17.予言と警鐘⑤
夕食の片付けが終わり、ヤナギは帰っていった。
リファは汲み置きして暖炉の火で温めておいた井戸水で身体を洗い、髪を梳かして寝支度をする。
布団に入ろうとしたところで、ベッド脇のチェストに置かれた小さな籠から、サラが顔を出してこちらを見ていることに気づいた。ちなみにその籠は、元は菓子が詰められていたものをサラ専用のベッドに改良したものである。
何か言いたげな視線を向けていたサラは、おもむろに籠から飛び出し、チェストに腰掛けた。
「で、なんで旅なんかする羽目になったわけ?」
精霊の赤い瞳が鋭く細められる。小さな身体ながら、足を組んで頬杖をつくポーズが妙に大人びていて、えもいわれぬ威圧感があった。
「……やっぱり、気づいてた?」
リファが頬をかいて苦笑を浮かべると、サラは「馬鹿ね、分かるに決まってるでしょ」と息を吐く。
「あまりに急すぎるし、全然しっくりこなかったもの。わざわざ女王から呼び出したのに、司宰たちが既に知ってる程度のことしか話しませんでした、なんておかしいでしょ」
確かに。指摘されてリファは返す言葉がなかった。
カルミアはリファを森に置いて五年間、一切の交流を絶っていたのだ。会話に花を咲かせる思い出など皆無に等しく、伝令役のヤナギがいるので近況報告をする必要もない。和やかに団欒することが目的とは考えにくいだろう。
そこへ今回の王命だ。第三者を交えては話せない内容があったと、サラは勘付いたらしい。
「どうしてさっきは何も聞かなかったの?」
リファもベッドに腰掛け、サラと向き合うような姿勢になる。
サラは言いにくそうに口をもごもごさせた。少し目を泳がせ、不満げに唇を尖らせる。
「……だってあんた、ヤナギにも隠してたでしょ。あたしがあの場で根掘り葉掘り聞いたら困るだろうと思ったの」
それを聞いてようやくリファは納得した。夕食のときの不機嫌な態度は、気になっても口に出せないことに苛ついていたせいだったのだ。
今だって、リファが話せないと言ったら、サラは渋りつつも黙って引き下がってくれるだろう。強引そうに見えて
そのやさしさに一方的に甘えるばかりではいけないと、リファはサラに向き直った。
「ごめんね、ちゃんと話すよ。というか、サラには知っておいてほしいな」
彼女の目を見て、本心から言葉を返す。両の手のひらを差し出すと、サラは目を丸くし、「しょうがないわね」と強気な口調を照れ隠しにして手のひらに乗ってくれた。
そして、カルミアから明かされた様々な事情を説明することしばらく。
「――なによ、それ」
今日一番のしかめっ面で、サラは刺々しく言い放った。
「あんた、そんな噓くさい話を馬鹿正直に信じたわけ?」
常にない低音でまくしたてられる。リファは気圧されて、身を縮こまらせた。
「うう……私も突飛すぎるとは思うけど……」
「普通は疑うわよ。〈創世の書〉なんて眉唾にもほどがあるわ。そんなとんでもないものが本当にあるっていうなら、とっくに誰かが好き放題に利用してるでしょ」
大変ごもっともな意見である。
「じゃあ、サラはこの本がただの白紙の本だって思う?」
鞄から取り出した〈創世の書〉を見せる。
リファにはカルミアが言っていた封印云々を感じ取れるはずもないので、真偽のほどは見極めようがない。
リファが手に取ってかざしている本を、サラは品定めするようにじっと見つめた。しばらくそうして対峙していたかと思えば、眉根を寄せたまま口を開く。
「……確かに、魔力は感じるわ。糸みたいに細かく編み込まれた魔力が本と完全に一体化しているから、違和感がほとんど無い。高度かつ強固な封印がかけられている」
腹を立てていたわりには冷静な分析だ。
「封印は本当だけど、母様の話が真実かどうかは怪しいってこと?」
「そうね。ただ、これほど複雑な封印を施してある理由も、それを女王が後生大事に隠してた経緯も分からないから、実際は何とも言えないわ。でも、こんなものを持ち出してあんたを騙すことに利があるとも思えないし」
サラは肩をすくめたが、やがて思案するように腕を組んだ。
「……女王の言葉を頭からは信用できないけど、少なくとも正しい事実が二つある」
「正しい事実?」
「まず一つは、本の封印のこと。それを解きたいのはたぶん本当。〈
「カクゼツケッカイ?」
耳慣れない言葉にリファは首を傾げた。
「あんた、仮にも奏者の娘ならこのくらい知っておきなさいな」
