忘れられた女

@redhelmet

第1話

「ウコンちゃんさあ」

 あんたがマジな顔をこちらに向けた。

「なあに? アッちゃん」

 あたしはあんたの腕枕の中で聞いていた。「僕は君がいないと生きていけないんだ。神かけて誓うよ。君を永遠に守るって」

 神かけて? 永遠に守る? 死んでからもずっとってこと? そんな大げさな誓いをしてほしかったんじゃない。あたしが願ったのは、あたしを忘れないでほしい、それだけだったのに。

 あんたのその大げさな物言い、なんて嘘っぽかったことか。

 思い出すなあ、つきあい始めた頃、あんたから来た手紙を。

「君に会いたい。いますぐに、そっちに飛んでいきたい。もしも翼があったなら、君の元に飛んでいきたい。ああ、だけどそっちに行けない。辛いよ、この辛さったら、まるで牛の繋(つな)いでない牛車(ぎっしゃ)に乗ってるみたいだ」

 あたしは吹き出してしまった。なんて陳腐なの。でもあんたのマジな顔を思い出して我慢した。あんたはその場その場では本気だったのね、たぶん。でもころころ変わっちゃうのよ、気持ちが。

 あたしだって会いたかった。ずっとあんたのこと考えてた。今はお仕事かしら、お酒を飲んでいるのかしら、それともあたし以外の女とおしゃべりしているの。そう思うと、いても立ってもいられない。

 あたしってけっこう一途なのよ。でも、あんたはそうじゃなかったのね。

あんたは自分で気づかなかったでしょうが、誰かの移り香がするんだもの。ときには甘ったるい匂い、クチナシね。またあるときには柑橘系のあざやかな香り、タチバナか。ふふふ、あんたは嗅覚に鈍いの。でもね、それでもいいと思ってた。最後にはあんたはいつもあたしのところに帰って来たのだから。

 思い出す、初めて結ばれた翌朝、あんたから来た手紙を。

「つきあい始めた頃は、じゃあまたな、と手を振って別れたすぐ後に、会いたい会いたいと切ない気持ちで心が掻きむしられていたけど、ははは、こうやって君と一夜を過ごした今となっては、昔のあんな気持ちなんて恋心とは呼べるもんじゃなかったんだな。逢ひみての後の心に比ぶれば……今はもういっときも離れられない、君と」

 嬉しかったわ、正直に。あんたはまるで嘘くさい男だけど、さすがは詩人よね。あんたは逢瀬の後のあの切ない気持ちを詠んだ作品でかなり有名になった。いずれ後の時代に傑作一〇〇選集なんてものが編まれるとしたら、あんたのあの歌はきっと掲載されるわ。

 今となっては、もう遠い昔の話ね。

あんたは覚えてないでしょうね。世の中でいちばん不幸な女は誰かって、あたしと寝物語したことを。

あんたは頓珍漢な答えを繰り返した。

「世の中でいちばん不幸な女ってどんな人だろう? アッちゃん、どう思う」

「不幸な女? そうだなあ、退屈な女かな」

 あんたは即座に返した。「だって、誰にも相手にされないぜ、退屈な女なんて」

 あたしは問い返した。

「もっと哀れなのは?」

「うーん、捨てられた女かな」

 あんたは笑った。

「捨てられた女って、ちょっと怖いかもな、祟(たた)りじゃあ、わはは」

「もっと、もっと哀れなのは?」

「まだ、いるのかい。……孤独な女、だれにも求められない女」

「そして寄(よ)る辺(べ)なく死んでしまうのね」

「ああ、気の毒だ」

 そう言ってあんたはあたしをきつく抱きしめ「ウコンちゃん、神かけて誓うよ。君を永遠に守るって」 

 あんたは結局わかっていなかった。洋の東西を問わず、詩人がいちばん哀れだと定義したのは、忘れられた女なのに。

「女は忘れられると怖いわよ」

「ははは、天罰でもくだるのかい」

「あたし、いい作品が作れそうな気がする」

「ほー、どんな」

「教えない」

 あんたは私を忘れないって神に誓ったのにそれを破った。天罰が下るわ。あんたの末路は哀れなものね。せめてあたしが祈ってあげる。神さま、お願い、彼の命は惜しいので、天罰をくださないでねーって。(笑い)

あんたも詩人ならあたしもそうだ。忘れられた女かもしれないが、あたしの作品は忘れられない、永遠のものになる。そして、あんたの作品が一〇〇選集に残るのなら、あたしの歌も、……きっと、残る。


忘らるる身をば思はず誓ひてし人のいのちの惜しくもあるかな    右近

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