エレメント・リリィズ~サキュバス魔女っ娘と百合を巡る旅~

青白

第1話「サキュバス魔法使いの少女」

  1


「あ、あのっ! あなたさえ良ければなんですけれど! 私にその体、売っていただけないでしょうか! もちろんお金はお支払いします!」

 出会ったばかりの少女に、礼儀正しく頭を下げられそう頼まれて。困惑しない人間などいるだろうか。

 シザクラ・レンケンはとりあえず鞘に納めた刀を背中に背負い直して。少し乱れた長い髪を手で掻き上げながら、深くため息をついた。

「……いや、君ね。何言ってるかわかってる? あたし、そういう商売はしてないんだけれど。それにお互い会ったばっかりで名前も知らないし……どう見ても子供だよね、お嬢さん」

「お嬢さんではありません。わ、私、こう見えても結構大人ですっ。フィーリー・ゲイルと申します。えと、魔法使いの……見習いです」

 あたしはシザクラと自己紹介を返しながら、シザクラは目の前の少女を観察する。

 魔法使い。随分久しぶりに聞いた名前だ。まだ年端も行かぬ少女は、それの見習いだという。

 先の方が項垂れたとんがり帽子に、藍色のマントとローブはこの上なく魔法使いであると主張した恰好で、そういう仮装かと思ってしまうくらいベタだ。

 黒髪のショートヘアは毛先が内側にくりんと巻かれていてさらさらとしている。太めできりりとした眉毛、目ははっきりしていて意思の強さを感じさせた。

 でもその顔は、まだあどけなすぎる。身長も、高めのヒザクラと比べると腹の当たりまでしかなく、本人の主張に対してまだまだお子様であるのは明らかだった。

「……で? お嬢さん。娼館に行ってお客様になろうとしたら断られたんだっけ? だから、あたしを買いたいと。……そういうことであってる」

「はい! お嬢さんではありませんが!」

 威勢の良い返事。シザクラは額を押さえてため息を付く。

 ここは比較的発展している都市、ローラウダだ。そして今シザクラ達がいるのは、都会にありがちな治安の悪い地域。夜のこの場所は人通りが少なく、路上生活者の姿ばかりが目立つ。

 そしてこの先には、シザクラの目的地だった娼館があったのだ。

 フィーリーと名乗った少女は娼館から追い返された帰りだったらしい。柄の悪い連中に絡まれていて、そこにシザクラが通りかかった。チンピラ共は、今全員地面の上で伸びている。

「……そういう悪い子ごっこに付き合う趣味はないんだよね。親は? 迷子なら騎士団のとこまで案内するけど」

「迷子ではありません! 私はれっきとした冒険者です! 悪い子ごっこでもなくて、とにかく私は早急に……その。女の人と睦み合わなければならないんです!」

 そう両手を握って訴えてくる彼女は、嘘を言っているようにシザクラには見えなかった。誰かに言わされているわけでも、催眠の魔法か何かに惑わされているわけでもなさそうだ。

 むしろ彼女の様子からは、必死ささえ窺える。命に関わるような、切羽詰まった感じだ。……内容は、ひとまず置いておくことにして。

 シザクラはもう一度ため息をついて、フィーリーに背を向ける。そして不安げな彼女を肩越しに振り返ると、くいっと親指を持ち上げた。

「……とりあえず。ここの治安終わってるから、ゆっくり話せるとこ行こ。君を騎士団に送り届けるかは、それから決めることにするから」

 そう言ってやると、フィーリーの顔はあからさまに明るくなって、「はいっ!」ととてとて走り寄って来た。仕草まで、どこからどう見ても子供だ。

 せっかく都会に来たし、娼館で可愛い女の子たちと楽しいひと時でもと思っていたのに。まさか子守りをする羽目になるとは。人生って言うのは、本当にままならない。

「そういえばこの人たち、このまま放っておいても平気でしょうか……?」

「ガキにちょっかい出す悪い大人は地面で寝てても死なないよ。放っておいてあげな」

「ガキじゃありません。フィーリーです」

 フィーリーが気にしていた地面に転がるゴロツキ達を軽く蹴飛ばしながら、シザクラは街の明るい方へと歩み出した。


  2


「……これから話すことは。他言無用でお願いします。あまり大っぴらにはしたくないことですので」

 ベッドに腰を下ろしたフィーリーは、床に届かない足をぷらぷらさせながらそう言った。真剣な眼差し。本当に大事なことなのだろう。

 シザクラの泊まる、宿屋の一室だった。夜のこの時間帯、開いているのは酒場くらいのものだし、そんなところに子連れは悪目立ちする。結局、密室で二人きりになるしか選択肢はなかったのだった。

