第3話
僕の妹が、満照のことをずっと前から好きなのは、本人はもちろんのこと、さすがの僕だって知っている。
例の小六の時のアレのせいで、僕や満照はもちろん、妹までとばっちりをくらって、友だちがまるで干潮のように引いてしまったことがあったんだけど、妹は持ち前の気の強さでガッツリ乗り切った。
僕たちが小六なんだから、妹は小四だ。女子の方が精神年齢が高いというけど、自分の妹があれほどパワフルだったとは思いもしなかった僕は本当にびっくりして、思わず拍手喝采を送ったほどだ。心の中で。
詳細に語るなら、妹は例の小六の女子に言葉で噛み付いた。物理的に噛み付いてもおかしくないくらいに怒り心頭だったのは、ボサーっと傍から見ているだけの僕でもわかったけど、別に止める義理もないし、兄としての責任も感じなかった。だって妹は、満照が邪険にされたことに対して怒っていたんだし。
「あんたたちって、ホント、バッカみたい。ホントに来年から中学生になれるの? ギムキョーイクっていいのねぇ。お兄ちゃんとみっくんが親友で何が悪いのよ。上辺だけ友だち面して、いざとなったら逃げる奴のことは友だちなんて呼ばないんじゃない? 少なくとも私は呼ばないし、そんなのが友だちだって言うんなら、最初からいらないわ」
めちゃめちゃカッコよかった。さすが僕の妹、とは思えないほどにキリッとしてて、ああ、女の子は好きな男のためにならこんなに強くなれるんだなって、クソガキながらに思ったんだよ。いやぁ、実の妹じゃなかったら惚れてたかもね。てか、あんな素敵ちゃんな妹に惚れない満照の方がどうかしてると思うな。
もちろん、満照は妹にすごく感謝したし、それ以前から灯理さんとともに僕たち兄妹にはよくしてくれてたんだけど、それ以来はますます妹の評価は上がり、これまで以上に親しくなった。四歳も離れてるせいで、あまり接点のなかった妹と灯理さんも急激に仲良くなって、今では本物の姉妹みたいだ。
肝心の満照が僕の妹になびかないのは、本当ならこういうことはあんまり言っちゃダメなのかも知れないけど、まぁ別に誰が困るわけでもないから告白しよう。満照はシスコンなのだ。つまり、灯理さんが大好きなのだ。
もちろん、両親が同じで血のつながった実の姉弟だし、満照も別に禁断の恋を求めているというほどに、冒険者でも欲求不満でもない。ただ、好みのタイプは灯理さんのように背が高くて細身で程よく胸があって、時に毒舌すぎるほどにハキハキとものを言うやや気のキツい大人の女性だ。
決してチビで折れそうに細く、まっ平らな胸で抵抗なく泳ぐ水泳部のエースではない。まぁ、ハキハキものと言うところと、気がキツくて手を焼くところだけは何故か、真似てもいないのにそっくりなんだけどね。
満照に自分の感情がダダ漏れなのは、妹自身も知るところのようで、まぁお互い気持ちを知り合いながらも告白というようなハッキリした形は取らず、長らく幼馴染という関係を保ち続けてきたのは、灯理さんの存在も大きいのだろう。別に、灯理さんの反対があったわけではない。むしろ、その逆で僕の妹なんだけど。
満照が姉離れできないのは想定の範囲内として、妹が僕に対してだけ何故かとても心配性なのだ。
「お兄ちゃんて、みっくんと離れたら死んじゃいそうだよね」
おお、まさか妹にまで死にたがりを知られていたとは、と単純に驚いたものだけど、どうやらそれは単なる比喩のようなものだったようだ。別に僕も、満照と離れたくらいで死ぬほどあいつに惚れてるわけじゃないし。親友としては最高の奴だと思うけど、恋人としては見れないなぁ……とか言う冗談は、妹がマジギレするから言わなかったけど。
なんであの時妹がそんなことを言ったのかは知らない。確認しようとも思わなかったし、僕も別に満照と離れたことを理由に死ぬつもりはなかったからさ。だってそれじゃあ、満照を苦しめることになっちゃうじゃん。大事な親友を、さすがに自殺の理由にはできないよ。いくらろくでなしで人でなしの僕でもね。
そうなんだよ。
僕はどうやら〈人でなし〉らしいんだ。辞書に載っている意味の方でもあるにはある僕だけど、今言ってるのはそっちじゃなくて、読んだ文字の通りの方の意味。
実は僕の正体は、人間の皮をかぶった化物なんだ、とか、何かものすごい超常現象的な能力が使えるとか、そういう少年漫画みたいなカッコよさはない。
