第2話
クファルトス王国の郊外にある森の中には、若手騎士の育成のために設けられた訓練場がある。森を切り拓いて作られたその訓練場の傍にある大木の上で、一人の少年が昼寝をしていた。風が柔らかな焦げ茶色の髪を揺らすが、少年はスヤスヤと寝息を立て続けている。
そこへ、ガタイが良く厳めしい顔をした老年の男が近づいて来た。男は少年が起きる気配がないことを見て取ると、大きく息を吸って叫んだ。
「起きろ!ブレイズ!」
「うわっ!」
大声にブレイズと呼ばれた少年はびっくりして目を覚ました。慌てるあまり木から落ちそうになるが、何とかバランスを取って体勢を整えると、男を睨みつけた。
「ゲンじい、いきなり脅かすなよ!落ちるところだったじゃんか!」
「訓練をさぼっているお前が悪い。走り込みの後は素振り百回を言いつけていたはずだが?」
咎めるような声でゲンと呼ばれた男は尋ねたが、ブレイズは全く気にした様子もなく答えた。
「そんなのしなくても、俺十分強いし。」
「…何だと?」
「だって、街の剣術大会でも優勝したし、喧嘩でも年上の子に負けたことない。なのに基礎訓練ばっかりさせられて、やる気出ないよ。」
「基礎訓練はお前の体作りと丁寧な技術を身に付けるのが目的だ。同年代の子供達より少し強いからといって慢心していれば、真面目にやっている子からすぐに追い抜かれるぞ。」
「じゃあ新しい技とか教えてよ。」
「駄目だ。お前にはまだ早い。」
「ケチ!この前騎士の兄ちゃんには教えてたのに!」
「あれは見込みがあったから教えた。体が出来上がっていないお前には教えられん。」
ぶくっと頬を膨らませるブレイズをゲンは睨みつけた。
「ほら、早く降りて来い。訓練の続きだ。」
「やだ。」
「降りろ。」
「やだよ~。」
小生意気なブレイズの態度に、ゲンはイラっとして木の幹を蹴りつけた。
「うわわっ!」
揺れに耐えきれずブレイズは座っていた枝から落ちたが、とっさに受け身を取って着地した。
「何すんだよ!」
「ガキの分際でサボろうとは大した度胸だ…。その根性叩き直してやる!」
ゲンは即座にブレイズの首根っこを捕まえて訓練場へと引きずって行った。
「離せ~!この暴力ジジイ!」
「やかましいわ、この生意気小僧!」
「ぐへっ!」
ゲンは訓練場の中央へ来るとようやくブレイズから手を離した。そして、手に持っていた訓練用の剣をブレイズに放り投げた。
「とっとと構えろ!」
「ったく…。めんどくせー。」
渋々ながらもブレイズは剣を構えた。
「俺に勝てたら明日から一週間の間、訓練は免除してやる。」
「まじで!?」
ゲンの一言でブレイズは目を輝かせた。
「約束、絶対だぞ!」
「お前が負けたら訓練量を増やすからな。…簡単に勝てると思うなよ。」
「本気出す!ジジイの剣なんて見えてるし!」
「……ほう。」
ビキリとゲンのこめかみに青筋が浮かび、全身から殺気が漂う。ブレイズは久しぶりに感じたゲンの殺気に怖気づいた。
「なら、俺も本気を出そう。」
「い、いつものハンデは?」
「十分強くなったんだろう?なら騎士を引退した俺程度、ハンデなしで勝てるよなあ?」
「騎士団の武術指導顧問に勝てる訳ねーじゃん!大人気ねえ!」
「やかましい!大人の本気を見せてやる!」
「ぎゃ――!」
―――三十分後、ブレイズは体中に痣を作って訓練場に倒れ伏していた。
「ふん、こんな所か。」
「くそっ…暴力ジジイめ…。ホントに本気出しやがって…。」
「勝負に負けるお前が悪い。明日から訓練増やすからな。」
「ぐうっ!」
ブレイズは悔しさのあまり歯を食いしばった。その時、訓練場に併設された宿舎兼住居の建物から、声が聞こえてきた。
「おじいちゃーん、ブレイズー!ご飯出来たよー!」
声のした方向を見ると、栗色の髪の少女が窓から身を乗り出すようにして手を降っていた。
「もうそんな時間か。フェアリ、すぐ行く。」
「はーい。」
フェアリと呼ばれた少女は返事をすると建物の中へ引っ込んだ。
「行くぞ、ブレイズ。」
「はーい…。」
ブレイズはのろのろと立ち上がると、ゲンの後を付いて行った。玄関から入ってすぐ左にある食堂に入ると、美味しそうな匂いが二人を出迎えた。
パンをテーブルに出していたフェアリはブレイズの痣を見ると目を丸くした。
「まあ、ひどいケガ!ブレイズ、大丈夫?先に手当しましょう?」
「姉貴、別にこれくらい大丈夫だよ。」
「フェアリ、さぼっていたブレイズが悪い。手当は自分でさせろ。」
二人の答えにフェアリは呆れた。
「ブレイズ、背中にも痣出来てるんでしょ?一人で手当出来る訳ないじゃない。それと、訓練さぼってたブレイズが悪いけど、ケガさせるなんておじいちゃんもやりすぎよ。」
「………。」
「………。」
ぷりぷりと叱るように言ったフェアリに二人は押し黙った。
「ほら、先に手当するわよ。」
フェアリに手を引かれ、ブレイズは食堂から医務室へと連れて行かれた。フェアリはブレイズを椅子に座らせると、包帯と打ち身に効く軟膏を棚から取り出した。
「さ、シャツ脱いで。塗ってあげる。」
「後ろだけで良いよ…。」
ブレイズは服を脱いで背中を向けた。フェアリは慣れた手つきで打撲痕に薬を塗っていくが、ふとブレイズに声を掛けた。
「ねえ、ブレイズ。最近剣術の稽古サボることが増えたけど、面白くないの?」
「……面白い訳ないじゃん。子供の時からゲンじいに教えられてるから惰性でやってるだけだ。」
ブレイズは拗ねた口調で続けた。
「俺だって、同い年の奴らと遊びたいのに、毎日訓練ばっかり…。嫌になるよ。」
「ゲンじいは、ブレイズに強くなって欲しいのよ。」
慰めるようにフェアリが言ったが、ブレイズは余計に頬を膨らませた。
「強くなってどうするんだよ?ゲンじいの跡を継いで騎士にでもなれってか?」
「自分や大切な人を守れるように、だと思うわ。」
ガーゼを当てながらフェアリは言った。
「お父さんとお母さんが盗賊達から私達を守って亡くなったのは、何度も聞かされたでしょ?おじいちゃんは盗賊達からお父さん達を守れなかったことをずっと悔やんでるの。だから、ブレイズが同じような思いをしなくて良いように、剣術を教えてるのよ。」
「わかってるよ。でも、それはゲンじいが俺にそうなって欲しいだけで、俺がそうなりたい訳じゃない。」
「じゃあ、ブレイズはどうなりたいの?」
フェアリの問いにブレイズはしばらく沈黙した後、呟くように言った。
「わかんねえ…。俺、森の中と訓練しか知らないし。」
ブレイズの寂しい答えに、フェアリは困ったように眉を寄せた。
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