 ベッドの近くのソファに座るシザクラは。フィーリーを覗き込むように頬杖をついて視線を返す。

「それ、あたしに話していいの? 会ったばかりだし、悪い大人かもよ。人の秘密も守れないような」

「悪い大人は、私を助けたりなんかしません。だからあなたは、信頼できる方だと見込ませていただきました」

「そう。ならその期待に応えられるよう、努力はするよ。他言無用、了解」

 茶化さないでシザクラが頷くと。フィーリーは意を決したように被ったままだった自分のとんがり帽子に両手を掛けた。ゆっくりとそれを脱ぎ、膝の上に置く。

「え……? 何、それ……? 角……?」

「普通の人の頭には、ないものなのでしょうね。……実は私、サキュバス、と呼ばれる種族の血を引き継いでいるみたいなんです」

 帽子を取った彼女の側頭部。両方の耳の上の辺りに、くるりと円を描くように黒い角が生えていた。幼さが隠しきれていない彼女の風貌には不釣り合いの、禍々しさをどこか感じる。

 そして彼女の着ているローブから、足の下に尻尾のようなものが顔を見せた。いや、尻尾なのだ。先端が槍のように広がって尖っている。角と同じで真黒なそれはうねうね動き、ちゃんと彼女の身体の一部であることを示している。

 不気味、というよりは。ちんまりした彼女の印象のおかげか。どこか愛らしさみたいなものがある。

 丈の長いローブと頭をすっぽり覆うとんがり帽子は、これを隠す役目も果たしているということか。

「サキュバスねぇ……。これ、本物? 触ってみてもいい?」

「本物です。どうぞ確かめてください」

 疑われたことにむっとしつつも、フィーリーはシザクラの方に頭を向けてくる。立ち上がって、そっと彼女の角らしきものに指を這わせてみた。

「うわっ、ほんとに角っぽい……っ。生々しいね……」

「っぽいじゃなくて角なんですっ。本物です!」

 硬いけれど仄かなしなやかさを含んだような、不思議な感触だった。ところどころの刻みのような凹凸が触り心地良く、ついついシザクラは夢中で撫でてしまう。

「んぁっ……」

 ふとフィーリーがぴくんと反応して吐息をこぼす。その艶っぽさにドキリとして、そんな自分に驚きつつ罪悪感が湧く。

 いやいや、落ち着けあたし。一回りは年下の子供相手に、何を動揺してんの。欲求不満とか、そういう問題じゃない。

 まだ胸がざわつくのを自覚しながら、シザクラは角から手を離す。

「ごめん、痛かった? 感覚あるんだ、これ」

「いえ……いつもはこんなことなかったんですけど、くすぐったくて……。と、とにかく、これで私が普通の人間とは違うと納得していただけました?」

 フィーリーの言葉に頷かざるえない。角と尻尾のある人間など初めて見た。

 しかしサキュバスとは。シザクラも名前だけは見知っていた。

 確か魔人の種族の一つで、淫魔などと呼ばれていた。目にしたのは伝説の生物を取り扱う信憑性の薄い書物だった。てっきりおとぎ話だと思っていたけれど。

「……サキュバスって、確か人の淫らな気を吸うんだっけ。もしかして、それで娼館に行って誰かとセックスしようとしたわけ? 子供って大胆だねぇ」

「子供ではありません。そうです。食事とおんなじで、人から淫気を定期的に接種しないと、最悪命に関わるみたいで……。とにかく今は、時間がないんです。この街に着いた時から、もう意識がくらくらしてきてしまって……」

「で、娼館に門前払い喰らったから、手ごろなあたしとセックスしたいと」

「うぅっ……まあその通りなんですけど……。身勝手なのは承知です。ですが命に関わりますから、手段は選んでられません。報酬はしっかりお支払いしますし、無理にとは言いません。お願いできませんか……?」

