愚か者にしか見えない地平
龍崎操真
本編
夜の22時にも関わらず、キリ……キリ……とモンキーレンチがナットを締める音が響く。今、目の前には私の髪と一緒の真っ黒な国産のスポーツカー、TOYOTA 86GTがボンネットを開けた状態で停まっている。時折、ハラリと垂れてくるセミロングの黒い髪を直しながら、私はひたすらにボンネットの中で格闘していた。22時を回って5分ほど経過したくらいだろうか。ふと、背後から声をかけられる。
「まだやってる。つばさちゃんも好きだねぇ〜」
ボンネットの中から顔を上げて振り返った瞬間、茶髪のボブカットの少女が私へコーヒーが入ったカップを差し出した。私は外した軍手を工具箱の中に置くとカップを受け取った。
「ありがとう、マキ」
礼を言って一口飲むとコーヒーの風味が口いっぱいに広がる。
「今夜も出るの?」
「うん。なんか、呼ばれてる気がして落ち着かないんだ」
マキの質問に頷いた私は
「それにこの子も走りたいって叫んでるように感じるから」
「ねぇ、前から気になってたんだけど、つばさちゃんが走る理由って何?」
「いきなりどうしたの?」
「いやぁ、前につばさちゃんが言ってたのを思い出して。『チューニングは麻薬と一緒。速さと引き換えにクルマの寿命を短くするこの世でもっとも愚かな行為の一つだよ』って」
「あぁ……そういえば言った事あったね」
マキの言葉に微笑みながら私はカップのフチをなぞった。
先程、マキが言った通り、私はクルマをチューニングして公道を走らせる走り屋。しかも、平均速度250km/hオーバーの世界で首都圏の高速道路を走る、いわゆる首都高ランナーと呼ばれる人種だ。世間的には良い顔はされないけれど、それでも仲良くしてくれるマキは私の貴重な友人だ。
そんなマキが真剣な眼差しで私へ問いかける。
「走るならサーキットの走行会があるし、普通の速度で走る他の人に迷惑がかかるのに、そこまでしてつばさちゃんが首都高にこだわる理由って何?」
「そうだね……。まぁ、傍から見たら頭おかしく見えるって言われても文句は言えないよね……」
自嘲気味に返しつつ、私はマキの質問について考え始めた。
マキの言う通り、首都高は他の人も走る公道だ。飛ばしても100km/hかそこらで、その中を250km/hオーバーの速度域で走り抜けるのは正気の沙汰では無い。
でも、私はその
「たぶん、私は見たいんだと思う」
ポツリと口にした答えに、マキは首を傾げた。
「何を?」
「セーフゾーンが設けられたサーキットじゃ見えない景色」
そう。私は見たいんだ。本当に速い者にしか見えない先頭の景色を。ドライバーの安全を考慮して、どこか日和ったコースレイアウトのサーキットじゃなくて、危険を乗り越えた先にしか見えない速度の地平が私は見たいんだ。
「たしかにマキの言う通りだよ。ただ走るならサーキットの走行会にでも行って、皆でワイワイと楽しめば良いかもしれない。でも、私は……それじゃダメみたい。そこじゃ求めた景色が見えない」
「うん。それで?」
「私が見たい
「でも、たぶんそこには何もないんじゃない? ただ、何も無い荒野が広がっているだけかも」
「それでも私は見てみたい。少なくとも何も無い事を確認するまで、たぶん私は降りれないと思う」
こういうのって取り憑かれてるって言うのだろうか。たぶん、このクルマを中古車販売店で見かけてから、私はスピードに取り憑かれてしまったんだ。だから、私はこんなにもこの子が愛しく感じるのだろう。求めた場所へ連れて行ってくれるのがこの子しかいないと思うから。
話を聞いたマキは、味わうように目を閉じていた。そして、コーヒーと共に私の話を飲み下したマキはポツリと呟いた。
「狂っているね」
「かもね」
「でも、何かで大成するにはそういう狂気が必要なんだろうなぁ……。私も欲しいよ、狂気」
「やめときなよ。持ったら持ったで苦しいよ」
すっかりと冷めてぬるくなってしまったコーヒーを飲み干した私は、マキにカップを差し出した。
「それじゃ、私は行くから。コーヒー、ご馳走様」
「はい。お粗末さま」
カップを受け取ったマキに微笑みつつ、私は86に乗り込みエンジンを始動させると高速道路入口へ向かい走り始めた。
たぶん、私は取り憑かれている上に愚かなんだと思う。友達がいるのにも関わらず、危険な世界に浸かりに行くなんて、この上ない愚か者だ。
それでも、私は走る事でしか生きているのを感じられない人間になってしまった。だから、私は今夜も首都高を走って行く。見たい景色、狂気の速度の果てにしか見えない、愚か者にしか見えない地平を目指して。
愚か者にしか見えない地平 龍崎操真 @rookie1yearslater
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