第2話

 しばらくは、シュリはゾラに付き添った。


 さすがに、一騒動あった寝室で休める程にはゾラも神経が図太いわけではない。仕方ないので、シュリが寝泊まりしている使用人棟の一室に向かう。


「お嬢様、手狭な部屋ですみませんけど。今日はこちらで寝ましょうか」


「……わざわざ、悪いわね」


「いえ、私は隣にいるメイドの部屋に泊まらせてもらいます。ゆっくりと休んでくださいね」


 ゾラは曖昧に笑いながら、頷いた。シュリは寒くないようにとベッドの下にある収納スペースから、もう一枚毛布を出した。それをゾラに渡す。


「こちらを使ってください、風邪を引いてしまいます」


「ありがとう」


「では、失礼しますね」


 シュリは一礼すると、本当に隣の部屋に行ってしまう。ゾラは手渡された毛布を持って、古びて固いベッドに上がる。ギシリと音が鳴るが、我慢して布団をまくった。毛布を一番下に潜り込ませて、調整をする。何とかできると、素早く布団に入った。

 深い眠りについたのだった。


 翌朝、六の刻くらいにゾラは目を覚ます。シュリが身支度を済ませた状態で、やって来た。


「おはようございます、お嬢様。体調は大丈夫ですか?」


「おはよう、体調は大丈夫よ。昨夜はよく眠れたしね」


「良かった、やはり。こちらにお連れして正解でしたね」


 シュリはホッと胸を撫で下ろした。そうして、持っていた歯磨き粉や歯ブラシ、木で作られたコップなどを差し出す。


「さ、身支度を済ませましょう。この部屋の奥にも、洗面所はありますから。案内しますね」


「お願いね」


 シュリは頷いて、洗面所にまでゾラを連れていく。ドアを開けて身支度を始めるのだった。


 昼頃になり、ゾラは自室に戻った。シュリが気を利かせて、鎮静作用があるハーブティーを淹れてくれる。一息つきながら、さてと考えを巡らせた。

 まず、ダレンとは正式に婚約破棄をしないといけない。さすがに、寝室にまで入り込まれては看過できなかった。しかも、浮気相手と間違えたとか、白々しいにも程がある。


「……シュリ、家令のスミスを呼んで」


「分かりました」


 ゾラが言うと、シュリはすぐに気がついたらしい。頷いて部屋を出て行く。ゾラはハーブティーを飲みながら、見送った。


 家令のスミスがやって来る。ゾラは昨夜の顛末を詳しく説明した。彼も大まかな事は聞いていたらしく、時折相づちを打ちながらも余計な差出口は挟まない。説明が終わり、ゾラは喉を潤すためにハーブティーを口に含む。


「……ふむ、昨夜にソリティア様がいきなりいらしたのには驚きました。まさか、お嬢様の寝室に押し入るとは」


「本当にね、わたくしも凄く驚いたわ」


「お嬢様、旦那様にはいかがなさいますか?」


「わたくしから改めて話すわ、父上には既に情報がいっているでしょうけど」


「分かりました、私から旦那様に言伝しておきます」


 ゾラはお願いねと言った。スミスは頷くと、部屋から出る。シュリと二人で今後の事を話し合った。


 ゾラはこの日の夕刻には、父であるリーラン侯爵に昨夜の事を詳しく説明した。スミス以上に侯爵は怒りをあらわにする。眉をしかめて、ため息をついた。


「……あの若造め、ゾラの寝室に無断で入るなど。一体、何を考えている!」


「そうですよね、しかも浮気相手と間違えたとか。本当にふざけんなですよ」


「全くだ、あちらには儂から抗議をしておく。ゾラ、婚約はソリティア公爵家の有責で破棄になるが。いいのか?」


「構いません、破棄した後は修道院にでも入ります。静かに暮らす方がわたくしには性が合っていますから」


「……ゾラ、お前はまだ若いのに。そこまで、悲観しなくてもいいのではないか?」


 侯爵はそう問いかけたが、ゾラは首を横に振った。


「いいんです、破棄する前に友人のシスティーナだけには会ってお別れをしておきます。彼女なら、分かってくれるでしょうから」


「ゾラ……」


「今まで、わたくしを育ててくださり、ありがとうございました。父上や母上達の事は忘れません」


 ゾラはにっこりと笑ってみせた。侯爵は沈痛な表情で娘を眺める。


「ゾラ、せめてこれは持って行きなさい」


「父上?」


 侯爵は立ち上がると、執務室の机の引出しを開けた。中から、ペンダントを取り出す。


「これは儂の亡き母、ゾラから言うとお祖母様か。そのお祖母様から贈られたペンダントだ。先祖代々、受け継いできた古代魔導具らしい。いざという時にお前の身を守ってくれるだろう」


「……父上、良いのですか?」


「構わぬよ、せめてもの餞別だ。お前にやるよ」


「ありがとう」


 敬語抜きでゾラは礼を述べる。侯爵は寂しそうに笑いながらも、ゾラに手渡す。大事に両手で持つ。侯爵やゾラ、ツェルトの瞳と同じ翡翠があしらわれたシンプルなデザインだ。ゾラは首に掛けると、改めて一礼をする。執務室を出たのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る