チャンネル

結々

第1話 12チャンネル

 ガタン!ガタン!


 ドン!


 ガッシャーン!


 食器棚にぶつかり、食器が落ちて割れた。


「ホラ、立てよ!」と言って、私の髪の毛を引っ張っているのは、紛れもなく私の夫の健二だ。


「やめて!私が悪かったの。ごめんなさい。だからもう止めて…」と私は、引っ張られる髪の毛を両手で押さえて泣きながら訴えた。


「いつもいつも同じことで怒られてるよな?学習しねーな、お前。だから、俺が教育してやってるのによぉ!」


「ごめんなさい。私なりに努力はしているつもりなんだけど…あなたの言う通りにできなくて本当にごめんなさい」


「ごめんなさいを言っておけば良いとでも思ってるんじゃねーのか?だから、成長しねーんだよ!」


 そう言い放って、また殴る蹴るが始まった。これは、いつ終わるのだろうか?

 終わりがあるのだろうか?

 終わりがあるとすればそれは、私がこの暴力で死んだ時しかない…。だか、なかなか死ぬまで殴ってくれない。早く終わりにしたいのに…。


 事の発端は、こうだった。

「時子、明日から2泊3日で出張だから。白のワイシャツ2枚とブルーのワイシャツ1枚をカバンに入れておいてくれ」

「はい、わかりました」


 ***

 健二は、35歳会社員で今回の出張は、昇進がかかった商談があるらしい。なので、いつもより機嫌が良く、私への暴力も少しだけ落ち着いていた。


 暴力を除けば、とても優しく、どんな事にもチャレンジしていける行動力のある人だ。社内でも一目を置かれる程、人柄も良く仕事もできる人だった。私も同じ部署で、そんな健二に惹かれ、いつしか恋をしてしまっていた。喧嘩もたくさんしたけれど、たくさんの事を乗り越えて結婚というゴールに辿りついた。その幸せも束の間で、結婚後すぐに暴力が始まったのだ。


 あれから3年間、ずっと暴力に耐えてきた。健二がいつか優しい健二に戻ると信じて、どんな要求にも応えようとしてきた。しかし、言われた通りにしても健二は機嫌を悪くし暴力を振るう。私は、もうどうして良いのかわからなくなっていた。ただ、通り過ぎる暴力の毎日を機械的に過ごす以外、自分を守る方法が思いつかなかった。

 ***


 そして、2泊3日の出張を終え帰宅した健二は、私の顔を見るなり思いっきり顔を殴ってきた。思わずキャー!と叫んでしまった。


「なに叫んでんだよ!」

「ごめんなさい。急だったから…思わず…。今度からは声を出さないように気をつけます」

「お前さ、俺が言ったとおりにワイシャツを入れなかっただろ!おかげで商談が上手くいかなかったじゃないか!」

「え?白のワイシャツ2枚とブルーのワイシャツ1枚ですよね?」

「違うだろ?白のワイシャツ1枚とブルーのワイシャツ2枚だ!いい加減、こんな事くらいはちゃんとしてくれよ!」


 そう聞いた途端、健二の声がだんだん遠くなって言った。その後もいろいろ言っていたが何を言ってるのか理解できなかった。健二は、確かに白のワイシャツ2枚とブルーのワイシャツ1枚と言った。その通りにした。気分が変わったのは私のせいじゃない…。なのに、何で私が殴られて怒られてるの?私が何をしたって言うの?あなたは、なんでそんなに暴力的なの?私が嫌なら、なんで別れてくれないの?私の教育ってなに?私は、そんなに駄目な人間なの?なら、暴力を振るっているあなたは良い人間なの?少なくとも私は苦しんでるのに…。目の前の人間を痛めつけて、良い人間なはずがない…。悪いのは、私じゃない!悪いのは、健二だ!そうだ!健二が悪いんだ!


「あー、もう飽きた」

 健二は、そう言ってドサッとソファーに座ってテレビを見始めた。


 全身が痛い。もう立つ気力もないくらい痛い。しかし、もう終わりにしたい…いや終わりにするんだ…終わりにしてやる!そう思ったら力が湧いてきた。


 キッチンへ行き包丁を手に取った。そして、健二のいるソファーへ駆け寄った。


 終わりにするんだ!もう私を開放して!お願い!お願い!


 そんな事を考えながら無言で健二の胸を何度も何度も何度も刺した。


 どのくらいの時間が経ったのだろうか?気がついたら、動かない健二に馬乗りになったまま私は全身血塗れになっていた。包丁を持ったままの手を見てやっと我に返った。


「なんて事をしてしまったんだろ…」と体が震えた。急いでスマホを手に取り110番をした。

 カチャっと繋がった瞬間に、相手の言葉も聞かずに「す、すみません。お…夫を殺してしまいました」と震える声で伝えた。その後、何を言われたかも覚えていない。しばらくすると家のインターホンが鳴った。全身血塗れの状態でドアを開けると、そこには警察官が立っていた。私は、そのまま崩れるように座り込んでしまった。警察官も何かを言っていたが放心状態で言葉を発することが出来なかった。


 しばらくして、家の中の様子を見に行った警察官が私の体を揺すっていた。


「奥さん!奥さん!大丈夫ですか?」

 その声でやっと我に返った。

「は…はい」


「通報があったので来たんですが、事件性がないようなので帰りますね」

「え?どういうことですか?私、夫を殺してしまったんです」

「旦那さんは生きてますよ。今、旦那さんにお話を聞きましたが、派手に喧嘩をしただけだと…」

「そ、そんな訳ない!ちゃんと部屋の中を見てください。私だってこんなに血塗れに…」と言いかけて、自分の姿をみると何も汚れていなかった。びっくりして、急いでリビングへ走っていった。するとそこには、ソファーに座って、笑顔でテレビを見ている健二がいた。


「なんで…」と立ち尽くしていると健二が私の隣を静かに通り過ぎ、玄関で待っている警察官への対応をしていた。


「なんかすみません。妻が興奮して通報までしてしまって…」

「いえ、何もなくて良かったです」


 そんなやり取りをしてたのが微かに聞こえた。そして、玄関のドアが静かに閉められた。


 健二がリビングに戻ってきて、さっきと同じようにドサっとソファーに座った。


「なあ、時子。俺を殺した時はどんな気持ちだった?スッキリしたのか?」と健二はニヤリと笑った。


 ―背筋が凍った―


 何?何が起こったの?やっぱり私は、健二を殺した?でも、目の前の健二は?


「まさか、お前が俺を殺す度胸があっとは驚いたよ。やっぱさ、刺されると痛いのよ。もうそんな酷いことは止めてくれよな」


 何を言ってるの?痛いのは嫌だと知っているのに何で私を殴るの?


「なんで俺が生きてるのか?って顔をしてるな。それは言えない。でもなぁ、俺を殺しても死なないことは覚えておけよ。死ぬまでお前は、俺の奴隷だ」とまたニヤリと微笑んだ。その笑みを見て逃げられない事を悟った私は、その場にペタンと座り込んだ。そして、涙が止まらなかった。




―殺人 1回―

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