第3話

 翌日。朝食を済ませたブレイズは、走り込みに行く振りをして、街へと続く道を歩いていた。


「誰が大人しく訓練するかっての…。バーカ。」


 悪態をつきながら、腰に下げた訓練用の剣をかちゃかちゃと揺らし歩いていく。ブレイズの頭の中は街で何をするかということでいっぱいだった。


(まずは剣術大会で知り合った奴の道場に行こうかな。稽古がなければ遊んでくれるって約束したし…。)


 楽しい想像に自然と胸を高鳴らせながら、ブレイズは歩みを進めた。すると、茂みの方ががさがさと揺れた。


「ん?」


 音につられて見てみると、兎が飛び出してきた。ブレイズを見て一瞬固まったものの、すぐに反対側の茂みへと姿を消していく。


「何だ、兎か…。」


 捕まえれば今日の夕食の足しにはなっただろうかと考えた時だった。兎が出てきた茂みが大きく揺れ、灰色の大きな獣が出てきた。


「お、狼…!?」


 兎を追いかけていたのを邪魔されたとでも思ったのか、こちらを睨みつけてくる狼に、ブレイズは慌てて訓練用の剣を構えた。だが、茂みからは次々と狼が出てきてブレイズを取り囲んだ。


「くそ…!」


 ブレイズの腕なら一、二匹程度は倒せただろうが、五匹を相手にするのは流石に厳しかった。


(これはちょっと不味いかも…!)


 冷汗がブレイズの背中を伝う。ブレイズは狼と睨み合ったまま、どう行動すべきか考えを巡らせた。


(ここからなら、街の門の方が近い。そこまで行ければ…!)


 覚悟を決めたブレイズは剣を握り直すと、正面の狼の方へと向かって行った。


「うおおおおっ!」

「ガウガウッ!」


 噛みつこうと飛びついてくる狼の首を狙い、一撃を浴びせる。刃を潰してはいるものの武器としては十分通用する剣を食らって、狼は悲鳴を上げた。


「きゃうん!」

「次っ!」


 どしゃりと地面に倒れた狼のその後ろにいた別の一匹がブレイズに襲い掛かってくる。今度は突進を避けて横に回り込むと、胴体を蹴飛ばした。


「せぇい!」

「ギャウッ!」


 蹴飛ばされた狼はブレイズを後ろから襲おうとしていた別の狼にぶつかる。狼達が怯んだ隙に、ブレイズは全速力でその場から逃げ出した。


「ガウッ!」

「ワウワウワウッ!」


 興奮した狼達が逃げるブレイズを追いかける。


「はっ、はっ、はっ!」

「ガウガウガウッ!」

「ひっ!」


 獲物を追い立てる獣の鳴き声に喉を引き攣らせながらも、ブレイズはひらすら走り続ける。捕まったら即座に狼のエサとなる恐怖で、ブレイズの頭はパニックになっていた。呼吸も苦しくなり、視野が狭まって足元への注意がおろそかになる。いつもなら身軽に駆け抜ける道で、地面から少し浮き出た樹の根が足に引っかかった。


「あっ!」


 べしゃりと音を立てて転ぶ。ブレイズが再び逃げ出そうと立ち上がった瞬間。


「ガウッ!」


 さっきよりも近くから狼の声が聞こえた。思わずそちらに目を向けると、ブレイズに向かって飛び掛かってきている狼の姿が見えた。恐怖に目を見開き、手に握りしめた剣を突き出そうとしたが、転んだ拍子に剣は離れた場所に飛んでしまっていた。


(だめだ。死ぬ―――。)


 ズシャッ!


「キャウン!」


 ブレイズが死を覚悟したのと同時に、彼を襲おうとしていた狼が明後日の方向へと吹き飛ばされた。狼の血がブレイズの顔にパタパタッと数滴飛んできた。


「え…。」


 何が起こったか分かっていないブレイズの目の前には、鎧に身を包んだ騎士の姿があった。


「そこから動くなよ、坊主!」


 騎士は狼を仕留めた剣を構えながら、ブレイズに声をかけた。次々に狼が騎士に襲い掛かるが、騎士は即座に首をはねて息の根を止めていく。鮮やかなその剣技と頼もしい後ろ姿に、ブレイズは見とれていた。


