪し、男のもとに走っただろう。家政婦の仕事をしている先の男の名前も住所も決して知らせなかった。このことも、今となれば納得がいく。


 夕食が終わり、食器洗浄乾燥機が稼働している。私という物語の第一章が終わった日も稼働している食器洗浄乾燥機の音を聴くとはなしに聴いていた。


 その日は、思いのほかずっと早く到来した。二年生の三学期の期末テストが終了して二日が過ぎた土曜日だった。高校生が学校に行くかのように見せかける服装にした。クリーム色のⅤネックのセーターを着たが、予定していた紺のソックスは踵からアキレス腱にかけての部分の布地が擦れて薄くなっているのに気づいたため、買い置いていた新しい白のソックスをおろした。制服である紺のブレザーに袖を通し、ウインドブレーカーを着た。リボンと同じ臙脂色のマフラーを首に巻きつけてアパートを出た。ビニール傘を持って出た。積るほどではないものの粉雪が降っていた。土曜日なので人数は少ないけれども、朝の通勤の人々が白い息を吐いて早足で駅に向かって歩いていた。それらの人々の流れに混ざってだらだら歩いて行った。皆川本町駅の自動券売機で切符を買い、東皆川駅まで電車に乗り、プラットホームのベンチに座って時間をかけて考えごとをしていた。駅前のスーパー長谷川の開店時刻は午前九時と知っていた。目の前を快速急行が通過して行った。同じことを繰り返して何度も何度も考えていた。各駅停車が来て人の乗り降りがあり、駅の時計の短針が9の目盛りを指し長針が⒓の目盛りを指すと発車して行った。特急列車が走り抜け、快速急行が通過し、各駅停車が停って去った。また快速急行が通過した。九時四十五分発の各駅停車が到着すると、ベンチから立ち上がって電車から降りた乗客に混じった。

 スーパー長谷川で買物をしてレシートを受け取り、歩いて行った。両手はともに毛糸の手袋をはめてはいたが、傘を差してレジ袋を提げていたためポケットに入れることができず、手の甲に突き刺されるような痛みを感じていた。未だに粉雪がちらちら舞っていて、チェックのプリーツ・スカートの裾の上で溶けて染み込んだ。耳が、切られてしまうように痛かった。くたびれた黒色のローファーは湿っていて、その中の足は爪先から感触を喪失していった。

 道に迷いながらもようやく辿り着いた。廊下の壁に傘を立てかけ、革靴を脱いで部屋に上がった。手袋とマフラーを外し、セーターとブレザーとウインドブレーカーをハンガーに掛け、首からリボンを外してブレザーの胸ポケットに収めた。胸ポケットの上にあるエンブレムの金色の刺繍糸が薄く汚れた黄色に見えた。

 男は、おそらく、母が逝った後は、生命を維持する上で必要不可欠なこと以外は何もしていなかったのであろう、やらなければならない家事がたくさんあった。洗濯乾燥機のドラムが回り、掃除機のモーターが唸った。一階のゴミ集積所まで何回となく往復した。少し遅くなった昼食には、暖かい餡かけの肉入り煮込みうどんを作り、男は黙って食べた。

 午後は、まず洗濯物にアイロンを掛けた。乾燥機能を用いて乾かした洗濯物は皺が寄っていて、アイロンのスチームを使っても皺はなかなか綺麗に伸びてはくれなかった。悪戦苦闘しているうちに、男が洗い晒しのまま着ていることに思い至って、必要最低限のものしかアイロンを掛けないことに決めた。バスルーム、洗面台を清掃し、櫛に絡んでいた抜け毛をティッシュで拭い取って捨てた。トイレの洗浄の時には、洗剤の塩素成分が目に滲みて、ゴム手袋を忘れた爪を白くした。

 夕食に鮭と蓮根の味噌煮と粉吹きいもを作ってはみたが、味噌煮は鍋を火に掛けすぎて上手にはできなかった。粉吹きいもは、揺らしても粉を吹いてくれずに単なる蒸したジャガイモになった。それでも男は何一つ言わないで食べた。

 稼働している食器洗浄乾燥機の音をぼんやりと聴きながら、マガジンラックにあったグラビア雑誌を開いていた。頁を繰りながら、読むのではなくただ眺めていた。クレジットカードの会社がプラチナ会員に郵送で無料頒布している機関誌だった。


 食器洗浄乾燥機が止まった。


 男は、私を落ち着かせるためだろう、ティーバッグとポットのお湯を使い紅茶を入れて持ってきてくれた。カップの受け皿には、良く切れない果物ナイフで無造作にざくっと厚く切った瑞々しいレモンの輪切りが添えてあった。

