くまに願いを

くまに願いを

 今日いちにちで、自分にはUFOキャッチャーの才能がないのだと身に沁みてわかった。

 なんせ二千円も使ったのに、欲しかったぬいぐるみが取れなかったのだ。間抜け面で有名な古代の魚・サカバンバスピスをモチーフとしたバスピースくんは、筐体のなかで自分を(◉▼◉)とあざ笑っているように見える。

 ひとりでにムッとしたあと、いっそフリマアプリで買うか、とも思ったがものの数秒でその考えは打ち消した。なけなしのプライドが他人に頼るなと告げていた。好きな女の子にプレゼントするものなんだから自分の力で獲らないと意味ないだろ、と。


 当初、描いていた計画はこうである。

 バスピースくんを獲得した翌日、スクールバッグにぬいぐるみを潜ませて高校に行く。そして誰もいない放課後、


「ゲーセンに行ったらたまたま獲れてさ。春崎、この……バスピースくん、だっけ? 好きだったよな。やるよ」


 と、クラスメイトの春崎にさりげなくぬいぐるみをプレゼントする。子どものような無邪気さを持つ彼女は大げさにはしゃぐに違いない。


「えっ、いいの? これすっごく欲しかったんだ~! でもゲームセンターにしかないって聞いて諦めてたんだよね」


 春崎は小さな体躯でバスピースくんを愛おしそうに抱きしめる。


「ありがとう、真中くん! 大事にするね」

「いいって別に。大したことじゃねえし」

「真中くんって、UFOキャッチャー得意なの?」

「まぁ、人並み」

「でもぬいぐるみが取れるなんてすごいよ! よかったら今度、ゲームセンターに連れて行ってくれない? 真中くんがUFOキャッチャーやってるとこ見たいな~」

「仕方ねえな」


 これである。プレゼントからのデート漕ぎつけ作戦。

 だがバスピースくんが獲れなかったことで、そのプランもあえなく水の泡になりそうだ。


「お小遣い、前借りできっかな……」


 すっからかんになってしまった財布を見つめて溜め息を吐く。借りられたらもう一度チャレンジしてみよう。それでだめだったらほかのプランを練るしかない。

 意気消沈して、暗くなった帰路についていたときのことだった。


 ──ふと、何か柔らかいものを蹴り飛ばしてしまった。


「……なんだこれ?」


 足元を見ると、十五センチほどのぬいぐるみが、一メートル先の地面にぽつんと落ちている。すっかり土で汚れてしまっているが、もとはくまのぬいぐるみだろうか?


「ごめんなー、蹴っちまって」


くまを首根っこをつまむようにして拾い上げ、軽くはたいて土埃を払う。近くで見てみると、つぶらな目をしていてかわいいなと思った。バスピースくんの魅力はいまいちわからないが、こいつはわかりやすい愛らしさを持っている。

辺りをきょろきょろと見渡して、くまを避難させられそうな高所を探す。汚れ具合を見るに落とされてだいぶ時間が経っていそうだったが、持ち主が捜していないとも限らない。

しかし辺りにちょうど良さそうな置き場所はなく、このまま蹴られ続けるのもかわいそうだと思った自分は、面倒だが警察に届けることにした。

正直、いいことをすれば運も味方につくだろうだろうと思ったことは否定しない。


×××


「うわー……まじか……」


 金曜日の夜だからだろうか、目的地の駅前交番では酔っ払いと思しき男性たちが数人で揉めていた。警察官たちはあきれた顔で彼らの仲裁に入っており、とても交番に入れるような雰囲気ではない。

ずっとつまんで持ち歩いてきたくまと視線を交わす。


「どうする?」


 もちろんくまは答えない。


「困ったなあ。ネコババしたって思われるのいやだし。かといって、このまま置いてくのもなあ……」


 ぶつぶつ言いながら少し悩んだ挙句、交番と酔っ払いを背景にくまの写真を撮った。万が一誰かに咎められたときに弁明するためだ。


「まったく嫌になるよなー。このSNS時代、誰に何を言われるのかわかったもんじゃないんだからさ」


 返事をしないくまにそのまま話しかける。


「とりあえず、今日は俺んちで保護な。ついでだから洗ってやるよ」


 木枯らしが吹いて、くまの頭がゆらりと揺れる。なぜだか、自分の目にはそれが嬉しそうに映った。


×××


 常日頃から汚いものを家に持ち込むなという姉に厳命されている。このくまも見つかったらなんと言われるか。なので帰宅するやいなや、自室にスクールバッグを置くと下着とスウェットをひっつかんで、急いで風呂場へ向かった。脱衣所のカギをかけ、黒く汚れたくまを洗面台に置く。