 確かに無理強いはしていないが、そんな飼い主に見捨てられた小動物のような眼差しで縋られると反応に困ってしまう。

 子供とセックスを進んで行うほど、たかが外れているつもりはまだない。助けにはなりたいと思うが、さすがに内容が内容すぎる。

 だが彼女は嘘をついていないのだろう。それは伝わってくる。人を騙す人間は、そもそもこんな下手でぶっとんだ要求はしてこない。と、信じることにしよう。

「……その淫気ってさ、例えば手と手で触れ合ったり、ほっぺにチューするだけとかでも、ある程度摂取できるの?」

「軽い触れ合い程度ではダメみたいですね。ちゃんと深く、触れ合わないと。でも口と口の……き、キスくらいなら。出来るかもしれません。試したこと、ないですけれど」

「んー……まぁ、それくらいなら。ノーカンってことで、協力してもいいよ。ただ、その先はさすがにやばいからなしね。てか、君はいいの? 一応初めてなんでしょ?」

「構いません。そういうことを気にしてくれる、あなたはいい人ですね。だから、任せられます」

 ……だから、そんな真っ直ぐに真剣に。目を見て言わないでほしい。無茶を言われているのはこちらなのに、まるで悪いことをしている気持ちになる。この子は、純真すぎるようだ。だからシザクラも、放っておけなかったかもしれない。

「……触っていい?」

「は、はい……。ん……っ」

 座っているフィーリーの前にしゃがみ込んだシザクラは、許可を得てからそっと彼女の頬に手を添える。ふわもちっとした頬の感触さえあどけない。

 緊張した様子を微塵も押し殺せず、彼女は耳まで真っ赤にしてぎゅっと目を閉じている。

 そのうぶさに微笑ましくなりつつも、どこか胸の奥が落ち着かなくなる感覚を、シザクラは無視できない。何だこれは。子供相手に邪な想いを抱くほど、落ちぶれちゃいないつもりだけれど。

「……するよ? 心の準備、いい?」

「は、はい……っ。遠慮は、いりませんからっ。どどんと、お願いしますっ」

 シザクラの顔が近づく気配を察したらしい。フィーリーは更にぎゅっと目を閉じて、頬の赤らめを濃くする。

(……睫毛、長いな。肌が白いから、真っ赤になるとわかりやすい。……って、まじまじ見入ってるんだあたし)

 さっきから、どうも感覚がおかしい。彼女の頬に触れたまま、じっと視線を注いでしまう。近くで見れば、本当に彼女は幼く、そして可憐な顔つきをしているのがわかる。罪悪感。と、それに伴う変な気分の、昂ぶり。

 実は自分もこの状況に動揺してしまっているのだろうか。年端もいかない少女とキスなんかするのだ。冷静でいられる方がむしろどうかしている。

 もうヤケクソだ。覚悟を決めて、更にフィーリーとの距離を詰める。キス、するからね。頬を指先で撫でて、合図。ぴくんと彼女が震える。

 唇がついに触れる。びっくりした。その柔らかさ。こちらに吸い付くような、瑞々しさ。蜜の染みた果実に口づけたような。足跡のない初雪に、踏み込んだような、優越。ぞくんと、頭を突き抜ける。

「んっ……⁉」

 舌を、入れていた。彼女の小さな歯を舌先でノックして、驚いたように開いたその間に差し込んでいる。

 口腔は思ったよりも狭い。というか、全体的にこじんまりとしている。軽くなぞるように確かめるだけで、すぐ全部味わえてしまう。唾液が、甘い。味覚が痺れてしまうほどに。

「んっ、んぇぅ……っ」

 溢れる彼女の吐息。深くこぼれたのは、シザクラがその小振りの舌を自分の舌で絡めとったからだ。

 本当に小さくて、短い。シザクラ自慢の長い舌だと、包み込めてしまえそうなほどに。優しく転がすように、結びついてく。彼女はされるがままだった。

「……あ、ごめん! つい……っ。大丈夫?」

「は、あぁ……っ」

 ふと我に返って離れると、フィーリーはぼうっとした顔でどこか遠くを見ていた。潤んで焦点の結ばない眼差しと、赤らんだままの頬。そして唾液を端からこぼして濡れた、その薄い艶やかな唇。

 どくん。鼓動が、跳ねた。

 シザクラは何を思うよりも、彼女の肩を押してベッドの上に押し倒している。驚いて見開かれた彼女の目と、視線が合う。荒い息は、どうやら彼女だけでなく、自分もそうだ。獣のそれみたいだった。