まぁ、〈異能〉というくくりにしてしまえば、僕もなんとなくすごい奴と戦えるような気になる響きなんだけど、それは本当に〈異常な能力〉であって、本来なら現実的に、一般的に、いや僕の場合はさらにその下の底辺あたりを彷徨って生きているわけなんだけども、それでもなお、持ち合わせていてはおかしいのではないかと思える能力──と呼んでもいいのかさえわからない、不思議現象だった。もちろん、そこらの小学生とだって戦えないし、多分勝てない。逆にこっちが深いダメージを負いそうだ。主に言葉の攻撃によって。
小六が僕と満照の関係のターニングポイントだったとするなら、その女子との揉め事なんて些細なことでしかない。妹の頑張りには感謝するけど、僕たちが親友になったのは、もう少し前だ。
同じ小六でも、確かまだ夏だった。五年の時からクラス替えはないので、顔ぶれは同じだったし、当然僕と満照は同じクラスだった。
その頃の満照はまだ僕とあまり学力は離れていなくて、真面目さも残っていたから、夏休みにはお互いの家を行き来して、宿題に励んでいた。
僕が満照の家に行く理由は、満照が灯理さんと離れたくないからで、満照が僕の家に来るのは、僕が満照を連れてくるように妹に命じられるからだ。数日ごとに入れ替わりで向かい合ったお互いの家を行き来し、まぁそこそこ真面目に宿題を進めていた。
たまに灯理さんに教えてもらったり、妹が教えてとやって来たりしながら、母親同士が息子に持たせたお菓子をつまみながら、良い子にしていた。
僕が満照の家に行く番だったある日、玄関でお祖父(じい)さんに会った。当時は満照はお祖父さんと同居中だったのだ。お祖母(ばあ)さんは随分前に亡くなったらしくて、僕も会ったことはない。
遺されたお祖父さんは別にボケてもいないし、見たところ身体もしゃっきりしていたけれど、僕を迎えながらお祖父さんを見送っていた満照の前で、僕は大変非常識なことを言ったのだ。
「おじいちゃん、もうすぐ死んじゃうんだね。可哀想」
お祖父さんは驚いた顔をしたけど、それは多分、自分の患っている病気を知っていたからなんだと今は思う。だけど、小学生の満照が突然友人に自分の祖父が死ぬと言われては、普通は冷静ではいられないだろう。さすがの僕も、「しまった」とは思った。
けれど満照は「早くあがれよ」と言っただけで、僕の失礼な物言いにはノータッチだった。僕はバツが悪い気持ちで、満照に言われるままに靴を脱いで、いつものようにきちんと揃え、リビングに通された。変わらず部屋には冷房が効いていて、冷たい麦茶も用意されていた。僕は母親に持たされたお菓子を手渡す。
「なぁ、じいちゃん、いつ死ぬんだ?」
受け取った菓子袋を雑に開けながら、満照は言った。僕に言っているとは思えない声だったけど、その場には僕しかいなかったし、お祖父さんが死ぬと言ったのも、他ならぬ僕だ。
「……わかんないけど……多分、もうすぐ」
まだこの頃は、知らなかった。その〈もうすぐ〉がだいたい三日から一ヶ月以内くらいの間だということを。
いつからだったかはハッキリとは覚えていないんだけど、テレビに出てるような有名人を見るとさ、「あ、この人もうすぐ死ぬな」ってわかっちゃうことはたまにあったんだよね。顔色っていうより、なんだろう、醸し出す雰囲気っていうか、オーラ? いやでも、何か色が見えるとかじゃないんだよね。なんとなくわかる、っていう、理屈抜きの感覚でさ。
ただ、そんなことは誰にも言わなかった。だってテレビに出てるような人と僕の接点なんてないし、特別好きな有名人がいたわけでもないから、その時テレビに出ていたのが誰だとかもわからなかったし。本当に死ぬかどうかもわからないから、人に言っても多分気分を悪くさせるだけだろうって思うくらいは、今の僕よりも気が回ったかも知れない。
それでも後になって、その有名人の俳優さんとかが亡くなった話題がニュースなんかで流れると、さすがのぼんやりさんな僕でも、「なんかおかしいな」って思うようになった。それが一度きりの話じゃなかったからね。
そんな頃に満照のお祖父さんに亡くなる気配がしたから、未熟な小学生の僕は、こともあろうに本人に伝えてしまい、それを大事な友人にも聞かれてしまったってわけ。でも満照は冷静で、僕の不確実な情報を疑わなかった。見た目の元気なお祖父さんだったから、子供の満照が近々自分の祖父が死んでしまうなんて考えもしなかったはずなのに、僕の根拠のない言葉を怒らずに受け入れてくれた。
