第7話
「それじゃあ行ってくるよ,マル。」
「おう。頑張ってこいよ。」
「うん。」
タッ,タッ,タッ,タッ・・・
バツが出ていき,休息所にはマル一人だけとなる。
「・・・。」
(よし。全員行ったな。)
足音が完全に消えたのを見計らって,マルはゆっくりと立ち上がった。
休息所とは,大広間に隣接された30人の子ども達が寝食を共にする場所の名前である。子ども達には普段,自室とか部屋とか呼ばれていて,小学校の教室よりも一回り大きいくらいの広さがある。
家具はない。飲み水が入った蛇口つきのバケツを置いた木製の台一つと,蛇口の真下に水を受けるためのバケツが一つ置かれているだけである。
正面に大通りに繋がる玄関があり,その向かい側にトイレがある。
玄関には扉のようなものは設置されていないが,トイレには匂い対策のための鍵付きの扉が設置されている。
今,マルはトイレへいそいそと向かっている。
もちろん用を足すためではない。
別の目的のためだ。
カチャッ
トイレのカギをしめるマル。
トイレは狭く,用を足す用の穴が一つある。穴は四角い線の中心にあって,穴の左右には取っ手がある。取り外して中の糞尿のたまった容器を取り出せるようになっているのだ。
糞尿を流して下水道に運んでいくタイプではなく,糞尿を溜めて人力で運ぶタイプの便所であるため,水は張っておらず,汚物の匂いがダイレクトに穴から漂っている。
臭い,鼻がひん曲がるほど匂いがきつい。穴からは,溜まった糞尿も見えるので,常人なら吐き気を催す。
出来れば早く出ていきたい場所である。だからこそ,持って来いの場所なのだ。隠し通路を掘るには。
マルはその場にしゃがむと,扉のすぐ左側の岩壁,開けっ放しだと裏に隠れてしまう部分の少し出っ張った箇所をつまみ,「ふーん!」と引っ張った。
ズズズ・・・。
引っ張った箇所が引きずられて少し出てくる。
(よし!このくらい出れば・・・)
マルは,出た部分の両側面のでこぼこを上手い具合につかみ,今度は両手でしっかり支えて引っ張る。
「おーい・・・よっと!」
ズズズズズズズズズ・・・
岩壁の一部分が引っこ抜け,子供一人がギリギリ入れるくらいの穴が露になった。
「ふぅ」
(そんじゃ,行きますか!)
マルは這いつくばると,ずるずるとその穴の奥へと這っていくのであった。
この隠し通路を見つけたのは,奇跡だった。
今からちょうど一年くらい前,スペクタ達が新しく監督官になったころである。
マルは,早めにノルマが終わると,自室に戻り,トイレの中で岩壁を蹴るのが日課だった。ストレス解消のためである。
「クソっ,クソッ,クソッ・・・!!」
マルは苛立っていた。その日はいつも以上に荒れていた。
痛みを感じながらも,身体の奥底から無尽蔵に湧き出てくる怒りに身を任せ,何度も何度も裸足で岩壁を蹴っていた。
「クソッ,クソッ・・・!!」
怒りの理由はスペクタである。ノルマが終わって青色鉱石を私に行ったときに,彼に「へぇー早いな。」と言われたのである。それで苛立ったのである。
ガッ,ガッ,ガッ・・・
スペクタは,奴は,感心したように言っていた。馬鹿にした感じは微塵もなかった。それまでの監督官は,早めにノルマが終わると,褒めるどころかわざと青色鉱石を地面にぶちまけて拾わせたり,問題ない大きさのはずなのに小さすぎると言ってもう一度青色鉱石の採掘をさせたりしていた。嫌がらせをされるのが嫌でわざと遅めに行ったりすると,「お前,今日はわざと持ってくるの遅くしたろ」となぜかばれて暴力を振るわれ(恐らくどのくらいで帰ってくるかの統計を取っていたのだろう。),罰としてもう6個の青色鉱石を掘らされたりしていた。だから,嬉しかった。スペクタに「へぇー早いな」と言われたことで嬉しさを感じたのだ。軽めの,本人からしたら何気ないだろう一言で,マルは心が洗われたような気分になった。
それが許せなかった。そんな軽い言葉に嬉しさを感じてしまったことがたまらなく悔しかったのだ。
「忘れるな…!!忘れるな…!!忘れるな…!!忘れるな…!!」
マルは自分たちが奴隷であるということを理解していた。奴隷の扱いを受け,理不尽な目に合っていることを理解していた。彼らよりも立場が下であり,見下され,表面に出さずとも心の奥底でバカにされていることを理解していた。
だからこそ,今の自分は奴隷であるのに,今の自分の立場は彼らよりも下のままなのに,扱いも下のままなのに,幸福を感じてしまった,嬉しさを感じてしまった,心の奥底で見下しているだろう相手のことを好きになってしまいそうになった,そんな自分に苛立ちを覚えたのだ。心の底から憎しみを抱いているのだ。抱かせているのだ。
ふざけるな!俺は奴隷じゃない.お前たちの下じゃない。なに満足しちゃってんだ?なに喜んじゃってんだっ!ふざけんじゃねぇ!俺は一生奴隷のままでいいのか?俺は一生このままでいいのか?いいわけねぇだろっ!クソがっ!クソがっ!忘れんじゃねぇよ俺っ!!あいつらは俺たちを見下してんだぞ!敵なんだ!悪なんだっ!!絶対に許しちゃあならねぇんだっ!!忘れるな!忘れるな!忘れるな!忘れるな!
「忘れるなっ!!!」
ガッ!!
ズッ
「!!?」
悔し涙の潤みが消える。
マルはイレギュラーな音に,イレギュラーな事態に,一瞬にしてそれまでの怒りを忘れる。血の気がすぅーっと引いていく。
岩壁がへこんだのだ。岩壁の一部分がへこんだのだ。
まずい。
(まずいまずいまずいっ!ばれたらまずいっ!殺されるかもしんない!ひどい目にあうかもしんない!)
焦燥感に駆られたマルは,急いでしゃがむ。
「イっ!?」
怒りのアドレナリンがきれたことで,岩壁を蹴っていた右足に激痛がはしる。
顔を歪めつつも,岩壁のへこんだ部分をさわさわした。
(・・・この部分なら掴めそうだな。)
そうして見つけた突起を,掴んで引っ張った。指を滑らせながら何度も何度も引っ張った。涙目で引っ張った。右足の痛みを我慢して引っ張った。顔をゆがませながら引っ張った。
ズッ・・・ズッ・・・ズッ・・・
そうして,元通りの場所まで引っ張って「ふぅっ」っと安堵してへたり込んだそのとき,気が付いたのだ。
引っ込んだということは,空洞があるはずだと。
その後,再び引っ張ってなんとか岩壁の一部分を引っこ抜くと,案の定空洞を見つけたのである。子供一人が,這いつくばって何とか進めそうなくらいの空洞を。
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