 この紅茶を飲み干せば、髪を解かなければならない。ゆっくり、ゆっくりと、ティーカップを、少しづつ、少しづつ、傾けてゆく。

 カップを受け皿に戻す時に、カタカタと小さな音が立った。

 ポニーテールに纏めていた太めのヘアゴムを外し、指先でブラウスのボタンを外していった。ひとつ、またひとつ、と時間をかけて。


 男の重さを全身で受けて、固く閉ざされた瞳は、目蓋の裏に水平線のきらめきと蒼い蒼い海原を見ていた。それが幻想だと知りつつも。


 気がつくと食器洗浄乾燥機はすでに止まっている。男が、ワイングラス一脚と、コルク栓を抜いたままにしておいたシャトー・ドボワチーヌの瓶とを持って、リビング・ダイニングに来た。こうしていつもの無言劇の幕があがる。

 私は椅子から立ち上がる。男は、きつく抱き締め濃厚なキスをする。ナメクジのような舌がぬめぬめ口の中を這いまわる。しばし男は離れる。食卓の上のワイングラスにシャトー・ドボワチーヌを注ぎ、男はそれを口に含む。一杯目の白ワインが口移しに注がれてくる。冷えていた筈の白ワインは、男の口に含まれて生ぬるくなってきている。私は酒の味を覚え、男は私の適量を憶えた。二杯目。二杯が限度だ。これ以上だと胃が収縮して苦しんでしまう。失敗に懲りて男もすでにそれを知っている。抱き締められたままでいて、白ワインに含まれているアルコールは全身を巡り、内側からじわじわとくれないに染めてゆく。酔いは、倫理観を麻痺させ理性を眠らせて、私を幻の時間ときへといざなう。頬が紅潮し、羞恥心が褪せてゆく。男は、背後に回り込み手を伸ばして胸ボタンに指を掛け、黒髪に頬ずりして顔をうずめ、ラベンダーの匂いを満喫している。

 黒髪よ、縺れよ、乱れよ、溢れよ、流れよ、ただただ刹那の歓喜のために。


 荒れていた息遣いと心臓の鼓動が収まってくると、いつものとおり先にシャワーを浴びに行く。火照った軀に冷たい水のシャワーは快く、軀じゅうの汗を水に流す。そう、水に流してしまう。汗を吸い込んで湿ったシーツは、明日の朝一番で洗濯してしまおう。シャワーを終えて、バスルームの横の収納から大きなバスタオルを三枚取り出し、一枚目で軀の水滴を拭う。二枚目を軀に巻きつけ、三枚目を手に持つ。ダブルベッドに戻ると、交代で男がシャワーを浴びに行く。汗で湿ったシーツの上に寝るのは嫌だから、手に持ってきたバスタオルをシーツの上に敷いて、その上に身を横たえる。

 横たわりながら、男との関係を考えている。


 男のもとで行なっているのは”援交“なのだろうか。いや違う。アミューズメント・パークの年間パスポートやブランド品のバッグや宝飾品のアクセサリー欲しさからではない。”援交“をする女子生徒の”青春“の”春“は”売春“の”春“だ。

 それでは”売春“なのか、”かれ“なのだろうか。これも違う。娼婦の中には生きてゆくための者もいるだろうけれど、一見いちげんの不特定・多数を相手とするのが常である。

 では、これは”不倫“なのか。違う。確かに男には妻がいる。しかしそれは戸籍上の記載だけであって、妻はもう長期に亙って別居しており、男と生活していない。家庭が存在している場合に、これに割り込んで行くのが”不倫“なのだから、そもそも家庭がすでに消滅してしまっている以上は”不倫“には当たらない。

 それならば”愛人“なのだろうか。男が欲しているのは、性病・妊娠・感情の縺れという三点のリスクを回避しつつ、ヒト科オスとしての欲情を満たすことである。母と同じく、性病と妊娠についてはリスクは無きに等しい。感情の縺れについては、男には年齢差という武器がある。いくら感情の縺れが生じようが、男は年齢差を楯にして容易に抑圧することができる。そうしてみると、単にリスク回避の条件を満たしているだけのことである。仮に私との間の話が

”無かったこと“になっていたとしても、男は、リスク回避の条件を満たしているフリーターなどの他の女性を捜して見つけ出しただけのことだろう。男には性欲はあっても感情はなく、生きているダッチ・ワイフがあれば都合がよい、だけのことである。したがって

