第10話 やまびこやっほー(2)
ふと、視線を感じる。振り返ると、そこには、先ほどの山彦が、墓の影からじっと、コチラを見ていた。
お父さんたちがお線香をあげている隙に、ミコトはこっそりとそばを離れ、山彦の方へ向かった。
山彦は、ミコトの動向を注視しつつ、先ほどの松の木の方へと、後退し、松の木の陰に隠れてしまう。
サンダルを履いている足の方からジワジワと熱が侵食してくる。ミコトは、松の木の影に身を置いた。
「ついてきたの?」
「ついてきたの」
「どうして?」
「どうしても」
山彦はやまびこらしく、同じ言葉や、近しい言葉を繰り返してくる。これでは会話にならない。
「ねぇ、なんで俺の言葉を繰り返すの?」
「言葉を繰り返すの」
「俺は君とお話ししたいんだけど……」
「お話ししたいんだけど……」
だんだんとイライラしてきた。山彦は、首を傾げている。意思疎通ができそうでできないというのは、どうにももどかしい。
「君がやまびこなことはわかってる。でも、他の妖怪と同じように、喋れるんでしょ?さっきも『山彦』って教えてくれたし……」
「他の妖怪と同じように、喋れる。……でも、人の真似しないと、怒られる」
「怒られる?誰に?」
「怒られる。人間に」
「……どうして?」
「……どうしても」
「俺は怒らないよ。ほら、今も真似してないところがあっても、怒ってないでしょ?」
「真似してないところがあっても怒ってない」
山彦は瞬きもせず、大きな目でミコトを見つめる。見つめたまま、おずおずと、松の木の陰から出てきた。
「本当に、怒らない?」
「うん。本当に、怒らないよ」
「怒らない……。うん、わかった」
「……キミは、どうしてそんなに真似することにこだわるの?」
「……ボクは、ううん、ボクたちは、人間のみんなと仲良くなりたくて、同じ言葉を繰り返しちゃうの。……でも、でもね。人間と同じ言葉を言わないと、人間の言った言葉と違うことを言うと、『怖い、怖い』って怒られちゃうの……。だから、ボクたち山彦は、人間がいたら、真似しないといけないの」
「そう、なんだ……」
「そう、なの」
山に向かって「ヤッホー」と叫んだ時に、「こんにちは」と、山から返ってくるのを想像してみる。たしかに、怖いかもしれない。怖くて、その場から逃げてしまうかもしれない。それで、「怪奇現象!」なんて言って、友達に言いふらしてしまうかもしれない。恐怖で震えあがってしまうかもしれない。
でも、目の前にいる山彦は、恐怖とは真逆のところにいる。
こんな可愛い子が怖いだって?そんなこと言ったら、クラスのみんなに笑われてしまう。
「俺は怒らないよ。だから、俺といる時は真似しなくても大丈夫」
「真似しなくても、大丈夫……?」
「うん」
「……うん」
少しずつ、山彦がミコトとの距離を詰める。一歩進んでは、止まり、一歩進んでは、止まり。最終的に、ミコトの目の前まで来た。ほんのりと潤んだ瞳がミコトを見つめ続ける。
可愛いな、と思った。
ミコトは昔から、動物が好きだった。本当なら、家で猫か犬かを飼いたいのだけど、ペット禁止のマンションのため、飼うことができず、願望のままになっている。
ミコトは猫くらいの大きさの山彦に視線を合わせるように、しゃがんだ。目の前で見ても、やっぱり可愛い。ふさふさの毛に、顔を埋めたら、幸せな気分になれそうだ。
こんなに可愛い妖怪なら、友達になってもいいかもしれない。
「可愛い……」
思わず、つぶやいてしまった。
「可愛い……?」
「うん、かわいい。犬や猫と肩を並べられるよ」
「犬や猫と肩を並べられる……」
「俺は、怖がったりしないから、もう真似しなくていいんだよ」
「真似しなくていいの。でも、繰り返しちゃうのは、性分なの」
「そっか。それなら、仕方ないね」
「仕方ないの」