「……淫気、だっけ。ちゃんと摂れた?」

 かろうじて残った理性で、そう聞く。ごまかしきれない欲求。自分は今、目の前の少女に発情してしまっている。

 これは、サキュバスの血がもたらす効果なのだろうか。人の淫らな感情を引き出す。淫気をとるためだ。そんな記述を書物で見たような気もする。

「少し、だけ……。でもまだ、足りないです……っ。お腹、空いちゃった……」

 ――もっと、ください。

 そんな無防備な声と表情で求められたら。かろうじて繋ぎ止めていた理性など、すぐ弾けてしまう。

「……ごめん。嫌だったら蹴っ飛ばして。なるべく、優しくするから」

 フィーリーの頬を撫でて、野生を隠すように静かに囁く。

「……優しくなんてしないで、いいです、から。いっぱいください、シザクラさん……」

 こちらの手に自らの手を重ねて、抑えた声でそんなことを言ってくるものだから。

 シザクラはもう、容赦なんてするつもりはなくなった。


  3


 夢を見た。すぐ夢だとわかる、ぼんやりとした感覚の中にシザクラの意識はあった。

 シザクラは、空に浮かんでいた。そして幼かった自分を見下ろしていた。

 小さな自分は、誰かの手を握っている。同じような背格好の、少女。頬は微かに薄汚れ、頭巾や着ている服はボロ切れのようになっていた。

 それでも笑う彼女の顔は、シザクラには眩しかった。シザクラがいくら綺麗な衣服やアクセサリーを手渡そうとしても、彼女は頑なに断った。

『いいの。いつか私、自分で手に入れるから。その日までその喜びは、取っておきたいんだ』

 そう言った彼女は、生まれながら恵まれているだけの自分よりも、ずっと気丈だった。

 それでも、彼女は。

『ねえ、私いつか。あなたみたいな立派な人になるね。だからその時は──一緒にいてくれる?』

 少し躊躇い気味に言ってくれた彼女。だからシザクラは、すぐ小指を差し出した。

 約束。何の根拠も、確かさもない、幼く拙かった、ただの空虚な交わし合い。

 それでも嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、小指を合わせてくれた。

 その表情が。いつまでも、いつまでも。焼き付いて、離れない。

 その明るさが目映くて、目を覚ました。

 ソファの置かれた窓辺に、朝日が差し込んでいる。まだ生まれたての光。目を細めて、体を起こす。

(……久しぶりに見た。あの子と、一緒にいたからか)

 ため息をついた。あまり良くない寝起きだ。夢じゃなくて、今のは記憶の断片。いつまでもみっともなく、握りしめて離せないもの。

 はっとなって、ベッドを見る。整えられたそこに、フィーリーはいなかった。ただ、折りたたまれた紙と、微かに膨らんだ布袋がそこに置かれている。

 シザクラは立ち上がってそれらを手に取る。紙を広げて、そこに綴られた文面を読み、また深くため息をついた。

「……まったく最近のお子様は……っ」

 荷物を纏め、部屋を飛び出す。まだベッドは温かかった。あの子が抜け出してからそう時間は立っていない。危うく宿代を払い損ねるところだった。

(……何やってんだ、あたし。何で急いでる? 何で、追いかけようとしている?)

 わからない。でも、感情がそうさせる。足を動かす。

 道行く人に尋ねた。魔法使いの恰好をした少女の行く先。特徴的であってくれたことを感謝しながら、教えてもらったその足取りを追う。

 街の外へ。門を抜け、街道へ。少し小高い丘の先。大きなとんがり帽子にローブ。わかりやすいその背中を、見つけられた。

「ねえ、ちょっと! 昨日の代価にしては賃金が足りないんじゃない⁉」

 大声で呼びかける。跳び上がったその背中が、恐る恐る振り返る。そこにシザクラは飛び込むように駆け寄った。息は切れていない。これくらい、軽いものだ。

「挨拶もなしで、用が済んだらぽいっとさよなら? 子供の内からそんな女の扱いしてると、立派な大人になれないぞぉ?」

「し、シザクラさん……。べ、別にぽいっとしたわけではなくてですね……。これ以上、シザクラさんにご迷惑をおかけするわけにはいかないと思いまして。……賃金、足りませんでした? 一応、私が持ちうる全財産置いてきたんですけど……」