「とりあえず水洗いしてみるか」


 ぬるま湯でしばらく洗ってみる。すると汚れの大部分が落ち、本来のオフホワイトの色が見えるまでになった。


「おー。これだけでだいぶ違うじゃん。つかお前、白熊だったんだな」


 予想以上に綺麗になったのでなんだか楽しくなってきてしまう。ここまで来たらと思い、洗濯洗剤で丁寧に洗ってみた。それから柔軟剤を入れたぬるま湯に漬け置きして、自分も風呂に入ることにする。風呂から上がったころには、洗面台にすっかり汚れの落ちたくまがいた。あとはタオルとドライヤーを使って乾かすだけだ。共働きの両親に家事は一通り叩き込まれているので、これくらいは朝飯前である。

 ひとりで鼻高々になっていると、脱衣所のドアをドンドンと叩く音がした。


「遅いよ、いつまでお風呂入ってんの? 私も洗面所使いたいんだけど」


 姉である。待たされてご立腹のようだ。


「ごめん、もう出るから!」


 反射的に返事をする。姉には逆らえない悲しき弟の性だ。

 自分の髪とくまとを早々に乾かして、姉に洗面所兼脱衣所を明け渡す。

出る間際、姉にくまが見つからなかったことはラッキーだった。見られたら根掘り葉掘り、余計なことを聞かれ笑われたに違いない。


×××


 冬の乾燥も手伝って完全に乾いたくまは、ふわふわで柔軟剤のいい匂いがした。

 人形なんて邪魔なだけだと思っていたが、こんなにかわいいなら手元に置きたいのも頷ける。意味もなく周囲を見渡し誰もいないことを確認して、くまの頭を撫でてみた。うん、心地いい。さながら物静かな小動物を触っているようだ。

 柄にもなく少女ライクな気分になりながら、ベッドサイドのテーブルにくまを置く。


「元がこんなにかわいいんだったら、お前を落としたひともずいぶん落ち込んでるんだろうなあ……」


 ベッドに寝ころび、あくびをしながらくまに話しかける。


「まあ、明日には警察に届けてやるから。元の持ち主と会えるといいな」


 くま越しに、壁の時計をちらりと見た。まだ二十一時にもなっていない。なのになぜか強い眠気が襲ってくる。UFOキャッチャーなんて慣れないことをしたせいだろうか。しかし、こんな時間に寝てしまうなんてもったいない。いつものように二十四時まで漫画を読んだり、友達におすすめされた動画を見たりしたいのに。

 まぶたが落ちてくる。ああ、こうなったらもうだめだ。いったん寝よう。明日少しだけ早く起きればいいんだから。電気を消さなきゃ。いや、自動消灯だからほっとけばいいか。睡魔に任せて目をつむる。おやすみなさい。

まぶたを閉じる寸前に洗いたてのふわふわのくまが視界に入る。くまはベッドサイドのテーブルから楽しそうにこちらを見下ろしていた。


×××


 夢というのは得てして奇妙なものである。

 自分は暗く青白い水族館にたった一人でいて、巨大な水槽を眺めていた。なかではサカバンバスピス……ではなく、ぬいぐるみのバスピースくんたちが泳いでいる。バスピースくんたちはゆったりと身体を動かしながら、ときどき水底に落ちている綿を食べていた。ぬいぐるみだから主食は綿なんだなあと妙に感心してしまう。それから、自分の家でもバスピースくんを飼えないだろうかと考えてみた。意外と飼育の手間はかからなさそうだ。漠然と母も姉も了承してくれるような気がする。それに春崎に「うち、バスピースくん飼っててさ」なんて切り出したら、興味を引けるかもしれない。


 水槽と自分とは完全に隔てられているのに、どうしてか水中の音がする。前後左右、いろいろな場所でたくさんの泡が気だるげに生まれては弾けていく。ポコポコポコポコ。落ち着く音だ。のんびりとバスピースくんたちが泳いでいるのを眺めながら、いっそ自分がパスピースくんになるのも悪くないなさそうだなと思った。夢らしく視点が移り変わる。今まさに自分は水槽のなかのバスピースくんになった。頭も身体も軽くて気分がいい。そして本能に任せ、怠惰に綿を頬張ろうとしたときのことだった。

