第30話

そうして前を歩くこと数分。目の前に巨大な扉があった。おそらくこの扉の向こうに次のステージが待っている。

「開けるわよ」

「はい!」

そう言ってソフィアは扉を押し開ける。

するとそこに佇むのは、人形だ。

その人形は、まるで古びたアンティークのような佇まいをしていた。

全体的に赤い色が基調で、艶やかな赤い髪は長く、腰まで届いている。髪は丁寧に結われているが、どこか無機質で、まるで飾り物のように完璧すぎる整い方だった。顔は真っ白な陶器でできており、その肌にはひびがいくつも走っている。目は不気味に輝くガラス玉のようで、淡い青色が光を反射して冷たく見えた。

ゆっくりとその人形がこちらを向き、口を開けた。

「――――――――――――」

だが、何も聞こえない。

口は動いているのに音はしないのだ。その代わりに頭の中にノイズの音が鳴り響く。

筆舌には尽くしがたい気味の悪い感覚を僕に与えるその音。

「だ、まりなさい!」

ソフィア様が叫びながら魔法を放つが、それよりも速く人形は何かを吐き捨てると同時にこちらに向かってきた。



「【リリス】」

慌てて魔法を使い、冷気の波を呼び起こし一面を氷漬けにする。

それを空中で避け、人形は口を動かす。

またノイズが流れると思った瞬間聞こえたのは脳内に直接響くような声。

『やめろ、お前達は魔女に操られている』

その声が、僕の頭に直接響いた。

「なんッ」

空中を歩きながら人形は続ける。

『魔女を―――――――』

だがその言葉も途中でノイズに変わる。



すると人形は怒りをあらわにし叫んだ。

「コハル何が起こったの!?」

ソフィアの慌てた声が聞こえるが、僕も情報が不足している。

「分かりません!僕には何が何だか」

混乱した頭で思考を回転させる。取り敢えず無駄だとしても時間が必要だ。

『コハル様、推測だけで判断するのは危険です。当初の目的通りジェシーを殺す事をお勧めします』

その言葉に頷く。



「兎に角!やるわよ!」

ソフィア様の決断の速さが光る。彼女の手に再び魔法の光が宿り、僕もそれに続く。

人形の動きを警戒しながら、少しずつ距離を詰めた。人形は怒りの表情を浮かべ、ガラス玉のような目が狂気に染まっていく。

その間、人形は一瞬の静寂の後、再び口を開けた。ノイズが消え、今度は完全に聞き取れる声でこう言った。

「【緋糸】」



言うやいなや、人形の指の先から薄くキラキラと光る糸が僕のすぐ横を掠る。

次の瞬間には炎が糸を伝い、その周りにあった者を焼き尽くした。

僕は急ぎ逸れるが、あまりの勢いに左脇腹を少し持っていかれた。

たったそれだけ。でもそれは十分すぎる程、僕の闘志をそぐ攻撃だった。

「あ……ああ」

呻くように声を漏らす、余りの痛さに思わず涙が出た。

(痛い……痛い、なにこれ?こんな痛い?)

生まれてから一度だって、殴り合いの喧嘩なんてしたこともない。

痛み何て知らない、この世界に来てもそれは変わらなかった、だからこの痛みがとにかく恐ろしい。

だがここで竦んでは何の意味もない、動け!動いてあの糸をどうにかしなきゃダメだ。

そんな使命感がそう語り掛けたが、身が震えてとてもじゃないが前になど進めなかった。


「コハル!動きなさい!」

ソフィア様の叱咤が飛ぶ、でも僕は動けない。

人形はまた糸を僕の方に向ける攻撃してくる。

「ひっ」

思わず目を瞑る、だがその糸は僕の体には届かなかった。

「何……やってんの」

ギリギリの所で氷が僕を守っていた。

「速く!動きなさい」

そうだ、頭では分かっている。このままじゃ殺られる。

でも恐怖に塗りつぶされた思考は動かなくてはと思いながらも一切体を動かすことはしない。


『コハル様!立ち上がって下さい、すぐに戦闘態勢を取ってください』

それに耐えきれず、頭を抱える。

(あの糸で焼け爛れた死体が頭に浮かぶ)

……ソフィア様はこんな恐怖に勝って、戦っている……どうやって?

こんなに痛いのに、死がこんなにも怖いのに?

「う……あ」

僕は、僕は……。

『コハル様!』


痛みと死の恐怖は簡単に割り切れるものでは無い、そんな事は知っている。

思考の片隅で、という話だ。実際に自分の身に降りかかってみるまでは、こんなに巨大な壁だとは思わなかった。

「動けないなら、そこでじっとしてて。貴方を失いたくないから」

その言葉でソフィア様の方を向けば、見えるのは……失望の目だ。

胸が詰まる。今にでも息をすることを止めてしまいそうだった。

「立ち止まる理由探しなんて……やめてよ」

吐き捨てた自分に突き刺さる、心が今まで感じたことも無いほどの悲しみとそして何より強い絶望でいっぱいになる。


『コハル様、いえ……今のあなたに様は必要ありませんか。コハル、逃げましょう。戦えないのなら』

ゼラは冷酷に言い捨てた。

『もし逃げたいとそうお思いなら、指示をしますが』

その瞳は全てを見透かしたようなまっすぐな瞳だった。

『さあ、お答え下さい』

ゼラは、僕の心の弱さを見抜いている。



でもそんな僕にゼラは、自分の意思で決めるのを待っている。

(肉体か、人か、もしどちらかの痛みを選べと言うのなら。どちらも来ないで欲しいと言うのが本音だ)

(でも、選ばないといけないと言うのなら。僕は……マシな方を選ぶ)

「戦えます、やります……」

涙を拭きながら立ち上がる。


「そう……なら弱音は無しよ!」

「はい!」

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