平均的な優先順位
森本 晃次
第1話 今と昔
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年12月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。
生まれたのが、今から40年ほど前、時代としては、昭和の終わり頃だっただろうか? いろいろな時代としては、変化があったようだ。
卓上型のテレビゲームというものが流行り、音楽も、シンセサイザーを駆使したような音楽が全世界を席巻したりした。
それが、日本のバンドだったこともあって、ブームとしてはすごかったらしいが、その頃のブームは、凄ければすごいほど、
「熱しやすく、冷めやすい」
という感じだった。
九州の片田舎で育った橋爪省吾は、元々親が、転勤族だったということもあって、父親とは、たまにしか会えなかった。
たまに帰ってくる父親が、お土産を持って帰ってきてくれることが嬉しかった小学生の低学年の頃、田舎の生活に嫌気が差した時期があった。
何が嫌といって、
「父親が出稼ぎに行っている」
と言われるのが嫌だった。
子供たちの間だけであれば、そこまでは気にしないのだが、友達と話をしている時に、友達のお母さんから、
「省吾君のところはお父さんがいなくて寂しいわね」
と言われて、何と答えていいのか、困ってしまうのだった。
悪気はないと思うのだが、それだけに、
「無責任な言い方」
と思えてならず、
「それなら、変に触れないでほしい」
と思うのだが、そういうところに触れるのが、田舎なんだと思うと、自分が田舎に暮らしていること自体が、嫌になるのだった。
「お父さん。どうして、家にいないの?」
と聞くと、母親は、
「またか」
という感じで、ため息をついているのが分かる。
「よほど嫌なんだな」
と思うのだが、何が嫌なのか、そのあたりの理由が分からないのだ。
「お父さんは、家族のために、お仕事をしに、他のところに出かけているんだよ」
と言われると、最初は納得していたが、次第に、言われるたびに、
「そんなこと分かっている」
という苛立ちを覚えるのだった。
母親に対しての憤りではない。
「そんなことは分かっているんだよ」
と思うのだが、分かっているだけに、この怒りは、いちいち母親に同じことを言わせているという意味で、友達のお母さんが、何を言いたいのか分からないだけに、嫌だったのだ。
母親と、近所のおばさんたちは、喧嘩はしていないが、仲がいいというわけではない。子供から見ていても、その関係は微妙に見えた。この関係は、少なくとも、子供同士の関係に影響を及ぼすということはないようだ。
「だからと言って、大人と子供の関係に、子供が気を遣わないという関係であれば、子供同士でも、友達である必要などない」
と思うようになった。
やはり、親の関係性によって、いろいろ変わる友達関係であれば。最初から、関係を結んでおく必要などないのだろう。
ただ、田舎というところ、表向きは、
「とても人懐っこくて、都会から来た人にも、わだかまりもなく、都会のことをもっと知りたいという気持ちからか、こちらからも、心を開いてあげたくなるのだった」
と思える。
しかし、関係性がうまくいっている時はいいのだが、ひとたび拗れると、
「これほどつき合いにくいものはない」
と感じるのだった。
「大人になると、子供の時のことを忘れてしまう」
と、よく聞くようになるが、
「忘れてしまう子供の頃のことってどれなんだろう?」
と感じてしまう。
「忘れるということが、順序通りに忘れていくものだと、子供の頃は思っていた」
つまりは、
「忘れようということを、自分で感じるはずはない」
と思い、
「そもそも、忘れようとするのではなく、無意識に忘れていくことが自然であり、そんな風になると、忘れる優先順位などどこにもなくなるのだろう」
と感じるのだった。
スーパーの食品などは、
「先入先出」
といい、古いものから先に出すという当たり前のことが、優先順位を作っているのだろう。
「うちは、昔から、この田舎町にずっと住んできたけど、近所づきあいというのは、あまりしたことがなかったわ」
と、母親が言っていた。
下手をすると、
「村八分」
ともいえるような生活で、母親が、まわりの人から、無視されていたのは分かっていた。
実際に橋爪も子供の頃から、あまり友達と遊んで記憶はなかった。
「橋爪は誘わないようにしよう」
という話が伝わっていたということは、聴いたことがあったが、だからといって、ハブられていることを嫌だとは思ってもいなかったのだ。
田舎が嫌いでも、好きでもなかった。ただ、
「暮らしているだけだから、ここにいる」
という感覚だったのである。
そういう意味では、母親とは、性格が似ていた。
「嫌いなタイプの人と、何も仲良くする必要はない」
という感覚で、この思いは、
「田舎暮らしならではのものだ」
と思っていた。
「だったら、都会に行けばいいじゃないか」
と言われるかも知れないが、そんなつもりは毛頭なかった。
それは、きっと心の中で、
「親父のようになりたくない」
という気持ちがあったからかも知れない。
その思いは橋爪よりも母親の方が強いのではないだろうか?
