2分50秒小説『Sppy』

「君がスパイだっていうことは、分かっていたよ」

 シャワーを浴び、バスタオルを纏って寝室に戻ると、彼女が銃を持って待ち構えていた。よくある話だ。俺は言われたとおりに頭の後ろに手を組んで、じっとしている。銃口と目が合う。

「私がスパイだと分かっていたなら、どうして始末しなかったの?チャンスはいくらでもあったでしょ?」

「銃を抜くより速く、君の美しさが俺のハートを射抜いた。チャンスは無かったん」

 彼女の片眉がピクリと上がる。

「なるほどね」

 青いまでに白い肌、天使よりも亜麻色の髪、黒曜石で作られた瞳、そして指――命を宿した白磁だ。俺の肌を散々弄んだ指、今は銃爪を弄び、冷気を放っている。

「煙草、吸ってもいいかな?」

「約束を忘れたの?」

「確かに、君の前では吸わない約束だった、でも最後なんだ。いいだろ?」

「駄目よ『約束を守った男』として人生を終えて頂戴』

「警戒しているのか?」

「ええ、タバコじゃなくて実はスパイグッズだったら?――針や毒霧が飛んでくるんでしょ」

「信じてはもらえないか……なら別の願いを聞いてくれ」

「見返りはあるの?」

「あの世でもし君の悪口を言う男に会ったら、叱ってやるよ」

「ふふ、魅力的な提案ね。気に入ったわ。何が望み?」

「鞄に、カリカリ梅が入っている」

「カリカリ梅?」

「俺の祖国のお菓子だ。食べさせてくれないか」

 彼女は、銃を向けまま、鞄を弄る。

「これ?」

「そうだ」

 しばらく不思議そうに眺めてから彼女、スマホのカメラにカリカリ梅を映し。

「金属反応無し、薬物反応も無し」

 ビニールを破って。

「口を開けて」

 彼女のあの美しい指がカリカリ梅を俺の口に差し入れる。彼女が下がり、銃を構え直す。

 かりっ

 梅のエキスが口中に溢れ出る。死に際においても例外なく強烈な酸味。「どんな味がするの?」

「君に似た味さ」

「甘いの?」

「いやкислыйだ」

「私って酸っぱい女?」

「ああ、泣けるほどね」

「ハードボイルドごっこはお終いよ。サヨウナラ、Я тебя люблю.」


 彼女が銃爪を引くまで、コンマ以下。その数字との戦いだった。


 パンッ


 サイレンサーで緩衝された銃声――ではなく、俺の飛ばした種が銃口を塞いだ音。


「えっ!?」

 彼女は目を見開き、次の動作に迷う。銃爪に当てた指が震えている。

「止めろ。その状態で撃てば暴発する」

 俺は自分の銃を鞄から取り出す。

「я люблю тебя」

「я убью тебя!」

 

 彼女の目が哀しげに見えた――撃つ気だ!俺は、心臓へ2発撃ち込んだ。彼女より先に。

 彼女の指を守りたい――あの美しい指が暴発によって飛び散るのを見たくない。狂気じみた衝動。彼女の指を守る代償に、俺は命を奪った。

 思い出す。生と死の狭間にあった俺の心、痩せこけた頬の窪み、それを埋めるように彼女の指が触れた。あの瞬間に、俺は生きる方に梶をきることを決意したんだ。

 暗転。


 ラストシーン。エンドロールの代わりに、窓に雨だれが流れ続ける。


 FIN

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