アクリルガラス越しにくまと目が合った。くまはふわふわの小さな口を動かして、自分に話しかけているようだ。言葉がはっきりと聞き取れた。


「――こっちに戻ってきてよ」


 直後、自分は人間の姿を取り戻しくまの隣に立っていた。濡れてこそいないものの、海から上がった直後のように、身体が端々まで重い。そんなこちらの気だるさも知らないようで、くまは「おかえりなさーい」と笑った。生意気ざかりの小さな男の子の声で、なんだかイメージと違った。いや別にそんなこと、夢だからなんでもいいが。それよりもう少しだけバスピースくんの生を楽しみたかったなあなどとぼぅっとした頭でここまで考える。なんて夢らしい場面の急な切り替わりと、断片的な思考なんだろう。


「お前、しゃべれるんだな」


とりあえず思いついたことを発してみた。


「まあね。すごいでしょ」

「うん」

「もっと褒めてくれてもいいよ?」

「まじですごい」

「もー。語彙力がないなあ」


 くまはくすくすと笑いながら、短い手足を動かし水槽の縁を歩く。


「それはそうと、さっきは洗ってくれてありがとうね。おかげで久々にさっぱりしたよ」


 急に現実を持ち込まれてやや頭が混乱した。少しして、くまが何を言っているのかを理解して「ああ……どういたしまして」と、ぼんやりとした回答をする。


「それでね、これはボクからのありがた~い提案なんだけど……」


 くまは両手を頬に当て、あざといポーズをして言った。


「ボクのことを洗ってくれたお礼に、ボクの力でキミのお願いをひとつ叶えてあげようと思うんだ」

「……は?」

「うんうん、こんなにかわいいボクに、こんなに魅力的な提案をされたらびっくりしちゃうよね。実はボクって今はこんな姿だけど、キミたちが言うところの神様で、君たちが住む次元のありとあらゆる法則は、ボクの指先ひとつで変えることができるの。だからね、キミが望むことなんでも実現できちゃうんだ~」


 だからなんでも言ってみて、絶対叶えてみせるから、とくまはあっけらかんと話す。

 遠い頭で、夢ってなんでもありだなあと思った。本当に何から何まで自分にとって都合がいい。


「じゃあ、あれがほしい」


 水槽のなかのバスピースくんを指差す。くまは眉毛を少しつり上げて(今さら気が付いたがこのくま眉毛がある)、不服そうに聞き返してきた。


「そんなのでいいの?」

「うん、いい」

「ボクの能力疑ってるんじゃない? もっと有意義なことに使いなよ。せっかくの貴重なチャンスだよ。現実にちゃんと反映されるんだよ?」

「とは言ってもなあ。思いつかないし」

「ほら、よくあるのはお金持ちになりたいとか、モテたいとか……」

「そういうの具体的じゃなさすぎて、そうなってる自分をいまいち想像できないんだよ、まじで」


 これは格好つけているわけではなくて、本当にそう思っていることだった。自分はあまりにも小さい人間で、やりたいことも避けたいこともぜんぶ両手を伸ばした半径二メートルの圏内にある。その思考を読み取りでもしたのか、くまは溜め息をつくと、こちらの要望を細分化する作業を始めていた。


「一応聞くけど、ぬいぐるみのバスピースくんがほしいの? 古代魚のサカバンバスピスじゃなくて?」

「うん。あのぬいぐるみがほしい」

「いくつほしい?」

「ひとつでいい。春崎に渡すぶんだけ」

「……っていうかそもそも、あの子に好かれたいとかそういう望みじゃなくていいわけ?」


 それは確かに。

 しばらく固まってうーんと足りない頭で思考を巡らせたあと、やっぱり今のところ彼女が無条件で自分を好きになってくれる情景が思い浮かばなくて、思わずにへらと笑ってしまった。


「うん。大丈夫。というか、ぬいぐるみをくれるだけでもまじでありがたいよ。あとは俺がなんとかするし。つかこういうのって自分でなんとかしなきゃいけない感じがするんだよな」


