第26話不機嫌な修繕師と新しき人生



「売り物だけには、絶対にしないでくださいね!」


 後日。


 アリテの家を訪ねれば、ホクホクとした顔で帰るルーレンとすれ違った。彼の父親の元で働くことが決まったルカが付き添って、ルーレンは四角くて薄いものを持っていた。使用人になったルカに持たせればいいのに、ルーレンは大事そうにそれを抱えているのである。


 ユッカは、嫌な予感がした。


 ルーレンの後ろ姿に怒鳴っているアリテは、「はぁ、はぁ」と息を切らしている。ルーレンが持っていたのは、やはりアリテの絵なのだろう。


 ルーレンは商売用に小さい絵を描かせると言っていたはずだが、彼が持っていたものはそれなりに大きかった。つまり、あれは自家用の絵なのだ。


 アリテの女装姿は絶世の美女をも超えるものだったので、絵に残したい気持ちは分かる。むしろ、絵に残さなければいけないものだっただろう。もっとも、本人の気持ちを考えなければという前置きはつくが。


「……絵を描かれちゃったんだ」


 薄化粧をほどこされたアリテは本当に綺麗で、事情を知っている人間も知らない人間も大興奮させた。あれほどの美貌は誰も見たことがなかったし、想像すらしたことはなかったであろう。


 町外の人間は謎の美形の正体を知りたがったが、アリテ本人たっての希望もあって秘密にされることになった。それによって、出来上がったのは謎の美形である。


 正体不明の役者に、客の熱はさらに燃え上がってしまった。町の外では、アリテの正体の考察が話題の中心となっているらしい。


 そのようなこともあって、アリテの絵姿は売れるとルーレンは確信を得たのであった。本人了承は得られないと思っていたユッカだったが、さすがのアリテも領主相手には遠慮したのかもしれない。


「絶対に量産されますよね。絶対に……」


 アリテは、力なく失笑していた。何を笑っているのだろうか。たぶんだが、自分の人生でも笑っているのだろう。


「でも、アリテはすごく綺麗だったぞ。その……ルカよりも」


 ユッカが褒めれば褒めるほどに、アリテが沈んでいく。


 都合が良いときは己の美貌を利用するくせに、女装姿を残されることは絶対に嫌だったらしい。気持ちだけならば、ユッカも分からなくもない。ましてや、自分の姿が商品になる可能性があるなんて正気ではいられないだろう。


「でも、誰が衣装を破いたんだろうな。犯人は見つかっていないし」


 青色の衣装を破った犯人が誰なのか。


 ユッカは、それがずっと気になっていた。


 舞台が成功したから良いが、アリテが衣装を新たに作ってくれなかったら舞台は台無しになっていたのだ。それを考えれば、ユッカはやはり許せない気持ちになる。全てが丸く収まっても、それとこれとは話が違う。


「……」


 アリテが、変な顔をしていた。


 何かを知っている顔だ。


 他の人間だったら分からなかったかもしれないが、付き合いが長くなりつつあるユッカには分かった。だからこそ、弱っているアリテに詰め寄る。今問い詰めなければ、アリテは真相を話してはくれないかもしれない。