というのも、父親が、都会で暮らしている間に身に着けたという考えは、
「長いものには、巻かれろ」
というようなもので、
「時には自分を殺さないといけないこともあるけど、まわりとうまくやっていくには、平均的な男になって、周りからの信頼を得ることが大切だ」
ということを都会で学んだようだった。
それは父親が、
「サラリーマンだから」
という言葉がその考えの集大成であろう。
「組織には、年功序列という立場があり、先輩は絶対であり、その人に嫌われないように、うまく立ち回っていくのが、大人の世界」
と考えていたようだ。
もっとも、その時代は、その考えが正解のように言われていた。
会社では、年上が、先輩が自分よりも偉くて、そのうちに、自分も年齢を重ねれば、
「偉くなる」
というものであった。
年齢を重ねるということは、逆にいえば、
「気に入らないことでも我慢していれば、そのうちに会社にも慣れてきて、立派なサラリーマンになる」
という考え方であった、
立派なサラリーマンというのは、
「平均的に何でもこなす人間」
ということであったのだ。
だからこその、
「終身雇用」
であり、
「年功序列」
なのだ。
当時の日本は、頭がいい人が開発をしたりすればいいわけで、それ以外の一般の人は、営業であったり、今まで先輩がこなしてきたことを、減らすことなく、後輩に受け継いでいく。
ということで、
「時代をつないでいく」
ということが、新たな世界への受け渡しで、余計なことをしない方が、平和で、先の生活が保たれるということであった。
だからこそ、父親のような、
「平均的になんでも、こなせる人間」
というのが、
「会社では一番偉く、賢い身の振り方なのだ」
という考え方であった。
そんな大人だった父親だって、子供の時代はあったはずだ。その頃から、まさか、そんな大人の考えだったわけではあるまい。
「反抗期」
というのは、誰にでもあるもので、ほとんど同じ時期に、子供が大人を意識した時、その感覚的な矛盾にジレンマを感じるというもので、子供が大人との違いを感じるわけだから、当然、当時の父親も、お爺さんに対して、何か鬱積したものがあったに違いないのではないだろうか。
父親が、子供の頃というと、昭和の40年代くらいのことであろう。
時代としては、まったく今とは異なっていて、
「今の常識は、昔は、そして、昔の常識は、今は通じない」
といってもいいくらいではないだろうか。
当時とすれば、時代的には、
「好景気と不況を繰り返していたような時代で、全体的には成長していた時代だった」
と言えるだろう。
今のように、バブルが弾けてからこっち、一度、最低に落ち込んでから、まったく上昇する気配もなく、
「世界の中で唯一成長しない国」
ということで、
「失われた30年」
などと言われてきたではないか。
すべてが悪いわけではなく、世界的な危機に陥った時、それがあったおかげで、大混乱にならずに済んだというものもあった。
それが、企業の内部留保というものであり、成長できたはずの時代にも、ネックとなったものであった。
ただ、それでも、日本は、内部留保があったおかげで、会社自体が潰れることはなかった。
手放しに、
「よかった」
とは言えないが、それでも、大いなる危機を、最悪な形で迎えることがなかっただけでもよかったのではないだろうか。
父親が子供の頃というと、テレビのアニメなどでは、
「スポーツ根性もの」
というのが、流行った。
野球漫画にしても、スポーツものはたいてい、人間の身体を駆使した大特訓によって、
「魔球」
と呼ばれるようなものを開発して、それをライバルたちに打ち砕かれたりして、さらに魔球を開発するという、今の時代から見れば、
「パロディ」
という意識しかなく、普通に見て、
「そんなことできるはずないじゃないか」
と冷めた目で見られて終わりという感じであろう。
そして、そういう主人公は、必ず、
「貧しい家庭から生まれる」
というもので、ズボンをキレで縫い合わせたような恰好で、住んでいるところは長屋と呼ばれるところ、もちろん、部屋は一部屋か二部屋に3人か4人家族が住んでいる。
そして、部屋の真ん中にちゃぶ台が置かれていて、熱血根性親父が、いつもそれをひっクリ返している。
そんな光景が、昔の代表的な、
「熱血スポーツ根性マンガ」
だったのだ。
テーマは、
「血と汗と涙」
泣きながらでも、血の汗を掻いて、根性を見せる」
というのが、美学だったのだ。
そして、目指すは、
「特定のプロ野球球団」
その球団は今も存在しているが、当時と今とでは、まったくその地位は違っている。
昔は、テレビ中継といえば、そのチームを中心に、放送される。
つまりは、年間例えば、テレビ放送が100試合だったとすれば、そのほとんどはその球団の試合であり、そのチームと試合がある時だけ、テレビに映ることができるというわけだ。