信じた、というのとはまだ多分違ったんだろうけど、その数日後にお祖父さんが急に入院して、さらに二日後には天国に行ってしまったと聞いた時、満照は黙って僕の隣に立って後頭部に手を当てて、「そうなのか」とだけ言った。
当然うちは家族総出でお通夜とお葬式に参列させてもらったけれど、みんな泣いていたのでとても居心地が悪かったのを覚えている。
当然ながら灯理さんは中学生なのにびょおびょお泣いているし、妹も初めて知っている人を亡くしたショックからか、何も話さずに灯理さんの制服の裾をぎゅと握って寄り添っていた。多分妹は妹なりに怖かったんだろう。人が死ぬということが。最近まで話していた、身近な、親しい人が、こんなにあっけなく死んでしまうということが。
お祖父さんのお葬式も終わり、残り少なくなってしまった夏休みを、また満照と二人で、または灯理さんや妹も交えた四人で宿題の消化に費やしていたんだけど、僕が満照のお祖父さんの死を言い当てたことを、満照は誰にも話さなかった。多分、話しても信じてもらえないと思ったのかも知れないし、まだナイーブな時期だったこともあったのかも知れない。
もちろん、僕もまったくそんな能力は名誉なことではないという認識は持っていたので、誰にも言ったことはない。多分それまでの間には、自発的にはほとんど見ないテレビがたまたまついていたりした時に、母親や妹に「この人、なんだか死にそうだよね」とかなんとかは、言っちゃってたかも知れないけど。
この日を境に、僕は死にそうな人を見ても、直接言うなんてことはもちろんのこと、他の誰にも言ったことはなかった。
だから、病院って嫌いなんだよね。ちょっとした風邪なら早いうちに市販薬で済ませるし、骨折ではなさそうな足首の痛みなんかなら、何年前のだかわからないようなのでもいいから湿布を貼っておく。予防接種なんか絶対に受けに行かない。
そうやってなるべく病院とは距離を置くようにしてるんだけど、どうしても困った時だけは仕方なく、自宅近くのなるべく小さな診療所に駆け込む。腸炎になった時は、死ぬかと思うほど辛かったからね。今思えば、それくらいで死ぬわけもないし、死ねるんならその時に死んでおけばよかったんだけどさ。
そこはメインが小児科なんだけど、一応二番目には内科の看板を掲げているから、老若男女問わず、また症状の重い軽いも関係なしに、ご近所さんで混み合う診療所だった。それでも総合病院じゃないから多少はマシというか、死ぬほど辛いならみんな普通は大きな病院に直行するもんだと思っていた僕だったので、この不思議な能力を認識してから初めて行った診療所では、衝撃を受けた。
わかりやすく言うなら、もうすぐ死ぬ人、多すぎ。
お年寄りは会計の時に、大きな病院に行くように言われて診断書を渡されたりしていたし、確かにその人からは死を感じた。ああだから、見えるとかじゃないんだってば。
可哀想なのは小さな子供で、僕はまったくイメージ通りだとは思うけど、別に全然子供は好きじゃない。生きていようと死んでいようとどうでもいいのは、別に子供に限ったことではなく、誰に対しても思うことなんだけど、この時ばかりは初めて子供を可哀想に思ったし、哀れんだ。
例えば生まれて一年にも満たないような赤ちゃんが高熱を出したと言って、おでこに冷却シートを貼って診察室で苛々モヤモヤハラハラしながら順番待ちをしているお母さんに、満照のお祖父さんの時のような発言ができるわけがない。下手したら警察沙汰だし、訴えられるかも知れないじゃないか。頭がオカシイと思われるだけなら御の字だよ。
でも僕には、その子が今日をなんとか持ちこたえたとしても、〈もうすぐ〉の中では一番最短だと思われる三日後には死んでしまうだろうということがわかってしまう。
とは言え、何故か僕にわかるのは病死の人だけみたいなので、突発的な交通事故で命を落とす人まではわからないよ。さすがに予知能力者とかじゃないんだしね。
あと、自分を鏡で見てもわからないから、それは鏡越しでは通じないのか、占いみたいに自分のことだけは知れないようになっているのか、僕がまだまだ生き長らえるということなのかはハッキリしない。まぁ多分しばらくは、僕が病気で死ぬことはないんだろうなとは思うけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます