2分50秒小説『五反田鮫』

 若い男が拳を突きだす。袖から出た腕、刺青。

「どうだビビったか?詫びを入れるなら今のうちだぞ!怪我したくないだろう?」

 連続でパンチを繰り出す。空を切る音。

「怪我したくないです」

 中肉中背、一見普通のサラリーマン。

「今からてめぇは、ぼっこぼこに殴られるんだ。恐くねぇのか?」

「恐いです、でも吸い殻を拾ってください」

「てめぇ!死にてえのか?」

「死にたくないです」

「知ってる?ジークンドー、ブルースリーの拳法」

「知りません」

「悪いけどおっさん、1インチパンチの練習台になってもらうわ。おい、お前らコイツ押さえつけろ!」

「ところで私も拳法を習っていまして」

「は?!どうせ通信教育で習ったんだろ?」

「はい、そうです」

「『そうです』って……ちなみに、なんてぇ拳法だ?」

 まばらに垂れたすだれ髪、かき上げ――

「”心臓握り潰し拳”といいます」


 遠くで鳴る救急車のサイレン。


「は?心臓?……え?」

「握り潰し拳です」

「え?何それ、どんな拳法だっ?!」

「名前のまんまです。じゃ、いきまーす」

「ちょ、ちょっと待て、恐ぇよなんか、いや、その名前がよ」

「そうですか?いや、実際通信教育で習ったんです。毎月冊子が送られてきまして、それを基に鍛錬するんですですが、いたってシンプルな拳法で、『掴んで、捻って、潰す』それだけです。じゃ、いいですか?」

「いや、ちょっと待て!え?強い人なの?」

「普通のサラリーマンです」

「……キモいわおっさん。今日はやめといてやる」

「そうですか、では吸い殻を拾ってください」


 サラリーマン会釈し、振り向き、歩き出した――若い男が仲間に目配せしてほくそ笑む。「と、みせかけてぇ!」背中に蹴り掛かる。サラリーマン、振り向きもせず手をびっと挙げる。見透かしたようなタイミングに男が硬直する。手には500円硬貨。

「ははっ、なんだぁ?それで許してくださいってか?」


 くにゃっ。


「20年ほどですかね、訓練を続けて或る日、貴方のような若者と街で喧嘩になったんです。私は無我夢中で心臓を掴みました、するとどうでしょう。いとも容易く、そう、まるでシュークリームを潰すように簡単に心臓は潰れるではありませんか。分厚い胸板も、私の握力の前ではティッシュ同然でした。その時私は、自分の手の中に残った温かな感触を見つめながら思ったんです。”潰せないものなんてこの世に存在しない”って。先ほどのサイレン、多分私のせいです。今日は3個潰しました」

「…………嘘だろおい」

「私の視界に入るもので不愉快なものがあれば、すべて握りつぶします」

 空き缶を拾い、握る。手を開くと、パチンコ玉サイズに――。

「ほんと……スイマセンでした」

「ポイ捨ては?」

「二度としません。吸い殻もほら、拾いました」

「次は、いきなり潰します」


 街は危険な海。

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