ということは、リーグが違えば、まったくテレビに出ることはない。
野球ファンでなくとも、テレビ中継されるチームや、その人気選手のことは知っているが、テレビに映らないチームの選手で、たとえあ世界記録保持者であっても、野球ファン以外は知らないというのが、その時代だったのだ、
つまり、
「テレビ番組というのは、あくまでも、視聴率が勝負」
であり、特に野球中継ともなると、
「サラリーマンが家に帰ってからテレビをつけて、晩飯を食べたり、晩酌をしながら見るものだ」
と、相場は決まっていたのだ。
だから、野球中継は、午後7時くらいから、9時までというのが、大体のパターンであった。
そして、当然、中継のあるチームは人気が出る。プロ野球ファンであれば、他の強いチームのファンもいるだろうが、野球を知らない人は、毎日のようにテレビに映っているチームしか関心もないし、
「どこのファン?」
と聞かれると、そのチームしか言わないのだ。
つまり、そのチームのファンは、
「女子供が多い」
と言われるのであるし、下手をすれば、野球に感心のない人は、チームは知っているが、選手に対してはまったくの無知だったりもするのだ。
いわゆる、
「ミーハー」
というやつであろう。
とにかく、
「マスゴミにいやらしいまでに贔屓されるチーム」
そんな時代の野球というものに、嫌気が差していた人たちも、一定数いたに違いない。
だが、今の人たちが昔のそんな状況をしれば、
「なんじゃそりゃあ、じゃあ、そのチームのファンだといえば、私は、野球に関しては無知ですと言っているようなものじゃないか」
と、思うことだろう、
それだけ、昔は、日本人は、判官びいきだと言われるくせに、なぜか、
「右倣え」
のような連中が多かったのだ。
それだけ、マスゴミが贔屓していたというのか、視聴率重視に凝り固まっていた時代だったということなのかであった。
スポーツものでも、今はまったく違った形である。
プロ野球というと、昔は観客は、サラリーマンと、子供会などに入っているファンの子供くらいのものだった。女性が、スタンドで観戦するなどという光景はほとんど見られなかった。
特にテレビにまったく映らないリーグの試合というと、まったく客が入っておらず、サラリーマンがヤジを飛ばしていたり、当時は応援団が、率先してやじっていた時代でもあった。
昔のプロ野球選手は、
「ヤジられてなんぼ」
だったのだ。
もう一つ野球で違うのは、選手の使い方だった。
特にピッチャーなどであるが、当時は、
「どんどん酷使して当たり前」
だったのだ。
そういう意味では、
「今は甘やかあされている」
と、当時を知る人は思うのだろうが、今がいいのか悪いのか、正直難しいところであった。
今の先発ピッチャーは、
「中一週間」
くらいをあけるのが当たり前になっている。
しかも、
「7回くらいまで持ってくれればそれでいい」
と、別に完投を期待しているわけではない。
したがって、先発ピッチャーが、一年間、ケガもなく活躍できたとしても、完投数が、ゼロという人もざらにいる。
何といっても、昔との一番の違いは、防御率を計算するのに、ピッチャーには、
「規定投球回数」
というものが必要になってくる。
昔であれば、ベスト30くらいを表示すれば、上位は2点台くらいで、30位くらいになると、8~10点台くらいのピッチャーでも、ちゃんと、30人いたものだが、今の防御率ランキングは、規定投球回数に到達する投手が、一つのリーグで10人にも満たない。下手をすれば、3人しかいないなどという時代であった。
ということは、
「規定投球回数分、年間投げられただけでも、優秀だ」
ということになるのだ。
昔であれば、
「規定投球回数を投げるのは、先発ピッチャーとしては、最低の目標」
と言われていた時代だったのだ。
確かに、今と昔では、ピッチャーに対しての考え方が違う。
昔は、完全い消耗品であり、
「短く太く」
というのが美学だと言われた時代もあった。
しかし、今は、できるだけ無理をさせずに、選手を長く大切に使うという考えが浸透してきた。
野球界の選手会による労働組合のようなものができて、選手の権利などに対して、選手側からいえるようになったのも大きかっただろう。
「今は、体力の限界という満足した引退を望むようになり、昔のように、年齢的にはまだいけるのに、肩やひじを壊したことで、無念の引退を余儀なくされた選手も、たくさんいる」
ということである。
これも野球漫画の影響か、特にこの野球漫画の最期というのは、身体に変調をきたしていると分かった主人公が病院に行くと、
「無理がたたったんだ。これ以上投げ続けると、再起不能になる」
と言われ、それでもマウンドに上がり、最後は完全試合を達成するのだが、その瞬間、肘がダメになり、もう投げられなくなったのだ。
そのマンガは、
「悲劇のヒーロー」
という描き方をしていたが、果たしてそれがいいのだろうか?