「すげえ…。」


 あっという間に狼達は倒されてしまった。ブレイズにやられた二匹もこちらへ走ってきたものの、仲間が殺されているのを見ると尻尾を巻いて森へと逃げて行った。


「ふう、行ったか…。」


 騎士は剣を一振りして血を払うと、鞘へと納めた。そして、ブレイズの方を振り向き、しゃがみ込んだ。


「大丈夫か、坊主?ケガしてねえか?」

「あ、うん…。大丈夫。その、ありがとう、ございました……。」

「良いってことよ。人を助けるのが騎士の仕事だからな。」


 騎士はからからと笑って答えると、ブレイズに尋ねてきた。


「坊主、お前何でこんなところにいたんだ?」

「俺、街に遊びに行こうとしてて…。」

「街に?家はどこだ?」

「その、騎士団の訓練場……。」

「あ、お前、イストラル先生の孫か!?は~、俺が見習いだった時はまだ五、六歳くらいだったのに、大きくなったな~。」

「わわっ!」


 騎士はブレイズの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。小さな子供にするような仕草に、ブレイズはかっとなった。


「ガキ扱いするなよな!オッサン!」

「お、オッサンって…俺まだ二十歳だそ…?」

「じゃあ何て呼べば良いんだよ?」

「俺?俺はセドリックだ。」

「俺はブレイズ。よろしくな、セドリック。」

「呼び捨てかよ…。せめて「さん」をつけろや…。」


 セドリックががっくりと肩を落としていると、訓練場の方角から馬が駆ける音が響いてきた。ブレイズ達がそちらに目を向けると、あっという間に二人の傍に馬が近づいて来た。馬から飛び降りた人物を見て、ブレイズは顔をひきつらせた。


「げっ、ゲンじい…。」


 ゲンは周囲に倒れている狼の死骸とセドリックを見て、状況をすぐさま把握した。びきり、と額に血管を浮かべながら、ブレイズの前に立った。


「この、クソガキが!」


 ゲンの拳がブレイズの頭に下されると、ゴチンと鈍い音がした。ブレイズはあまりの痛みに声にならない悲鳴を上げた。


「~~~~~~!」

「訓練をサボるな!昨日約束したばかりなのに守れないのか!狼程度一人で追い払え!それくらいの強さは身に着けさせたはずだ!人に助けてもらうなど手間をかけさせるな!お前がフラフラいなくなったらフェアリが心配して泣くだろうが!」