山彦は首を傾げるのが癖なのか、話すたびに、首を左に右にクイっと傾ける。その動作も相まって、人の言葉を真似するオウムみたいだな、と思った。
そんなところも、可愛いと感じる。
鳥を飼う人の気持ちなんて今までわからなかったけど、もしかしたら、こうして真似されることで親近感を覚えて可愛いと思うのかもしれない。
山彦は、小さな手で自分の頭をかいた。
「……にしても、こんなに小さな体で、よく反対側の山に声を届けられるよね」
「届けられるよね。だって、たくさん、たくさん、山彦いるから」
「……たくさん?」
「たくさん」
その時、突然、多方面からの視線を感じた。ミコトが、バッ、と振り返る。木の陰、墓の後ろ、さまざまなところから、『山彦』と似た身なりをしている妖怪が、わらわらと顔を出しているではないか。
「うわっ!」
「「「うわっ!」」」
山彦のみんなが一斉に真似する。ミコトは尻もちをついた。
「び、びっくりした……。山彦ってこんなにたくさんいるんだね」
「こんなにたくさんいるの。みんな、ボクの仲間なの。家族もいるの」
「なるほど。山彦みんなで真似してるから、反響してるみたいに聞こえるんだね」
「反響してるみたいに聞こえるの」
ミコトは体勢をしゃがんだ状態に戻し、たくさんいる山彦たち、一匹一匹に目を向ける。みんな同じような顔をしているが、ちょっとずつ顔や体格が違う。
でも、みんな、すごく可愛らしい。この子達が、人間を害するとは到底思えない。
大抵の山彦は目が合うとささっと物陰に隠れてしまった。それを少し寂しく思いながらも、山彦に向き合う。
「みんな、人見知りなんだね」
「人見知りとは、ちょっと違うの……。みんな、人間が、怖いの。『ヤッホー』って、人間から声をかけてくるのに、人間の言葉通りに返さないと、怒られちゃうから……。それに、ボクらが見える人たちには、石を投げられたり、捕まえられそうになったり、いじめられたりするの。だから、人間、怖いの」
「そう……なんだ」
「そう……なの」
こんな可愛い生き物をいじめる奴が、いるなんて。
なぜ、そんなことをしてしまうのだろう。『知らない』生物だから?それとも、妖怪は『存在しない』はずの生物だから?
両方かもしれない。
人というのは、時に、自分の知らないものに対して恐怖心を抱く生き物だ。
ミコトにも心当たりがある。うさぎが巨大なうさぎに変化した時、「怖い」と思った。それは、得体の知れないものに対する恐怖だ。もし、ミコトに力があって、あのうさぎを倒せるだけの力があったら、恐怖で、あのうさぎに暴力を振るってしまったかもしれない。
それに、山彦側の事情を知った今、ミコトが発した言葉を反復されても、いつの間にか、イライラとしなくなっていた。むしろ、その仕草が可愛いと思ってすらいる。
なんて、自分勝手な考えなんだろうか。
山彦の話を聞いて、恐ろしいのは妖怪よりも、恐怖心を抱いている人間の方なのではないか、と考えてしまう。
「……ごめんね。そんな嫌な思いしてたなら、俺のことも怖いでしょ?」
「嫌じゃないの!だって、キミは今も、ボクに怒らないし、石も投げないし、いじめないの。だから、キミは怖くない人間なの」
「怖くない人間か……。ありがとう」
「ありがとう、ありがとう。……あのね、あのね、ボクね、人間と仲良しになりたいの。だから、今まで、何百年も、何千年も、人間の真似をしてきたの……。あのね、だからね、ボク、……怖くないキミと、お友達になりたいの」
「友達?」
「友達、なの」
山彦は、気恥ずかしそうに、潤んだ瞳を伏せ、小さな手をもじもじとさせる。その仕草もなんとも可愛らしい。
「うん、いいよ。なろう、友達に」
自然に口をついていた。山彦は顔をあげ、目をキラキラと輝かせた。声に出してから、それはいい考えだと思った。