 くまは物足りないといったような表情をして、しかししぶしぶ「わかった」と返事をした。


「ぬいぐるみはすぐに届けてあげる」

「ありがとう。優しいんだな」

「このくらいボクにとってはどーってことないよ。それに、道端に落ちてるぬいぐるみを拾って、わざわざ洗ってくれたキミの方が優しいんじゃない?」


 そのとき、視界の左上でチカチカと白光が明滅しているのを感じた。夢に肉体はないはずなのに、なぜだか眩しいと感じる。


「朝が来たね」


 くまはつまらなさそうに吐き捨てた。


「ああ、じゃあ起きなくちゃだな。明日も平日で学校あるし」

「起きないっていう手もあるよ?」

「そういうわけにいかないって」

「……ふぅん。そう」


 くまはいじけているようだ。

 白光がだんだんと強くなっていく。ここに存在しないまぶたの裏が、ちりちりと焼けるような感覚を覚える。


「ああそうだ。お前、持ち主がどんなひとだったか覚えてる? よかったらそのひとのところにぬいぐるみ届けてやるよ」

「言ったでしょ。ボクは神様だから持ち主なんていないよ。しばらくキミのところに置いといてくれたら勝手に消えるから気にしないで」

「よくわからないけど、わかった」


×××


 目が覚めた。いつも通りの朝だ。気だるくて眠くて学校に行くの面倒くさいなと思いながら上体を起こす。ベッドサイドのテーブルにはくまがいた。


「おはよう」


 意味もなく挨拶をしてみた。

くまは夢のなかのようにしゃべりもせず、ただ愛くるしい表情でちょこんと座っている。そりゃまあそうだよなと思い、ベッドから降りて立ち上がり大きく伸びをした。そのとき、ベッドの上から何かが床に転がり落ちたのを見る。


 ――バスピースくんのぬいぐるみだった。


「はぁっ?」


 バスピースくんのぬいぐるみを抱え上げ、くまの方に視線を向けた。くまはこちらを見向きもせず、相変わらず人形然としている。ただ自分の脳裏には夢のなかで見た、あのくまのしたり顔が鮮明によみがえった。


「……まじで?」


×××


 今日一日、ずっとそわそわしていた。

 何度もスクールバッグを開けては、底にしまったバスピースくんのぬいぐるみを見つめ、溜め息を吐いてはまたバッグを閉じる。それの繰り返し。

 バスピースくんのぬいぐるみは、放課後になった今も消えることはなく、ずっとバッグのなかに存在し続けている。


「夢が現実に……いや、そんなことあるのか?」


 勢いで家から持ってきたのはいいものの、得体のしれないこれをどうにも春崎に渡す気になれない。とりあえず持って帰って様子を見よう、もしかすると帰宅したらくまもしゃべれるようになっているかもしれないし……そう思って、またスクールバッグのジッパーを締めたときのことだった。


「まーなかくん」


 名前を呼ばれ、肩をとんとんと叩かれる。振り向くと、誰かの人差し指が自分の右頬を柔らかく刺した。


「やーい、ひっかかった」


 春崎だった。彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべている。


「お前な」

「ごめんごめん。それより真中くん、明日提出の古文の宿題やった? もしよかったらノート見せてほしいんだけど。最後の部分の訳が難しくてさ~……」


 手を合わせてお願いポーズをされる。かわいい。こうやって春崎に頼まれて断り切れるやつなんかこの世にいるんだろうか。高揚感が顔にでないよう必死に無表情を作りながら、スクールバッグを開けて春崎に古文ノートを渡す。「丸写しはやめとけよ」なんてぶっきらぼうに説教じみたことを言いながら。


「ありがとう~! 助かるよ」


 そこで春崎はちらりとこちらのスクールバッグを見た。


「あれっ……それって、バスピースくん?」


 しまった。ノートを出したせいで、スクールバッグの底に追いやっていたバスピースくんがチャックのあいだから間抜けな顔をのぞかせていた。


「あ~。うん、たぶんそう……」


 歯切れ悪く答える。


「どうしたの、それ?」

「いや、たまたま昨日ゲーセン行ったら獲れちゃって。忘れてたわ」

「へええ……!」

「………要る?」

「えっ、いいのっ!?」


 春崎がキラキラした目をしてこちらを見上げていた。あー。まじか。そんな表情で見られたら死ぬんだが。にやけないように唇を引き結んだ。


「どうぞ」


 バスピースくんをぞんざいにひっつかむと春崎に押し付ける。春崎は「ありがとう! 本当に嬉しい……!」とぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。何度も妄想した通りの春崎の姿に感動すら覚えてしまう。この際、バスピースくんのぬいぐるみがどこから来たのかなんてどうでもいい。ありがとう奇跡。ありがとうくま。