「いや、そういう相場とかよくわからんけど。さすがに子供のなけなしの全財産、掠めとることは出来ないなぁ」

「子供じゃありません。……では、どうしましょう。私、お金以外にお渡しできるものが……」

 困ったように考え込むフィーリー以上に、シザクラ自身が困っていた。

 自分が何で、彼女を追ってきたのか。よくわかっていない。わからない。感情任せでここまで走って来たのだ。

 でも次に、どうするべきか。それだけは理解していた。自分が、どうしたらいいか。

「じゃあ、あたしも付いてっていい? 君の旅に。前衛は必要でしょ? あたし物理戦闘は得意だし、昨日みたいにチンピラを退けることもできる。……それに、毎回淫気を摂取する相手を捕まえるのも面倒でしょ? 君にはメリットだらけじゃない?」

「……えと。それだと、対価になってませんよ? むしろ私ばっかり徳をしているような気が」

「細かいこといいっこなし。あたしがそれでいいって言ってるんだから。で、君の返答は?」

 シザクラは手を差し出す。出した結論。とりあえず彼女を、放っておけなかった。旅は道連れ。

 とりあえず今は、そういうことにしておこう。

 少し迷って。足元に目を落としていたフィーリーは、勢いよく顔を上げた。それから真っ直ぐな眼差しでこちらを見上げ、シザクラの手をとった。

「では……シザクラさんさえ良ければ。よろしくお願いします。本当は、私も一人ではその、心細かったので」

「いいね。子供は素直なのが一番。でも、悪い大人には付いていかないこと。あたしがたまたまいい大人で良かったね」

「子供じゃないです。……本当にいい大人なんですか、シザクラさん?」

「会ったばかりのお子様のむちゃくちゃな要求に応えるくらいには、いい大人なつもりですけど」

「……その節はすみませんでした」

 二人でそんな会話をしながら、街道を並んで歩き出す。色々決まったけれど、そういえば聞き忘れたことがあった。

「そういえばさ。君、何で一人で旅してんの? 子供が単独でなんて、よっぽど訳ありでしょ? 今時魔法使いっていうのもあれだし。……あ、答えにくかったら、答えなくてもいいけど」

「子供じゃないです。……私、生き別れの母を探しているんです。物心つく前にいなくなってしまったらしいので、顔とかは知らないんですけれど。一人で旅しているのは、まあ色々と事情がありまして」

 フィーリーが後半の方はもごもごとごまかすように言う。サキュバスの血を引いているというから、探しているのはそちらの母親の方なのだろうか。

 伝説にもなっているような存在を、簡単に見つけられるものなのだろうか。シザクラにはよくわからないが、彼女は明確に目的地を把握しているようだった。その辺りのこともちゃんと聞いておきたいところだけれど。何故だか彼女は言いにくそうだ。

「そういうシザクラさんは、どうして一人旅をしているんですか? 何か目的が?」

「あたし? あたしはぁ、ただ可愛い女の子といちゃこらしたくて、色んな国巡ってるだけ。君と出くわした時も、あたし娼館に行こうとしてたしね。あたしはちゃんとお客様として利用できるし」

