悲しいことがあった。そんなときに3年間続いていた彼女を寝取られた。僕はもう何を信じたらいいのか分からなくなってしまいそうだ。

ネムノキ

無題①

 両親と兄弟が死んだ。


 僕が一人、都会の生活に染まっている、そんなあいだに死んだ。


 家族はきれいな海を見に行くために、ドライブをしていたらしい。


 原因はもう知りたくもない。


 電話でその『死』の結果だけを知らされて、そのまま電話を切った。


 電話の向こうから聞こえた、あの無機質な女性の声を今でも鮮明に思い出すことができる。


 ……


 ……


 3日。


 家族が死んでから、すでに3日という時間が流れた。


 そのあいだにあった出来事は、飯を食べて、寝て。


 その繰り返し。


 ただのどこにでもある日常。


 特になにもない日常があった。



「家族が死んだ。僕にはもう何も心のよすががない。失ってからどうしてこうも、大切なものの有難みが初めて、本当の意味で理解できるのだろう。どうして、失ってからでないと、人は人生を本当の意味で振り返ろうとしないのだろう」



 僕は今までの堕落した大学生活を後悔する。


 ただ、毎日を退屈な講義のために費やし、お互いの傷を舐め合うように、友達と夜遅くまで遊んで、女と心のままに寝て。


 まったく、どうして。


 親の金でそんなことができたのだろうかと、思う。


 何をしに、大学まで進学したのだろうかと、思う。



「振り返っても、どんどんと薄れていく思い出だけが、心のなかを掠めていく。あのときの温もり。あのときの語り合い。沈黙。全てがもう、無くなってしまった。ぼくの眼の前に、家族が一同に存在することはもう二度とないんだ」


 そんな当たり前の事実を、この3日のあいだに何回も、自覚した。


 そして、その都度、この上ない絶望感に襲われた。


 どうして、僕は何回も繰り返すのだろう。


 なぜ、何回も同じ絶望を感じるのだろう。


 どうして、それは一回きりで終わることがないのだろう。


 どうして……


 どうして……


 僕はこんなにも不甲斐ないんだろう。




★★★★★★★★★★★★




 擦り切れてしまった心は、もうこれ以上擦り切れることはなくなってしまった。


 人は悲しみが極限にまで達すると、涙が出なくなるとは、こういうことなのかもしれないと、そんな自分の状態を俯瞰して見ている自分に心底、呆れてしまう。


 僕はだんだんと、日常の流れのなかに引き戻されていった。


 そのあいだは、嫌でも家族の死と向き合い、必要な片付けは親戚に手伝ってもらいながら、忙しくこなしていった。


 その事務的な作業が、なぜか妙に心を落ち着けた。


 考えていることよりも、手を動かさなければならない時間のほうが多かっただろうか。


 人はなにかと、意味もなく手を動かしているほうが、悩まずに生きられる生き物なのかもしれないと、そう感じた。



「あー、元気してた?」

「んー。ぼちぼち。どうしたの?」

「今日は忙しい?」

「あー、ちょっとね。大学の課題とかいろいろと」

「そっか」

「家でこもってやってる」

「ほどほどにね」

「うん、終わったくらいにまたゆっくり会おうよ」

「そだね。それじゃ。頑張って」

「うん。またね」


 

 家族が死んでから、連絡を全くしていなかった彼女に久しぶりに電話をした。久しぶりに聞いた彼女の声は、どこか妙に落ち着いていた。


 そう感じてしまうのは、僕の心境に変化があったからだろうか。それとも、彼女のなかで何か変化が生じているからだろうか。


 何事も定かではないものばかりが、この世には溢れている。最近はそんな考え方が、僕の生き方のなかで大きな存在となりつつある。


 人はどうして、自分がまだまだこれからも長生きできる、いや、今すぐには死ぬことがないだろうと、そう思い込みながら生きることができるのだろうか。


 定かではない人生をどうして、こうも保証されない確定性のなかで生きようとするのだろうか。


 僕は面倒くさい人間に生まれ変わってしまったようだ。


 どうも、自分が今すぐに死んでしまうような気がしてならない。


 僕は、いつどこで、どうやって、死んでいくのだろうか。。。




★★★★★★★★★★★★




「ふぅ……迷惑かもしれないけれど。差し入れを持っていくぐらいは、いいよね。出不精で体も凝り固まっているだろうから、できれば散歩なんか一緒にできればいいかな」



 僕は彼女のアパートの前まで来ていた。


 右手には、コンビニで買ってきた差し入れを持って。


 彼女はかなりの勉強家だから、家で籠もって勉強していて、精神的にも疲れているだろうと、思ってのことだった。


 ほんの、思いやりと思って、今こうして僕は立っている。


 2月。


 びゅうっと、冷たい風が、狭いの道路を掠めていくように、ついでに僕の頬を冷やしていく。



「寒い。明日は雪が降る予報らしい。早く春になってほしいな」



 僕は彼女の部屋の合鍵を手にもつ。


 入るまえにスマホでは彼女にメッセージを送っている。


 既読は付いているが、返信はなかった。彼女にしては珍しいとは思ったが、それほど切羽詰まっているのだろう。


 かなり頑張って勉強でもしているのだろう。


 長居はしないで、これを置いたらすぐに帰ろう。


 僕はそう思って、彼女の部屋の前に立つ。


 そうして、鍵を入れて……



『がちゃん』



 彼女の部屋のなかへ入っていった。。。



【続く】

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