 それは、嫌だ。


 ユッカも町の一員である。祭りの裏で何があったのかを知りたいのだ。


「知っていることがあるんだったら、俺にも教えろよ」


 アリテは、そっぽを向いた。


 大人らしくない行動はいつものことだが、今日はことさら子供っぽい。絵のことを引きずっているのかと思ったら、アリテは次の言葉は予想外のものだった。


「踊りの方を褒めてくれたら……教えてあげます」


 青の言葉に、ユッカは脱力した。


 一生懸命に踊りの練習をしたのに、それを誰も褒めてくれないのがアリテは嫌だったらしい。


 たしかに、ルカは踊りを褒められていた。一方で、アリテは美貌ばかりが誉めそやされる。一生懸命に踊りを練習したアリテには、それが嫌だったらしい。 


 子供っぽすぎる反応には、ユッカも呆れてしまう。そして、自分の周囲にはまともな大人がいないのだと改めて思うのであった。


「皆が綺麗だっていうのは、踊りを含めてだろ。あんなに練習をしたんだ。舞台の主役は、間違いなくアリテだった」


 舞台の上のアリテには、一歩ごとに見惚れた。そこには、血が滲むような練習があったからだろう。そうでなければ、まさに伝説にのこるような舞台にはならなかったはずだ。


「それは……ありがとうございます」


 アリテは不器用に礼を言って、俺の方をちらちらを見ている。今度はテレてしまって、話を始められないらしい。


 踊りの練習をしすぎて、伝説の少女の霊でも憑依してしまったのだろうか。今日のアリテは、ことさら扱いにくかった。


「もう、いいから!犯人は誰なんだよ!!」


 ユッカは、思わず怒鳴っていた。


 アリテの気持ちに寄り添うのが、疲れてきたのである。ユッカとしては、一刻も早く真実を知りたくてたまらないというのに。


「今回のことに犯人がいるとしたら。女性陣の全員ですよ」


 アリテは、なんてことないように言った。


 だが、ユッカは言葉を失う。


 あまりにも想定外のことだったのだ。なにせ、ユッカは犯人のことを単独犯だとずっと思っていたのである。衣装を切ったことは許せないが、そんなことに大量の人間が関わっているとは普通ならば考えない。


「これは、ルカさんが新たな職場を見つけるための宣伝みたいなものだったんです。女性が働くのに容姿は重要な武器になります。領主様に召し抱えられたのもルカさんの美貌あってのことでしょう」


 ユッカは、アリテの話についていけない。


 落ち着いて考えを整理すれば、舞台はルカのためのものだったということだ。


「でも、それは衣装が破られていたから仕方なく……」


 アリテとルカが、二人で主役をやることになったのは偶然だ。


 そこまで言って、今の自分の言葉と記憶に齟齬がある事にユッカは気がついた。


「ん?……偶然」


 思い返せば、アリテを舞手に推薦したのは女性陣。  


 衣装を破ったのも女性陣。


 少女役を二人一役にしようと言い出したのはルカだ。


「本来ならば、ルカは少女役をやるにはとうが立っています。ですが、私と体格が一番似ているのは彼女ですから。一人二役となれば、彼女以外の指名はありえません」


 男性のアリテが少女役をやるという前代未聞のインパクトに隠れていたが、ルカだって本来ならば少女役には選ばれない年齢なのだ。普通ならば、少女の役には若い女性が選抜されるのである。


「でも、下手すれば祭りを台無しにするかもしれないのに……。女の人たちは、どうして舞台をルカのためのものにしたんだ?」


 街で一番大きな祭りは、たくさんの人が関わっている。たくさんの人々が楽しみにしている。


 それを台無しにする可能性があったのだと思えば、ユッカはやはり許せない気持ちになった。アリテなど文句を言いながらも練習をしていたというのに


「一年に一度の祭りより、一人の人生です」


 アリテは、きっぱりと言った。


「離婚した女性が、一人で生きていくのは難しいのです。ルカさんの場合は離婚をすれば、職場と住居の二つを失うことになる」


 パン屋の女将でいられないということは、ルカにとっては全てを失うのと同意義なのだ。そして、ここは小さな町だ。離婚という醜聞は、町にいられなくなる原因になりうる。


 ルーレンの父親の療養に付き合う仕事につけば、その全てが解決した。暴力を振るうムッシュルからは離れられるし、仕事と住む場所も解決する。住み込みの仕事の間に、ひっそりと離婚もできるかもしれない。


 全てが、丸く収まるのである。


「前領主が療養のために遠くに行くのは、少しだけ噂になっていましたし……。女性たちは、ルーレン様にルカさんを売り込みたかったわけです。彼女はパンも焼けますし、若い女性にはない度胸や落ち着きがあります。子供もいない。ついでに、美しい。美系が好きな領主様に一族としては、願ってもない人材でもあります」


 たしかに、ルーレンも彼女がパンを焼けることを評価していた。しかも、彼女は美味しいパンのレシピも知っているのである。かつてはムッシュルの店でパンを買っていたという元領主にしてみれば、懐かしい味と共に療養地にいけるという利点もある。


 領主一家としても、ルカは願ったり叶ったりの人材だったわけである。これだけ条件が整っていれば、ルカを目立たせるだけでルーレンの屋敷での就職は可能であったであろう。


 全ては、女性たちの作戦通りだったわけである。


「アリテが衣装を修復じゃなくて作り直すって言っていたのは……全部が分かっていたからなのかよ」


 思い出を残すために修復するのではない。


 新たに作って進むのだ。


 だから、作り直しと言ったのである。


「まぁ、ものすごーく分かりやすかったですから」


 アリテの口調は嫌味っぽい。女性陣の作戦のなかで、女装させられたことを根に持っているのだろう。


「まぁ、美女だったんだし。正直、かなり眼福だった。寿命が三年延びるっていうことは、こういうことだなって思ったよ」


 ユッカの余計な一言のせいで、アリテはまたすね始めてしまった。大人のくせにと頭の中で文句を言いながら、ユッカはアリテのご機嫌取りに勤しむのである。


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