妖怪と友達っていうのも悪くない。いや、むしろいいとさえ思う。妖怪の友達のやつなんて全世界探しても、俺だけだし、なにより、この山彦は可愛い。そこら辺の、犬や猫より可愛い。しかも、喋れるし、ペット禁止でも、両親に見えないのだから、一緒に生活しててもバレないかもしれない。うん、やっぱり悪くない考えだ。
そこまで思った時、ミコトはハッとした。
妖怪を、地獄に帰さなければいけないことを思い出したのだ。
「友達!今日から、キミとボク、友達!」
「そう、友達だよ。俺の名前は、ミコト。ミコトって呼んでくれればいいから」
「ミコトって呼んでくれればいい!ボクは、マビ!みんなから、マビって呼ばれてる!」
マビはそういうとミコトの元に、テチテチと駆け寄ると、足にぎゅっと抱きついてきた。ミコトは、その頭を優しく撫でる。ふんわりとした感触だった。
「ミコトー!そんなところで何してるんだー!ひいおじいちゃんたちに、ちゃんと挨拶しなさーい!」
「あっ……、お父さんだ」
「お父さん?」
「そう。今日はね、お墓参りに来てるんだ。だから、お墓に挨拶したら帰らないと……」
「帰らないと?どこへ?」
「ここからちょっと、うーんと、車で三十分くらい離れたところ」
「……離れたところ」
「せっかく友達になったのに、ごめんね……」
ミコトは撫でていた手をマビの頭から離し、立ち上がった。
地獄に帰す云々の前に、こんなに早く別れが来るなんて。なんで一緒に住めるなんて考えてしまったのだろう。
「……待って!ボク、一緒に行くの!」
「えっ?」
「ボク、山や木があるところなら、どこにでも行けるの!だから、ミコトと一緒に行くの!」
胸が躍った。心の内にあった霧が晴れる。
本当に、この小さく、可愛い生き物と一緒に生活ができるの?
マビがミコトの体をよじ登る。ちょびっとだけ、重たい。でも、幸せな重さだ。
「一緒に行くの!」
「本当に、いいの?だって、人間たくさんいるんだよ?」
「本当に、いいの。だって、人間たくさんいても、みんな、ボクのこと見えないの」
「でも、マビ、家族と離れ離れになっちゃうんだよ?」
「家族と離れ離れにならないの。叫べば、いつでも家族や仲間に会えるの」
「本当に?」
「本当に。だから、大丈夫なの」
「うん、うん!じゃあ、俺の家に来て!」
ミコトは、腰のあたりまでよじ登っていたマビの体をヒョイっと持ち上げ、ぎゅっと抱きしめた。マビのほっぺにミコトのほっぺを擦り付ける。ほんのりとお日様の匂いがした。
マビはいい妖怪だ。人間に害をなさない妖怪。だから、もしかしたら、この妖怪はいい子だから、日本に残してもいいって、うさぎに言われるかもしれない。
「わわ、苦しい、苦しいの」
「あはは、ごめんごめん」
ぎゅっとしていた力を緩め、優しくマビを抱きしめる。マビに触れている場所から、汗がじんわりと滲む。
「ミコト!もう、アンタ何してるの?」
突然、肩に触れられて、バランスが崩れそうになる。お母さんだ。
「……奈緒ちゃんも言ってたけど、ミコトちょっと変よ?今まで、何も言わずどこかに行く、なんてことなかったじゃない。……やっぱり、ちょっと具合悪いの?」
「え、あ……、大丈夫。どこも具合悪くないよ」
「ならいいんだけど……。というか、なんで空を抱きしめてるの?」
「え?」
お母さんの視線が、ミコトの手元、つまり、マビの方に向けられていることに気がついた。だけど、マビの言った通り、マビのことは見えていないようだった。
「あ、ああ、なんでもないよ!ちょっと暑いなーって思って手を組んでただけ」
「……そうなの。とにかく、暑いし、早くお参りして、家に帰ろ。ミコトの具合も心配だしね」
「うん。……心配かけて、ごめん」
「いいのよ」
お母さんは優しく微笑むと、
「ほら、お線香あげてきて」
と、優しい声音でミコトをお墓へと促した。
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