”愛人“のいずれにも当たらない。


 男がシャワーを浴び終わって戻って来る。背を向ける形で横たわる。男は、汗が染み込んだ湿ったシーツの上に横になっても全く無頓着でいる。

 男に背を向けたままで考え続けている。


 適当な表現や言葉が思い浮かばないので、方法を変え、実態から判断してみることにする。

 男は、性欲にしたがい私から快楽を得ている。私は、男から喜悦を受けている。私は、男のために家事を行ない男の生活を支えている。男は、家事の報酬を支払い私の生活を援けている。何のことはない、気がついてみれば、男と私の関係の実態は生物学でいう”共生“ではないか。異なった種類の生き物の間で、お互いの生き物が利益を得る形式での”共生“、つまり”相利共生“に過ぎない。イソギンチャクを殻の上に乗せて、ヤドカリはイソギンチャクに”移動“の便宜を与え、イソギンチャクは有毒な触手をもって外敵を追い払い、ヤドカリに”保護“を与える。これと同様な相互利益関係に過ぎない。しょせんヒト科オスと哺乳類ヒト科メスとは別の生き物、ものの考え方も異なれば感情も違っている。別々の生き物の間で心が通い合うわけがなく、ただ、自己の利益の追求のために相互に相手方に協力しているだけのこと。

 清少納言は”男女の仲“を遠いようでいて近いものと記したが、それは間違っている。”男女の仲“は、遠く遠く、お互いを理解するのは不可能なこと。


 男と妻との関係に思いが至る。先日法学概説の講義で学んだところでは、法律上は、婚姻は男女双方の合意のみに基づいて成立し、届け出て戸籍に記載されると効力を生じる、のだそうだ。そこには感情を示している言葉は何も無い。男と妻との関係は、妻が男から一定額の金銭を毎月受け取っているだけで、妻は男に何の便宜も与えていない。男と妻とは、一方の生き物のみが利益を受ける形式での”共生“、つまり”片利共生“なのだろうか。いや違うのではないか。別段痛痒を感じている様子はないものの、男は継続して金銭を負担してきているのであるから、妻の立場は、相手を殺さずに栄養として利用する片害行為、すなわち”寄生“ではないのか。生物学上”片利共生“と”寄生“とを区別するのは、場合によっては極めて困難であるとされている。”片利共生“にしろ”寄生“にしろ、これを容易に解消できないようにしているのが、戸籍という名の法の鎖。


 調べてみたが、親子関係の法律の条文にも、感情を示す文字は全く無い。


 アオウミガメのオスは、大洋を泳ぎ巡っていて、メスと出会って交尾するだけである。交尾が終わると、アオウミガメのオスは別のメスを捜しに去って行く。交尾を終えたアオウミガメのメスは、月夜の晩に砂浜に上がり、波打ち際から離れた遠いところまで歩いて行って砂を掘り産卵する。俗にアオウミガメのメスは産卵の時に涙を流すと言われているが、あれは涙ではない。単に甲羅に覆われた体内の水分を調整し、余分を目から排出しているだけのこと。いわば偽りの涙である。産卵を終えると、アオウミガメのメスは砂を掛けて埋め、卵を温めることなくそのまま帰って行く。

数ヶ月後に孵化し殻を破って生まれた子ガメは、水平線の輝きを頼りに海を目指して自分の力で走ってゆく。蟹に襲われる子ガメもいる。鳥に啄まれる子ガメもいる。放置された漁具に絡まって身動きがとれなくなる子ガメもいる。波に打ち上げられた流木に阻まれて力尽きる子ガメもいる。それでも子ガメは懸命に走る。海に向かって走ってゆく。「生れて来た以上は、生きねばならぬ」と。


男の穏やかな寝息が背後から聴こえてくる。


男は、大学入学のお祝いのつもりだろうか、一万円札がみっしりと詰まっている封筒を渡してきた。更に、男は、授業料は高校よりも大学の方がかかるであろうと思い込んでいるのか、家政婦の報酬 額を引き上げた。男は、入学金が免除となったことを知らない。男は、授業料が減額となって高校の授業料とほぼ同額となったことも知らない。私は、修学支援基金のもの、民間企業のもの、財団法人のもの、大学自体のものなど、可能な限り多くの給付の奨学金を申し込んでいて、申込済みの奨学金は総て承認されるであろうと予想している。男は、奨学金についても全く知らないでいる。

私という物語の第二章には、早ければあと一年余りでピリオドを打つことができる。そう、あと一年と少し家政婦を続ければ、これまでに貯えてきた分と併せて、男との”相利共生“を解消しても大学卒業までの学費と生活費に不足することはない。