「今度、何かお礼するね。……っていうかさ、私たちお互いの連絡先知らないよね? ID交換しよー」


 そういえばそうだった。スマホを持つ手が緊張でわずかに震える。

 ここから何かが始まる予感がした。

 もしかすると、春崎と付き合えるのも遠い未来じゃないのかもしれない。


×××


「あっ、おかえりー」


 雑居ビルが立ち並ぶ薄汚い街に、自分とくまとは立っていた。いたるところにあるネオンピンクとネオンブルーの看板が、雨上がりにキラキラと反射している。どこからともなく聞こえる喧噪がふしぎと心地いい。


「おかえりって。ここ、俺の夢のなかだろ?」


 くまを抱え上げ、ガードパイプに腰をかける。それからくまを膝に乗せてやった。


「細かいこと気にしないのー」

「そうか。うんうん、確かに」

「機嫌いいね。ボクのおかげで、女の子と上手くいったからでしょ」

「そうなんだよ。ぬいぐるみを渡せて連絡先も交換できた。お前のおかげだ、ありがとうな!」


 膝の上にいるくまの頭をぐりぐりと撫でる。くまは「雑に扱わないでよね~」と言いながらも満更ではなさそうだった。


「次はどうするの?」

「次? ん~そうだなあ。定期的に連絡とって春崎と仲良くなりたいな。そんでなんかきっかけを作ってデートする!」

「普通だねー。なんかつまんない」

「いいんだよ、堅実なのは大事なんだから」

「じゃあ次のお願いは、デートのきっかけ作りっていうのはどう?」


 くまは膝からぴょんと飛び出して、器用に細いガードパイプの上に乗る。それから両手を上げるとバレエダンサーのように回り始めた。楽しげだ。


「二人きりで出かける理由をボクが作ってあげる。何がいい? 映画でも水族館でも好きなところを言ってみてよ。そこでデートできるように仕向けててあげるから」

「まじか! じゃあお願いするよ。『春崎に俺のことを好きになってもらう』みたいな直接的なお願いは気が引けるけど、外堀を埋める協力くらいはいいよな。お前がいると心強いしな!」

「まぁ次からは対価が必要になるけどね」

「……対価?」


 聞きなれない言葉に思わず訊き返してしまう。


「うん。対価」


 くまはくるくると回るのをぴたりと止めると、こちらに視線を向けて言った。


「これはボクの商売みたいなものなんだ~。人間から何かをもらって何かを与える。あのぬいぐるみだって、ボクの洗濯という対価をもらったからあげることができたんだよ」

「そ……そうなのか。それでもし次を頼んだらどんなものが必要になるんだ? 洗濯くらいならいつでもしてやれるけど……」

「人間の指一本」


 くまは表情を変えずにさらりと言った。背筋がぞくりとする。目の前の存在が人ならざるものだということを否が応にも理解する。


「……いや、割に合わなくね」


 なんとか言葉を絞り出す。


「何回望んだかに比例して、対価はどんどん膨れ上がっていくんだよ」

「じゃあ……今回はやめとく。もともと協力してもらえたらいいな、くらいのもんだったし」

「そうはいかない。キミはさっき『お願いする』って言ってしまったからね。神に一度願ったことは取り消しができないんだ」


 くまの口調は有無を言わせない。自分の指を見た。今はまだ十本そろっている。そんなこちらの様子を見て、一転、くまは優しそうな口調で言葉を加えた。


「何もキミの指じゃなくていいんだよ。人間の指がひとつあればいい。そうだなあ、一週間あげるからどうにかして調達してきてよ。期限を過ぎたら、キミの周りの人間をランダムに選んで指をもらうことになるからよろしくね。誰を選ぶかはボクにも決められない。春崎って女の子じゃないといいね。がんばって~」


 自分はいったいどうしたら?


×××


 ──それからどうなったのかだって? そんなのわかりきってるじゃん。今までの子たちと同じように願いが膨れて死んじゃったよ、その子も。

 人間のくせに神様と対等に契約しようとするからこうなるんだ……。



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