サラは呆れ顔をしつつ説明を続ける。
「〈隔絶結界〉っていうのは、奏者だけが持つ
「能力を犠牲にするって、よほどのことじゃ……」
「だからこそ、術者本人以外は簡単に手を出せないほど強固な守りになるのよ。魔力消費が多すぎるから滅多に使われないでしょうけど」
リファは、カルミアが結界を開いたときの光景を思い出した。
女王はなんてことなさそうに魔法を行使していたが、相当な力を要する作業だったようだ。そこまでして隠していたものが、ただの白紙の束だとは思い難い。
「なるほど……あと一つは?」
「そうね、それが問題なのだけど――」
サラが言い淀む。
「……〈使者〉のことよ。そういう奴らがいることは事実だわ」
それの何が問題なのか、とリファが首を傾げると、サラは遠くを見るような目をして言った。
「使者なんて、
「……使者を探すのって、そんなに難しいの?」
「簡単なことなら、とうに見つけ出して封印を解除しているでしょうよ。あんた一人に託すなんて、何を考えているのかしら」
リファよりも深刻そうな顔で、サラは大げさにため息をつく。
「しかも、王宮の他の人間たちは何も知らないわけでしょ? 一緒に行動する奴ら全員をずっと騙し続けろなんて、あんたには無理だわ」
痛いところを突かれて、リファは「うっ」と言葉に詰まった。
カルミアが考えた設定によると、リファは〝カルミアの知り合いに会いに行く〟ことになっている。だが、今のところ使者の居場所などまったく分からない。
「まあ、出発する前に詳細を教える気なんじゃないかしら。そうでもなきゃ無謀がすぎるもの」
「そ、そうだといいなぁ……」
なんだか不安だ。王宮で聞いておけばよかったと後悔が頭をもたげる。
「というか、あんたにこの件を断るって選択肢はないわけ?」
そう問われて、リファは目を瞬かせた。
――我が後継者よ、力を望め。そして、国の危機を救ってみせよ。
女王の声が、言葉が、脳裏に蘇る。
これが、うなずかないでいられようか。
神妙な表情で黙り込むリファに、サラはまたぞろ呆れ顔をした。
「何を言われたのか知らないけど、弱みにつけ込まれてるんじゃないの、あんた」
「そう……かな」
そうかもしれない。
ずっと欲しかった言葉を、身に余るほど最上級の形で贈られた。それに突き動かされたことは否定できない。
カルミアがリファの心情をよく理解していて、上手く利用されている可能性もある。
それでも――彼女の言葉のどこかに偽りがあるのだとしても。
「……受け取りたかったの。そこにほんの少しでも私への期待があるなら、頑張りたいなって」
膝の上に置いた本を指先で優しく撫でる。装丁に刻まれた金色と銀色の模様をなぞりながら、一縷の切なさに目を伏せた。
そんなリファを、サラは赤い瞳を見開いてじっと見つめる。
そしてわずかな沈黙の後に、サラの小さな手のひらがリファの手に乗せられた。
「分かったわよ。あたしも、あんたに付き合ってあげる」
「サラ……」
「感情任せに突っ走るのは勝手だけど、目を離したらどうなるか気が気じゃないし。それに、秘密を共有する仲間がいたほうが一人で抱え込まずに済むでしょ」
口調のわりに、いつになく優しげな声色だった。触れる手から微かな温度が伝わってくる。
胸の内が仄かに暖かくなって、リファは微笑んだ。
「ありがとう。サラが一緒にいてくれたら心強いよ」
本心からそう告げる。まっすぐに返されて照れたのか、サラはふいっと目を逸らして唇を尖らせた。
「別に、礼を言われるようなことじゃないし。単にあんたが危なっかしいから……」
「心配してくれたんだよね。嬉しい」
「そういうこと臆面も無く言うんじゃないわよ! こっちが恥ずかしくなる!」
まったくもう、と上気した頬を隠すように背を向けると、サラは俊敏な動きで自分の籠ベッドに飛んでいった。そのまま籠に敷かれた布の中に潜ってしまったらしく、背中の羽すら見えなくなった。
「今日はもう寝なさい。明日から大忙しでしょ」
声だけが聞こえてきたかと思えば、「おやすみ!」と一方的に告げてサラは静かになった。
リファは呆気にとられつつ、くすりと笑みを零す。
「おやすみ、サラ」
素直じゃないが心優しい友に応え、リファも眠りについた。
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