私という物語の第二章に書かれているこの黒髪の重さを、心に秘め置いたまま封印する勇気はない。その時には、のしかかるこの黒髪を思いっきり短くばっさりと切り落としてしまおう。そして、総てを時間に委ねてしまおう。忘れようと思ったことすら忘れ果ててしまう時の流れに……。


不意に滴の音がする。窓ガラスを打つ雨の音が聴こえる。窓の外は、ひとしきりの真夜中の驟雨。


                           (了)




〔著作権法に基づく出所明示〕


 文中に『蒙古放浪歌』の一部を引用使用しました。この歌の成立時期は特定されておらず、昭和の初期ではないかと言われています。作詞者は、不詳説、仲田三孝説、村山昊(村岡昊)説、仲田説・村山(村岡)説の存在を知りつつ自然発生的にできたものとする説があり一定しておらず、作曲者も、不詳説、川上義彦説、園山民平説、自然発生説があります(以上敬称略)。この歌の表題は、歌詞集等により『もう古放浪歌こほうろうか』とするものと『もう古放浪こほうろううた』とするものがあります。この歌の歌詞は、歌い継がれているうちに異同が生じ、歌詞集等によりバリエーションがあります。海洋系・水産系の学校では、前口上や歌詞を変え『水産放浪歌』の表題で歌われています。


〔参考和歌等〕


籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 比岳尓 菜採須兒 家吉関 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曾居 

師吉名倍手 吾己曾座 我許曾歯 告目 家呼毛名雄母(籠もよ 美籠持ち 掘串もよ 美掘串持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 吾こそ居れ しきなべて 吾こそ座せ 我こそは 告らめ 家をも名をも) 

          (大泊瀬稚武天皇〈雄略天皇〉 萬葉集)


どうしようもないわたしが歩いてゐる

                  (種田山頭火 草木塔)


〔山頭火は「何故生きてるか、と問はれて、生きてるから生きてる、と答へることが出来るやうになつた」と日記に書いている。行乞記 昭和七年六月廿一日〕


忍ぶれど 色に出でにけり 我がこひは ものやおもふと 人の問ふまで

             (平兼盛 拾遺和歌集・百人一首)


戀すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ おもひ初めしか

            (壬生忠見 拾遺和歌集・百人一首)


『The Great Gatsby』

(Francis Scott Fitzgerald)


夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 關はゆるさじ

           (清少納言 後拾遺和歌集・百人一首)


冥きより 冥き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月

                 (和泉式部 拾遺和歌集)


晴れやらぬ 身のうき雲の たなびきて 月の障りと なるぞかなしき

              (和泉式部 風雅和歌集)

 返し、

もとよりも 塵にまじはる 神なれば 月の障りも 何か苦しき

          (熊野本宮大社に坐す大神 風雅和歌集)


〔和泉式部は、紫式部が「和歌は上手なところもあるけれども、素行は感心しない」と紫式部日記に書き、藤原道長が和泉式部の扇に「かれ(『遊女』の意味)の扇」と書いたように、男性遍歴が盛んな歌人であった。「冥きより……」の和歌は、「法華経」化城喩品の「從冥入於冥、永不聞佛名」に基づき詠まれたもので、仏教・和歌説話集である『古本説話集』には、この和歌を詠んだ功徳により罪障深い和泉式部も「後の世も助かりけむ、いとめでたき事(死後あの世でも苦から救われた。とても素晴らしいこと)」と記されている。また、「晴れやらぬ……」は、罪障を懺悔するため和泉式部が熊野本宮大社に奉幣に行き、参拝の前日に月の障りとなり、参拝を断念して帰ろうとした折に詠んだ和歌、「もとよりも……」は、熊野本宮大社の神様が参拝を断念して帰ろうとする和泉式部の夢枕に立たれて詠んだ返歌、とされている〕


『第一高等学校寮歌』

                    (矢野勘治 作詞)


『人を戀ふる歌 (丗年八月京城に於て作る)』

                   (与謝野鉄幹 作詩)


『第三高等学校寮歌逍遥の歌』

                    (澤村胡夷 作詞)


『琵琶湖周航の歌』

                    (小口太郎 作詞)


『葉隠聞書』

(山本常朝・田代陣基)


〔参考図書〕


『The Evolution of Desire 〔邦訳:女と男のだましあい―ヒトの性行動の

進化―〕』

            (David M. Buss 狩野秀之訳 草思社)


『The Dangerous Passion〔邦訳:一度なら許してしまう女 一度でも許

せない男―嫉妬と性行動の進化論〕』

         (David M. Buss 三浦彊子訳 PHP研究所)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真夜中の驟雨 羽里 扇 @yoshijin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る