「……あなた、やっぱり悪い大人なんじゃないです? 不純です」

「まあ、あたしのことなんかどうでもいいじゃん。それより、君のお母さん探しだけど、手掛かりとか……」

 言葉の途中で、シザクラは立ち止まる。街からだいぶ離れた道。森というには浅いが、木々が左右に並んでいる通りだ。

 近くの茂みに、気配。こちらを窺っている。おそらく、四匹から五匹。人間の視線ではない。シザクラは背中の刀の柄に手を掛ける。

 先を歩いていたフィーリーが不思議そうにとんがり帽子を翻した。

「シザクラさん? どうしました?」

「お嬢さん、どうやらさっそく旅のお出迎え。……ちょっと失礼」

 シザクラは駆け出している。そして唖然としてるフィーリーを軽々と抱え込んで跳んだ。

 途端、近くの茂みから影が飛び出してくる。それは今しがたフィーリーのいた場所目掛けて着地し、牙を噛み鳴らした。

 髪の長い女が四つん這いになっているかのような背格好。だがその体は筋肉を大きく発達させており、灰色の毛のない巨体を大きく隆起させている。

 口は長く、開いた口に唾液の糸が引いた鋭い牙が並んでいる。目は全体が真っ赤で、正面にいるシザクラたちを獲物と捉えていた。

 獣だが、それは違う異様な気配。空気をぴりつかせるような強烈な邪気と殺気。

 魔物だ。ケルベールという、四足歩行の野獣に近い。その牙と手足の鋭い爪を武器に狩りをする。

 そして奴らは群れで行動する。案の定、茂みから続くように同じケルベールたちが四匹、姿を見せた。

「ま、魔物……!」

「大丈夫。下がってて」

 シザクラは魔物たちからフィーリーを庇うように前に立ち、背中から刀を引き抜いた。刃は見せず、鞘ごとだ。こいつら相手ならこれで十分。魔物たちは、よく人から奪ったものや落としたものを身に着けていることが多い。それを換金できるが故、一緒に切り刻んでしまってはもったいない。

 ふと、フィーリーがシザクラの庇う腕を越えて前に出てきた。

「シザクラさん。私の魔法をお見せします。これから一緒に旅をするのですから、私の戦力も把握していただいた方がいいでしょう」

 そう言って魔物を見つめる彼女は、思ったよりずっと冷静だった。おそらく戦闘経験もあるのだろう。任せて大丈夫そうだ。

「オッケー。魔法って詠唱が必要だよね。それまでの時間を稼ぐ感じでいいよね」

「話が早くて助かります。では詠唱を、開始します」

 フィーリーは目を閉じ、右手を掲げるように自分の胸の前に持ってくる。

 そこに突如現れた、書物。風が吹いたように勝手に開きページが捲れていく。

 そして彼女の周りに円を描くように並んでいく言葉たち。人間には判読できない、精霊文字。魔法は、この世界のあらゆる元素に宿る精霊の力を借りて放つ力だ。いや、今や古の力と言った方が正しいか。

 シザクラは地面を蹴る。瞬時、先頭のケルベールの前へ。そのまま思いきり蹴飛ばす。犬のような声を上げて吹き飛ぶ。これで他の奴らの注意をこちらに向けられた。魔物たちは脅威と判断したシザクラを囲み始める。

 シザクラは飛び掛かってくる奴らを、適当に弾き返していく。牙を剥き出した奴の顎を、下に潜り込んで蹴り上げ、振りかざされた爪は鞘で受けて弾き返す。

(さすがに手数が多いか……)

 敵は五匹。連携もそれなりに取れている。面倒だ。

 ちょうど向かってきた一匹の眉間に、刀の鞘を思いきり叩きつける。ぐらりと奴の体が揺れて地面に倒れ込んだ。

 明らかに周りの魔物たちに動揺が走る。怯んでくれると助かる。こっちの目的はあくまで時間稼ぎだ。

「シザクラさん! 発動します! 避けてください!」

 フィーリーの合図。魔法が来る。かと思えば。

(は? 何この力……⁉)

 思わずシザクラも戸惑うような圧力を感じた。凄まじい魔力。その発散。

 嫌な予感がして、シザクラはその場から大きく後ろに飛びずさる。

 瞬間、目の前が赤くなり。魔物たちがいる場所が轟音を立てて吹き飛んだ。一瞬見えた。巨大な火の玉が、魔物の群れに突っ込むのが。

「シザクラさんッ! 大丈夫ですか⁉」

「ああ、うん。あたしは大丈夫だけど……」

 フィーリーがとてとてと駆け寄ってくる。彼女も唖然としている様子だった。

 周りの木々も地面も。大きく抉れて焦げ付き、消し炭の匂いと黒煙を立ち込めさせていた。

 魔物たちはその威力に驚いて逃げたらしい。五匹全員遠ざかっていく姿が見えた。

 明らかにシザクラが今まで見た魔法の中で。威力が段違いすぎる。こんな強力なのは初めて見た。

「……こんなやばいの使うなら、最初から言っといてよ。あたしまで黒焦げになるところじゃん」

「わ、私もここまで魔力が出力されたのは初めてで……。これって、初めて淫気を摂取したせい、ですかね……?」

 困ったようにフィーリーに視線を向けられて。シザクラも返答に困り、仕方なく肩を竦めるほかなかった。



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