「ご、ごめんなさい…!」


 要点だけをまとめた叱責に、ブレイズは痛みにこらえながらも謝った。若手騎士に指導するのと変わらない厳しさに、セドリックは表情をひきつらせた。


「ま、まあまあ。先生、落ち着いて…。」

「む、セドリックか…。すまんな、ブレイズが迷惑をかけた。」

「別に大したことじゃありませんよ。お孫さんも無事で良かったです。」

「ここまで何か用があったのか?」

「あ、そうです。」


 セドリックは用件を思い出すと、少し離れたところで待機させていた馬を連れてきた。馬の鞍に括り付けた袋から封筒を取り出し、ゲンに渡す。


「これ、今度騎士見習いで入団してくる新人の履歴書です。五日後の午後に新人を集めるので、武術指導顧問として挨拶してほしいと副団長が言っていました。」

「わざわざありがとう。しかし、もうそんな時期か…。」

「はい。『今年は元気が有り余ってる奴が多いので、ビシバシ鍛えてやってほしい』と団長から伝言を預かっています。」

「はは、それは楽しみだ。」


 ゲンはそう言うと、ブレイズに声を掛けた。


「ブレイズ。帰って訓練の続きをやるぞ。」

「…はい。」


 ゲンがちらりと狼の死体に目をやったのにセドリックが気づいて申し出た。


「死骸の片づけはこっちでやります。」

「任せて良いか?すまんな。」

「いえ、訓練ついでに狼狩りでもやりますから。それでは、俺はこれで失礼します。」


 セドリックは挨拶をして帰ろうとしたが、ブレイズが慌てて声を掛けた。


「あのさ!」

「ん?」

「今度、いつ家に来る?」


 ブレイズの質問にセドリックは首をひねった。


「いつ来るって、仕事で命令があればいつでも来るけど。」

「訓練には来ないの?」

「ああ。今度新人が来たら監督役で行くことになってるよ。」

「ほんと?なら、今度俺に稽古つけて、セドリック!」

「へっ?」

「年上には「さん」をつけろ!あと敬語!」

「あだっ!」


 ゲンから二発目の拳骨を食らってうめくブレイズにセドリックは苦笑した。


「まあ、別に良いけど…。お前、先生に教えてもらってるんだろ?俺、技術的にはまだまだ指導される側だぞ?」

「良いの…良いんです!俺がセドリックさんに教えてほしいから!」


 不自然な敬語でブレイズは言った。


「わかったよ。じゃあ、また今度な。」

「はい!」


 ブレイズが答えると、セドリックは馬に乗って帰って行った。その後ろ姿をブレイズはじっと見つめていた。


「帰るぞ。ブレイズ。」

「うん。」


 ゲンはブレイズを鞍の前に乗せると、その後ろに乗って馬を歩かせ始めた。しばらく揺られて歩いていたが、ふとブレイズがゲンを呼んだ。


「ゲンじい。」

「…何だ。」

「俺、セドリックみたいに誰かを助けられるような騎士になりたい。」


 ブレイズの言葉に、ゲンは目を丸くした。


「そうか。なら、やるべき事はわかっているな。」

「うん。もう訓練さぼったりしねえよ。もっと強くなりたいから。」

「敬語もちゃんと使えるようになれ。騎士団は上下関係が厳しいからな。」

「う…。わかりました。」


 ブレイズの新たな決意に、ゲンは人知れず目を細めて孫の成長を喜んだ。




 ―――月日は流れ、七年後。


 クファルトス国の郊外にある森の洞窟近く。いつもなら小鳥のさえずりや小動物が動き回る音しか聞こえない場所が、今日は人の気配で騒がしかった。


「おい、ガキ。もう一回言ってみろ!」


 柄の悪い小太りな男が大声で言う。周りには同じように人相の悪い男達が二十人程いる。彼らは剣や銃など様々な武器を手にしていた。


 円を書くように立っている彼らの中心には、十七歳になったブレイズが立っていた。短く整えられた髪は日に当たって小麦色に煌めき、そこそこ整った顔には少し幼い雰囲気が残っている。騎士の証であるクファルトス王国の紋章が刻まれた剣が腰には下げられていた。赤茶色の瞳で生意気に男達を捉えながら、ブレイズは言った。


「だから、大人しく投降しろって言ったんだよ。」


 その言葉を聞いて、怒鳴りつけた男はこめかみに青筋を浮かべた。


「このガキ!」

「おい、落ち着けって…そんなにカッカするなよ。」


 隣にいた別の細い男が、へらへらと笑いながら声をかけた。


「なあ、にいちゃん。あんた、俺らに指図するなんて怖いもの知らずだな?俺ら、『ブラック・スネーク』はここらじゃ一番ヤバい盗賊団って噂されてんだぜ?」


 細身の男はへらへらと笑ったまま、腰の短剣を抜いた。


「女子供にだって容赦はしない、盗みは当然殺しだって躊躇しない…。この前のヌーセ村だって俺らがやったしな。あの時の村の惨状は、あんたも噂で知ってるだろ?」


 そう言って、男は短剣をブレイズの首にすっと突き付けた。ブレイズは黙ったまま、動かない。周りの他の男達はにやにやと様子を見ていた。


 ナイフを突き付けながら、男は言った。


「ん~どうした?怖くて何も言えねえか?さっき言った事、謝るんだったら命だけは助けてやってもいいぜ?」


 盗賊達の態度を見て、ブレイズは溜息を吐いた。


「…話にならないな。」

「あ?」

「お前らのリーダーを出せ。下っ端と話しても意味がない。」

「ふざけるな。お頭がお前みたいなガキ相手にするわけないだろ!だいたいお頭は今出かけていていない。」


 小太りな男が言う。


「そりゃ残念。せっかく穏便に事をすませようと思ったのに…。」


 肩をすくめて見せるブレイズに、男は苛立った。


「お前、何様のつもりだ!」

「その言葉、そっくり返すぜ。」


 そう言って、ブレイズは短剣を突き付けたままの男を睨んだ。


「あんた達が先に手出してきたんだからな。」


 ブレイズの言葉に気圧された瞬間、男の眼前には拳が迫っていた。


「え?」


 バキッ!


 鈍い音を立てて細身の男の顔面にブレイズのストレートが決まった。男は失神しそのまま後ろへ倒れる。男が突き付けていた短剣はブレイズの左手に抜き取られていた。ブレイズはその短剣を持ち直して盗賊達に向けた。


「騎士団権限で、お前ら全員捕縛してやる。」

「このガキ!」


 一人が襲いかかったのを皮切りに、盗賊たちはブレイズに襲いかかった。



 ―――結果は、ブレイズの圧勝だった。



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