もう、その選手は野球ができなくなるのである。そのまま球場を後にして、行方不明になるのを、美学として描いていたが、冷静に考えれば、この結末は、今であれば、
「こんなのありえない」
と言われることであろう。
球団が選手を酷使し、ボロボロになった選手。選手も、魔球さえ投げずに、普通の投手としてであれば、もう少しは続けられたかも知れないのに、敢えて、魔球を投げ続け、完全試合という形を作って、そこで野球人生は終わった。
しかし、主人公は
「野球しかできない野球バカ」
であった。
野球ができない主人公に、他の道など考えられない。だから、それ以降を描くことはできないのだ。
それが、昔という時代、
今は、そんな球団は、ブラックと言われ、選手の方も、自分勝手だと言われるかも知れない。
どっちが正しいとは言えないが、少なくとも、昔は、そんなスポーツ根性ものが、子供には受け、
「これが当たり前なんだ」
ということになっていたのだった。
時代背景も、主人公が子供の頃、高校生になる頃までは、
「日雇い人夫」
と言われ、別名、
「土方」
と呼ばれる、深夜の工事現場での人足の仕事だったのだ。
そもそも、その父親は、
「元プロ野球選手」
である。
確かに、野球界を追われたという過去があったのだろうが、考えてみれば、息子を進ませようという人生、その人生を終えた後に、栄光や、富と名声のすべてが手に入るのであれば、根性でプロ入りをさせるというのもありだが、
野球選手というのは、当時としては、
「40歳まで現役であれば、長寿の方だ」
ということであった。
今でもそれは変わりはないが、選手によっては、50前くらいまで現役の人もいるではないか。
それを考えれば、今の時代の、
「選手の身体を気遣う」
という今の考え方は、間違いではない。特に最近のプロ野球界というと、組織としては充実してきていて、
選手獲得の、
「ドラフト会議」
での選択にも、
「育成枠」
というものがあり、
「球団側が、将来のスター選手育成を自分の球団で行う」
という体制が多くなってきた。
以前のアマチュア野球では、
「ノンプロ」
と言われる、職業野球があったものだが、最近では、アマチュア野球が結構衰退してきている。
ノンプロの強豪と言われたところが、部を解散してしまったり、高校野球でも、何度も全国大会で優勝し、プロ選手を輩出している学校が、いきなり、
「野球部を廃止」
などと言いだしたりしている時代なので、プロ球界が、自分のところで選手育成を目指すというやり方もありなのだろう。
しかも、今は、地域で、アマチュアチームのリーグもある。
そもそもそのリーグは、
「将来のプロ選手の育成」
を目指したものだっただけに、一度、プロ野球を自由契約になり、トライアウトでもどこからも選ばれなかった選手が、育成リーグからやり直し、さらに、プロ契約にまで漕ぎ津得るということも、今の時代のパイオニアだったといえるだろう。
そういう意味で、昔のように閉鎖的で、選手を酷使するようなプロ野球体制ではなくなり、かなり、自由な体制になったのはいいことであろう。
それだけ、今と昔では、考え方も体制も違っているのだ。
そういう考えが、田舎と都会では、今もくすぶっているのかも知れない。
特に、田舎というところは、昔から閉鎖的で、自分たちのルールを狭い範囲で共有しているだけに、その影響力や、絆というものが強いといってもいいだろう。
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